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    4.内緒の生活    
       
(19)

  

 イーランジャァサイド。復頭キメラの全景ワイヤーフレームが、おっとりと電脳陣から生えるように描き出される。最初は背骨、それに巻き付く機関と、外殻。首は二つ。直線的で単純な姿は、頭の二つある蛇のように見えた。それがのたうちながら電脳陣から這い出し、一拍後れて噴出した七色の粒子を纏って色鮮やかに構築されて行くのを、じっと見つめる鉛色の瞳。

 本来ならとうに勝負を付けていてもいいのだが、ハルヴァイトは、なぜかディアボロを臨界に待機させたまま接触陣を呼び出そうとしなかった。

 結局いつか見せなくてはならないのだ、と諦める。

 直前まで忘れていたミナミの事を思い出させてくれたドレイクに、少しの恨み言と感謝を思い浮べて、すぐに忘れ、ハルヴァイトはようやくディアボロに稼動命令を下した。

 アンのウィルスが有効だった時に立ち上げた平面電脳陣ではなく、今度はドレイクと同じ立体陣を描く。その大きさはきっかり直径一メートル。外周から内側に十五センチ入った部分に内円が描き出され、外円と内円は右回りと左回りにそれぞれ…高速回転し始める。

 が、ここまでに要した時間は、まさにコンマ数秒。ドレイクの陣は縦に二分割された状態で開始したが、ハルヴァイトのそれは四分割から一瞬で地面に描かれ、終了と同時に既に稼動していたのだ。

 内円と外円の外周が真上に光を吐いた。と思えば、それは円筒形に立ち上がり表面で文字列を回している。しかもハルヴァイトの電脳陣には大外、二つの陣の更に外側数センチの場所に細かい文字列がふつふつと地面から持ち上がり、複雑に絡み合って、重なり合って、更新を繰り返し、瞬く間に秩序在る螺旋模様を描きながら上空に流れていた。

 その全ては、一瞬。

 三重構造の電脳陣に巻かれたハルヴァイト・ガリューは、ただ超然と腕を組んでいるだけ。

 速い。というのは、もっと理解出来る速さの事を言うのだ。これは、嘘…、というラインにある…。

 嘘か冗談。

 その間にようやく顕現を終了したキメラにイーランジャァサイドから「エンター」の命令が下され、臨界接触陣が光を放ってエネルギーの供給を開始。のんびりと鎌首を擡げた二つ頭の蛇が真っ赤な瞳でファイランサイドを睨もうとした刹那、それは忽然と、蛇の頭上に出現ていた。

 最初は、青緑色の炎。

 それがぽっと燃えた。

 燃えて、消えて、気がつけば、蛇の頭に何かが取り付いてしゃがみ込み、背中を丸めてその真っ赤な瞳を覗き込んでいる…。

 悪魔。だから羽根と尾があった。

 ディアボロ…悪魔。だから、角らしいものもあった。

 それは――――――

     

      

 鋼色の悪魔。臨界から、ハルヴァイト・ガリューを誘いにやって来るのか。

      

      

 イーランジャァサイド。まったく唐突なディアボロの出現に、どよめきさえも出ない。

 全長十メートル、双頭の大蛇「キメラ」。表面を七色に綺羅つかせる一体の頭頂部を爪で捕えてしゃがみ込んでいたディアボロが、折りたたんでいた背中の羽根を広げると、ドン! と大蛇の頭を後ろに蹴りつけ、空中を転がるよう前方に飛び出す。

 反動で、片一方の頭が大きく後ろに仰け反らせる、大蛇。全体の三分の一ほどで二つに分れてはいるものの胴体の殆どは繋がった状態の大蛇が、伸ばした尾でフィールドを叩き、姿勢を制御しようとする。

 その間に、ついにディアボロは全身を観衆に晒した。

 全高三メートル。魔導機としては小さい部類に入るが、しかし、そのフォルムは洗練されている…というよりも、禍々しく攻撃的で、異様過ぎる。

 体表(と言っていいのか?)は暗い光沢の在る鋼色。羽ばたく変わりに真白い光をエッジから吐いた羽根は、蝙蝠の被膜を直線でモデリングしたものと酷似していた。間接は一ヶ所。縦に長い台形の平滑な鋼板を背中から生えたフレームに上部のみで固定し、折りたたむとそれが重なり合ってコンパクトに収納されるが、広げればかなり大きく、一枚一枚の間にプラズマの燐光を纏って白く輝く。

 胴体は、空洞…。

 まるで人の骨格模型。歪に彎曲した背骨にから、まさに肋骨めいたフレームが生えている。腹部にあたる部分には何もなく、本当に、背骨に繋がる骨盤まではがらんどうで、向こうが見透かせた。

