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    4.内緒の生活    
       
(18)

  

 ファイランサイド。陣地の先頭に立つハルヴァイトの左側、二メートル半ばかり間を取ってドレイクが並ぶ。

 片やイーランジャァサイド、攻撃系魔導師二名の間は約五メートル。その後方、陣地の最終ラインに三名の制御系魔導師が扇型に展開し、三名の砲撃手は魔導師の左右と後方に位置して、砲筒を構えている。

 デリラとアンはとうにファイランサイド陣地最終ラインに後退し、それ以上の動きは見せない。ひとりは意識を失っているし、砲撃手は砲筒を足下に引き寄せているだけで構えを取る素振りも見せないのに、イーランジャァサイドの魔導師部隊は、敵の一部戦闘不能、と判断を下した。

 既にイーランジャァサイドの魔導機出現は時間の問題。いかにアンが時間を稼いだ、といっても、臨界接触陣の立上げは終了しているのだ。

 ドレイクとハルヴァイトは、目配せさえしなかった。ただお互いがお互いの位置を確認し、それが「安全圏」だと認識するなり、ゆっくりとマントの裾を払って、ゆっくりと、倣岸に腕を組むだけ…。

 後方支援ブース内のアリスが、臨界接触陣を監視する機器に視線を馳せる。このレーダーの針が振り切れれば、戦闘は数分で…終わるはずだ。

 彼女の中で、あの父親の違う兄弟はいい意味で「化け物」だったし、恐ろしくもあった。天才のハルヴァイトと、そう大した能力もないと嘯くドレイクは、揃いも揃って桁外れに強力な電脳魔導師であり、国王陛下…ウォルのよき理解者であり、従者でもあった。

 今ここの展覧室に、フィールドに居る事を許されたのは、全て陛下の「共犯者」とみなされた者たち。その中にマーリィとミナミが含まれている事を、アリスは朗らかな笑みで肯定する。

 彼らは秘密を共有する。そしてその秘密を守る騎士(ナイト)は、史上最悪の最強の、悪魔。

 亜麻色の瞳が見つめるゲージの針が、一瞬戸惑うように震えて……レッドラインまで跳ね上がった。それを静かな声で宣言したアリスだけが佇む後方支援ブースに、似たような硬質さを秘めた二つの声が、響く…。

「んじゃ、やるか」

「では、行きましょうか」

 そして悪魔が…、ついに姿を現す瞬間が訪れた。

         

         

 イーランジャァサイド、魔導機が顕現するための命令陣がふたりの魔導師の間に立ち上がるのを確認してから、つまり、大幅に遅れて、ドレイクの足下に直径一メートル、正直、気が抜けるほど小ぶりな一次電脳陣が、しかしイーランジャァの制御系魔導師の立上げ速度を凌駕する勢いで放射状に描き出された。ドレイクの前後に一瞬で伸びた赤紫色の直線が時計周りにくるりと回転すると、その光が舐めた地面には既に電脳陣が描き出されているのだ。まさに、恐ろしい速さである。

 しかし、大きくはない。それでは十分な臨界エネルギーの供給と収蔵プログラムの通信が行える訳もない、と口元に笑みを刻んだイーランジャァサイドの魔導師どもが青ざめたのは、その直後だった。

 かなり光度の高い一次電脳陣がいきなり、垂直方向に「立ち上がった」のだ。莫大な文字列を回転させながら筒場に派生し始めたそれを目に、制御系魔導師が悲鳴を上げる。

「同時読み込みの立体陣です! いくつプログラムが実行されているのか、解析出来ません!!」

「割り込み解析不能! 全て、圧縮信号です!」

 半狂乱になって、それでも解析陣を維持しようとする制御系魔導師に、彼女らの指揮官である攻撃系魔導師はジェリーフィッシュの稼動を命令した。一次電脳陣とは別に命令陣を立ち上げる必要のない立体陣は、この時点でイーランジャァサイドの臨界通信波を読み取って解析し始めているのだろうが、逆に言えば、性能がいいぶん電速は遅いのだ。重い、というべきか…。はったりは利いているが、解析した情報を解凍して攻撃系魔導師に伝達するまでの時間は、平面陣をいくつか稼動させるよりもかかる。

「…落ち着いて。先に、あの制御系魔導師の陣を雷撃で潰すのよ」

 命令を受けて、イーランジャァサイド上空にジェリーフィッシュが顕現しようとする。歪んだ空間に浮かび上がった臨界接触陣を冷ややかに見つめたまま、ドレイクは読み込み待機させていた八つの命令にエンターを書き込んだ。

