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    5ハガネ ノ ヒト    
       
(11)

  

 城内にとくと知れ渡っている一般論として、ドレイク・ミラキは奇特で暇人だという。

(ま、それもいいけどな)

 などと今日も無駄に朝早くから登城し小隊の執務室に顔を出せば、なぜか珍しく、難しい顔をして額を付き合わせているデリラとアンがドレイクを迎えた。

「お? なんだお前ら、今朝は随分と早ぇんじゃねぇか?」

 にこにこと言いながら濃紺のマントを外して椅子の背に掛け、ドレイクはいつものように応接セットのソファに寝転んだ。

「小隊長の事が気がかりなんでちょっと早めに登城したんスよ」

「右に同じです」

 その沈鬱なふたりの顔つきに苦笑いを向け、ドレイクは「あっそう」と妙に気のない返事をした。

「結局、アリス事務官が小隊長のトコ行ったってしか聞いてないんで…」

 やや言い難そうにしながらちらちらとデリラの顔を窺いつつ、アン少年がドレイクの向かいに移動して来ると、デリラも無言で応接セットに近付き、肘掛けに軽く腰を下ろして腕を組んだ。

「…実は俺もよく判らねんだ、詳しいトコはよ。ただ、アリスが…接続不良のハルに追い返されて、その直後、ミナミがまた家に戻るって言い出した、ってのは聞いたけどな」

「じゃぁ結局、ミナミさんは自宅戻ったんスか。……なんか相当、状態悪かったみたいな事言ってたんじゃねぇですっけ? ひめ」

「悪かったよ。そいつは俺も見た」

 ドレイクは言いながら、モニターの中で真っ青になって震えるミナミの姿を思い出し、内心深く嘆息した。

 確かに、ドレイクは一度ミナミが極端な恐慌状態に陥った原因を作ってしまった事さえあるのだから、それについて今更驚きはしなかった。ただし、先日のミナミはつまり、「誰かに触られて」だとかいう明白な発端なしに、ひどく怯え、ひどく後悔し、必死に言い訳し、「なんでもねぇ」と「あのひとは悪くねぇ」だけを壊れた人形のように繰り返しながら、本当に、かわいそうなくらいがたがた震えていたのだ。

「じゃあ、その後の事は誰も知らないんですか?」

「あぁ。ミナミもよ、自宅戻って暫くしてから、アリスに「大丈夫」つう電信入れて来たらしいんだけどな、そん時ちょっと気になるコト言ってた以外は、なんでもなさそうだったつうしよ」

 ソファにちょこんと座っているアン少年が、「気になるコトですか?」と小首を傾げる。

「外部端末ぶっ壊したから、修理するまで連絡取れねぇって言ったらしいんだよ」

「…じゃぁ、その時の電信はどっから入れて来たんスかね?」

 しきりに首を傾げるデリラ。しかし、アンはすぐに得心が行ったような顔で、ドレイクに目配せして来た。

「多分、ハルの電脳陣からじゃねぇかと思う」

 つまり、電脳魔導師というのはデータを扱う専門の職人なのだ。だから、「データ」と名が付けば、それが通常の通信だろうがゲームだろうが臨界にある魔導機のものだろうが、電脳陣から簡単にアクセスしてしまう。

「でもなんで、一機しかない外部端末を壊してしまったんでしょう?」

「壊す理由なんてのはよ、いくらでも考えられんだよな。ハルがどうしようもなく機嫌悪けりゃ荷電粒子で一発だし、元々あいつぁ接続不良起こしてたんだからよ、何か取り返しのつかねぇ事になってたかもしんねぇし…。けど、ミナミはそんな素振り見せてねぇらしいから、原因は全く持って不明なんだがな」

 ふうっとドレイクが溜め息を吐き、アンが首を傾げ、デリラがなんとなくドアに視線を馳せた途端、それがなんの前触れもなく開き、開き…。

「だからっ! どういう事なのか説明しなさいって言ってるでしょ、ハル!」

「…耳元で叫ばないで貰えますか? アリス…。わたし昨日の晩はほとんど寝てなくてですね」

 しきりにこめかみを指で揉みながら、後ろをくっついで歩きながら喚き散らしているアリスを適当にあしらう、疲れた顔のハルヴァイトが姿を現したではないか。

「あたしの質問に答えなさい、ハルヴァイト。そうしたら、午前中だろうが一日だろうが誰にも邪魔させないで寝かせてあげるわよ」

 煉瓦色の眉を吊り上げて睨んで来るアリスをわざとのように怖々振り返り、ハルヴァイトは引きつった笑みだけで答えに変えようとする。

「朝っぱらから穏やかじゃねぇなぁ、お二人さんよ。で? アリスねーさんは何をそんなにお怒りなのかな?」

「…ドレイク、話がややこしくなるから首突っ込まないで貰えません?」

「突っ込んで当然じゃねぇのか? おめー、一昨日から…」

「というか、ドレイクもよ、バカ!」

 いきなり、びしっ! と仁王立ちのアリスに指を突きつけられて、ドレイクが首を竦める。

「大体ね、発端は、君たちふたりが接続不良起こすような真似するからなのよ!」

「これって、まさにやぶ蛇ですね」

「まったく」

 さっさと傍観者を決め込んだアンとデリラが、顔を見合わせ頷き合った。

「この際ドレイクはどうでもいいわ」

「…ひでぇ言われようだな、おい」

「黙れ。君は、過保護のくせに無責任なんだから」

「…………」

 怒ってるよ、ひめ。と背筋を凍らせたデリラが、興味津々という顔つきで目を輝かせているアン少年を回収し、そそくさと応接セット付近から逃げ去る。それに入れ替わって横柄にソファを占拠したアリスが、苦笑いのハルヴァイトをきっと睨み付け、無言で手招きした。

