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    8.noise    
       
(14)

  

 ハルヴァイトが医療院での総合検査を拒否した、という話を聞いてすぐその理由に思い当たったのは、アリスだけだった。

「ハル自体も医療院が好きとは言えないわ。むかーしいっぺんだけ担ぎ込まれた事があるのは、みんな知ってるでしょう?。…まぁ、「別の理由」の占めるウエイトが大きかったから、ドレイクもそれに付き合って医務分室に残ったんでしょうね」

「別の理由スか?」

 件の医務分室に向かう間、デリラと並んで最後尾を歩くアリスが言う。

「付き添いが入れなかったらイヤじゃない。入院なんて、ただでさえ退屈なんだから」

 茶目っ気たっぷりのウインクをデリラに向けたアリスが、赤い唇で弧を描きくすりと笑った。

 医療院といえば、ハルヴァイトと同時期に収容されていた人物がいるではないか。しかも、ハルヴァイトは一応手続きを踏んで「退院」したが、もうひとりは…無許可で逃げ出したきりだし。

「だからって、総合検査ってなぁ蹴ってもいいモンなのかね、ボウヤ?」

「いいんじゃないですか? 最終的に採用されるのって、自己診断の結果が大きいですからね。なんだかんだ言っても、本人の状態がどうかって本人が判断するしかないんですよ、魔導師って」

 それではなんのために医療院だとか医務分室だとかがあるのか判らないじゃないか、などと先頭を歩くヒューが振り返って苦笑いすると、アンがイルシュの手を握ったままにっこり朗らかな笑み付きで答えた。

「入院中は余計な仕事が回って来ない、という利点がありますよ。特に、小隊長と副長の場合ね」

 納得。

 余計な世間話などしつつ医務分室に向かう道すがら、急にミナミが後ろを振り返る。だがこれといって何をするでも、言うでもないのだが…。

「どうかしたの? ミナミ」

「…いや。いつもならここで、エスト卿がにやにやしながら出てくるタイミングなんだけど、とちょっと思っただけ」

 そういえば、ミナミが電脳魔導師隊執務棟に顔を出すたび理由を付けて現われるローエンスの姿が、今日は見えない。と誰もが顔を見合わせる。

「…あ、そっか…。居ないから、出て来たくても出て来られないだけですよ、きっと」

「居ないって?」

 思わず言ってしまってミナミに問い返され、アン少年は一瞬…イルシュの顔を見た。

「…………一昨日の騒ぎの後、意識不明で医療院に運ばれました」

「………………」

 それで全身を硬直させて立ち止まりそうになったイルシュの肩を、デリラがぽんと叩く。

「ぼくちゃんの気にするこっちゃねぇでしょ。うちの大将も、ダンナも…多分エスト小隊長も、判っててやったんだろうし」

「あんまりいい慰めとは思えないわね、デリ」

「慰めじゃねぇですよ。事実っスね、オレのは。…ボウヤとミナミさんなら、説明出来るんスか?」

 咎めるようなアリスの視線を涼しい横顔で受け流したデリラにまず頷いたのは、アン少年だった。

「あの日臨界面では、現実面に顕現しない電波災害が起こってたんですよ。それでぼくら…つまり、えーと、まぁ、「普通の魔導師」は防電室に逃げ込んで、現実面からの干渉を遮断するのと同時に臨界面に接触しないようにしてた訳ですが、当然、イルシュを捜索してた小隊長は故意に接触してて、その後でやって来たドレイク副長も故意に接触して…で、最初は防電室に居たエスト小隊長も、途中で部屋を出て、…………なんだろ、難しいから上手く言えないんですけど、魔導師って現実面のオペレーターを保護する目的で臨界面に置かれているシステムに、一定時間だけ全ての命令をキャンセルするよう指示を出すために、やっぱり故意に接触した。ってところです」

「防御システムは現実面に干渉しようとする「noise」を和らげる作用があんだけど、それが切られて、本来なら魔導師って特別な「アンテナ」持ってるひとじゃなきゃ感じない程度しか洩れてない「騒音」が、MAXで外に吐き出されたから、あの時…、全然関係ない筈の俺やデリさんでさえあの騒音を聴いたんだよ」

「そういやぁ、大隊長がなんやら大将の暴挙がどうとか言ってましたね…」

「多分、エスト卿が防御を切ってから、あのひとはそれこそ故意に、「noise」か、それに似た何かを発生させたんだと思う」

「…そんなマネ出来るのか?」

 訝しそうなヒューの問い掛けに肩を竦めて見せてから、ミナミはイルシュを振り返った。

「言ったろ? あのひとはだから…臨界ジャンキーなんだって。他にマシな言い方思い浮かばねぇから言うけどさ、あのひとは…………狂ってんだよ。とっくに…。イルシュなら、判るだろうけど」

 平然とするミナミの冷たい瞳を見返し、イルシュはこくんと頷いた。

 監禁されて、毎日毎日訳の判らない訓練をさせられた。その訓練の中でイルシュに様々な知識を植え付けた男が、それこそ毎日言い続けていた事がある。

 感情を抑えろ。

 結果的には、あのバイザーに仕込まれていたなんらかの装置がイルシュの「感情」を操作し「noise」を発生させるのだが、訓練自体は電脳魔導師隊訓練校で行われているのと全く同じだったのだ。

「だからエスト卿が運ばれた理由はきっとあのひとで、イルシュは気にする事ねぇんじゃねぇ?」

 イルシュ少年は、黒い制服に映える毛先の跳ね上がった金髪をじっと見つめながら、ふと思った。

 あの時、頭の中で静かに語り続ける怨嗟の声はたったひとつ「憎い」と繰り返し、しかし、朧な………それでいてその強烈な「憎い」に勝る微かな「意志」だけで正気を保っているように聞こえた。

 それをイルシュは、なんと言う名前で呼び、どう表現していいのか…まだ判らなかったけれど。

「とりあえず、小隊長から今後の指示を貰うように。特務室からも命令が出てんだけど、それはあのひととミラキ卿にも聞いて貰わなくちゃなんねぇから、後で纏めて話す」

        

「……綺麗な恋人…」

       

 イルシュの漏らした呟きに、アン少年が小首を傾げる。その瞳に笑みを返して、イルシュは小さく首を振った。

 それでやっと、あの、一昨日見た「鉛色の眼」に向き合う決心が付いたのか、イルシュは無意識にアンの手を放す。

 軽いノックの音。それから、ドレイクの応え。それを受け取ったヒューがドアを開け放ち、ミナミがイルシュに顔を向けて手招きした。

 にこにこ顔のアンに押されて、少年がおどおどと進み出る。それを相変わらず無表情に観察するダークブルーの双眸を覗き込み、イルシュは、ミナミに手を差し出そうとした。

「手を…………握っていてもいいですか?」

「だめ」

 言ったミナミが咄嗟に腕を引っ込め、ダークブルーの瞳が旋回する。

 ベッドに座ったままじっとドアを見つめている…鉛色を探して。

「俺は………………君と反対だから」

 触れられる恐怖。

「多分…反対だから」

 本当は……何が「恐い」のか。

 ミナミは、知っている。

「だめだよ」

        

 触れては、いけない…………………。

2002/09/17(2003/04/15) sampo

  

   
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