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    8.noise    
       
(3)

  

 接続中。とだけ表示され、一行に開通しない電信に苛立つ。

 二階で寝ているのか? とも思うが、今朝ミナミが家を出て来る時にはキッチンにいたハルヴァイトが、わざわざ二階に戻って寝るような真似をする訳がない。必要な物を取りに行くのさえ面倒がって、日がな一日リビングのソファに寝転んでいても、だ。

 では? グランの言う通りもう意識がない?

 ミナミは呼び出しばかりで相手のいない電信を前に、背中に冷たい汗を掻いた。

「noise」がなんなのかは、彼にはまだ判らない。ただ、それを聞いた途端ヒューが特務室の全員に休暇中の電脳魔導師全ての安否を確認するよう指示を出し、城内に居る魔導師は「防電室」に「避難」するようにと通達を出したのを見る限り、あまり楽観していいものではないように感じた。

 しかも、「とりあえずわたしはまだ大丈夫だ」と言うグランでさえ、普段からは想像出来ないほど青い顔でソファに座り込み、しきりにこめかみを指先で叩いているのだ。頭痛がするのか、当然そうなのだろうが、眉間に刻んだ縦皺が徐々に深くなって行くのを見ながら、ミナミも無意識に、落ち着きなくこつこつとデスクの縁を指で叩いていた。

(…呼び出し待つよか、走って帰った方が早ぇんじゃねぇのか?)

 やっぱり職務放棄だ。とミナミが自分に対して失笑を漏らしそうになった刹那、微かな伝子音が回線の接続を知らせる。

『お待たせしてすいません。どうかしましたか? ………ミナミ』

「…てかさ、どうかしてんのはアンタだろ。具合悪ぃ?」

 ぶっきらぼうにミナミが言うと、ようやく電信モニターに姿を見せたハルヴァイトが、どこかしら熱っぽいような鉛色の目を眇めて苦笑いした。

『もしかして、心配されてるんでしょうか』

「……………………」

『特務室にいるあなたに言い訳してもあからさまに胡散臭いので正直に白状しますが、最悪ですね。「煩くて」堪らないんですよ…』

 ノイズ。雑音。騒音。だから、煩い。

「………電脳魔導師に、防電室避難の勧告が出てる。アンタも…」

「違う、アイリー次長。ミナミくんには大変言い難いが、ガリューには、這ってでもわたしの執務室に来るよう伝えてくれないかね」

 正面ソファに座していたグランがそう言った途端、ミナミは……。

『ミナミ』

 指先が痺れるような、複雑な感情。思わず何かを言い返しそうになったミナミを遮るように、ハルヴァイトが穏やかな声で告げる。

『そういうものです…。すぐに出頭しますと、大隊長に伝えておいてください。それでは』

 穏やかな声で、口を開くのも億劫そうに、疲れたように、溜め息交じりで…。

『………わたしは、まだ大丈夫ですよ』

 ミナミを、気遣い。

 切断された電信。ブラックアウトしたモニターを胡乱に見つめたまま立ち上がったミナミが、なんとかいつもの無表情を保ってグランに顔を向けると、電脳魔導師隊大隊長は微かに済まなそうな顔で、彼に「noise」という…性質の悪い「騒音」について語り始めた。

「…通常「ジャミング」と呼ばれるものとは性質も作用も違う、全くもって厄介な種類の「電波」がどこかで発生しているのだよ、今。それはただ発生しているだけであり、「ジャミング」のように魔導師の持つ「周波」を攻撃する事はないが、逆に言うなら、無作為手当たり次第に魔導師の脳を侵して来るもので、有効範囲内に居る全ての魔導師がなんらかの影響を受ける。その最たるものがつまり、強烈な頭痛。意識も常識も吹き飛んでしまうような、脳の真ん中で道路工事でもされているような、とんでもないレベルの頭痛だ。脳の衰弱、とでもいうのか? それに伴なって、普段は制御されている臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)が勝手に活動を始めようとするが、魔導師は頭痛でプログラムを呼び出すところではない。身体は臨界に接続したがるが、脳は錯乱している。となれば内部でエラーが起こり、つまり我々は今、自分の全身に溜まってくるエネルギーを逃がす事も放出する事も出来ず、ただ、強烈な頭痛と身体を締め上げて来る「熱」のようなものを持て余し、絶え続けるしかない。という訳だ」

「………それ、占有率表示の行数って関係あんの?」

「大いにある。…ミナミくんの言いたい事はよく判るが、今この状況をどうにかするために、もう少しだけ、わたし…いいや…、今苦しんでいるだろう全ての魔導師に、ガリューを貸して欲しい」

 真摯な瞳に見つめられて、ミナミが諦めたように首を…横に振る。

「それってあのひとの仕事なんだろ? 俺は…いつでも職務放棄出来そうだけど、あのひとは…やめていいつっても聞きそうにねぇし…」

 グランは力なく呟いたミナミの綺麗な顔を凝視したまま、額に浮いた汗を掌で拭ってから、ゆっくりと優しげに微笑んだ。

 そんな事を言ったのは、ローエンスだっただろうか。と思う。

(ガリューもこれで、なかなか報われている…だったかな)

「電脳魔導師隊大隊長ではなく、グラン・ガンという一介のひととして、衛視ではなく、ミナミ・アイリーという一介のひとと、この先決して誰にも漏らさない秘密を共有しようじゃないか、ミナミくん」

「? 何…が?」

 慌ただしい特務室の気配を窺いながら、グランはソファの背凭れを支えに立ち上がり、にっと口元を歪めた。

「わたしは父親と折り合いが悪くてね、昔から。いつかそんな話をする機会があれば大いに語ってやるのだが、とにかく、家族の中で孤立していたのだよ。そのわたしが…、ゴッヘルのように家名を捨ててしまえなかった理由が、ひどい悪ふざけばかりのローエンスだった」

 懐かしむような、ではない表情で、グランは真っ直ぐにミナミを見つめる。

「年寄りの昔話をする暇ではない。だから詳しい事は…余裕が出来たらガリューに内緒で教えてあげよう。ただしね、ミナミくん…。わたしは今、非常に腹を立てているのだよ。誰よりもわたしを大事にしてくれている従兄弟が、だ、どこの馬の骨かも知れんヤツの「noise」で苦しんでいるのだから。…………今すぐその元凶をとっ捕まえて耳と鼻を削ぎ落とし、それでも気が済まないくらいにな」

 グランの、ローエンスと似た色の瞳がぎらりと狂暴に輝く。

「君は、どうだね」

 ミナミは以前、同じような質問をドレイクにされた事を思い出した。その時は黙って首を横に振っただけだったが、今日のミナミは、首を横に振り、それから、薄い唇で静かにこう呟いた。

「…どいつもこいつも、いい加減にしろ。って、気分」

 それに、グランが頷く。

「今の君は、とてもいい顔をしているよ。………多分、ミラキの側にいるのだろう陛下と同じに」

 ミナミはそれを…否定しなかった。

  

   
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