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7.ラプソディア | |||
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クラバインの仕事は、室長室で調べ物をする事と陛下が執務室を出る時に同行する事。室長室には特務室へ通じるのと別に陛下執務室に直接繋がる通路があり、二時間ばかりの間に彼は、三度も陛下に呼び出され部屋を飛び出して行った。 それで、午前中の殆どを放置された状態のミナミはといえば、とりあえず、与えられた端末の操作に慣れるのと城内の構造を適当に憶えればいい、と朝に言われていたので、別に忙しくはなかった。部下からクラバインに上がってくる報告を彼が不在なら受け取っておくのだが、それをどうすればいいのかは、何度もやって来るヒューが丁寧に教えてくれた。 二度目に出掛けたクラバインが戻ってきて、すぐ。三度目の呼び出しで退室する前に、部下に出す幾つかの指示書を作成をするようにミナミは言い渡された。それをクラバインは百回くらい謝りながら(これにはミナミも笑ってしまったが)七通の指示書を作るように告げ、出来上がりはヒューに見て貰うようにと言い残して、また室長室から出て行った。 「……忙しいんだな、室長って」 指示書を作るミナミの手際を見ながら、ヒューが苦笑いで答える。 「昨日までは陛下のお側に控えた状態で指示書を作って端末に送り付けて来てたんですから、今日は随分暇でしょう。……ところで、アイリー次長」 「何?」 幾つかのウインドウを睨みながら、それでもてきぱき仕事をこなすミナミを見下ろすヒューが、どことなく妙な顔で首を傾げた。 「まさかとは思いますが、今までにこのタイプの端末を操作した経験が?」 「ううん、始めて。こんな立派なの、今まで見た事ねぇって」 腕を組んでカウンター(ミナミの座席は完全に隔離されたカウンターの内部にあり、手元に二つあるモニターはミナミの方からしか見えないようになっている)に寄りかかっていたヒューが、はぁ、と変に気の抜けた声を上げ、ミナミは手を動かしたまま視線だけをそのヒューに移した。 「なんで?」 「いや……マニュアルなしで、よくやってるなと」 「…読んだ、先刻。いっぺん見れば憶えるだろ?」 「……………それ、大部屋行っていまだにマニュアルの手放せない部下どもに言ってくれませんか」 溜め息混じりのヒューのセリフに、ミナミが小さく笑う。 「…記憶力だけは無駄にいいから、俺」 良くも悪くも、記憶力はずば抜けていい。忘れたい事のひとつも忘れられないほど…。 「終わった。指示書、スレイサーさんの端末に送っとくから、見といてくれねぇ?」 「判りました。…いちいち面倒なんで、俺は「ヒュー」と呼んで貰えるとかなり嬉しいんですが? アイリー次長」 カウンターに両肘を突いてにこにこするヒューの顔を下からまじまじと見つめ、ミナミが小首を傾げる。 「俺は面倒じゃねぇけど、どうしてもって言うなら考えてもいい。スレイサーさんが、普通に話しかけてくれるなら、かな」 「…OK。滅多に使わない言語駆使し過ぎで、いつ舌を噛むか気が気じゃなかったんで、安心したよ」 そのセリフにミナミが、やっぱり、と内心大きく頷く。 「ヒューみたいなデザインで、そんなばか丁寧な言葉遣いに慣れてるひとなんて、そうそういねぇだろ…」 「全くいない、と言わない当たり、知り合いにでも?」 「………………教えねぇ」 くすくすと笑いながらミナミは、あの……鉛色の瞳を思い出す。 「にしても、これだと…「アイリー次長」というのもどうかと思うな。まるで、つまらないコントでもやっている気分だ」 銀色の髪をかき上げて身を起こしたヒューを見上げ、ミナミも頷いた。 「ミナミでいいよ。どうせ…俺、バイトだし。いや、バイトで衛視団ナンバー2ってのも、かなりコントだとは思うけど」 「バイトだっていうのは、話さない方がいいだろうな…」 本当にバイトなのか定かでない、と思いながらも、ヒューが大真面目に同意する。 派手に毛先の跳ね上がった金髪をかき回し、ミナミはふうっと溜め息を吐いた。暇なら少し休むといい、と笑顔で言い置いたヒューが退室するのを待って、ミナミは……今まで待機させていた「ファイラン・オリジナル・データ・ベース」を呼び出した。 「………王都民約五万八千人…。そのうち、一割に満たない女性を省いたとしても、五万人以上の中から、五十七人か…」 目眩がするような数字。 でも、その五十七人をなんとしても探し出さなければならない…。 年齢条件で検索から省く範囲を決める。それがミナミの考えていた第一段階で、それから絞り込んで、最終的には個人個人の情報を閲覧し、顔写真を確認し、やつらを炙り出す。 モニタの中でちかちかと明滅する文字をぼんやりと見つめ、ミナミは、迷う。 早く。