 ディアボロは、わざとその異彩を見せ付けるようゆっくりと地面に降り立った。猛禽類に似た長い爪でフィールドを掴み、異様に細長い手足を縮め猿のように不格好な姿勢を取ってまたしゃがみ込む。

 長さ以外、手足の造り自体は人間に似ている。進化途中の猿人とも取れるアンバランスさでありながら、それはぎりぎりのところで「ひと」の領域に踏みとどまって見えた。

 体勢を立て直した双頭の大蛇が巨大な裂け目から鮫のような牙を剥き出して、ディアボロに突っ込んできた。外観は直線的だが構造は複雑らしく、腹部の鱗を波打たせて高速でフィールドを滑る、大蛇。

 眼前まで巨大な顎口が迫った刹那に、ディアボロが踵で地面を突き放す。まるで笑っているような印象を受ける無表情が、鋭利な凶器を紙一重で躱わして飛び退く。

 無表情。ディアボロが、髑髏の顔で笑う。

 覆面でもない、だからといって人らしい肉付きもない。落ち窪んだ眼窩に削げた鼻骨。綺麗に並んだ歯までがはっきりと見て取れる、それは本物のしゃれこうべ…。

 しかし、悪魔なのだ。角がある。

 ディアボロの頭部左右には、骨張った(骨の?)腕より太い円錐形の角が二本、背中に向かって倒れるように生えていた。緩やかにラウンドした表面で暗くライトの灯かりを照り返すそれは先端に向かうほど細り、お終いの部分はつんと尖って内側に軽く巻き込まれている。

 悪魔の骨格標本。それがもしかしたら、ディアボロを表現する適当な言葉なのかもしれない。

 両足で地面を突き放し、大きく後ろに跳んで両足で地面を捉える。着地と同時に大蛇がまた襲い掛かってくるが、ディアボロは二撃目、三撃目も難なく飛び退って躱した。

 跳ねるように移動しながらディアボロを追いかける大蛇。逃げ回るのにはすぐ飽きたのか、悪魔は、上空でいきなり背中の羽根を展開し、プラズマの燐光を放ちながら大蛇に体当たりした。

 奥歯に染み入るような金属音と共に、十メートル級の大蛇が顎を蹴り上げられて引っくり返る。身悶えるそれに追随して片一方の頭部を踏みつけた刹那、生き残りのもう一方が再度巨大な顎を開いてディアボロを睨めつけた。

「…熱線砲だな」

「通常攻撃の範疇内ですよ。ディアボロに傷を付けるには、役不足ですね」

 逐次書き換わるプログラムが超高速で流れるモニターの照り返しを受け眼底を緑色に輝かせたハルヴァイトが、面白くなさそうに吐き捨てる。

「言うねぇ」

「ふざけてますよ…ディアボロが。珍しく、機嫌がいいようだ」

 呟いて、ふとハルヴァイトが………笑った。

 至近距離で開いた大蛇の顎口。その奥に小さな赤光を認めて、しかしディアボロは回避するのではなく、嫌に滑らかな動作で軽く左の掌を大蛇の前に翳した。

 カッ! と咆哮のように赤い光が大蛇の口腔内で膨れ上がる。

 同時。ディアボロの胴体、丁度肋骨に護られた、人間で言うならば心臓が鎮座している辺りに、真白い燐光を纏った漆黒の球体が刹那で出現。それが光の粒子を撒き散らして急速回転を始めた途端、悪魔の翳した掌の直前に、青緑色の電脳陣が瞬くように立ち上がったではないか。

 魔導機は、魔法を使わない。ではその電脳陣がハルヴァイトのものなのか? と問われて、すぐに答えの出せる人間もいないだろう。

 見たままをいうならば、それはディアボロのものだった。悪魔が自ら「カウンター」を発動したとしか思えない。

 とにかく、ディアボロの直前に出現した電脳陣は大蛇の吐いた熱線砲を受け停め、あまつさえそれを大蛇の顔面に突っ返して浴びせ掛けたのだ。

 踏みつけられた頭部が暴れる中、自らの熱線砲に焼かれた頭部がのたうつ。白煙を上げて悶え苦しむ大蛇を空洞の瞳で胡乱に見つめたまま、ディアボロはふわりと中空に舞い上がった。

 指先が膝に到達しそうなほど長い腕を身体の前に垂らし、不様に地面を転げまわる大蛇を嘲笑うかのように、悪魔が肩を震わせる。

 そして、ハルヴァイトも、笑う。

 三重構造の青緑色に巻かれながら、彼は口の端を微かに持ち上げじっと佇んでいる。好きだとか嫌いだとか言って足掻いてみても、結局あの「悪魔」は「ハルヴァイト」の「一部」であり、ディアボロが「楽しい」と感じる時、それはハルヴァイトの「悦楽」でもある…。

