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5ハガネ ノ ヒト | |||
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それ。を見て、ミナミ・アイリーは「本当に珍しい事もあるもんだ」と、無表情にやたら感心していた。 ファイラン浮遊都市という閉鎖空間が中央連盟府の本部浮遊ステーション接岸して以降、警備軍では不規則な変則勤務が続いている。一般警備部、電脳魔導師隊に限らず、ステーションの接岸に付随するのは、王都警備軍にとって厄介で面倒な警護任務が多い。しかも、ようやくステーションから離岸しても一時解体され特別警護小隊に編制された魔導師に与える休暇だとかそういう諸々の事情が入り組んで、正常なシフトに戻る迄しばらくの間は、半日登城しおかしな時間に戻って来るような、どういう理由があるのか判らない勤務さえある。 そういう訳で今日のハルヴァイト・ガリューは、昼過ぎ、夕方には戻ります、とミナミに告げて家を出た。それで、戻って来ると言うのだから、当然彼を家で待つ恋人は夕食の支度を整え、いつものようにテレビを観て暇を潰すのだが、気が付けば、すっかり日も暮れて「夕方」というより「夜」といった時間になっても、ハルヴァイトは帰って来なかった。 それについてミナミが何かしらの感想を抱いた訳ではない。 いかに恋人と呼ばれようとも、実質ハルヴァイトに「触れる事」さえ出来ないミナミは、あれこれ彼の私生活に口出ししないのだし。 それにしても、連絡一つないのは妙だ、とミナミがソファに寝転がって天井を見つめながらなんとなく思いを巡らせているといきなりドアホンがけたたましく鳴り、慌てて玄関に出た所で、冒頭に戻る。 つまり、ミナミはちょっと唖然としていた。 「……これは一体、どう受け止めればいいんだよ…」 「…どうもこうも、見たままでいいと思うんですがね…」 「僕もそう思います…」 思わず唸ったミナミに答えたのは、デリラ・コルソンとアン・ルー・ダイの二人。 電脳魔導師隊第七小隊の…、つまりハルヴァイトとドレイクの部下二名に殆ど担ぎ込まれた当の小隊長と副長を目に、ミナミは毛先の盛大に跳ね上がった金髪をがしがし掻いて、とりあえず、見ず知らずのもう一人に薄い笑みを向けてみた。 「お手数お掛けしました…」 知らない少年だった。一七歳だという割りに童顔のアンより少し大人びた感じはするが、そう歳が離れているようには見えない。 (誰?) 内心小首を傾げたものの、ミナミはそれを誰にも問いかけられなかった。 それどころではない。 「…客室は二階なんだけど、そこまで運んで貰っていいかな」 ………………この酔っ払いどもを。 と言いたいのを、ミナミは堪えた。 「つうか、泥酔つうの?」 胡乱なダークブルーの瞳に問いかけられて、デリラが苦笑いで頷く。 「大将もダンナも弱かねぇんですがね、捕まった相手が悪くて…」 「でも僕が見たところ、一番飲んでたのはデリだったけどね」 つまり。 ハルヴァイトとドレイクは、泥酔状態で家に担ぎ込まれたのだ。大まかな事情は、誰かに下城途中で会い、展覧試合の勝利を祝ってやる、とかなんとか言われて小隊の全員が近くのパブに連れ込まれ、現在に至る。らしいのだが…。 「さっぱ判んねぇ」 しきりに首を傾げつつ、それでも、標準より背の高い大男二人を玄関に放り出しておく訳にもいかず、ミナミは酔っ払いを抱えた三人を室内に招き入れようとした。 「……ミラキ卿は二階の一番左、客室に運んで寝かしといていいや。それと…」 そこでミナミは、一瞬迷った。 本来ガリュー家には客室が二つある。が、一つは今ミナミが自室に使っているので、塞がっている。だからといってハルヴァイトを自分の部屋まで連れて行って貰うのを、ミナミは躊躇った。 ハルヴァイトの部屋に入った事がないのだ、ミナミは。もちろん、覗いた事もない。 見ず知らず、とミナミが思っていた少年は、背ばかり高くて痩せており、ちょっと不健康そうでキツイ顔立ちをしていた。その顎の細い顔に埋め込まれた深緑の双眸が、さっきからずっと…ミナミを睨んでいる。 (だから…誰?) 内心かなり訝しげに眉を寄せつつも、ミナミが無表情に少年を見つめ返す。 「とりあえず、このひとはリビングのソファに…」 「手伝って貰えません?」 「………………………」 いきなり棘のある声で言い放たれ、ミナミはハルヴァイトに肩を貸したままの少年を、うっそりと見上げた。 着ている物からして、軍関係者とは思えない少年。酔っ払いをわざわざ送らせられて腹を立てているのかも知れない、とミナミは、とりあえず「ごめん」と彼に謝る。 「……なら、そこに置いてってくれていいや」 素っ気なく告げたミナミの指差した場所と、何を考えているのか判らない無表情、それから、寝てしまったのだろうハルヴァイトの顔を順繰りに見回し、少年はまたもミナミを睨んだ。 「あんた、恋人なんだろ」 再度棘のあるセリフを吐き付けられ、ミナミがちょっと…不愉快そうに眉を寄せる。 何か言い返してやろうと思った。のに、言葉が出て来ない。肯定するべきか否定するべきかすぐには判断が付かず、結局、薄い唇を微かに震わせただけ。 「…………いい気なモンだよな」 少年はミナミに対して明らかな敵意を剥き出しに、そう吐き捨て、半ばハルヴァイトを抱えるようにしてリビングへ上がって行く。