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    8.noise    
       
(4)

  

 それから数十分で、特務室内に急遽設置された「特設ノイズ対策部」には、ヒューとミナミ、殆どの魔導師を「防電室」に避難させて自分だけが残ったグラン、一般警備部から四つの連隊長が選出されて顔を揃えていた。

 その間も次々報告されて来る魔導師の安否確認やその他の情報を捌くために、本丸の広間には十数台の端末が並べられ、手の空いている電脳魔導師隊隊員が招集されてひっきりなしに誰かが部屋を出入りする、という慌ただしさの中、クラバインからの指示で休暇を返上し飛び込んで来たアリスと、スーシェが倒れたという通達を受けて登城し、詳細の説明を受けて自ら対策部に協力を申し出て来たデリラを見つけ、ミナミが小さく手を挙げる。

「ダンナは?」

「…自宅の防電室に避難させたってリインさんが連絡して来た」

「ミナミ、ハルは?」

「今こっち向かってる。アンくんは平気? さっきまで所在不明って…」

「ボウヤ、官舎住んでるんスけどね、管理人に部屋見て貰ったら、中で倒れてたそうで。今さっき無事運び込まれたましたよ」

「…判った。アリスは…あのひとが来たらサポート? 頼みてぇってガン卿が。デリさんは、ちょっと俺と一緒に来て貰うようになると思うから、休暇返上して制服着て待っててくんねぇ?」

「? どっか行くんですかね、ミナミさん」

「うん。「クラッカー」討伐…だってさ」

 着いてくるデリラとアリスに言いつつ、ミナミが歩みを緩めずに奥の衝立てに向かって進む。その向こう側ではやっと到着したクラバイン、ヒューやグランたちが、特務室の権限を一時凍結して戻って来るミナミを待っているのだ。

「完璧に王城機能麻痺つうの? これ。俺にはさっぱり何が危機なのか判らねぇんだけど」

「noise」についての簡単な説明はグランに受けたものの、それ以上は質問する暇さえない。それでもミナミは静謐に、ファイランという浮遊都市を運行する中枢を観察し、支度された、思い付く限りの、しなければならない事を必死になってこなしている。

…相変わらずの無表情で、彼の内情は窺い知れないのだが。

「ミナミ・アイリー戻りました。特務室権限の一時凍結を終了。衛視二名を残し、全ての特務室構成員及び王下近衛兵団衛視を対策本部の指揮下に置く旨を通達。全衛視に承諾返信を受けています」

「ごくろうさまでした、ミナミさん。ガリュー小隊長がこちらに到着し次第、会議を開始します」

 クラバインに会釈し無言で座席に着いたミナミの左隣りに、ヒュー。その隣りにグランで、ミナミの右隣りはクラバイン、ひとつ空席、それから、四人の一般警備部連隊長が顔を揃えていた。

 適当に雑談する連隊長たちの中、先刻までいた第二十二連隊長に代ってギイルの姿を見つけ、ミナミが微かに手を挙げる。と、それに答えてひらひらと手を振ったギイルはしかし、またすぐ傍らの男に視線を戻してしまう。

 そう大きくない円卓を囲んでいるのだ、会話の内容は筒抜けだし、しかもギイルは、かなりトーンを落しているもののわざとのように大きな声で話していた。

「スラム地区だけでなくてさ、なんで王城エリア全域に外出禁止勧告しないのかっておれは言ってる訳よ」

「キース君。そう大袈裟にも出来ないだろう? こちらとしても…ねぇ。確かに「noise」現象は電脳魔導師の方にとっては一大事かもしれないが…」

「……てめーらはあほか? ここで変な意地張って、何の得になると思ってんだ? 今現在ファイランに、まともに動ける魔導師が何人いる? そいつだってあと何時間かで動けなくなり兼ねねぇのよ?! そんな時に、万が一でも重大事件だとか暴動だとか起こってみろよ! えぇ! たかが人数が多いだけの「おれたち」に、何が収められるってぇの!」

「…悪ぃけど、ちょっと訊いていい? キース連隊長」

 何やら興奮気味でだんだんと声のボリュームが上がって行くギイルの熱を冷ますように、ミナミは静かに問い掛けた。

「どうぞ、アイリー次長」

 まってました、と言わんばかりの勢いでミナミに顔を向け、ギイルがにんまりと笑う。

「つまり、何の話」

「つまりだね」

 キース君! とギイルの袖を引いた隣りの男、第六連隊隊長の腕を振り払ったギイルが、腕を組んで椅子にふんぞり返る。

「「noise」だって通報があってすぐね、一般警備部も非常事態を想定して警備、巡回を強化、それと、つまりその発生源である「クラッカー」を拘束するために、スラム地区に対して外出禁止発令措置を取ってる訳なんだが…、おれぁよ、ドレイクが自宅で倒れた時間とエスト第六小隊長が城で倒れた時間差ってのがどうにも気になって、クラッカー自体が、城に向かって移動してんじゃねぇかと思った訳さ」

「……………どうなんだよ、ガン卿…。それって」

 話を振られたグランが、先程より青い顔で俯いたまま「なかなかいい読みじゃないか」と…溜め息みたいに言った。それを受けてミナミが視線をギイルに戻すと、ギイルが頷いて続ける。

