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    7.ラプソディア    
       
(9)

  

 第九小隊始まって以来の珍事は、デリラが第七小隊の執務室を飛び出してから十分と置かずに起こった。

「悪ぃけど、ギイル連隊長はこっちで待っててくんねぇ? ヒューは…これから起こる事、口外しねぇ自信があんなら隊長室に入ってくれてもいんだけど、どうする?」

 スーシェがデリラに連絡して簡単に事情を説明する間に、ミナミはギイルに執務室で待つように言い、ヒューには意味ありげな確認を取った。

「軍規違反行為でないなら」

「それはねぇよ。まぁ、笑えるか驚くか、その程度」

「なら、面白そうだから同席させて貰おうか」

 それまでソファに座っていたヒューがゆったりと立ち上がり、小隊長室の前に佇むミナミの傍らに並ぶと、見送るギイルが二人を茶化してこんな事を言う。

「お似合だね、お二人さん。ところがミナミちゃん、そっちの色男にゃぁ気ぃつけた方がいいぜぇ。手の速さったら、エスト卿並かそれ以上だからな」

 にししし、と、さもイヤらしい笑いを漏らすギイルの横顔を、ヒューは今にも殴り掛からんばかりの目つきで睨み、ミナミはそのヒューをうっそりと見上げて、「ふうん」と素っ気無く受け答えた。

「……そう言やぁ、初対面で、手、握られそうになったっけな」

 ひとりごち、苦笑い。ヒューが聞き取れなかったミナミの呟きを確かめるように小首を傾げ、ミナミは顔の横でひらひらと手を振る。

「うん。こっちの話」

 執務室に取り残されたギイルは窮屈なソファに座ったまま、わざとのように盛大な溜め息を吐き、頭の後ろに手を組んで天井を見上げた。

「マジでなぁ、ヤべぇくれーかわいいのなんのって…。あれでもうちっとこう、華やかに笑ってくれたりなんか…、って、なんだ?」

 ぶつぶつと独り言を繰り返していたギイルの気を引いたのは、微かなざわめきだった。廊下の方が騒がしい、とギイルと同じ速さで気付いた待機の隊員がドアに顔を向けた刹那、小さなノックの音と共にそれが開かれる。

「第七小隊所属砲撃手デリラ・コルソン。即時実行命令につき、出頭しました。事務官のスーシェ・ゴッヘル卿は?」

「えーと、奥の小隊長室に…」

「では、失礼します」

 デリラは敬礼を解いて勝手につかつか室内に入りながらギイルに視線を流し細い目をますます細めたが、旧知の彼には挨拶しようともしない。元々、一般警備兵より電脳魔導師隊は階級が高いので、ギイルがデリラに敬礼するいわれはあってもされる理由なく、しかし、いつもならやる気ない笑みで軽く手を上げて来るはずのデリラに半分以上無視されて、ギイルが太い眉根を寄せる。

 が、その謎は、すぐに解けた。

 促すでもないデリラの後ろに付いて、特別大柄でもなければ恰幅がいい訳でもないのにやたら人目を引く、毅然と緋色のマントを翻す男たちが無言で入って来たのだ。

 咄嗟に室内にいた全員が起立し、敬礼。統制の取れた挙動に満足そうな頷きを返したのは、デリラの一歩後ろから姿を現した電脳魔導師隊大隊長グラン・ガン卿。白髪混じりの髪は整えられており、底光りするような緑の瞳に筋の通った鷲鼻、吊り上り気味の眉が威厳ある王者の風貌を造り上げている。

 その後ろから入って来たのは、意外にも? 第六小隊小隊長ローエンス・エスト・ガン卿だった。こちらは細面で、柔らかな印象の明るいブラウンの頭髪を品の良いウエーブで纏めている。いつも笑っているような印象の細い目は、細い鼻筋と薄い唇、尖った顎という、ともすれば冷たい感じを受ける顔の造作を、和やかなものに変えている。

 若い頃は電脳魔導師隊最強といわれ、今でもその実力に衰えはない、ふたり。

 しかし噂では、ガン系列でありながら同期入隊で実力拮抗という条件に洩れず、お互いがお互いを生涯最大の好敵手と言って憚らず、最高地位を収めた今も水面下では諍いが絶えない、と言われている。

