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    7.ラプソディア    
       
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 無性に疲れた…。というのが、今回の登城の感想だった。

 時間はとうに十八時を過ぎている。いつもなら下城時間に慌てて帰るハルヴァイトだが、不覚にもミナミのシフトを聞き忘れたままだったので、今まで通り彼が迎えに来ているのか、それともまだ城に居るのか判らなかったから、なんとなく、執務室から出るのも面倒、といった風か?

 特務室に連絡すれば、すぐに教えてくれるだろう。とも思う。クラバインなら確実に知っているだろうし、最悪…気は進まないがヒュー・スレイサーでも居ればいい。

「ーーー。………」

 穏やかな笑顔を作り、誰かに何かを訊ねる。

「……………」

 面倒過ぎ。

 それならクラバインよりもヒューの方が楽そうに思えて、ハルヴァイトは思わず笑ってしまった。面倒そうな仏頂面で必要な事だけを言えばいいヒューが有り難い、などと考えた自分に失笑?

 毎日ランチの時間になると、ミナミは人工庭園に散りばめられたオープン・カフェの決まった区画にやって来る。結局、ヒューが勤務に当っていれば必ず一緒に顔を出すし、そうでない日はグランが本丸から送って来てくれた。ミナミはそれを多少「申し訳ない」と言ったが、ハルヴァイトは「送り届けたらさっさと帰れ」と思っただけで、殊勝な気持ちなどこれっぽっちも抱かなかった。

 当たり前だ。ハルヴァイトに何の相談もなく勝手にミナミを特務室になど置いて、ヒュー・スレイサーなどというひとりで居ても奇妙に目立つスカした二枚目(と…ハルヴァイトが思ったのではないが)と並べてよこすような無神経な連中に遣う気など、ハルヴァイトが持ち合わせている訳もない。

 正直。

 これでミナミに重大な何かが起こったら、城の尖塔を一本ずつへし折ってやるからみとけよ、お前ら。と、言いたい。

 執務室のソファにだらしなく引っかかったまま、ハルヴァイトはぼんやり天井を見上げていた。

「…精神状態があまり良くないな…。帰ろう」

 少々色々あって、接続不良も起こしかけて、でもなんとか回避して…。その上で「ディアボロ」を動かした反動でも来ているのか、妙に気が立っているようで、ハルヴァイトは溜め息を吐きながら立ち上がった。

 家に戻れば、ミナミはいつか帰ってくる。

 それで…良しとしよう。

「それにしても…」

「あ? っておめー、まだ居たのか!」

「? あぁ…。ドレイク、今日は帰らないんですか?」

 どこに行っていたのか、マントを肩に担いで戻って来たドレイクが、ドアを開け放したまますぐ横の壁に寄りかかってにやにやしつつ、「帰りますよ」と意味ありげなセリフを吐く。

「アイリー次長は十七時三十分で勤務終了だってっさ。今までと事情が違うんだから三十分以上は死んでも待たねぇ、って言い残して帰ったらしいぞ」

「…。そういう事を…、どうしてわたしに直接言ってくれないんでしょう?! ミナミは!」

 ハルヴァイトはそう叫ぶなり、ソファの背凭れに引っかけていた緋色のマントをひっつかんで、執務室を飛び出した。

「…そりゃおめー…、それが言えんなら、とっくにおめーの名前呼んでんだろ、ミナミは」

 壁に寄りかかってにやにや笑いを漏らしつつ、ドレイクは腕を顔の前まで持ち上げて、クロノグラフを眺めた。

「現在十八時二十七分。こっから通用門まで全力疾走で五分はかかりますけど? 小隊長。さて、小隊長の恋人は、ほんとに三十分きっかりで帰っちまうのかねぇ」

 言って、ドレイクは天井に短い笑いを吐き付けた。

             

           

 帰ろうと思った。

 通用門から出て通り過ぎて行く兵士たちの中、街灯の支柱にやる気なく寄りかかっているミナミに小さく会釈する数名に目礼を返し、何度目かの溜め息を吐いてから、青年は肩で鉄の柱を突き放した。

