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    7.ラプソディア    
       
(12)

  

 事は、突然中空、小隊長執務卓に着いたヒュー・スレイサー衛視の目前に、直径二十センチほどの小さな電脳陣が出現したのに始まった。

「…? 解析陣と転送陣の複合だな。こんな器用なマネすんなぁ、俺でなかったらハル……」

 ソファの背凭れ越しにそれを観察しながら、ドレイクが呟く。

 ヒューは、電脳陣、というのをその時始めて近くで目にした。かなり遠くからなら何度も見たのだが、こんな近くで見る機会など、普通はない。

 中心に奇妙な象形文字が放射状に並び、それを細いラインが囲んでいる。ラインの外には幾何学模様。それからまたライン。そして、ミミズののたくったような委細な文字? 数値? そういうものがびっしりと書き込まれ、一番外側の太いラインには内側に向いたバーコードのような記号? が生えていた。

 三重構造。「ふーん」と妙に感心しながらじっと青い双眸でそれを観察する、ヒュー。そしてこの陣を遠隔操作しているのがミナミの恋人、ハルヴァイト…。

「で? これは一体何をするものなんだ?」

 間抜けな質問だな。と思いつつも、ヒューは問う視線をドレイクに向けた。

「文書ディスクを読み込んで、終わったらそこに転送して来るモンだ。多分今、入り口はハルの前に出てんだろうな。転送陣てのは二つで一組なんだよ」

 先刻から無言で周囲を見回すギイルとヒュー以外は、つまり日常的にこういう物を見ているし、自分で造り上げる事さえ出来る電脳魔導師隊のエリートと、そのおまけ(…)揃い。という事を考慮すると、今日のドレイクは親切さ二百パーセントだろう。

「にしても…随分複雑じゃないか? ミラキ」

 ドレイクの正面に座っていたグランが落とし込んだ声で言った直後、ヒュン、と空気を切り裂くような音とともに、電脳陣が回転し始めた。

 三重構造の陣が、それぞれ中心から右回り、左回り、また右回り。細かい光の粒子をぱらぱらと蒔きながら、残像で総てが薄緑色の平面に見える勢いで回転する。

「…………諸君…。執務室内の機械システムに防電した方がよさそうだぞ…」

 それを柔らかな緑色の瞳で見つめていたローエンスが、いやーな感じのにやにや笑いで呟いた刹那、回転する陣から黒い…何やら得体の知れない塊が押し出されるように出現し、ごとり、と…ヒューの手元に落ちた。

 途端、無音のまま電脳陣がいきなり拡散して消える。

 それはまるで、回転速度に耐えられなくなり慣性で散ってしまったかのような、そんな崩壊の仕方だった。

「…………これは、なんだ?」

 顔の前で飛び散った陣に驚いて思わず身を引いたヒューが、ふと、自分の手元に視線を落し首を傾げると、身を乗り出してヒューと同じ物を凝視していたドレイクが、はぁ、と溜め息みたいに言いながら、引きつった笑いを口元に貼り付けた。

「命令文書ディスク。決定的に形状変わってるけどな」

「ディスクがこんなにコンパクトだったとは、知らなかったよ…」

 唖然と呟いたヒューが、それに手を伸ばす。

「どう見ても、ばか力で捻り潰したように見えるんだかな」

 ディスクは。四角いケースに収められていたはずのそれは。まるで紙のように左右からぐしゃりと細長く纏められ、ついでに捩じれていた。

「というか、なんでこうなる!」

 思わず、ヒューは叫んだ。

「機嫌悪ぃんスね」あっさりと、デリラ。

「手加減してないというか」溜め息交じりに、アン少年。

「そういうトコに気が回らないんじゃないの?」何の感慨もなく、アリス。

「ヤバくねぇか? マジでよ…」ぶつぶつと、ドレイク。

「ミナミ君は大丈夫だろうがね」平穏に、ローエンス。

「こちらが大丈夫でない可能性はある」苦笑いで、グラン。

「で? つまり何が起ころうてーの?」

 腕組みしたままのギイルが、顔を見合わせる電脳魔導師連中を見回した刹那、その、グラン、ローエンス、ドレイク、アン少年が、傍から見ても驚いてしまうほど大袈裟に、ぎくぅ! と全身を震わせた。