こちらの動きを気取られる前に早くヤツラを探さなければならない、と思う反面、もう少しだけゆっくり、ハルヴァイトの側で安寧を貪りたいと思う…支離滅裂。 ミナミは膝の上で無意識に両手を広げ、それに視線を落した。 抱き締めたり、触れてみたり…。 何も、恐くなかった。 例えば、ドレイクに抱き着いてみろ、と言われても、それは無理だろうと思う。どこにも行って欲しくなかったのも、触れてみたいと思ったのも、抱き締められてそのひとの腕の居心地がいいのだと判ったのも、つまり、相手が「確立されたハルヴァイト」だからであって、他の誰でも、結局まだダメだろう。 もしもここにずっといられたら、もしかしたら、記憶は薄れてくれないけれど普通に暮らす事が出来るのかもしれない。 「……でも、無理…だよ」 広げていた手を握り、ミナミは消えそうに儚く微笑む。 「俺は…アンタ傷つけて、どっか行くだけなんだよ…な」 次はどこへ行こうか。 …………王城エリアでない場所がいい。とミナミは思った。 「ミナミ」 ノック、名前を呼ぶ声、ドアの開く音。それが殆ど同時に起こり、ミナミは慌てて顔を上げた。 「指示書のチェック終わったぞ」 「…じゃぁ、こっちから俺の名前で発行すればいいの?」 「署名を忘れずに」 うん、と頷いて、ミナミは端末を操作しながら、さりげなく「オリジナル・レポート」を消す。カウンター側からはかなり覗き込む体勢にならなければ見えない物だが、クラバインと陛下以外の人間がこの部屋にいる間は、極力表示を消しておく事に決めているのだ。 「城内の機関配置は憶えたのか?」 「だいたい憶えた。地図見ただけだけど、大丈夫だと思う」 「じゃぁ、室長の許可を貰って、午後から案内してやろうか?」 「…ヒューって、もしかして暇?」 ミナミの問い掛けが可笑しいのだろう、ヒューはくすくす喉の奥で笑い「まぁね」と答えた。 「今日は陛下が城内に居る予定だから、暇と言えば暇なのか。俺は護衛専門だからな、細かい事務仕事はほとんどないんだよ。昨日まで室長秘書代行をやっていたが、干されたからな」 「俺のせいで仕事にあぶれたんだ」 くす。とつられて笑うミナミ。 「まぁ、二・三日はミナミの面倒でも見て、暇を潰すさ」 大袈裟に肩を竦めて言ったヒューを見上げて、ミナミは内心溜め息を吐く。 迷惑な訳ではない。正直、知らない場所をひとりで歩け、と言われるのはいささか恐いので、ヒューの面倒見が良さそうなのは有り難いくらいだったし、レジーナ・イエイガーの件で幾つか調べたい事があるけれどクラバインには訊けないのだから、共通の知り合いであるらしい彼の存在は大いに助かる。 しかし、これにあの…恋人…が絡んでくると、話がややこしく…。 「ミナミさん………。と…ヒューは、何を?」 陛下の執務室から飛び込むようにして戻って来たクラバインが、俄に表情を硬くしてヒューを見つめる。それに気分を害した風もなく、ヒューは銀色の髪と同じように涼しい顔でクラバインに言い返した。 「新人秘書を放ったらかして走り回っている上司のかわりに、城内を案内しようかという相談をしていた。それに何か問題でも?」 「…………ないと言えばない。あると言えば…大ありです」 そうクソ真面目に答えたクラバインを訝しそうに見つめるヒューの横顔に微か苦笑いを向け、ミナミもそれに同意する。 「場所に寄るよな」 「はい。つまり…早速ですが、そこ、に行って頂かなくてはならなくなりました、ミナミさん…」 クラバインに目で促されたミナミがブースから出、立派な卓に着いた上司の前に立つと、なぜかヒューもミナミに並んだ。それに一瞬戸惑ったものの、あまり怪しい行動は取れないからか、クラバインが机上に数枚のディスクを広げ、肱掛椅子にゆったりと座って身体の前で手を組み合わせる。 「室長秘書の仕事として、王からの指示を収めたこのディスクを、警備軍一般警備部の連隊長、電脳魔導師隊の各小隊及び大隊長に直接届けて受け取り署名を貰って頂きます。その場合…」 そこまで言って、クラバインがちらりとヒューに視線を移動させた。 「…俺の事情、スレイサー衛視には一応…黙ってて都合の悪い事もあるだろうし、話しておきました。出来るだけ波風立てないようにすんのに、俺は…なんでもひとりで解決出来るなんて、思って…ないので」 ミナミの言葉に、クラバインが頷く。 こういう所、クラバインはミナミを好ましいと思った。自分がどれだけ不都合を抱えているのかミナミはきちんと判っていて、下手な強がりを言おうとはしない。だからと言って「出来ないものはしょうがない」という投げやりな態度ではなく、極力努力はするけれどそれでもダメな時は勘弁して欲しい、的な前向きさを持ち合わせているのも、ミナミが好ましいと思える要因だった。 「城内をくまなく、ではないにせよ、随分と移動して貰うようになります。ミナミさんにはこれが多分、一番大変な仕事になると思いますが」 「仕事だし。