 刹那。イーランジャァサイド制御系魔導師の展開した臨界接触陣よりも上空で、真紅に灰色の光を纏った小爆発が連続して八回轟き、その轟音に驚いた誰もが頭上に視線を投げた時、そこには無秩序にあちこち傾いた八つの臨界接触陣が出現していた。

 イーランジャァサイドの陣が命令を受諾し稼動するまでの短い時間に、ドレイクの陣は行動を開始。フィールド上空にぽっかり浮かんだ赤紫色の紋様を突き破って、臨界から八機の「フィンチ」が顕現する。

 それは、小鳥。滑らかな流線形の胴体にブーメラン状の羽根を持ち、その羽根に纏った磁場を使って空中を滑るように飛ぶ。イーランジャァサイドのジェリーフィッシュのように単純な形ではなく、ドレイクのそれは、まさに芸術的な美しさとフォルムで、フィールドの上空を飛び回った。

 グライダーのように緩やかな弧を描いて滑空し、陣からようやく姿を見せたジェリーフィッシュに接近した一羽のフィンチが、その不格好な海洋生物の上空を旋回しながら頭を垂れ、チチチ…、と可憐な声で囀った。先端が嘴に似た形はしているものの本物の小鳥ではないフィンチは、内蔵した音波発生器官を震わせて、全身で囀っているのだ。

 途端、ジェリーフィッシュの雷撃発生装置が、ボン! と火を吹いた。同じように、顕現したが行動を起こす前にフィンチに取りつかれたジェリーフィッシュゲたちが次々火を吹き、煙を立ち昇らせ、ばらばらと地面に叩き付けられて、データの崩壊を起こす。

「フィンチが、複雑な攻撃形式の超音波を吐いています…。あれの目的は最初から、索敵ではなかった事に……!」

 青くなって震えるイーランジャァサイドの制御系魔導師は、それ以上報告出来ずにその場にがっくりと膝を突いた。臨界に接触しエネルギーの供給を受けている状態で、しかし稼動すべき魔導機がデータの崩壊を起こし消え去ってしまったのだ。余剰なエネルギーが爆発を起こすのを回避するため、術者は自身の身体に刻まれた臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)に書き込まれている基本転送率(バックボーン)だけを最大に使うか、別に過剰エネルギーを逃がすための陣を立ち上げ、臨界にそれを還元しなければならず、どうやらイーランジャァの制御系魔導師たちは、前者を実行しているようだった。

 つまり、エネルギーの進行方向は逆だが、アン・ルー・ダイが意識を失ったのと同じ状況に陥っている訳だ。

 上空の電脳陣がひとつ消え、制御系魔導師がついに地面に突っ伏す。

 それさえ冷然と見つめるドレイクのフィンチたちは縦横にフィールド上空を旋回しながら囀り、有効範囲の狭い超音波から逃げ出そうと、ジェリーフィッシュたちは不器用に中空を漂った。しかし羽根のあるフィンチは旋回し、滑空し、時に急激な方向転換や滞空まで駆使してジェリーフィッシュどもを追い回しては囀り、崩壊と再構築に限界の来た魔導師が又も震えながら陣地に沈んで行く。

 果敢にもフィンチを撃ち落とそうと砲筒を構えた砲撃手は、逆にフィンチの急襲に会って悲鳴を上げ地面に蹲った。実際に攻撃して怪我をさせるような愚かな真似はしないものの、これはかなり相手魔導師の怒りを買ったらしい。

「やり過ぎだとは思わねぇな、俺ぁよ。何せてめーら、ウチのボウヤに雷くれようとしたろ? 戦術としちゃ有効だってのは判るがよ、いくらルールなしつっても、展覧試合じゃフェアなやり方じゃねぇよな」

 ドレイクが言い捨てた直後、イーランジャァサイドの陣地に左右から、地面と水平に羽根を広げたフィンチが猛然と突っ込んで来る。それに悲鳴を上げて逃げ惑う砲撃手。しかし、一次電脳陣に捕まって動けないふたりの攻撃系魔導師は、青ざめて全身を硬直させたまま、その場に凍り付くしかなかった。

