■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
    4.内緒の生活    
       
(13)

  

 誤算。という言葉がある。予想が外れた、というもっと親しみ深い言い方も出来る。

「……甘かった、ってのもアリかな」

 呟いて、どちらにしても状況は悪い方にしか転ばないように見え、ミナミは…溜め息を吐くのではなく息を止めた。

 ファイランに接続された臨時駅舎へは、ウォルの指示にあった通り警備員を捕まえ訳を説明し、特殊なブロックを施されているらしい「招待状」のICを確認してもらって、なぜか、一般の出入口ではなく来賓用のゲートをくぐって入場。そこから特別車輌の個室に搭乗したので、まさかステーション側の昇降口がこんなに混み合っているだなどと、ミナミは夢にも思っていなかったのだ。

(モノレールって…、ステーションの解放区に降りる王都民も同じモン使うんだな…。知らなかった)

 特別車輌から降りステーションのゲートまで行ったところで不意に足を止めたミナミは、それから……、一歩も先に進めず呆然と立ち尽くしているのである。

 ファイラン王都の大通り、一号大路の比にならない程大量の人でごった返す、モノレール昇降口。一時降下許可を受けた王都民、主に、ステーションで新しい商品情報を買い取る商人や、他の浮遊都市から移住して来て、折り良く接岸が同時になり、ステーションの解放区で親や兄弟などという血縁者と面会する者などが、ケートキーパーの順番待ちをしているのだが…。

 通れるのだそうだ。ミナミの持つ「招待状」を最後尾付近にいるだろう警備員に見せれば。

「……………つうか、それは嫌ってほど判ってんだろ…、俺もばかじゃねぇし」

 どうしようもなく弱々しく自分に突っ込み、それでもやっぱりミナミは途方に暮れていた。正装、と招待状に書かれていたから、シングル三つボタンのシックなスーツに淡いベージュのハーフコートを纏ったまま佇んで、ポケットに手を突っ込み怒涛のような人波を見つめる様子は、決して「途方に暮れている」ようには見えなかったが。

 ミナミは、絶望的な諦めに彩られたダークブルーの双眸で、烏合の衆が犇めくゲートを観察している。

 ふっと、立ち尽くすミナミの傍らを品の良さそうな紳士が通り過ぎた。濃茶色のスーツを纏った紳士は水平に流れる人波に臆する事無くその間に分け入り、「失礼」と周囲に軽く声をかけながら向こう側へと消えて、見えなくなった。

 そう、それでいいのだ。それも判っている。

 不注意な都民がぶつかって来ても、怒りを露にするでもなく、ましてや悲鳴を上げて逃げ去るのでもなく、毅然と会釈して、右から左に流れる雑踏を真っ直ぐ突っ切って最後尾側へ通り抜ければいい。

「……判ってるつってんだろ…。けどさ…」

 殆ど硬直したまま、ミナミは短く息を吐いた。

「出来りゃとっくにやってるし、こんなに悩んだりしねぇって…」

 無理。

 この密集した人波を、誰にも触れずに通り抜けるのは、無理過ぎ。

 だからミナミは胡乱な視線をその流れに向けたまま、途方に暮れている。モノレールから吐き出されてくる都民の波は一向に途切れる気配なく、展覧試合の開始時刻は、もう迫っている。

 ここでも多少自己嫌悪に陥り、がっくりとうなだれて今度は盛大な溜め息を吐く。わたしは少々事情があって誰にも触れられないので、出来れば動かないで居てもらえますか? などと勇気を振り絞って叫んでみても、相手がこの人数では誰ひとりとして聞いてくれそうもない。

 しかも、そんな気はさらさらないし…。

 普段無表情なミナミにしては珍しく、あからさまな落胆の表情で足下を睨んだ彼の視界を、子供のように小さな靴の爪先が掠めた。後ろから来たのだから来賓車輌の客なのだろうが、それにしては奇妙な気がして、ミナミは反射的に顔を上げた。

「………?」

 眼に入ったのは、頭からすっぽりとフードを被った、ひどく華奢な背中。顔を見られるのが嫌なのだろうか、胸元をしっかり片手で掻き寄せ、俯いている。

 足首まであるフード付きのマント。歩くたびに裾がなびき、自然な皺だけが装飾。という飾り気のない後ろ姿だったが、なぜかミナミは…純白のか細い肩から目が離せなくなった。

 様々な色彩の溢れ返った中で、その白は清楚で強固な気配を放っている。

 ついに華奢な人影が、都民の流れに分け入って行った。この濁流の中でも一際目立つその白が、せめて無事目的を果たせればいいけど、とそんな場合ではないのに他人を気遣ってしまったミナミが、自分に失笑。途端、「きゃぁっ!」 と黄色い悲鳴が群集の隙間から放たれ、たった今見えなくなったばかりの真白い人影が、突き飛ばされてミナミの方へと転がり出てきた。