 腕のクロノグラフに視線を落とし、丁度、時間が十八時三十分になったのを確認して歩き出そうとする。

「と? なんでぇ、ミナミちゃんじゃないの」

「…………キース連隊長…」

 後ろから声を掛けられてうっそり肩越しに振り返ったミナミは、微かに目を細めた。

「つか、ガラ悪ぃ…」

 唐突にそう言われて自分の身体を見下ろしたギイルが、豪快に「はははは!」と笑う。今日は非番なのか、それとも一度自宅に帰ってから出て来たのか、ギイルは私服姿だった。二メートル近い巨体を派手なシャツと黒いパンツに包み、短い髪は相変わらずあちこち跳ね回っている。

「おれのガラ悪くてもさぁ、警備軍の評判は落ちゃしないから安心しな」

 それもそうだ。とミナミ納得。

「でー? ミナミちゃんは今からお帰り?」

「…まぁ、そんなトコ」

「特務室ってなぁ、通常警備兵とおんなじに下城出来るモンなのね」

 ふーん。となぜか周囲を見回しながらがしがし頭を掻く、ギイル。

「俺、日勤だから。元々、十八時より前に下城さしてくれる、ってのが、特務室に入る時の条件だったし」

「? なんで十八時?」

 人懐こい笑いで小首を傾げたギイルに、ミナミは無表情ながら答えた。

「…………あのひと。下城が十八時だから…」

 いや。別にそんな細かい事は言わなくてもよかったのだろうが。

「あのひと? …………って、あぁ。ガリューか?」

 ゆうにミナミの三倍はありそうな腕を組んで身を屈めたギイルが、青年の顔を覗き込みにやにやと笑う。

「そこまで「お迎え」にこだわる理由って、なんなのよ。ミナミちゃん」

「…………………それは…」

 珍しく、ミナミは困ったように眉を寄せて、ギイルから顔を背けた。

「…だから……俺は…………」

 それだけが、ミナミの中で唯一ハルヴァイトにしてやれる事だった。裏切りも、お終いも自分で招いた。招いている。だからせめて側にいる間は、週に一回、ハルヴァイトのためにここで彼を待つのだけは、辞めたくなかった。

 待つ。少し、不安になる。もしかしたらこのまま一生待ち続けるのではないかと思う。でも、ハルヴァイトは必ずやって来る。

 真っ直ぐに。

 脇目も振らず。

 ミナミの、元へ。

「おれにゃぁそういう顔して見せられんのに、どーしてガリューには意地ばっか張んだろね、このコは」

 呆れたように言って喉の奥に笑いを押し込めるギイルをきょとんと見上げ、ミナミは首を傾げた。

「…そういうって…どういう?」

「ん?」

 本気で判っていないのか、ミナミがしきりに首を捻る。それが余りにも可笑しかったのだろう、ついにギイルは吹き出して、自分の額にぴしゃんと掌を叩きつけた。

「んーー、そうね。恥ずかしいつんでもないし、戸惑ってるつんでもないけど…。強いて言ったらさ、「判られたら世界の終わり」みたいな感じか」

「……………………」

「判った?」

「…………判んねぇ…」

 再度腕を組み直したギイルが、今度はどこか優しげな顔で微笑んだ。

「おれが最初にガリューを見たのって、あいつがスラムの年少者矯正施設から警備軍に連行されて来た時なんだけど。…というか、その連行してきた警備兵のうちひとりがおれだったんだけどね」

 なんでいきなり昔話? と思ったが、ミナミは無言で頷いて見せた。

「はっきり言ってさー。おれぁ泣いたね」

「? なんで?」

「…十三か十四だったと思うのよ、ガリューは。どうも無認可の「突然変異」らしいって連絡受けて、エスト卿に連れられて行った施設でさ、狭い部屋の真ん中にぼーっと突っ立てるガリューが居て、それからおれたちに顔を向けたその子供がだよ、生きてんだか死んでんだか判んねぇような顔してさー……………」

 ギイルの唇から、深すぎる溜め息が滑り出す。

「言うのよ。死刑になる方法を教えろってさ」

「………………」

「もっと、世界中敵、みたいな顔してくれれば、殴りつけて「そうじゃねぇ!」って教える事も出来たんだろうけど、そういうレベルなんかとっくに突破しちまって、何がどうなのか判らねぇんだけど世の中全部憎み切ってもう疲れた、って顔してたよ」

            

「殺してやりたいのは…ひとりだけ…」

          