「だったら、外出禁止措置の範囲を一般居住区にまで広げた方がいいんじゃねぇのかつってんのにだよ、普段偉そうな魔導師連中が大人しくていい気味だってよ、うちのお偉いさんどもが首を縦に振らねぇんだって」

 外出出来ないとなれば、発生源であるクラッカーは移動しないし、もし移動しても、余計な都民は移動していないのだから、探し易いだろう。と、ミナミも思う。

「誰もそんな事は言っていないだろう、キース!」

 バン! とテーブルを叩いて立ち上がった第六連隊長の悲鳴に微か眉を寄せたミナミが、静かに呟く。

「そう思ってないとしても、あなたには気遣いそのものが足りてないようだ」

 ぎょっとしてミナミを振り向いた男を見つめる、観察者の…双眸。

 暗い…青の。

「キース連隊長とあなたでは、そこから違う。キース連隊長も確かに多少大きな声を上げたが、極力こちらに顔を向けず、精一杯トーンを落して話していた筈だ。でもあなたは、少しもそんな事に気も回さず、テーブルを叩くという真似までした。判りますか? 俺の言いたい事」

 ミナミの傍らにいたヒューはそこで、思わず笑いそうになった。

(珍しい。随分お怒りのようだな、アイリー次長は)

「ここにも、その「noise」の影響を受けているひとが居るんですよ?」

 甲高い音は、耳障りなのだ。人間にとって。

 つまり、頭に響く。

 黙り込んだ男が、今日は緋色のマントも羽織らず椅子に座っているグランに視線を馳せると、当のグランは腫れぼったい瞼を掌で押え、口元に薄い苦笑いを零していた。

「アイリー次長やらキース連隊長やらに親切にされるなどというのは、なかなか新鮮な気持ちだな」

 防電室にいれば、まだマシなのだそうだ。内部の電波も外部に漏れ出さないが、逆に外部の電波も内部に影響しない。だから殆どの魔導師がそこに「避難」し「noise」から身を護っているというのに、グランは…そして今からここに出向こうというハルヴァイトは、脳内で道路工事をしているような頭痛に耐えながら、何をしようと言うのか?

(…………どいつもこいつも、いい加減にしろ…。それには確実、あのひとも…入ってそうな気が…)

 ミナミは内心嘆息しつつ、うっそりと衝立ての方へ顔を向けた。

 なんとなく、ではない。うなじ、頬、手首…。晒している肌という肌に、一瞬、ぴりっとした緊張が纏いついたのだ。

(ホントに大丈夫なのかよ、放電にも失敗してんじゃねぇか…)

「お待たせしました」

 衝立ての向こうから現われたハルヴァイトは、制服を着ていなかった。本当に電信を受けてそのまま家を出て来たのだろう、その割りに時間が掛かったのが気になるが、いや、それより前に、この格好で本丸に来る神経をまず褒め称えるべきか…。

「……ミナミ…」

「部屋着。まさかナイトウェアじゃねぇだけ、褒めてやれ…」

「? 何か? スレイサー衛視」

 つかつかと円卓に歩み寄ってくるハルヴァイトを唖然と見つめたまま、ヒューがぽそりとミナミに問い掛け、ミナミがげんなりと答える。それをかなり機嫌の悪い微笑みでさり気なく威圧しつつ、ハルヴァイトは裸足につっかけた底の薄い靴をぺたぺた鳴らしながら移動して来て、平然とクラバインの隣りに腰を下ろした。

「それに、スリッパでねぇのもな…」

 ハルヴァイトは、いつも結んでいる髪を下したままだった。痩せた長身を、首回りの大きく開いた薄い灰色のプルオーバーとかなり幅広の黒いスラックスで固め、それに…なぜか、かなり明るい水色と青とクリーム色を配した長方形(らしい)ストールを、首から肩に掛けて巻き付け、そのお終いをはためかせている。

…似合わない、とは言わない。というか、意外にもこのストールがかわいらしい。というか、そんなものハルヴァイトが持っているのか? という疑いの眼差しに、ミナミは諦めて、溜め息交じりに言った。

「…そんな、慌ててたのか、アンタは…」

「ミナミとの電信を切った途端に、リインからドレイクの様子を知らせる電信が来まして。それでちょっと手間取ったものですから」

「だから、着替えるよりそっちの方が早かったのか。納得していいとは思わねぇけど、理解は出来た」

 ミナミとふたりだけで家にいる時、ハルヴァイトは…あの刻印を隠そうとしなくなった。

 全身の。十三行の。桁外れに多い。青緑色の刻印。

 この部屋着では、鎖骨の下に走る一行と頚椎の下の一行が、見えてしまう。

「だからってアンタ、リビングに俺が昨日置きっ放しにしたストールってのは、ナシだろ、ナシ…」

 実はミナミのらしい柔らかな配色のストールは、晒されている刻印を隠すためのものだったのだ。

「なんだ、ミナミちゃんの持ち物か。だったらいいや…」

「いや、良くねぇだろ。この切羽詰まった状況でそんなもん気にしてるみんながさ…」

 本当にやる気あんのか? おい。とミナミは、唖然とする周囲を見回して苦笑いした。

  

   
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