「……え?」

 どさり! と堅いプラットホームに尻餅を突いた白いひと。その、捲れ上がった合わせから始めに覗いたのは、線の細い滑らかな…膝頭だった。

 ざわざわと、得体の知れないざわめき。

 人の流れが一瞬緩み、誰もがミナミの前に転がった白いマントに視線を向けて、すぐ、何か………見てはいけない、あってはいけない、許されない、何か…、を目にしてしまったかのように、顔を顰めふいっと視線を逸らす。

「………女性?」

 殆ど声にならない声で囁いたミナミが、慌てて警備員を呼ぼうと周囲を見回した。こんな混み合った場所に警護も付けず女性が単独で降り立つ、というのは、ファイランの常識から言って危険極まりないのだ。

 なのに、おかしい…。

 改めてミナミは、マントの埃を払いながら立ち上がったその…女性の背中を見つめ、始めて、ある事に気付いた。

 人波の中には、その女性を凝視している者が大勢いたのだ。大抵が、哀れみか、蔑みか、透明な空間の揺らぎでも眺めているような、冷め切った目つきで。ひとり二人は、なんだかとても嫌な顔をしてにたにたしている者もいる。下卑た口笛、言葉にならない悪態、最初から何も言わず、ただじっとその真白いマントを見ているだけの者たち。

 これは、なんだろう。なんという…………冷たい反応だろう。

 そう。彼女がここに転がり出てきた、という事は、誰かが突き飛ばしたからに他ならない。なのに、謝罪の言葉はあっただろうか? こんなに混み合っているのだから判らなかった? でも、それなら誰か…、見つめている連中がいるのだから、誰かひとりでも「大丈夫か?」と、声を掛けそうなものではないだろうか?

 凝視し続ける民衆。白いマントの女性はすっくと立ち上がり、胸を張って、転んだ拍子に脱げてしまったフードの中から、それまでは見えないように押し込んでいたのだろう、マントと見紛いそうになる見事な純白の長い髪を掻き出し、盛大に腕で払った。

 純白の、長い髪。真珠のような輝きを纏った、本当に真っ白い髪。ドレイクの髪も白髪ではあるが、そんなものとは比べ物にならないほど美しい、軽くウエーブの掛かった…、青白い髪。

「急いでいます、通らせて貰えませんか!」

 彼女…きっとまだ少女なのだろう彼女は、ざわつく民衆に向って、可憐で耳障りの柔らかい声を張り上げた。

「すみません、通らせて下さい!」

 靴音、失笑、ざわめき。それらに掻き消された彼女の声は誰にも届かないのか、目前の男たちでさえ、少女を一瞥するが歩みを停めてやろうとしない。

 おかしい………。

「急いでいるんです、通らせてくださいっ!」

 それでも果敢に叫んだ少女が、一歩踏み出した。

「うわ!」

 しかし、悲鳴を上げたのは群集の中にいた、柄の悪そうな男だったのだ。

「ばーか。こっちくんじゃねぇ」

 蹴飛ばす振りをされて、少女が慌てて一歩後退する。それに驚いたミナミが首を巡らせると、モノレールの窓から車掌が…顔を出していた。

 自分でどうにかしてやれればいいのだろうが、ミナミには到底無理な相談だ。万一ここで相手の男が何か…例えばミナミの腕を掴もうとか、そういう行動に出てきた場合、ミナミにはどうする事も出来なくなる。

 だからミナミは、きゅ、と踵を鳴らして歩き出し、見つめてくる車掌に助けを求めようとした。

「す…」

「あの、いいんです」

 車掌が何もなかったかのように窓に引っ込んで行ったのを呼び止めようとしたミナミの背中に、あの、可憐な声が弾ける。それに驚いて振り返り、失礼にも、ミナミはもう一度…驚愕した。

 …………普段が無表情なのだから、せいぜい微かに目を見開いた、程度だったが…。

 少女は、本当に抜けるような青白い肌をしていた。年頃の女の子など見た事のないミナミでも予想が付くような、桜色の唇、も、ほんのり紅を差した頬、もしていない。

 青白い肌に、消えてしまいそうな薄紅が射しただけの、ふっくらした唇。長い睫も、形のいい眉も、額のやや左で分けられ、赤いピンできっちり留められた髪のように、青白い光沢を纏っている。

