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    7.ラプソディア    
       
(6)

  

 本丸から警備軍施設まで移動する間、本来ならエレベータを使えば早いのだが、ミナミとヒューは総てを階段で移動した。

「警備軍施設まで歩いて二十分程度だな。まぁ、日に一回敷地内を散歩すると思えば、苦にならないだろう」

「…毎日あんの?」

「毎日どこかしらに指示は出る。一つしかない時もあれば、もっと多い日もある。そのうち半分以上は電脳魔導師隊に出されるから、一般警備部に行くよりは近い」

 毎日そこに行くのかよ…。というのが、ミナミの感想だった。

 本丸正面通用口から城を出て、左手に広がる人工庭園を脇目に、城壁に近い石造りの回廊を、四角い色気のない白い建物に向かって進む。その間にすれ違う、近衛兵、警備兵、士官。彼らはみな一様にミナミの姿を見つけた途端に歩調を緩め、ぽかんと彼を数秒見つめてから、その腕に真紅の腕章を見つけ慌てて会釈し通り過ぎた。

 誰も彼も、ミナミとヒューに道を開ける。

「最近、一回だけ衛視のひと近くで見た事あって、その時俺は一般市民だったから何も判んなかったけど、この黒い制服? 赤い腕章か…、って凄いのな」

 くす、と微かに笑ったミナミの横顔を一歩後ろから見つめていたヒューが、違うよ、と苦笑いで答えた。

「ここで凄いのは、ミナミの腕章に黒い線が一本入ってる事だ。俺を含むただの衛視にはないが、その線が衛視団で唯一の階級だからな」

「準長官ったって、そう大した…」

「室長に何かあったら、陛下直々の指示を受けるのはミナミだけだぞ。貴族院議員でも、議会開催中でさえ陛下と直接言葉を交わす事は許されていない。滅多に国民の前に姿を現さず、出て来ても微笑んでいるだけの陛下が何を考えているのか知っていいのは、事実上室長とミナミだけ、という事になる。それが「大した」事がないとは、間違っても言えないだろう?」

(つうか、陛下ってそんなに偏屈なのか? というか、そんなに偉い人なのか? あれが。ただの偉そうな美人じゃないのか?)

 なんとなく、みんなが総出で自分をからかっているのではないか、とさえ思えそうな状況に、ミナミは無言で突っ込み続けた。その間、ヒューは平然と左手に広がる人工庭園について説明してくれたが、ミナミはその半分も聞いてはいなかった。

「この庭園の中には、警備兵や近衛兵、衛視も出入りする保養施設がある。保養施設、といっても別に大したものがある訳じゃないが、庭園全体がオープンカフェになっていて、昼食はここで摂る、というやつらも少なくない。他の機関に友達でも出来れば時折使うようになるだろうが、意外に込んでる事が多いからな、…ミナミは、無理に来なくていい場所かもしれない」

「…ヒューは、いい奴って言われた事ある?」

「は? ……残念だが、ないな」

「そう。世の中って、やっぱ見る眼ねぇよ」

 急にそんな事を言ってくすくす笑うミナミを、ヒューがぽかんと見下ろす。

「俺はヒューを「いいひと」だと思う」

「…どうも…」

「だから、最後までそのまま居て貰えると、ちょっと…嬉しいかも」

 ミナミが何を言いたいのか判らず、ヒューは「はぁ」と妙に気の抜けた生返事するしかなかった。

         

          

 一般警備部は警備軍施設の一番外側、城壁に溶け込んだ四角い建物全部を占めていた。ここには、派出支所からの要請に基いて出動したりする、王城エリアの巡回警備兵が常時二百名以上待機している。

 一般警備部連隊統轄責任者アフミッド・ギオク警備本部長は、五十代前半の大柄な男でいかにも軍人然とした厳めしい顔つきをしていたが、王下特務衛視団の新任準長官だ、とミナミが挨拶した時だけは、まるで少年のように顔を赤らめて会釈した。

