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    4.5スイート=スイート・ルーム    
       
(ルームナンバー1005)

  

「どーしてボクがデリと同じ部屋なのさ!」

「…そりゃボウヤ、オレのセリフだろ」

 ぱたり。と後ろ手にドアを閉ざしたデリラ・コルソンが、短く刈り込んだ濃茶色の髪をばりばり掻きながら溜め息混じりに言い返す。削げた頬に座った一重の細い目に吊りあがった眉。それでほとんどボウズ頭なのだから、どこからどう見ても完璧な悪人面…。

「貞操の危機」

 きゃ。とわざとのように自分の身体を抱き締めたアン・ルー・ダイはといえば、色の薄い金色の猫っ毛をちょっと無造作に顎の辺りまで伸ばした、紅顔の美少年、という感じなのだ。今のセリフ、知る人ならシャレで済むが、知らない人が聞いたら警備軍に通報しかねない。

「それもオレのセリフね」

 含み笑いで言い置いたデリラがアンの横を通り過ぎて、立派というより嫌味な応接セットに向う。とその背中を見送っていたアンが、つまらなそうに小さく溜め息を吐き、デリラを真似て、細っこい髪の毛をぱりぱり掻いた。

「あーあ。ボクも恋人欲しいなぁ」

 長上着のベルトを外しながら溜め息混じりに吐き捨てたアンに、デリラが失笑で答える。

「だって、スィートだよ、スィート! どうせ泊めて貰えるんなら、デリより恋人との方がいいに決まってるでしょ?!」

「…それもオレのセリフだって…」

「…恋人っていうか、既婚っていうか…、新婚さんだからって!」

「なんだよ…」

 デリラの正面に、どすん! とわざとらしく全身をぶつけて座ったアンがなぜか、水色の瞳でじっとデリラの顔を覗き込む。

「………………なんでこんな悪人顔のデリが、あんな大人しそうなスーシェさんに結婚押し切られたのか、未だに判らないなぁ」

 そう。実はデリラ・コルソンというこの…、スラム上がりで、銃撃の腕と度胸を買われ電脳魔導師隊に編成された男、つい数ヶ月前に婚姻を届け出て遺伝子交配許可を受けたばかりなのである。

 相手は…。

「色が白くてさー、すっごい落ち着いててさー、いっつもにこにこしててさぁー、背が高くてかっこよくて魔導師隊の中にファンだっていっぱいいるのに、なんで寄りによってデリなワケさ!」

「ひでぇ言われようだね、オレが」

 苦笑いしつつも、内心「オレだって知りたいもんだ」と呟くデリラ。

「それは怒らないけどな、ボウヤ。とりあえずシャワー浴びちまってくんねぇかね。オマエ、疲れてんでしょ」

 言われて、さっきから何度目かの短い溜め息を吐いたアンが、はーい、と妙に素直に返事してソファから立ちあがる。

「出発は昼だってから、特別寝酒でも振舞おうか?」

「…ボク、少ししか飲めないよ。スーシェさんみたいに、相手になんないからね」

 脱いだ長上着をソファの背凭れにかけて小首を傾げるアンに、デリラはなぜか苦笑いでこう答えた。

「スゥだって、薄めたウィスキーですぐぶっ倒れるようなヤツだけどね」

 そう言うデリラは、薄めないウィスキーを一本空にしても倒れてくれないようなヤツだったが…。

   

   

 アンがバスルームに消えてからデリラは、少しだけ悩み、テーブルの上に放り出していた携帯通信端末を持って、部屋備え付けのクーラーから適当なボトルを拝借し窓際へ移動した。

 携帯端末にメモリされている自宅、ではなく、デリラと同じ三桁の番号から始まる携帯機の電信番号を打ち込んで、接続を確認。しかしデリラは、それをすぐに切断してしまう。

 デリラの伴侶として遺伝子交配許可を受けたスーシェ・ゴッヘルというのは、元・電脳魔導師隊第九小隊の電脳魔導師だった。が、訳あって今は事務官として所属している。

 全電脳魔導師隊は現在待機中。自由が利くなら返信してくるし、なければ忙しいのだろう。余り感慨もなくそれを待ちながらデリラは、高給そうなウィスキーの封を切って、琥珀色の液体を喉に流し込む。