 フィンチ。小鳥。でも、全長は五十センチもある。

 それに体当たりを食らったら、骨の一本や二本はばらばらになり兼ねない。

 悲鳴を上げなかったのは、さすがというべきか。それでも顔を引き攣らせてぎゅっと目を閉じた魔導師の直前に滑り込んできた二羽のフィンチは、その嘴がはためくマントに触れる寸前、軌道を九十度垂直に切り替えて、瞬く間に空へ舞い戻ってしまったではないか。

 からかわれたのだ、と気付く。怒りよりも先に、驚愕。一体如何なるプログラムで動いているのか、如何なる電速で命令を下しているのか、フィンチは完璧に制御されている。

 そこでイーランジャァの魔導師二人は、ファイラン側から事前に送られてきたあの臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)の持ち主を、ドレイクなのだと思い込んだ。

 そうに違いない。そうでなければならない。そうでなかったら、最後に控えたあの緋色のマントが…どんな恐ろしい物を見せつけてくるのか、想像が出来ない…。

 憤然と、からかわれた事に対する怒りが湧き起こる。

 もう、魔導機を出し惜しみする必要もない。

 イーランジャァサイドの魔導師たちは小さく声を掛け合って意識をリンクし、臨界接触陣とプログラム命令陣に最後のエンターを書き込もうとした…。

「…普通のキメラ型だな。特殊装備もねぇし、目立ってプログラムを弄り回した痕跡もねぇ。イーランジャァが事前に送ってきたのはどっちか一方の臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)だけどよ、ふたりがかりで一機動かすらしいから、性能は最高二倍であって二乗じゃねぇな。電速もそこそこ、電素数もそれなり。全高十メートルの複頭タイプ、しかも愚鈍、ってぇトコじゃねぇか?」

「普通に相手をしても楽勝という事でしょうか」

「まるでお話にならねぇって事だよ」

 電脳魔導師、特に制御系と言われる種類の魔導師は、不可視の電脳陣を立ち上げている場合が多い。それが一般的に「索敵陣」と言われるもので、敵の電脳陣稼動状況などを監視しているのだ。

 そしてその情報は、光学迷彩を施されたモニターに投影されて、魔導師の周囲に張られている。しかしドレイクのそれはなんとカモフラージュされておらず、しかし、一見した程度では内容のさっぱり判らない暗号が、猛烈な勢いで流れているだけだった。

 それを読み取るには、データの供給を受ける側にも専用のパッチファイルを噛ませなくてはならない。そしてそのパッチファイルは、奇しくも、ドレイクとハルヴァイトのプライマリ・テスト・パターンに最初から織り込まれているのだ。

 が、しかし、なぜ父親の違うこの二人に同じ暗号解読パッチが刻印されているのかは、まだ謎のままなのだが…。

 とにもかくにも、ドレイクの暗号をそのまま受け取って理解出来るのは、ハルヴァイトだけなのだ。ここでは。

「…このまま命令書き換えてもいいんだけどよ、せっかくミナミも来てんだし、俺の仕事はここまでって事で」

 と、相手魔導師の命令陣に割り込んでいた解析陣を取り除き、ドレイクは顔だけをハルヴァイトに向けてにっと笑って見せた。

「それが出来るくせに毎度毎度楽しようとするのも、ドレイクの悪い癖ですね」

 はっきり言う。今ふたりが見ていたのは、今まさに相手魔導師の展開している命令陣の中身だったのだ。つまりドレイクは、相手に悟られずハッキングしたデータを表示していた訳で、方法を変えれば、勝手にでたらめを描き込んだ命令を送り返す事も出来る。

 ハルヴァイトが攻撃系の天才なら、ドレイクは天才ハッカーと言ってよかった。進入の痕跡も残さず勝手にデータを閲覧して必要な情報を抜き取り、時にはエンターでプログラムの崩壊を招くような外部ファイルを取りつけて、さっさと切断してしまう…、かなり悪質な。

「そのくらい楽してもバチあたんねぇだろ。俺ぁ、いつもいろいろ苦労してんだからよ」

「…勝手に首を突っ込んででしょう?」

 くす、と口元に薄い笑みを浮べてすぐに消し、ハルヴァイトはドレイクにフィンチの後方待機を命令した。

 ふざけて言い合うふたりの真正面、立ち上がっていた臨界接触陣からようやく、黄色く光るワイヤーフレームが出現したからだ。

「…というか、遅っ…」

 ハルヴァイトは、本当にうんざりと、そう呟いて肩を竦めた。

  

   
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