「スレイサー衛視は、これで通常の任務に戻られるので?」

 ディスクの受け取りにサインしながら、ギオク本部長がヒューに問い掛ける。

「暫くはアイリー次長の「護衛」任務ですがね」

 微かに笑って答えたヒューからミナミに視線を移し、厚い唇に殊更濃い笑みを載せる、ギオク。

「アイリー次長にも、専門の護衛官が必要そうですからな」

 それに対してミナミは、相変わらずの薄笑みで会釈を返し、本部長室を出た。

 次にふたりが向かったのは、一般警備連隊棟。一から十五まである縦長の建物が隣接しているのに分厚い壁で区切られているから、いちいち一階のエントランスを通らなければならないのが面倒、などと説明するヒューと他愛もない話をしながら、第二十五連隊エンス・リヘル連隊長を訪ね、「なんてお綺麗な方だ!」とやたら感激して言うのに辟易しつつ、なんとかディスクを押し付けてサインを奪い取り退室使用とする。間際、見事な身のこなしでミナミに迫ったリヘルが彼を食事に誘おうとしてヒューに睨まれる、という些細な騒動を経て、十二号棟の第三十六連隊執務室までなんとか辿り着く。

 その間、ミナミは…ヒューの想像以上に周囲の視線を集めた。普段ヒューがこうしてやって来ていた時には、衛視が来ている、という事実を無視していた警備兵までもがにこにこと敬礼して来るのに、自称「寛大」なヒューもいい加減うんざりしているようだった。

「…ちなみに、ミナミ」

「何?」

「ここの連隊長、ギイル・キースは警備軍でも有名な「傍若無人」自慢なんだが、何かあったら…殴って構わないか?」

「…出来れば穏便に頼みてぇけどな…」

 第三十六連隊執務室前で呟いたヒューに苦笑いを向けたものの、ミナミはそれに対して突っ込んだ質問をしなかった。

 実は、クラバインが始めにギイル・キースの名前を出した時から、気になっていた事があったのだ、ミナミには。

(ギイル連隊長…。他に「ギイル」って名前のヤツは警備軍にいねぇ。となると…暫く前にあのひとが泥酔して帰って来たとき、デリさんとアンくんが言ってた「よりによってギイル連隊長」ってのは…多分このギイル連隊長なんだろ?)

 だとしたら、傍若無人自慢でもおかしくはない。

 なんとなく、ヒューに殴って貰って騒ぎが拡大しないなら、ミナミの方からお願いしたい気分でもある…。

 とにかく行こうか。という事になって、ミナミは目の前のドアをノックした。

「特務室よりギイル・キース連隊長に命令。…キース連隊長は?」

 ノックして応えも待たずにドアを開け放ち、ミナミが凛とした声で言い放つ。途端、中に居た数十名の警備兵と文官が一斉に眼を真ん丸にして、佇むミナミを凝視し、息を飲んだ。

 漆黒の長上着に、真紅のアクセント。人形のように滑らかな乳白色の肌を持つ顔は無表情だが、長い睫に飾られたダークブルーの双眸と、毛先の盛大に跳ね上がった見事な金髪の………。

 溜め息が出るほど綺麗な、見た事もない青年。

「………? ギイル・キース連隊長は?」

「お! ようやっと衛視連中も判って来たらしいなぁ、おい! いい加減あのスカしたスレイサーの野郎よこすなつっといた甲斐が…」

 奥の小部屋から顔を出したギイルが、そこまで言って言葉を忘れる。

 彼さえ、ミナミをぽかんと見つめたのだ。惚けた間抜け面で。

「…新任の、王下特務衛視団準長官ミナミ・アイリーです。命令書の受け取りを即時実行して下さい」

 ミナミは、あの観察者の瞳でギイルを見つめ、淡々と言い放った。

 背丈が二メートルもありそうな大男だった。割と顎の尖った、しかし印象の悪い顔つきではない。スラムのちんぴらをお人好しにしたらこんな感じ、といった風か。

 短い黒髪をあちこち跳ね上がらせているのは、きっと髪が堅い上に癖なのだろう。太い眉の下にある眼は意外に鋭く、こちらも黒なのかと思っていたら、近寄って来る途中ライトの灯かりを吸い込んで微かに青みがかって見えたから、濃紺なのかもしれない。