……つまり、任務以外でこうして肩を並べている姿は、あまり見かけられないのだが…。

 轟然としたグランが行き過ぎると、ローエンスが敬礼を解くようにと軽く手を振ってにんまり笑う。掴み所のないひと、と噂の通り、ローエンスはなぜか非常に意味ありげな視線をギイルに向けたが、なぜ一般警備兵の彼がここにいるのか、とは誰にも問わなかった。

 規則正しい靴音を響かせて執務室を突っ切る三人を呆然と追う視線に見送られ、小隊長室のドアをノックし、応えも待たずに入室する、デリラ。脇へ退去し敬礼した彼の目前を掠めたグランは、ソファに座るヒューと…「問題の」ミナミに目礼し、しかし表情ひとつ崩さず、執務卓にしがみついて半泣きのイムデ・ナイ・ゴッヘル(少年)卿の前に立つと、微笑んで、幾分柔らかな口調でこう言った。

「今暫し執務室をお借りするが、ここで見聞きした事は内密に願いたい」

 空気を震わせるような低い声に、少年はしゃくりあげながら必至になって「はい」と答え、答えるなり、脇に控えていたスーシェに抱き着いた。

「ほら見ろ、だから貴様は笑っても顔が恐いからだめだと言ったろうに」

「顔が恐いのは私の責任ではない」

 やんわりと突っ込んだローエンスに凶悪な笑みを向けて言い返してから、グランがスーシェに目配せする。

「イムは仮眠室に行っていなさい。後で呼ぶから、それまで休んでいていいよ」

 肩を叩かれて、イムデ少年がひくひくいいながらそそくさと衝立てで区切られた一画に逃げ込む。それを苦笑いで見送って、ようやく、グランとローエンスは居住まいを正しソファに向き直った。

「電脳魔導師隊大隊長グラン・ガン、第六小隊小隊長ローエンス・エスト・ガン及び、第七小隊砲撃手デリラ・コルソン出頭いたしました」

 向けられた、見事に訓練された敬礼にミナミがちょっと苦笑いを漏らす。

(ぜってー面白がってんだろ…おっさんたち…)

 もう、どうしようもなく笑いたくて仕方がない、という目つきでミナミとヒューを見つめる、三人。一応ヒューの手前、最後まで職務は全うしなければならないだろう、と諦め、ミナミは立ち上がった。

「新任の、王下特務衛視団準長官ミナミ・アイリーです。命令文書の確認を」

 ミナミに目で促されて、腰を浮かせたまま呆然としていたヒューが、慌ててディスクを差し出す。何せ彼は、何度か…何度も…何十回もこのふたりに命令文書を届けた事があるのだが、敬礼された試しは一度もなかったのだ。

 緋色のマントに常識は通用しない。王城エリアにいる電脳魔導師三十二名の中でも十三人しか居ないこの魔導師たちは、王にさえも傅かないのだから。

 それが、いくら見た目綺麗だとはいえ初対面のミナミに敬礼して来るなど、まさか想像していなかった…。

 困惑しきりのヒューが見守る中、グランとローエンスは同時に解析陣を立ち上げ、その上にディスクを載せた。スーシェの時は数回転したそれがゆったりと一回転しながら陣に沈み中空でふわりと停止したのを、ミナミは無表情に見入っていた。

「命令内容を確認。衛視の方には、ごくろうだった」

 グランが倣岸に言い放ち、ヒューの持つトランクにディスクが勝手に戻って来る。

「………………」

「………。」

「………………で? そろそろいいスかね? ミナミさん」

 一呼吸の静寂。すぐ耐え切れなくなったのか、デリラがそう呟き、ヒューがじろりとデリラを睨んだ。

「……………? ミナミ…さん?」

 そのぞんざいな口調を言い咎めようとして、はたと気付く…。

「うん。笑ってよし」

 溜め息混じりに言い置いて、ミナミがソファにどさりと身体を投げ出した途端、それまで俯いていたスーシェ、必死に笑いを堪えていたデリラ、それから、ミナミを見つめて小刻みに全身を震わせていたグランとローエンスが、同時に腹を抱えて爆笑し始めたではないか。

