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    5ハガネ ノ ヒト    
       
(12)

  

 温度も厚みも現実味もない「世界」とは、本当に「世界」と親しみ深く呼んでいいのだろうか?

              

           

 高級住宅街の一角にあるガリュー家を出る。

 フローターの入れない路地を二分ほど歩くと、すぐに大通り。大通りに出る直前には警備員のいる小さな詰め所と赤茶色をした背の低い門扉があり、不審人物を見張っている。

 警備員とは、いい加減顔見知りになっていた。だからミナミは、小窓から顔を覗かせた中年の警備員に会釈して、ごくろうさん、といつものように小さく声を掛ける。

 警備員は必要以上に愛想良く、にこにこしながら会釈を返して来た。

 鉄扉を通り過ぎたら、大通りを右に折れる。

 フローターの走る路面は歩道より一段低くなっており、幅も広い。歩道の方はせいぜい三メートル程度で、城へ繋がる通りのうち一番狭苦しい。

 道端には、花売り。人工庭園で育てた色とりどりの花を売っているのは、紅顔の少年。それからオープンカフェ。丸テーブルに白いクロスが清潔で気持ちいいが、その周囲は狭い歩道がますます狭くなるので、ミナミは必ず車道に降りてカフェの前を通り過ぎた。

 食料品店、日用品店、雑貨店、様々な専門店もあるし、小さな「書店」も、シティ・ナビゲーターという役所の出張所もある。

 狭い割りに盛りだくさん。逆に言えば、城からガリュー家に戻るまでに、大抵の用事は済んでしまう。

(…多分、それなんだな)

 城と自宅を往復するだけ。唯一の例外は、珈琲豆が切れた時。

 いつもよりゆっくりと通りを眺めながら、ミナミは前方に見える城の尖塔を目指して進む。すれ違うのは様々な衣装、様々な年齢、様々な顔をした、他人。

 無関係な顔の人たち。それでもミナミにはそれが「人」に見えたし、街は「街」だと感じられたし、車道を走るのはフローターだと判っている。

(それが全部数字だけって、どんな気分なんだろな。…あぁ、全部が全部数字だけじゃねぇって言ったっけ…)

 それでも、大差ないのだろう。半透明の陽炎が作る無意味な風景と、それを無視して氾濫し乱舞する数字。それらを見つめ、当たり前のフリをして生活する、という常軌から外れた状況を、ミナミは…結局理解出来なかった。

 それほど酷い状況は、長く続かないのだが…。

              

「無理ですよ。…狂いそうになるんですから。さっさと意識を失った方がマシです」

            

 そんな状況でやっと家に辿り着くと、大抵の場合気を失ってしまう。そして、その間に「臨界面」でデータを処理し、なんとか…意識を取り戻す。

 繰り返し、繰り返し。ハルヴァイト・ガリューというひとは、狂って行く。

           

「苦にはなりません。そうやって、今までなんとか…生き延びて来ましたから」

            

 そう言ってミナミの恋人は、笑った。

 不意に視界が開ける。通りから、城をぐるりと囲む大路に出たのだ。放射状に伸びる幾本もの大通りを繋ぐ輪は広く、歩道だけでも今までミナミの歩いて来た通り並の幅があった。

 大路を右に折れて少し、城の後ろ側に警備軍本部の建物の一部が長方形の外観を外壁沿いに晒している付近で、ミナミは足を止めた。

 外から見ると建物の一部は完全に城の城壁と一体化しており、その向こう、内側に少し背の高い部分が見える。

 その背の高い部分からやや離れた位置に、警備兵の使う通用門があった。

 通用門の見える場所、街灯の鉄柱に寄りかかり、ミナミは開門の鐘を待つ。

 それが、ミナミ・アイリーの日常。鐘が鳴り、あの門が開いて、緋色のマントをはためかせた恋人が出てくるのを待つだけが…ミナミの役割。

(……だけ、じゃねぇか。違うんだっけな、そういやぁ)

 違っていた。

 ルイエ少年がガリュー家を訪れてから、既に五日が過ぎている。一晩中ハルヴァイトと臨界だとかについて話し合い、それから彼は登城して、もう四日。ハルヴァイトが留守にしていた四日間で、ミナミは臨界と電脳魔導師について手に入るだけの本を読み、精一杯ハルヴァイト・ガリューというひとを理解しようとし、結果、行きついた…。

 桁外れに天才。桁外れに異常。

(…………あのひとは、だから孤独)

 臨界の炎に焼かれ、しかし現実面に生き残るひと。余りにも難解でミナミに理解出来ない事も多いが、通常あれほどまでに臨界の干渉を受けた場合、ひとは、データの海に溺れ引き込まれてしまう…。

 ではなぜ、ハルヴァイトはそうならないのか?

 鉄柱に身体を預けたミナミが小さく溜め息を吐いて、すぐ。城の尖塔から荘厳な鐘の音が辺りに降り下りた。それを合図に堅く閉じられていた鉄扉が重々しく開き、城門の外にいた警備兵が談笑しながら城に吸い込まれるのと、勤務を終えて吐き出されてくる警備兵が、すれ違う。

 深緑色の長上着が警備兵。

 黒い長上着は衛視。

 その他にも何色かの制服がぽつりぽつりと見える。

 暫く待つ。今日は…少し遅い。

 周囲に居た警備兵があらかた城内に消えた頃、ようやく見覚えのある緋色のマントが通用門から姿を見せた。

 鮮やかな緋色のマントを翻し、大股で通りを突っ切って来るひと。途中器用にフローターを躱わすのだが、歩みを遅める素振りはない。

 光沢のある鋼色の髪と、鉛色の瞳。背が高くほっそりとしていてやけに人目を引くくせに、誰もが視線を逸らす…、スティール。

 長靴の底が歩道の端を掴む。規則正しい靴音がそれで一度途切れ、しかし彼は立ち止まらない。

 街灯に寄りかかったままの恋人からかすめ取る、くちづけ。

 すれ違うように、通り過ぎるように。

「? どうしました?」

 数歩ミナミを置き去りにした所で、ふとハルヴァイトが振り返る。

 いつもなら彼と変わらず歩き出すはずのミナミが鉄柱に寄りかかったまま動こうとしないのを、不審そうに見つめる、鉛色の瞳。

 受け取ったのは、まるで造りもののように綺麗な、「世界」の中心。

「いっこ訊いていい?」

 ダークブルーの双眸で、「世界」を観察する青年。

「アンタに、俺は…、どう見えてんの?」

 問われて、ハルヴァイトはなぜか微かに口元を歪めた。

「……………溺れない、魚のように…」

 文字列を泳ぐ、魚のように…。

 文字列に沈まない、魚のように…。

2002/08/20(2002/12/18) sampo

         

   
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