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    7.ラプソディア    
       
(10)

  

 デリラが出掛けてから、暫し。

 ミナミの一件は、後でドレイクが直接クラバインを問い詰める、という事で決着が付き、話はなぜか今朝までハルヴァイトの熱中していたオンライン・ゲームに移っていた。

「あ、それぼくもアカウント取りました。でも今一つ真剣になれなくて…」

「ジャケットをよ、目的なく造るからじゃねぇか?」

「最終的に攻撃系にするのか防御系にするのか、主力武器の形状だとか、そういうのを計算しながらやった方がいいそうですよ」

「ハル…おめー、そんなに細かく考えてんのに…」

「…昨日連敗したプレイヤーに延々二時間ほど解説されまして…。それを考慮してカスタマイズしたら、また負けましたが…」

「小隊長弱いんですかぁ!」

 アンの素っ頓狂な声にハルヴァイトは憮然とそっぽを向き、ドレイクが腹を抱えて笑い出す。

「弱ぇ弱ぇ。俺だって連勝出来るって。ハルにならな」

「…なんだか、非常に気に触るセリフのような気がするんですが? ドレイク」

「ん? そうか?」

 などとくだらない話で盛り上がっているソファの一団を呆れた顔で見つめつつ、アリスは自分のデスクでデータを整理していた。待機中でも様々な指示や情報は飛び込んで来る。それを的確に捌いておかなければ、いざという時に困るのだ。しかも、ハルヴァイトとドレイクと来たら、必要な時必要な情報が一秒か二秒で出て来ないとすぐに文句を言うような、ひどく短気な一面を揃って持ち合わせている。

 アリスでさえ時々嫌になるような、見事な兄弟っぷり…。

 それでも緊急ではないので、デスクに頬杖を突いて片手で端末を操作する、アリス。長い真っ赤な髪をゆったりと掻きあげて短く息を吐き、今日のランチは何にしようかな、などと、腕のクロノグラフに視線を走らせた刹那、モニターの片隅にデリラからの着信を示すコードが表示された。

「こちらナヴィ事務官。どうかした? デリ」

『すんません。今そっち帰んですけど、小隊長部屋戻らしといてくれませんかね』

「…構わないけど、なんで?」

『すぐ判りますって。んじゃ、頼みます』

 一方的に切れた通信を訝りつつも、アリスが顔を上げてハルヴァイトに声を掛ける。

「ハル。小隊長室で待機だって」

「誰か来るんですか? 部屋待機なんて珍しい」

「………デリが帰って来るわよ」

「いや、それじゃなくて」

 苦笑いしながら小隊長室に入って行くハルヴァイトの背中を見送り、アリスも「そうよねぇ」と意味不明の呟きを漏らす。それでドレイクとアンが顔を見合わせて小首を傾げ、一体何があったのか、とアリスを問いただそうとした刹那、ノックもなしにドアが開き、にやにや顔のデリラが…戻って来た。

「おかえり。…………って…。どうしたのよ…、この団体様は」

 デスクに着いたままアリスが呆れて呟き、ぞろぞろ入室して来た顔触れに、ドレイクもぽかんと口を開ける。

「やぁ、ミラキ。ごきげんよう」

「エスト卿…、帰る場所間違ってんじゃ?」

「邪魔してすまないな」

「…グランおじさままで…」

「っていうかですね、なんでここにギイル連隊長まで?」

「そりゃおれも訊きてぇくれぇだ」

「つうかよ、デリ…。おめー、私用で第九小隊に行ったんじゃねぇのか?」

「あーー。ちゃんとスゥの顔も見て来ましたよ。あっちのボクが手ぇ掛かんでこっちにゃ来られないのを、非常に残念がってました」

 言って、デリラが自分のデスクに着く。

「一体何がどうなっているのか、誰か説明しろよ…」

 と、いつもの調子で言うドレイクの質問を遮るように、なぜか、開けっぱなしのドアからヒュー・スレイサーが姿を現す。それに視線を流し、アリスとアン、デリラは小さく会釈、ギイルは立ち上がって敬礼したが、残りの…つまり緋色と濃紺のマントを授与された電脳魔導師どもは、涼しい顔でヒューを見つめるだけだった。

(……………。)