その進路を邪魔しないように廊下の傍らに退けたミナミだったが、ハルヴァイトは背丈が一八五センチ近くあるのだ、背ばかり追いついているが痩せぎすの少年に上手く支えられるはずもなく、少年は結局、ハルヴァイトの重みに負けてよろめいてしまった。 倒れ掛かって来そうになったハルヴァイトの背中を、咄嗟に躱わした、ミナミ。覆い被さってくる男、に何を感じたのか、ミナミは全身を駆け抜けた冷たい風に息を詰まらせ、肩から壁に突っ込んで、その場にずるずると座り込んでしまった。 「何やってんだ、あんた…。まったく、役に立たねぇの」 ハルヴァイトを引っ張り起こして冷たく言い捨てた少年が、よたよたとリビングに消える。それを見る事も出来ずに頭を抱えてがたがた震えるミナミの縮めた足下に影が射し、彼は完全に怯えた瞳で恐る恐る頭上を見上げようとした。 「…そのままでいいですよ。ミナミさんの事情、詳しかねぇですがね、大将から聞いてますんで。とりあえずオレとボウヤでどうにかしますから、部屋…行った方がいんじゃねぇですか?」 ミナミを必要以上に怯えさせないためだろうか、デリラはそう囁くように言いながら少し離れた場所にしゃがみ込み、一重瞼の細い目を眇め笑って見せる。 「ごめん…。あの、アレ…誰?」 両手で頭を抱えたままながら、ミナミは背中を壁に預け立ち上がった。 「……二十四丁目の、ギイル連隊長行きつけらしいパブの店員なんですがね、どうも…大将が以前出入りしてたバルにいた事があるらしくて…」 バル、といえば軽食と酒を出す小さなレストランのような場所だ。料理など少しも出来ないハルヴァイトが毎日通っていても、おかしくはない。 「すんません。詳しい事は、とりあえずあの小僧追い出したらにしましょうや」 全身を震わせてなんとか立っているミナミの様子がよほど痛ましかったのか、デリラが平素と変わらぬ不機嫌面を作ると、大股でリビングに入って行く。それを今度はどうにか見送って、二階から降りて来たアンと目があって、ミナミは「ごめん」と消え入りそうに呟き、もう一度両手で顔を覆った。 「ミナミさん、大丈夫ですか?」 アン少年の不安げな声に、ミナミが顔を上げる。 所在なく揺れる怯えたダークブルーの瞳と、青ざめ震える唇。「事情があってミナミは誰にも触れない」とハルヴァイトが、…酔って散々冷やかすギイル連隊長に言い放った時にはその重大性に気付いていなかったアンも、まさか倒れかかって来る背中だけでここまで完全にミナミが恐慌状態に陥ったのを見れば、それが楽観出来ない深刻な問題なのだと思い知るしかない。 「大丈夫…。なんでもねぇ…」 思い出すのは、覆い被さって来る男の姿。狭い部屋の中を逃げ惑うミナミ。悲鳴を上げながら逃げて、逃げて、でも結局捕まって、そうなったら…何度も、何度も、何度も、犯されて、また、声が嗄れるまで悲鳴を上げ続けるだけ。 生暖かい、体温。 目を閉じたらきっと、記憶の中心に居座って一向に消えてくれない悪夢が瞼の中で再現されるのだ、と判っているミナミは、じっとダークブルーの双眸で中空を見据えたまま動かずにいた。そして動かないアンも、薄い水色の瞳で、じっとミナミを見つめている。 まるで何かを、焼き付けるように…。 完全に時間が停止したような廊下に、ヒステリックな少年の声とデリラの声だけが、妙に現実的な色彩を持ってリビングから漏れ出してくる。 「わざわざ悪かった。君、もういいや」 「…なんだってんだよ、その言い方。おれがいたら邪魔なの?」 「邪魔ってんじゃねぇけどね…、こっちにも都合がある訳さ」 「そっちの都合なんか、おれ、関係ねぇもん」 「君に関係なくても、こっちにゃ大アリなんだよ」 「知らねぇっての。…あんたじゃ話しになんないからさー、さっきのヒトこっち呼んでよ」 「断る」 ふと、妙に剣のある声でデリラが呟いた。 途端、アンがぎょっとする。 「…ヤバ!」 「オレは寛大な大人であるべきなんだそうだ、あるひとに言わせりゃね。ただし、言葉遣いも礼儀も知らねぇガキの戯言に付き合ってやる義務はねぇ」 「デ…!」 叫んで飛び出そうとしたアン少年を、ミナミが手で制した。まるで気配なく壁から離れ、わざとでもないのだろうが足音ひとつさせずにリビングに入って行く、ミナミ。 「…俺に何か用?」 静か、というより生気なく呟いたミナミを、背を向けていたデリラが少し驚いた顔で振り返る。その肩越しにあの少年の顔が見え、ミナミは、無表情に彼を見つめた。 ミナミより、ひとつかふたつ若そうに見える少年。どことなくあどけない愛嬌のある顔を、わざとガラ悪く乱したマッドブロンドで飾り、スレた印象を持たせている。細く吊り上げた眉と妙に人なつこいどんぐり眼のバランスが最悪で、こんな時でなければ確実にミナミは何か突っ込んでいただろう。 「また、遊び来ていい?」 なぜか屈託のない笑顔でデリラを押し退けミナミに突進して来た少年を、彼はあきらかにそれと判る動作で…避けた。 「なんで?」 少年の正面から退去し、ソファに寝かされたハルヴァイトに視線を落としてミナミが問いかけると、少年は奇妙な顔をしたものの、すぐ、見下ろすようなミナミに顔を向けたまま笑みを零した。 「だってさー、おれずっと前から、ガリューさんの事好きだったんだよねー」 ふふん、と肩をそびやかした少年をうっそりと見上げ、ミナミは溜め息みたいにこう答えた。 「なら、好きにすりゃいいんじゃねぇ?」
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