 同時に、ヒューがはっと小隊長室に顔を向け、腰を浮かせる。

「うっわー…。これってマジヤベーっての。防電どこの騒ぎじゃねぇぞ、おい」

「ダミーだ、ローエンス…。なんでもいいから何か蒔け」

「この状況でわたしに電脳陣を張れというのかな? 貴様は。貴様…わたしが嫌いだろう」

「しししししし………うわぁっ!」

 ぴーっ! と泣き出したアン少年を抱きかかえて、デリラがドレイクの側まで避難して来た。

「……………何だ? この…なんというか……」

 電脳魔導師ほどでないにせよ、ヒューも…全身の毛穴という毛穴から染み込んでくる不快さに当てられて、背中に冷たい汗を掻いていた。その感覚をなんと説明していいのか、無理矢理全身の触覚を表皮に集められて、曝け出されて、ゆっくりとやすりで擦りあげられているような…。

 痛いのか、気持ち悪いのか、とにかく「不安」な感覚。

「キレてんな、完全に。接続不良起こす直前だ。しかも…「解放」に入ってるなんてぇ、久しぶりじゃねぇか?」

 ひりつく喉で呟いたドレイクの額に、脂汗が滲む。

「解放か。それは厄介だな。ミナミ君ひとりで大丈夫なのか? ミラキ」

「ミナミでどうしようもなけりゃぁ、俺たちだってどうしようもねぇ」

 吐き捨てたドレイクは、見ている。

 漏れ出して乱舞する文字列。

 電脳魔導師、と名の付く特異体質者は、見ている。

 崩壊していく現実面と、侵蝕して来る臨界面。

 暴走する……………感情の。

「…解放とは、なんだ?」

 自分でも笑えてしまうほど震えた声で問い掛け、ヒューは眼球だけを青ざめたドレイクに向けた。

「ハルヴァイトが、臨界に干渉するのをやめる事だよ。アカウント拒否。すっとな、制御から解かれたあいつの占有面が、勝手に動き出す。つまり…暴走状態だ」

「それは!」

「悪魔が来るぜ。かわいいハルをいじめられてお怒りの、あの…悪魔がよ」

 接続不良では留まらない。

「スレイサー衛視に、ひとつ頼みがある」

ドレイクは口の端を持ち上げて、皮肉に笑った。

「あんたなら動けるはずだ。ちょっとあっち行ってよ、ハルぶん殴って貰えねぇか?」

 強制切断を実行。ただの、力技とも言うが…。

「気ぃ失うまできっちりやってくれると、助かるんだがな」

 それに無理矢理頷いたヒューが腰を上げた刹那、いきなり、室内を圧迫していた緊張が霧散した。

「と?!」

「え?」

「…」

「は…」

 それまで全身をがんじがらめにしていた糸がぷっつり切れてしまったかのように、ドレイクたちが背凭れに沈む。ちなみに、アン少年は抱えられていたデリラの腕の中で、ぐったりと伸びた。

「緊急回避に成功。という感じかな?」

 はぁ。と乱れたブラウンの髪を撫で付け、喉の奥で失笑するローエンス。その言葉を受けたドレイクは短い白髪を掻き毟り、アン少年は「今から休暇申請しても良いですか! 大隊長」と悲鳴を上げ、グランは…さすがと言うべきか、多少疲れた顔つきながら、「だめに決まってるだろう、ルー」と、平素と変わらず超然と言い放った。

「つうか! てめー俺らの迷惑考えろっ!」

「「「誰が!」」」

「………あう」

 ソファから立ち上がって小隊長室に指を突きつけ叫んだドレイクに、アリスとグランとローエンスがすかさず突っ込み、ドレイクがすごすごと椅子に座り直す。

 責任は、恐れ多くも陛下にある。と判っていてもここでは言えない。

 何があって、どうなって、それで結局何もなかったのかさっぱり理解出来ないヒューと、それ以上に何も判らないギイルが目を白黒させる中、アリスがなぜか異様なまでに朗らかに微笑んで、そうだ! と弾けた声をあげた。

「ランチ頼まなくちゃ」

「それかい!」

「うるさいわよ、ドレイクのばか! いちいちこんな些細な事気にしてたら、第七小隊でなんてやってけないでしょう!」

 いやいや、尤も。いや? 尤もなのか?

「…些細なのか? これは…。今、なんだかとてつもなく恐ろしい単語、…悪魔が暴走するとかなんとか聴いた気がするんだが」

 それでも果敢に言い募ったヒューを、アリスが亜麻色の瞳で睨んだ。

「スレイサー衛視! 男のくせに細かい事言わないでください!」

 さすが…恐いもの知らずの第七小隊…。普通、衛視にこの物言いはない。

 ヒューはなぜか、無駄にそんな事を感心していた。

  

   
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