「…すみません。いいんです。誰も、わたしには注意を払いませんから」

 色彩のない彼女の中でたった一点だけ強固にその存在を誇示するのは、血のように真っ赤な瞳。大粒のルビーのごとき煌く、真紅の双眸。

 ミナミは、黙って全身を彼女に向けた。

 色素遺伝子の欠損…。アルビノ、と俗に言われる。

 ぺこりと頭を下げてから顔を上げ、しかしなぜか少女は俄に頬を赤らめて、煌く真紅の瞳を更にぴかぴかさせ両手で口元を覆った。

「ミナミさん!」

「は?」

 で、いきなり見ず知らずのミナミの名前を叫ぶ。

 きょと、と惚けた顔を晒すミナミににっこりと微笑み掛けた少女は、両手でマントの裾を摘まみ、改めて丁寧にお辞儀した。

「はじめまして、ミナミさん。わたし、マーリィ・ジュダイス・レルトと言います」

「あ? あ…。はじめまして? ミナミ・アイリーです…。けど…確かに…」

 さっぱり訳が判らないまでもなぜか丁寧にお辞儀を返したミナミを、マーリィと名乗った少女が笑う。

「本当に礼儀正しい方なんですね」

 ふんわりとした笑顔に、ミナミは思い切り戸惑った。

 線の細い、でも病的ではない華奢な少女。女の子、など間近で見るのは始めて、というミナミは、そのふわふわした姿に目を奪われ、言葉を失う。

 口元にやった手の動きまで、なんともかわいらしい少女だった。目線、仕草、言葉の端々まで「可憐」という冠詞が似合いそうなマーリィにどう対処していいのか、ミナミは先刻と別なニュアンスで、また途方に暮れる。

「それに、聞いてた通り綺麗な方だし…」

 いたずらっぽい顔で微笑むマーリィのセリフに、ミナミが今度は小首を傾げた。

「聞いてたって…、誰から?」

「あ……」

 口元に添えていた手を身体の前に組み、少女が何か言いかけた。

 刹那、彼女の向こう、こちらには全く無関心を装っていた群集の波から「動くな!」という叱責が上がり、上がった途端に、ぱっくりと眼前に通路が出現する。

 今度は何が起こった?! と思わず身構えたミナミと、驚いて振り返ったマーリィ。その表情が同時に硬直したのは、二つに隔てられた流れの間を、漆黒の軍服が物凄い勢いでこちらに向って来たのを目にした瞬間だった。

 完璧に訓練された動きで民衆を背にし通路を確保した王下近衛兵団の衛視たちは、全部で六名。「停まれ。動くな」と静かだが拒否を許さない口調で言い放った衛視に、誰もが唖然とした視線を向けている。

 …何せ、近衛兵は王城内の警護専門。今日は陛下に同行しステーションに来ているのだ。つまり、陛下の来ない場所には絶対に出て来る訳がないのだが…。

 二つに分かれた群集の向こうから、今度は緋色のマントをなびかせた一団が姿を現す。それにこれまた唖然とするミナミとマーリィに、退去した電脳魔導師たちの間を大股で近付いてくる、堂々としたひと。

「…エスト卿?」

 ミナミの口を衝いて出た自分の名前に笑顔を見せてから、ローエンス・エスト・ガンは左胸に右の拳を当て、紳士的な挨拶を二人に向けた。

「ごきげんよう。二人とも、まだ困った事には巻き込まれていないようだね」

「お忙しい所御足労ありがとう存じます、ローエンスおじさま。わたしはお転婆な性格が災いして、あとちょっとすれば騒ぎを起こしていたかもしれませんけれど、ミナミさんにお会いしたもので、騒ぎは先送りにして、ご挨拶を差し上げてましたの」

「ほう。それは結構な事だね、マーリィ。さすが、あのガリューを黙らせただけの事はあるな、ミナミくん」

「…つうか、関係ねぇだろ、それは…」

 笑顔のローエンスと無表情なミナミを見比べ、うふふ、と含み笑いするマーリィの正体をローエンスに訊ねようかどうか、とミナミが本気で考え始める。

「? で、エスト卿は、なんでここに来てんだ? しかも、衛視まで連れて…」

 逆か? とも思う。確か、階級として警備軍の方が近衛兵団よりも下だったはずだ。

「まさか、陛下が今からこちらをお通りになる訳ではありませんわよね、ローエンスおじさま?」

 同じ疑問を抱いていたのか、朗らかに微笑んでいたマーリィもちょっと小首を傾げる。

「大切な来賓がお着きになるのに陛下の警護をしているどころの騒ぎではないからだよ、マーリィ」

 言われて、少女が「まぁ」と驚いた顔をした。

「ファイランの方ですの? それは。本当にお忙しいのに、お引き止めしてしまって…」

 しん、と水を打ったように静まり返ったプラットホームに、どこか遠くから堅い靴音が響いて来る。それに何か嫌な予感を抱き、首を巡らせてローエンスの肩越しにゲートを見遣ったミナミの視界に、見たことのある白髪と濃紺のマントが…。

「…………つうか、なんでミラキ卿がこんな場所に来てんだよ…。試合じゃねぇのか!?」

 思わずミナミは、ローエンスに視線を戻して溜め息みたいに吐き出しつつ、左右に退去した群集のど真ん中を堂々と、大股で突き進んでくるドレイクに指を突きつけた。

「ようこそ、連盟本部ステーションへ。ミナミ、マーリィ。とにかくよ、事情の説明は歩きながらでいいか?」

 はあ、と深く息を吐いた汗だくのドレイクは、言いながらぐったりとローエンスの肩に凭れかかった。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む