 向かないのだ。単純に。デリラの上司どものように、普段はどうあれ一旦「戦闘」と名がつけば、それが模擬戦闘だろうがなんだろうが情け容赦の欠片もなく攻撃的にシフトできる性格なら、スーシェもきっと強くなれるだろう、とデリラは今でも思う。

 でも出来ないから、彼はミラキ家並に由緒正しいゴッヘル家から放逐されて、無事デリラの伴侶に収まったのだ。どちらがよかったのかデリラには判らなかったが、スーシェは婚姻届を受理された時「これでよかった」と言って微笑んだ。

 決定的に優しすぎる性格。模擬戦闘で当時編成されたばかりの第七小隊に完敗してやたらプライドばかり高い第九小隊の攻撃系魔導師に不手際を罵り倒され、すっかり自信をなくして警備軍さえ辞めようとしていた、スーシェ・ゴッヘル。その彼が魔導師階級を返上してまで軍に残った理由は、他でもない、その後のいざこざで医療院に二ヶ月も世話になったデリラに対する、スーシェなりの謝罪だった。

 軍から逃げ出すなと言った記憶はあるが、残れと強要した憶えはない。

 随分大人しそうで黙って見ていられないと思った憶えはあるが、好きだと言った記憶はない。

 おかしな事に囚われるのはやめたと言うから、面倒を見てやる、と言った記憶は…、出会って随分経った今でも鮮明だが。

 結果…。

 窓際に置かれたカウチの座面に放り出されている携帯端末が、おどおどと小さな音を発する。それに顔を向け、苦い琥珀色の液体を飲み下してから、デリラはカウチに座り直した。

 俗に言う「プロポーズ」を切り出させられたのは、デリラの方だった…。

 先方電信番号を確認してから、通信をオープン。

『やぁ。試合、無事終わったんだ』

 小さくて画質も悪いモニターの向こう側で、柔らかな声と、朗らかな笑顔。

「大将とダンナにしちゃ随分すったもんだあったけど…かね」

 細い目を幾分眇めて言ったデリラが、手にしたボトルから直接ウイスキーを喉に流し込む。それに、さも驚いたように目を見開いたスーシェ・ゴッヘルは、わざと形の良い眉を吊り上げて咎めるように呟いた。

『グラス使いなよ、デリ。美味しいものは優雅にいただけって言うだろ?』

「優雅だろうが優雅でなかろうが、美味いもんは美味いんだからいいだろうに」

『またそういう事を言う…』

 スーシェは、全体に色の薄い、線の細い印象の男だった。肌は乳白色、髪と目はライト・ベージュ、睫と眉はソフト・チャコールで、艶消しした金縁の華奢なメガネを掛けている。

 デリラは、スーシェを「美人」だと思った。例えばそれが、目を離せなくなる危うさという決定打を持つミナミや、ただただ神々しいまでに冷たいファイラン国王に適用される「綺麗」だとか「美人」だとかと質は違っても、スーシェは現実的範囲で「キレイ」だったし「ビジン」だった。前述の二人が「全く持って世間から浮いている」のだとすれば、デリラの伴侶は「理解出来る範囲で人目を引く」。

『…いつ、こっちに戻る?』

 少し迷ってから、スーシェが囁いた。

「明日の夕暮れ前だろね。賓客の警護任務がおまけについちまって、ちょっと遅れたよ」

『相変わらず、第七小隊は忙しそうだ』

「………ま、ね」

 デリラがファイランの自宅に戻っても、待機中のスーシェは戻ってこない。それをどうこう思った訳ではないが、ふと、デリラは口元に意味不明の笑いを載せた。

「待機が解除になったら…、迎えに行ってやろうか?」

『え?』

 唐突なセリフに、思わずスーシェが妙な声を上げる。基本的に、そういう面倒な事は言い出さないのがデリラなのだ。何があったのか、悪いものでも食ったのか、それとも実は浮気でもして後ろめたいのか! と色の薄い瞳でじっと睨んでくるスーシェが余程可笑しかったのか、デリラはウイスキーのボトルを唇に載せたまま、げらげら笑いながら顔の前で手を振って見せた。

 多くをスーシェに語ってやる事は出来ない。第七小隊は、少々どころか大いに変わった場所なのだ。いかに衛視長が半泣きで駆け込んで来ようが、陛下が衛視も連れずに執務室に捻じ込んで来ようが、部外者が陛下の傍らにいようが、いつでも平然とそれを受け止め、秘匿しなければならないのが、デリラとアンの努めでもある。