 だから実は、ヒューはこの…第七小隊が一番嫌いなのだ。

 ドアの前に立ったまま室内を見回す、冷め切った青い瞳。グランとローエンスは部外者のお客だと思っても、どうもこの第七小隊は…胡散臭い。

 ふたりの電脳魔導師は相手が衛視だろうが陛下だろうが、絶対に頭を垂れない。しかもいつでも傲岸不遜で、室長室に平然と怒鳴り込んで来る。更に、事務官はあの…陛下を振って「女の子の恋人」を選んだナヴィ家の末っ子で、今はクラバイン家の居候と来ている。

 おまけに……。

 余計な事まで思い出してしまったヒューが、細い眉を微かに寄せて短く吐いた溜め息を「特務室からの命令文書云々」という常套句の代わりにし、勝手につかつかと執務室に踏み込んで、唖然とするドレイクの背後を通り小隊長執務卓の向こう側に回った。

 で、いきなりどさりと肱掛椅子に座る。

「ほー。スレイサー衛視まで謎の行動たぁ、穏やかじゃねぇな」

 にやにやしながら呟いたドレイクが、ソファの座面に片膝を載せ背凭れに頬杖をついて、斜め後方に憮然と座っているヒューに視線だけを向けて来た。

「しかも、どう見たって好意的って顔つきじゃねぇ」

 浅黒い肌に輝くような白髪、まだ若いが、男臭い顔立ちを時に威厳に満ちて見せる、不思議な曇天の瞳。特務室で何度も会った。それ以外の場所でも。クラバインとは必要以上に親しげで、…………。

 電脳魔導師隊大隊長でさえ、時に神妙な顔でこの軽薄な男の言葉を真摯に聞き入っている、謎。

 衛視団には、ミラキ卿の行動については一切不問にせよ。という、得体の知れない命令があった。

 他の衛視同様ヒューにしても、ドレイク・ミラキの存在が気にならない訳ではない。しかし、陛下からの命令なのだ、逆らう事は出来ない。

「…仏頂面は生まれつきだ」

「へぇ。俺ぁてっきり、もっと笑顔の爽やかな色男だと…」

 で、今にも食ってかかりそうなドレイクの口調を、またも「失礼します」という……聞き覚えのある声が遮った。

 反射的にドアに顔を向け、まず、アリスが椅子を蹴倒して立ち上がり亜麻色の瞳を見開いてそのまま硬直。その間に、ぽかんと口を開けていたアン少年がのろのろと自分の両頬に掌を当て、ぴしゃん! と盛大に引っ叩いても尚、ぽかんと口を開けたまま。そして、ヒュー・スレイサーの意地悪そうな顔からドアに視線を向けたドレイクは、二呼吸ほど冷静にダークブルーの瞳を見つめてから、俯いて、力なく吹き出した。

 それから、ゆらりと立ち上がる。

「これは…どういう事だ?」

 殆ど独り言のように口の中で呟きながら顎を上げ、目に見える早さでゆっくり腕を組んだドレイクは、佇む衛視…ミナミ…と小隊長室の間に立ちはだかり、ミナミを睨んだ。

「見た通り。今ちゃんと説明するから、ちょっとだけ退いててくれねぇ? ミラキ卿」

「断る。…俺が納得するようにちゃんと話してから行け、ミナミ。お前…何考えてんだ!」

 ハルヴァイトに聞こえないよう声を潜めているものの、ドレイクはかなり怒った口調でミナミに言い放ち、なぜか、睨み合うふたりを黙って見ているギャラリーの方が、一瞬全身を竦ませた。

「だから、ちゃんと説明するって」

「じゃぁ、今すぐ話せ」

「嫌だ」

 呟くように言って、ミナミは一度瞼を閉じた。

「俺が俺の事を話すのは、ミラキ卿が先じゃねぇ。あのひとが…俺のする事を許してくれてからだ」

 刹那で迷いなく持ち上がった、長い睫。それに彩られているのはいつでもどこか胡乱なダークブルーの瞳、のはずだったのに。

 ミナミは、炯々と底光りする観察者の双眸でドレイクを睨んだのだ。

 それに虚を衝かれて呆然とするドレイクの肩先を躱したミナミは真っ直ぐに進み、一度小隊長室の前で足を止める。背を向けているから誰も気付かなかったが、その時ミナミは、緊張で微かに震える唇をぎゅっと噛み締めていた。

 何も恐くない。嘘。この向こうにいるひとがどんな顔をするのかと思うと、不安で足が竦みそうになる。

 それでもミナミは、そのドアをノックした。

「………王下特務衛視団準長官ミナミ・アイリー…入室します」

  

   
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