 全身の血液が沸騰して、どこか、身体の奥に仕舞い込んでいた本質が首を擡げる感じ。どうしようもなく可笑しくて可笑しくて、必死に理性を保とうとしなければ、狂ったように笑い出してしまいそうになる。一秒毎に逸れていく常軌。神経が脳に、訳の判らない信号を返してくる。何も意味がない。もしかしてそれに意識を沈めたらとても楽になるのではないだろうか、という誘惑はいつも、甘い罠、渇望するお終い、臨界と現実の間に存在する難解な「自分」からの解放と、散々焦らされた挙げ句の果てにやってくる性行為の絶頂、という、不確定で色も艶もないものに似ている。

 だから、確かめるまで判らない。

 ………一瞬、ミナミの冷たい唇を思い出した。

 途端、滞空していたディアボロが地面に降り、一部崩壊したプログラムを再生し終えた大蛇に肉迫、遠慮会釈どころか容赦なく、その胴体に肩の入った拳を繰り出して、自身の三倍はある魔導機を数メートルもふっ飛ばす。移動するため小さな鋼板を張り合わせた体表構造の「鱗」が剥げ落ち、イーランジャァサイドから小さく悲鳴が上がった。

 接続中の魔導機がダメージを受けるとそれは、臨界エネルギーの洩れ、という形で術者にも少なからずダメージを与える。足下の電脳陣が余剰エネルギーに耐え切れず急速崩壊すればそれこそ、術者はその反動に晒されて爆死しかねない。

 だから、術者はエネルギーを逃がす平面陣というものを立ち上げなければ身を守れない。しかし、余分に陣を立ち上げるのは稼動している魔導機の動きを制限する事に他ならないので、結果、それを出さざるを得なくなれば、負けは目前なのだ。

 ディアボロはそれを狙っているのか、一時も手を休める事無く大蛇を叩きのめし始めた。意外に原始的な方法だが、この場合対戦相手を殺す訳には行かないのだから、妥当な選択とも言える。

 それでも、悪魔の追撃に容赦はなかった。不様に転がって逃げ惑い始めた大蛇に追いすがっては、どちらかの頭部を狙って握った拳を繰り出す。

 たった三メートルの骸骨が、十メートルもある大蛇を追い回す様は、まさに背筋の寒くなる光景だったが…。

 何度か地面に叩き付けられて、フィールド中央から展覧室付近まで転がされた大蛇が、ぎくぎくと痙攣しながら鎌首を擡げた。淀んだ赤い瞳でディアボロを睨み付け、二つが同時にかっと口腔を開いた刹那、片一方は先の熱線砲、もう一方の口の中に奇妙な光を見たハルヴァイトの耳に、ドレイクの舌打ちが飛び込んできた。

「ばっかやろう! 自由運動の雷球だ、ハル! 展覧室に当るぞ!」

 自爆技ではないかと思われそうなその言葉のお終いを待たず、ディアボロは一直線に大蛇の首めがけて疾走していた。

 手当たり次第に近くのものを攻撃する高電圧の雷。壁面途中に突き出した展覧室にそれが触れでもしたら、中の人間は黒焦げになってしまうだろう。

 ディアボロは、吐き出される雷球の直前に羽根を展開して鋼色の身を晒した。

 先に放射された熱線砲の一撃が、左の羽根を吹き飛ばす。切断面からデータが崩壊し、千切れた羽根は青緑色に燃え上がって一瞬で臨界に取り込まれ、ハルヴァイトの纏う立体陣がざっくり抉れてエラーを返して来た。

 それを再構築するのではなくあっさり切り捨てて、エネルギーの供給を別のデータに接続。本来なら…ディアボロのAIに任せている魔法を外部からプラグインし、付加プログラムを高速起動する。

 猛烈な勢いで、ハルヴァイトの周囲にモニターと電脳陣が立ち上がった。

 その一瞬に、自由運動の雷球が残った頭部からディアボロに向けて吐き付けられた。

 過剰電流を至近距離で食らえば、いくらあの悪魔でも構造の一部が崩壊する。莫大なデータとエネルギー、嘘のように高度なプログラムで動いているディアボロの一部が崩壊するという事は、ハルヴァイトもただでは済まない。