「結局、絶望さえしてなかったのよ、ガリューは。絶望する前の「何か」さえないんだからさ、当たり前だ」

「……………………。……それは…」

「で、さっきの質問に戻るけどね、ミナミちゃん。今、何考えた?」

「……俺に…………………」

 淡く色付いた薄い唇が微かに震える。

 それを目に、ギイルはゆっくり腕を解き、ゆっくり、頷いた。

「それだよ、それ。ミナミちゃんはさ、なんかこー、理由があって「それ」をガリューにゃ知られたくないんだろうけど、おれぁね、ドレイクほど極端でないにしろちょっとはお節介だから言うけどさ、貰ったモン貰いっぱなしでいいつう理論は、あいつに適用出来ねぇんじゃねぇのかな」

 でも、「それ」は…。

「言っとけよ。でないと、ミナミちゃんの中で腐るぜ」

 じゃね。と気軽に手を挙げたギイルが、意味ありげな笑いを口元に貼り付けたまま、ミナミの肩先を躱わして雑踏に紛れ込んで行く。その大きな背中を見送るでもなく見送り、流れる風景に取り残されて、ミナミは途方に暮れた。

 腐る。

 腐敗する。

 朽ち果てる。

 正体も意味も理由もなくなり。

 ただの塵になって。

 塵になって。

 消えないまま残る。

…………………きっと。

「でも…、俺は言わねぇよ。俺の中で腐っても、それは…決定的にあのひと傷付けたりしねぇんだろう? だったら…俺は……………それでいいよ」

 ミナミには、ミナミの選んだ結果に後悔してやる事しか残されないはずだから。

            

 言わない。本当の事。ハルヴァイトがどんな風に暮らし、何を考え、そんな深すぎる虚無を抱えて、ようやく今の穏やかさを手に入れたのか、聞きたくない。

 俺に、救えるか。と、言わない。言っていい訳がない。

 だから。

 好きだと言わない。本当にただ側に居るだけでいいのにと言わない。俺でいいのかと問わない。どうしようもなく好きだと判ったけれど。どうしようもなく側に居たいのだと知ったけれど。どうしようもなく………。

 何も、言わない。

         

 ミナミはふと消えそうな溜め息を吐き、中空に投げていた視線を足下に落とした。

「……帰ろ…」

 待っていい時間は十八時三十分まで。それ以上は待たない、と言ったのだから、早く帰ろう。とミナミがちょっとだけ複雑な溜め息を吐く。

 スタイル、又はスタンスか。今までそうだったのだから、今からもそうでなければならないミナミのスタイル。ハルヴァイトに対するスタンス。

 極端に間違ったベクトルの、矛盾。

 それしかしてやれないから、待ちたい。

 それしか出来ないから、待てない。

「なんなんだろ、俺…」

 決定的に、判ってしまった。お終いを知って。

 もう一度短い溜め息を吐き、ミナミは顔を上げた。

         

 帰ろう。と思った。

 その時、通りを渡って来る緋色のマントを、見なかったら。

         

 行き交うフローターの途切れた一瞬、通用門の警護に当たる警備兵がひどく硬い表情で会釈し、答えは、軽く手を挙げるだけ。手を挙げて、緋色のマントと長上着の裾をはためかせたそのひとは、一直線に、佇むミナミに向かって歩いてくる。

「……………ヤんなるくれぇタイミングのいいひとだよな…」

 呟いて、ミナミは微かに笑みを…本当に微かな笑みを口元に登らせた。

 緋色のマントを纏ったハルヴァイトが歩道に辿り着く。それをじっと、あの観察者の瞳で見つめているミナミの目前まで歩調を弛める事無く近付いて、ふいっと軽く身を屈め、今日は通り過ぎないくちづけを薄い唇に落とす。

 寄り添って、しかし唇以外に触れる事もなくふたりの佇む歩道。無関心に行き過ぎる人の流れ、車道の喧噪。それらと瞬きずれた刹那に取り残された恋人たちは、間近で視線を合わせ、素っ気なく、穏やかに、囁きを交わした。

「来ないのかと思った」

「まさか。わたしはあなたを、ひとりにしないと…約束しましたから」

         

 そう言ったハルヴァイトの微笑みは、ミナミを苦しめ、安堵させた。

         

2002/09/02(2003/03/04) sampo

  

   
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