「今回のは傑作だ。今まで幾度となく胆を冷やされたが、まさかここまでやるとは思っていなかったよ、ミナミくん」

 にこにこと(普段からそうなのだが)ミナミに笑いかけつつローエンスが言えば、

「もしかしたら笑い事では済まないかもしれないが、そこはどうにか…アレを上手く黙らせて貰えるのだろうな?」

 喉の奥で笑いながらグランも言う。

「今朝から魂抜け出たような顔してましてね、大将。ようやっと部屋から出て来て、ダンナとひめさんに愚痴ってましたよ、また驚かされた…って」

 くっくっく、と腕を組んだまま笑い続けるデリラの脇腹をスーシェが小突き、

「まだきみは自分の上司をそんな風に呼んでるのかい?」

 穏やかな笑みで伴侶の暴言を咎める。

「……これは一体、どういう事なんだ? ミナミ!」

 で、結局、さっぱり事態の飲み込めないヒューが、ミナミの隣りに腰を下ろして、悲鳴を上げた。

「だから、俺、クラバイン室長とは前から知り合いだったつったよな?」

「あぁ…」

「それに、室長の所に居るマーリィ・ジュダイス・レルトが絡んでて、そっち関係でガン卿とは顔見知りになった」

 ふむ。と頷いて目配せしてきたグランの表情に事情は通じているのだと確信して、ミナミは続ける。

「で、なんで俺がそのマーリィと知り合いかってぇとさ、つまり…その」

「?」

 急に口篭もったミナミを、全員がじっと見つめた。

「特務室でも話、出ただろ? 俺の恋人は、室長よりもっとずっと恐いひとだって」

 そのひとの名前。ここにいる誰も、ミナミがその「恋人」の名前を呼んだところを、聞いた事がない。

「………………まさか…」

 ソファに座ってミナミに顔を向けたまま、ヒューが、信じられない、とでも言うように呟く。

「そう、そのまさかだと思う…。俺がマーリィと知り合うきっかけは、アリス・ナヴィ。そのアリスと知り合うきっかけは、ドレイク・ミラキ卿…。となったら、俺がそのミラキ卿と知り合いになる理由は」

 多少弱ったような顔をしつつもミナミは、ヒューの今にも零れ落ちそうな青い目を見つめて、そっと囁いた。

「電脳魔導師隊第七小隊小隊長、ハルヴァイト・ガリュー。それが、俺の恋人の名前」

 それに、ヒュー以外の全員が思う。ミナミの囁いたその名前は、今まで出て来たどの名前よりも耳障りよく、穏やか。普段通りの無表情ながら、聞かれてしまうのさえ躊躇っているような密やかな声は、ミナミ・アイリーという少々強情な青年の暴挙も許せてしまうほどーーーーー。

 怒りも悲しみも微かにしか露にしないミナミの内情を、唯一現した甘い囁き。

 だから、ミナミはハルヴァイトの名前を呼ばないのだと、誰もが安堵の溜め息を吐く。

「…いいね、若い者は。なんだかんだと騒いでいるが、なかなかどうして、ガリューもそこそこ報われているじゃないか」

 それが役割でもあるように、いかにもな顔つきで言いながらローエンスがミナミに優しく微笑みかける。

「…内緒な」

 ふと恥ずかしげに俯いたミナミの横顔を、惚けたヒューが凝視した。

 溶けてしまいそうな微笑みがミナミの口元を飾っていたのだ。それは、短い時間ながら何度も見た様々な「笑み」のどれよりも綺麗で、儚く、柔らか。

 誰もがこころを奪われる、あのふわりとした笑み。

「つうか…ミナミさん、大将の名前、ちゃんと知ってたんスね…」

 場違いなほど感心したようなデリラの呟きに、ローエンスとグランがまたも笑い、ヒューもつられて苦笑いを零す。

「というかきみはどうして、そういう全くムードのない事を平気で言えるのかな!」

 それで結局デリラは、今日も、スーシェに怒られるハメになった…。

  

   
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