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    5ハガネ ノ ヒト    
       
(2)

  

 少年の名前を、ルイエ・ウインスロウと言った。

 無遠慮にも、まだここに居たい、と言い張るルイエを強引に追い返したデリラとアンは、ミナミにお茶を勧められて、ハルヴァイトの眠るリビングを避けキッチンに向かった。

「おれぁおっさんなんで言わせて貰いますがね、最近の若いのは何考えてんのかさっぱ判らねぇですよ…まったく」

 どさり、とスツールに腰を下ろしたデリラが疲れたように呟くと、アンとミナミが同時に短い笑いを漏らす。

「ぼくも?」

 わざとのように明るい声で言いつつ小首を傾げたアン。

「つうか、デリさんがどのくらいおっさんなのかが、気になんだけど?」

 手際よくお茶の支度をしながら、ミナミもくすくすと笑う。

「…大将よりゃ行ってますよ」

「しかもビジンの伴侶持ちだし」

「……結婚してんの?」

 からかうように言ったアンのセリフに、一瞬ミナミの手が止まる。ゆっくり旋回した綺麗な顔がちょっと驚いているのに、デリラは朗らかな笑みを返した。

「してますよ。お互い仕事してんで、顔合わせるのは至難の業ですけどね」

 にしし、と含み笑いするアンの猫っ毛をぐしゃぐしゃ掻き回したデリラが、その最後を軽く突き放して締め括った。

「ボウヤは余計な事言うんじゃねぇのね」

 照れているのか、それでも平然とするデリラから手元の茶器に視線を落としたミナミが、微かに口元を綻ばせる。偶然それを見てしまったデリラとアンが、惚けたような視線を俯いた横顔に注いでいるのに、ミナミは全く気付いていないようだった。

 その笑みは、儚げ。見る間に消えてしまう。連盟府のステーションで、その後、ファイランに戻るまでを同行している間、ハルヴァイトの傍らで厳しく突っ込みを繰り返していたミナミの無表情と、今見せた柔らかな笑みがイコールにならず、しかし確実に同じ面に浮かんだものだと理解して、デリラもアンも、ようやく、パブでギイルにからかわれたハルヴァイトの不機嫌な顔の意味を知った。

 逢わせろ。と言い張るギイルに、ハルヴァイトは断固拒否を貫き通したのだ。それが泥酔の発端だったのだが、かなり意識が混濁しても尚、彼は首を縦に振ろうとしなかった。

            

「誰にも見せたくない」

          

 確かに綺麗な青年なのだ。それは判っていた。でもそれほど強固に隠し通したいのか? という気もあった。だとしたら、下城日には必ず迎えに来させている理由が、判らない。

「……大将つうのは、アレなんスかね? ミナミさん。意外に独占欲強いんすか?」

「? そんな事ねぇんじゃねぇ?」

 デリラの問いかけに首を傾げながら、ミナミが答える。

「なんか、心配性らしいけど」

 暖めたポットからカップに注がれる紅茶。湯気に霞む口元が一瞬だけ微笑んだのを、デリラは見逃さなかった。

 きっとハルヴァイト・ガリューというひとは、この儚い青年をとても大切にしているのだと思った。だから、事情があって誰にも触れられないなら、彼を脅かす全てのものから隔絶してしまいたい、という…ミナミには言えない「欲」に取り憑かれているのだろう、と。

