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    6ドラマティカ    
       
(10)

  

 誰も傷付けないで自分が幸せになろうなどと都合のいい事は考えるな。だから、自分が傷つかないで誰かが幸せになれるなどというのも、幻想に過ぎない。

         

      

 拘束されている、といっても、容疑は不充分極まりない。だからその時、ハルヴァイト・ガリューが監禁されていたのは、城の東側、近衛兵団の執務棟に当てられている離れの一室だった。

 道案内のクラバインと別れたのは、王下特務衛視団執務室に繋がる大階段と、ハルヴァイトの監禁されている監視室に繋がる廊下の交わる場所。最後まで、同行しましょう、と食い下がるクラバイン・フェロウにミナミは、いつもと同じような無表情で短く言い置き、さっさと歩き出した。

「…誰もいない方が、なんとかなる。ミラキ卿よりも、あのひとは…多分手強いだろうしな」

 誰よりもミナミに傷ついて欲しくないハルヴァイト。それは、ウォルもクラバインも、もちろんミナミ自身も判ってる。

 監視室に続く廊下は、ここが城の一部であるのだから当然だが、落ち着いた色合いの絨毯が敷き詰められ、数メートル置きに大きな花瓶が置かれていて、その花瓶には様々な花が飾られていた。天井が高く、昼なら天窓から柔らかい陽射しが射し込むのだろうが、今はただただ暗闇が覗き込んでいるだけ。

 足下の花瓶に隠された照明と、壁に設えられた間接照明だけという薄暗い中を、ミナミはゆっくり歩いていた。

 ハーフコートのポケットに突っ込んだ手の中で、小さな鍵を握り締める。これでハルヴァイトは自由の身になり、ミナミは……。

 それはまるで、自分の記憶を封じ込めた箱の鍵のように感じられた。鮮明な記憶。でも、二次元の記録。それに鍵を射し込んで一捻りすると、記憶は鋼色をした穏やかな夢に流れ込んで立体感を持ち、それらが全て現実なのだと、ミナミに思い知らせるだろう。

 仄灯りと暗がりを縫って目的の部屋まで来ると、ミナミは一度だけ足を止めた。ポケットから手を引っ抜き、握り込んでいた小さな真鍮製の鍵を掌に載せて、それに、ふと失笑を吐きかける。

 それで、終わり。

 ミナミは無造作に鍵をドアに射し込み、なぜここだけこんな旧式の鍵を使っているのか? と、本当にどうでもいいような事を考えた。

 答えはいらない。ただ、そんなくだらない考えで、気分を戻したかっただけ。

 微かな手応えで錠が外れ、部屋は難なくミナミを招き入れた。

「…? ミナミ?」

 物音に振り返ったハルヴァイトが、訝しそうな顔で小首を傾げる。それに笑いかけるでもなく、やっぱり無表情に、ミナミは謁見控えの間並に狭い室内を見回して、肩を竦めた。

「拘束されたって聞いたから牢屋にでも入れられてんのかと思ったけど、結構普通の部屋なんだ」

「一時拘束ですから…。それで、なぜあなたがここに?」

 奇妙なほど落ち着いた口調でミナミに問いかけながら、座っていたソファから立ち上がったハルヴァイト。愛想のない部屋ながら居心地の良さそうな応接セットが置かれており、拘束されている、という緊張感も閉塞感もないその場所は、施錠されたドアと嵌め殺しの強化ガラスさえ気にしなければ、スラムの一般家屋よりも快適そうにさえ見えた。

「迎えに来た。……アンタがここに押し込まれた原因、俺らしいから」

「? あの爆破騒ぎの原因が…ですか?」

「いや、俺犯人じゃねぇし」

 鍵穴から抜いた鍵をテーブルに置き、ミナミはハルヴァイトの真正面に立って彼の顔を見上げた。微かに顎を上げた恋人の胡乱なダークブルーに見据えられて、一瞬、ハルヴァイトが戸惑う。

「アンタ、ヘイルハム・ロッソーって知ってる?」

「いいえ」

「じゃぁ、ヘス、って男は?」

「? さぁ」

「ならいい。知らなきゃ、帰っていいってさ」

 ハルヴァイトには拘束された理由を一切話していない、とウォルは言った。だから彼には、自分に爆破騒ぎと殺人の嫌疑が掛けられた程度の情報しかなかったのだ。それと、ミナミの言った男の名前がすぐには繋がらなかったのか、ハルヴァイトがしきりに首を傾げる。

「その男が、何か?」

「……とりあえず、家に戻ったら全部話す。ここでアンタに暴れられる訳にいかねぇし」

「? わたし、が? なんで…」

 不思議そうにしながらもミナミに促されて部屋を出、傍らを歩く青年を見下ろして、ハルヴァイトは薄っすらと表情を曇らせた。

「ミナミ? ……」

「…ここじゃ話せねぇ。本当はアンタにも、誰にも話したくねぇ。でも、言っとかねぇとダメな事。……俺は…」

 薄暗い廊下。だから、陰の射したミナミの顔が、よく見えない。

「その男を知ってる」

 言われて振り向いたハルヴァイトの顔も、ミナミからはよく見えなかった。

          

   
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