 それに渋々従いつつも、ハルヴァイトはなぜかずっと笑っている。

「さぁ、ちゃんと説明しなさい、ハル。散々みんなに迷惑掛けたんだから、君には顛末を告白する義務があるのよ」

 ゆったりとソファに座り、アン少年に「お茶」といつもの調子で命令してから、ハルヴァイトはアリスに顔を向けた。

「顛末ですか? えーと。ルイエ君の所には、昨晩ミナミとふたりで行きました。ちょっと話をして、二度とお会いする事もないでしょうとご挨拶して、帰って来ただけですけど」

「あの子? まぁ…それはいいとして、問題はミナミでしょ?」

「ミナミには、まだ詳しい事を話してはいません」

「だから、どうしてよ!」

 バン! とテーブルを叩いたアリスに、しかしハルヴァイトが見せたのは、ひどく穏やかな笑みだった。

 それに、思わず部下たちは唖然とする。

 ハルヴァイトという男は、どこか…そういう顔をする「何か」の不足した人間だったはずだ。どんなに親しくなろうとも、相手が例えばドレイクという「兄」であっても、最後の最後に足りない物があって、結局、あの鉛色の瞳の奥底に冴えた光を押し込んでいて、笑っているように見えてもその向こうには空虚が広がっているような印象がぬぐい去れず、だから、スティールだと言われていたのに。

 劇的な変化。ではない。

 だがそれは、なんらかの「変化」だった。

「わたしが接続不良を起こすプロセスを、ミナミに説明しようと思っているからです。そのためにはまずわたしと臨界の「関係」を説明しなければなりませんし、そうなるともっと根本的に、臨界そのものがなんなのか、それから説明しなければならないでしょう? で、昨日の晩はその辺の基礎知識をですね…」

「つうかおめー、あのクソややこしい理論…、ミナミに説明してんのか?!」

 ソファに寝転んでいたドレイクが、いきなり素っ頓狂な声を張り上げて跳ね起きる。

「してますよ」

「…………無理なんじゃないですか? それ…。だって、実際臨界に接触してるぼくらだって、時々メモリからデータを読み込まなくちゃならないほど、憶えることはたくさん…」

 同じく電脳魔導師の端くれであるアンが、デリラの腕を振り払ってソファに寄って来る。

「おれもいっぺんスゥに聞いたスけどね、正直、もうすっかり忘れましたよ、あんなややこしい事」

「ミナミは、二十分でわたしの…プライマリ・テスト・パターンを丸暗記しましたよ」

 涼しい顔で言い切ったハルヴァイトを、誰もが唖然と見つめる。

「それから自宅にある外部端末と電脳陣を繋いで、内部に構築した仮想臨界にアクセス、データの働きと意味を説明しましたが、ミナミはそれも…一回で憶えました」

「あいつの記憶力は化け物か?」

 呆然と呟いたドレイクに視線を流し、ハルヴァイトが頷く。

「…教えようとして、判った事があります。だから、ミナミは…………誰にも「触れない」のだというのをね」

 記憶。

「鮮明過ぎるんですよ、ミナミの記憶は。しかも、嘘みたいに憶えるのが速い。まるで、わたしたちが臨界に置いているメモリ並です。憶えるだけでなく、忘れない、忘れられない。わたしは……」

 言葉を切ったハルヴァイトが、部下の顔を見回す。

「結局「不具合」が多いですからね、何かあった時、例えば誰かに助けを求めるにしても、ちゃんとその状況を説明して貰わなければならない。ふたりでね、ちゃんと話したんですよ。これからああいう形で気まずい思いをするのは愚かだから、わたしはきちんとミナミに全部…話しますって。その上で、あれこれ話しているうちに、臨界の理論にまで遡ってしまって。無駄だと思うなら飛ばします、て言っても利かなくて」

 苦笑いのハルヴァイトを見つめ、ふとドレイクが笑った。

「…………まぁ、つまりお前らはどうにか上手く…」

 そこまで呟き、ドレイクがぎくりと背筋を凍らせる。

「つうかハル…、お前まさか…」

「見せましたよ」

 言って、ハルヴァイトはなぜか余裕の笑みをドレイクに向けた。

 余裕の微笑み。全てをさらけ出してしまって、もう、隠す物はない。

「……………わたしはミナミに、「臨界」の全部を…見せたんです」

 見せた。

「所詮、なんの取り柄もない、数字の羅列なんですけどね…」

         

   
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