 判らないでもない。

 デリラにも、覚えがあるのだし…。

「……ところで、訊いていい?」

 差し出された紅茶を受け取ったデリラと、なぜか頬を赤らめてミナミを見つめるアンに薄く笑いかけ、彼は立てた親指でリビングを指す。

「ミラキ卿とあのひと…、なんであんな事になってんの?」

「…………」

 問われて、思わずアンとデリラが顔を見合わせた。

「? 何?」

 ふたりの横顔に不思議そうな顔を向け、ミナミが小首を傾げる。

「もしかしてミナミさん、…今日小隊長が城に呼ばれた理由、知らないんですか?」

「……知らねぇ。なんかフツーに出てったから、シフト調整の予備警備なんだと…思ってた」

 スツールをがたつかせて引き寄せたミナミが、それに軽く腰を下ろす。先と変わらぬ無表情でリビングに視線を向けて、彼は薄い唇で小さく溜め息を吐いた。

「言いたくなかったんじゃねぇ? 俺には…」

「……かも、しれないっすね」

「デリ…」

 即答したデリラに咎めるような視線を突き刺してからアンが、少し迷って、しきりに膝の上で指先をもじもじさせる。

 見習いだろうが三流だろうが、アン・ルー・ダイというのも電脳魔導師の端くれだった。だから、今日ドレイクとハルヴァイトが呼びだされた理由を、嫌というほど判っている。

 いっとき何かを迷っていたらしいアンが、急に顔を上げてミナミを見据えた。もしここで自分がその「理由」を黙っていて、もしかしてミナミがハルヴァイトになんらかの遠慮(?)みたいな物を抱いてしまったら、この綺麗な青年と自分を魔導師と認めてくれている上官の間に何か取り返しの付かない事が起こってしまったら、恋人同士というものに憧れを持っている少年は、後悔するだろう。

 だから、目を覚ましたハルヴァイトに叱られる覚悟で、アンは口を開いた。

「黙ってたのは、ミナミさんに心配掛けたくなかったからだと思います。…小隊長とドレイク副長は、その…、展覧試合の「余波」が抜けてなくて、ここ暫く、体調が悪かったみたいなんです」

「……それ何?」

 かなり遠慮がちに話し出したアンを、ミナミがじっと見つめる。その観察者の瞳に始めて見据えられたアンは、ぎくりと一瞬背筋を硬直させた。

 それはあまりにも静謐な観察者のダークブルー。全てを、抉り出す。

「あの!」

 アンは反射的に短く吐き出して、俯いてしまった。

「…おれぁ凡人なんでよく知らねぇんですがね、ミナミさん…。つまり、体内時間と脳内時間がズレるらしんですよ。ウチの…ってぇ……。おれの伴侶ってのが、元々電脳魔導師でして、今は階級停止ってのになってんで魔導関係の仕事してねんすけど、以前いっぺんだけそういう…どうもあんまりよろしくない状況ってのを見たんですが、スゥは…立ったまま急に気ぃ失いますからね」

「……でも、あのひとは…、そんな、具合悪そうに見えなかったけど?」

「小隊長と副長は、もっと軽度なんです。あれだけ無茶…というか、あれだけの事しても、ちょっと倦怠感があるとか、目眩がする程度だって…。医務官もよく、すごい人達だって言ってますし」

 臨界に接触する、というのがどういうものなのか、当然ミナミには判らない。しかし時折、家に帰り着くなりソファで寝てしまうハルヴァイトを見ていれば、多少は、大変そうだと思うし、実際、かなり状況の悪い時期があり、なんらかの薬品を服用していたらしい事を、ハルヴァイト本人も言っていたのだ、全く判らない、という訳でもない。

 それと「泥酔」の関係は、まったく判らないが。

「ダンナ…ドレイク副長は、「ひどく緊張した状態」が長々続くらしいすね。いっぺんそんな話ししてましたよ。大将は…どうだったかね? アン」

「…確か、「表皮がさらさらする」って…」

 聞き返されてきょとんとしたアンがデリラに答えると、ミナミが小首を傾げ、それから…ゆっくりリビングに顔を向ける。

「落ち着かねぇって、そういう事かな」

「? まぁ、そうなんですかね」

 それでか。とミナミは、少し困ったように苦笑いし、金色の髪をがしがし掻き回した。

 ステーションのホテルに宿泊した日、スィート・ルームにはダブルベッドしかないのだから、と意を決して「ここで寝ろ」と言ったミナミに、ハルヴァイトは首を縦に振ったものの、ふと深夜目覚めれば、隣にいたはずの恋人は窓際の肘掛け椅子の中で眠っていた。

 それをミナミは、彼に気を使っているのだと思ったのだが、どうも…そうではなかったらしい…。

(全身がさらさらして落ち着かねぇつえば…つまりそれって…)

 判りやすく言うならば、興奮状態、だろう。だからあの時ハルヴァイトは、ミナミの側から離れたのだ。

「…………うーん」

 いきなり唸ったミナミを、デリラとアンがきょとんと見つめる。

「いや…なんでもねぇ…」

 はっとしてそう呟き、なぜかミナミはくすくすと笑った。

  

   
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