「ハル、ディアボロを逃がせ!」

「エンター」

 青くなったドレイクを無視して、ハルヴァイトは外部から接続した魔法を起動した。

 自由運動する真白い雷球がディアボロの機体に触れる直前、その二つの間に直径二メートル以上ある複雑な電脳陣が出現した。高電圧の雷球は軌道を変える間もなく、立ちはだかる平面陣に吸い込まれ…、…吸い込まれて…。

 ドオン! と重たい轟音が、遥か頭上、闘技場を監視している警備カメラの付近で上がり、火花と煙を上げてそれが砕け散った。

 憐れ、カメラの残骸がばらばらとフィールドに降り注ぐ。それをきょとんと見上げ、それから、ドレイクはどうしていいのか判らなくなって、がしがし白髪を掻きながら溜め息を吐いた。

「…転送陣で変なモン変な場所に飛ばすなよ…。つうか、転送質量オーバーしてるぞ…」

「さすがに、こめかみから血が吹き出しそうですよ」

 割にけろっと言い切って、ハルヴァイトはディアボロに目を向けたまま…、短い深い溜め息を吐いた。

(…遊んでる暇じゃないか)

 切迫してはいない、ハルヴァイトは。しかし、展覧室が危ないと「知った」ディアボロの対応が気になる。大体、ディアボロのAIは相当「ワガママ」なのだ。今まではいつも以上に機嫌良くふざけていたはずが、急に、大蛇に対して敵意を抱いた…。

(まさか……………ミナミ?)

 それ以外に理由が見付からず、ハルヴァイトがひそかに眉を寄せる。

 じりじりと間合いを取る大蛇を空洞の瞳で睨んでいたディアボロが、鋭い爪でフィールドを掴み、一気に加速して大蛇に迫る。元々鉄製の地面なのだが、その表面さえ抉り出されて鉄粉になる様は、恐ろしくも迫力があった。

 逃げ出す大蛇。

 その背に向けて疾駆するディアボロ。

 猛る悪魔が、滑るように疾走しながら左の拳を身体に引き付ける。空洞の胴体に漆黒の回転球を、引き付けた拳に黒と緑の交じり合った炎を纏ったディアボロの意図を汲み取って、ハルヴァイトは立ち上げていた立体電脳陣…臨界エネルギーの供給バイパスを含むそれを解除した。

 次々に崩壊していく電脳陣。イーランジャァサイドではそれを魔導機消失の前触れと見て歓喜しかけたが、なぜかディアボロは消えない。

 ハルヴァイトの持つ全ての陣が霧散した直後、ディアボロの背中、首の付け根あたりと腰の真後ろから、三つの文字列が出現した。それはまるで鎖のように…青銅色に燃える炎のように…輝きながら尾を引き、最後の部分を中空に消して、生き物のごとくのたくっている。

「警告する間もねぇな、こりゃ…」

 溜め息交じりにドレイクが呟いた直後、ディアボロは漆黒の炎を纏った拳を開き、大蛇の直前でそれを真下、自らの足下に全身を使って叩き付けた。

 炎が飛び散る。

 地面に吸い込まれ、刹那で吹き出す。

 ……大蛇を二分するように、その胴体のど真ん中から上空に向かって、真っ黒い炎が立ち上がった。

 身悶えるが叫ぶ喉をもたない大蛇は身体をくの字に折り曲げて暴れ回り、しかし漆黒の炎に縫い付けられて、ますます苦しげにのたうつ。その胴体が徐々にぱらぱらと崩壊し始めたのだと誰もが気付いた時、イーランジャァサイドから絶叫が上がった。

 二人の電脳魔導師を囲む電脳陣が、黒く燃え上がっていたのだ。それはめらめらと陣に描かれた命令を溶かし、意味を為さない数字の羅列に変えて火の粉のごとく、中空に舞い上げる。

 外部からの強制切断ではないのだから、臨界エネルギーの噴出はない。しかし、鳩尾から生気の抜け出していくような感覚に襲われたふたりの魔導師は悲鳴を上げてその場に崩れ落ち、びくびくと痙攣を繰り返してから、泡を吹いて失神した。

 漆黒の炎が消えて、静寂と恐怖に彩られたフィールドの中央に、ゆっくりとディアボロが立ち上がる。それは展覧室に全身で向き直って一度堂々と胸を反らそうとしたが、なぜかすぐに肩を寄せて不格好に膝を開き、またあの猿じみた姿勢でしゃがみ込んでしまった。

 原始の生き物のように、知性などないかのように、髑髏を冠した骨格だけの悪魔が、鋼色に輝く肢体を不様に折り曲げて、長い肘を地面に擦り付け、ただ沈黙する。

 その背から伸びた三本の文字列。

 消失したきりの電脳陣。

 それは悪魔。

     

      

 違うと、ミナミは思った。

  

   
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