 ミナミにそっと目配せされて、トランクから「第三十六連隊ギイル・キース連隊長」と表面に書かれたケースを取り出し、ヒューが直接ギイルに手渡す。

「色気ねぇなぁ、スレイサー衛視はよぉ。ここでちっと気ぃ利かして、ミナミちゃん経由で渡す、くれぇしろってのさ」

「…ミナミちゃんて…誰だよ」

 思わず、ミナミがげっそりと呟いた。

「キレイでカレンでカヨワクてカワイイミナミちゃんつったら、キミしかいねぇでしょうに」

 初対面なのにも関わらず、ギイルは人懐こい笑顔をミナミに向けて、そう…自信ありげに言った。

「その失礼な発言は大目に見るとして、なぜ俺がわざわざディスクをミナミに手渡す必要がある?」

「おめーは色男のくせになんにも判っちゃいねぇな。こういう接触面積の小せぇモンをだ、どうぞギイルさん、とか笑顔で手渡される時によぉ、こう、間違って指先が触れ合っちゃったりなんかしてだなぁ…」

「それは絶対ない」

「それ、ぜってーねぇし」

 身長二メートルのギイルが身振り手振り混じりでその(空想の)状況を解説するのはかなり薄気味悪かったから、ミナミとヒューは同時に容赦なく突っ込み、さっさと話を切り上げさせようとした。

「…じゃぁ、やってみようじゃねぇかぁ! えぇっ!」

 と、ギイルはミナミの遥か頭上で叫ぶなり、ミナミの手を掴もうと野太い腕を伸ばした。

 咄嗟にミナミが一歩以上飛び退く。同時に一歩前進し、結果、ミナミの前に出たヒューの腕が霞んだと思う間もなく、伸ばされていたギイルの腕が跳ね上がり、続いて、見事な体躯が…すとんと垂直に沈んだではないか。

「ててててて! つうか、なんだよっ!」

「勝手に夢見るのは構わないが、アイリー次長を巻き込むのはやめろ。一分貴様の戯れ言に付き合ってやっただけでも、有り難いと思え。こっちだって忙しい」

 言い捨てたヒューはミナミの前にただ立っているし、右手にあのトランクも持っている。しかし、空いているはずの左腕にはしっかりとギイルの腕を絡めており、白手袋の指先は肘に食い込んでいた。

 伸ばされたギイルの腕を下から叩き払い、上空に逃げる腕に自分の腕を絡めて捩じり上げながら肘の関節を極めて真下に引き下す。これで相手が武器でも持っていようなら手前に引き倒して背中に圧し掛かるくらいはするのだろうが、さすがのヒューも、そこまではしなかったようだ。

(……護衛班の班長だつったっけ? だからって…速ぇ…)

 ミナミは背中でドアに張り付いたまま、無表情に感心した。

「解った解った! 解ったから離せって!」

「離したらすぐに命令文書を確認して、受け取りにサインしろ。それから先に言っておくが、俺が来なくなってもアイリー次長に手は出すなよ。万一俺の警告を無視したら…」

「…もっと取り返しのつかねぇ事になるから」

「あん?」

「…?」

 ミナミは呟き、注がれた二つの…それ以上の…視線を無視して、俯いた。

「知りてぇなら着いて来れば? ギイル連隊長。…どうやらギイル連隊長は、前から俺に会いたがってたらしいしな…」

 床に膝を付いたままのギイルが、何の事だかさっぱり判らない、と言いたげに首を捻り、ヒューは、またも膨れ上がった疑問が何に対してなのかやっぱり判らず黙り込んだ。

「そうか…権力とかって、こういう風に使うのかな?」

 ミナミの方は、案外気楽だったが…。

  

   
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