 第七小隊は、面白くて堪らない。禁を破ってその場を追われる愚かさを、犯したくない程に。

「…大将の恋人」

『? あの、下城日に通用門まで迎えに来てるって噂の、彼?』

「…実物見る機会に恵まれたよ。とんでもなく綺麗でね、とんでもなく…おもしろい」

『それと、ぼくを迎えに来るのと、どう関係があるの?』

 スーシェがほんのりと微笑む。

「大将と彼見てたらね、いつもより五分早めにスゥの顔が見たくなっただけ」

 はは。と笑いながらウイスキーのボトルを煽る、デリラ。その横顔をモニターの向こうから見つめるライト・ベージュの瞳が見る見る潤んで、スーシェは耳まで一気に真っ赤になった。

『デリはそういう…言っても聞いても恥ずかしい事を平気で言うのが…、恥ずかしいんだよ!』

「正直者だと言って貰いたい。で? 迎えに行く許可は降りるのかね?」

『こっ…、そんな事言われて来るなって言える訳ないだろ!』

「なんで怒ってんだろな、スゥは」

 やる気なくカウチに引っ掛かったデリラが、喉の奥でくすくす笑う。

『……待機が解除になったらすぐに連絡する…。一応任務中なんだから、あんまり飲み過ぎちゃダメだよ。それから、ぼくの目が届かないからってハメ外したら許さないからね。…それと……』

 向こうからはどんな風に見えているのか、スーシェは柔らかな色合いの瞳にはにかんだ笑みを浮かべて、囁くように伴侶の名を呼んだ。

『…早く帰っておいで。愛してるよ』

 誰の耳にも触れさせたくない呟きに、しかし、デリラはいつものように飄々と答える。

「俺もだよ」

 それをスーシェは、恥ずかしげに頬を赤らめて笑った。

 途端。

「間違ってる! そこはちゃんと「愛してる」って答えてやるトコでしょう?! デリの無神経!」

「…………」

『…………』

 髪も濡れたまま、上半身も水浸し、腰にタオルを巻いただけ。という…これで相手がアンでなかったら今すぐスーシェが卒倒しそうな格好で、少年はカウチでくつろぐデリラに指を突き付け叫んだ。

「一年間、殆どすれ違い生活の末よーーーやく結婚して、でもやっぱりお互い仕事の都合で仲良く自宅にいられる時間が極端に短いって事、判ってない! デリはっ! だから、せめてこういう時くらいはこう優しく声を掛けてあげるのも努めでしょ?! えぇっ!」

「…話がややこしくなるから、出て来て欲しくなかったんだがね…ボウヤ…」

『…………そこに居るのがアンくんだから必要以上に勘ぐったりはしないけど、出来れば、ぼくにも判るようその状況を説明してくれないかな…デリ』

 秘匿義務。

 自分はなんでも納得出来る。見た事聞いた事を、他言しなければいい。

 しかし、内情に気付かれないよう誰かに現状説明するのは、案外難しいのだ…。

 デリラはだらしなく寝そべっていた姿勢から起き上がりつつ、カウチに備え付けられていたクッションを素晴らしいコントロールでアンの顔面にヒットさせ、居住まいを正して座り直した。

「…………つまり…、ここはひとつ全面的にオレを信用して貰いたいんだけどね…スゥ」

『ほう…』

 色の薄い瞳を眇めて、スーシェは冷ややかにデリラを見下している。

「だからね…」

 スーシェ・ゴッヘルが実は、普段がにこやか過ぎて、時たま見せるこういう冷たい表情に、なんというか薄ら寒い迫力があるというのに気付いている人間は少ないだろう、とデリラが内心嘆息する。

 そういえば、プロポーズさせられた時も確か、こんな…どうにかしてスゥの機嫌を取らなければならない状況に陥っていたっけかな。と伴侶に睨まれたデリラは、なんとなく思い出した。

「判りやすく手短に言うならさ…」

 顔面にクッションを食らって引っくり返ったアンが、「酷いじゃないかぁ!」と抗議しつつ起き上がったのに、デリラは肩を竦めてスーシェに苦笑いして見せた。

「……愛してるよ、スゥ。出来る事なら、そこで喚いてるボウヤとスゥに、交代して貰いたいくらいに、ね」

  

   
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