ある程度は判ってたから」 「……問題は、それを、判って貰う、事の方ではないかと」 「………………言うなよ、それ…。俺も正直、ちょっと不安」 最初にここへ怒鳴り込んで来るのは誰だろう。とミナミは思う。意外にもドレイクだったりしたら笑うが、それがない、と断言出来ない何かも…ある。 クラバインとミナミの小難しい顔の理由がさっぱり判らないヒューが、しきりに首を傾げながら言う。 「城内の歩き方さえ憶えれば、なんとかなるだろう? もしもそれで不安があるなら、暇な衛視を連れて行けばいい」 「でも、いちいちそれって、迷惑じゃねぇ?」 「……迷惑じゃないさ。きっと誰でも、喜んで着いて来てくれると思うがな、俺は」 意味ありげな含み笑いに、今度はミナミが首を傾げた。 「なんで?」 「例えばそれが上司でも部下でも、美人と肩を並べて歩くのは無条件に楽しいから」 「……爆弾だったら話は変わるでしょうけどね…」 「つうか、俺は爆弾じゃねぇって…」 にこにこするヒューから、憂鬱に嘆息したクラバインの顔へ視線を流し、ミナミがひきつった薄笑みで突っ込んだ。 「じゃぁ、起爆装置付きのリモコンですね」 「きっぱり言うなよ。笑うに笑えねぇんだから」 「……話が全く見えないんだが…」 だから何がどう大変なんだ? と言いたげなヒューの顔を、クラバインが見つめる。 「…………スレイサーは…」 退室しなさい。と言いかけた室長を、秘書の方が遮った。 「今までスレイサー衛視が秘書代行してたって事は、職務についての質問はスレイサー衛視にするのが筋だよな」 「まぁ、そうなりますね」 「じゃぁ、判った。今日はスレイサー衛視に城内を案内して貰いながら、仕事の内容を確認する。で? どこ行きゃいい?」 「一般警備部連隊統轄責任者アフミッド・ギオク警備本部長、第二十五連隊エンス・リヘル連隊長、第三十六連隊ギイル・キース連隊長。これが一般警備部で、電脳魔導師隊の方は…、グラン・ガン大隊長、第九小隊イムデ・ナイ・ゴッヘル小隊長、第六小隊ローエンス・エスト・ガン小隊長、それから…」 そこでクラバインは言葉を切り、ミナミは出来ればこの名前を聞きたくない、と…あの恋人と出逢って始めて思った。 「第七小隊、ハルヴァイト・ガリュー小隊長。です…」 「はぁ。最初の仕事としてはかなり厳しいな。一般警備部で絡まれそうなのはキース連隊長くらいだが、電脳魔導師隊の方は…とんでもない顔ぶれだ」 「……どう、とんでもねぇの?」 問われて、何も知らないヒューが腕を組み、難しい顔をする。 「ま、緋色のマントを見たら常識を捨てろ、って意味が、すぐ判る程度」 よくない噂は幾らでも知っていたが、ヒューはあえてそれを口に登らせなかった。流言蜚語めいたそれらに惑わされたミナミが、会う前から「電脳魔導師」に妙な偏見を抱いてしまうのはどうかと思う、というのがヒューなりの心遣いだったのだが、それで彼が九死に一生を得たとは、判っていないだろう。 「判った。今、何時?」 どことなく笑いたそうな顔でミナミがクラバインに問い、クラバインが反射的に「十一時少し前です」と答える。 すると…。 「…ミナミ…の方が堂々としてるのは、気のせいか?」 いきなりヒューが訊いて来た。 「気のせいだろ」 平然と答える、ミナミ。 「室長。各部署回覧後、そのまま休憩を頂きたいのですが、構いませんか?」 「…丁度昼食になるでしょうから、十三時までに戻って頂ければ」 「判りました。では、スレイサー衛視に案内と職務の指示をお願いします」 「じゃぁ、ディスクを収めるケースの取り扱いを…」 「うん。そっちの部屋行くから、先行って待っててくれねぇ?」 先に行け、とクラバインに手で追い払われて、ヒューが退室する。それを気配で読みつつディスクを収めるトランク状のケースをロッカーから引っ張り出し、ミナミは小声で呟いた。 「…なんかあったら、クラバインさんに連絡でいいの?」 「十三時以降であれば、陛下に直接でも構いません。昼は貴族院で会食ですが…陛下もミナミさんをご心配になられておいでで、十三時から一時間はミナミさんにも執務室に来て頂くように、と仰せつかっておりますので」 「陛下の遊び相手になれりゃいいけどな」 クラバインに余計な心配を掛けないように微笑んで言い、ミナミはトランクとディスクを持って室長室を出た。 ドアを閉め、出そうになる溜め息を飲み下す。 この制服を着てハルヴァイトに会ったら、本当にもう後戻りは出来ない。するつもりも最初からない。という決心が本当なのか嘘なのか、判らなかったが…。 トランク内部に並んでいる小型のケースにディスクを収め、それぞれ施錠して内蓋を閉め、また施錠。トランクのキーコードをミナミのIDに書き換えて外殻を閉じ、それはヒューに預ける。 それでミナミは受け取りのサインを貰うボードだけを小脇に持って、特務室を後にした。
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