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    9.アザーワールド オペレーション    
       
(1) 見えているゴールに辿り着かないようするのにも限界があるのです。

  

 (1’)

         

         

「noise」騒ぎから一週間程でハルヴァイトとドレイクは退院し、第七小隊のシフトもようやく正常に戻った。当然、ハルヴァイトが医務分室に入院していた間は朝と晩に必ず病室を訪れていたミナミも、通常の生活に戻る。

 突然変異体と認定されたイルシュは、それまで隠匿されていた場所の割り出しや、彼を匿い訓練させていた組織(らしい)の捜査に全面協力、並びに、電脳魔導師訓練校へ途中編入する旨の誓約書を書かされたが、事実上それだけで全ての罪を赦され、今はミラキ邸に部屋を与えられてドレイクと一緒に行動していた。

 実は、その下りにもちょっとした悶着はあったのだが、…何せ、当代ミラキ卿には他言出来ない秘密が数多くあり、第一に、ドレイクの秘密の恋人はイルシュに大層悪い印象を持っていたので、最後の最後まで首を縦に振らなかった…、そこはそれ、特務室次長ミナミ・アイリーに、「ミラキ卿がいいつって、イルシュもそんでいいつって、イルシュの世話は第七小隊が見るってのに「陛下」も同意してんだから、今更ごねても仕方ねぇんじゃねぇ? しかも、スゥさんとすれ違ってばっかのデリさんとか、官舎でひとり暮らしのアンくんとか、基本的に誰かの世話には全然向かねぇあのひととかに任せるより、ミラキ卿んトコならリインさんもいるしセキュリティも完璧だから、いいと思うけど?」と相変わらず素っ気無く言われたドレイクの恋人(…)が渋々折れる形で、この些細な問題は一気に解決する。

(……にしても、あのウォルがドレイク以外の言う事を、文句一つなく…あったのかもしれませんが…渋々ながら聞き入れたというのも、かなり奇蹟に近いんですけどね。どうもウォルはミナミに弱いらしいので、余計な騒ぎが起こらなかっただけよしとするべきなんでしょうが…)

 などと溜め息混じりに肯定しつつ、王都警備軍電脳魔導師隊第七小隊長ハルヴァイト・ガリューは、緋色のマントを閃かせて本丸を歩いていた。

 彼は仕事中である。

 しかも、珍しく、御機嫌…。

 すれ違う衛視達が訝しそうに首を傾げているのを完全に無視して、ハルヴァイトは王下特務衛視団執務室に向かっていた。イルシュの件は特務室直轄任務として第七小隊に下っていたから、小隊長のハルヴァイトには一日一回の報告義務がある。現在この事件に対する特務室の担当官は室長のクラバイン・フェロウなのだが、となると、陛下に振り回されてろくろく執務室に居ない室長の代りに第七小隊からの報告を受け取るのは、当然、あからさまな事実として、クラバインの秘書であり特務室第二位のアイリー次長なのである。

 なんていい仕事なんだ。と、ハルヴァイトは今日も思った。

 イルシュの監視と事情聴取は部下が行っている。ハルヴァイトに途中経過の報告と指示を仰いで来る事はあっても、彼がイルシュ少年と直接話す機会は、朝と夕方執務室に少年が戻って来る時だけで、それ以外の時間ハルヴァイトは小隊長室で魔導書の解析作業に明け暮れていればよかった。

 時折どこかの部署からシステムの調整と監視を頼まれて出掛けたりもするが、基本的には極秘任務中なので、いつものようにくだらない不具合で呼び立てられもしなかったし、小隊長会議に呼び出される回数もずっと少ない。それでなぜ彼が執務室に…しかもその奥の小隊長室に閉じこもっているのか、といえば…つまり。

 イルシュが、ハルヴァイトを怖がって仕方無いのだ。

「まぁ、顔合わせるなり半殺しの目に合わせようとした相手を怖がんなつっても、無理だろうしよ。だからおめーさ、たまにゃのんびり執務室の留守番でもしてろ」

 というのが、もしかしたら、この出来過ぎで手加減さえ知らない弟を誰より過保護に扱っている兄なりの、ハルヴァイトを保護する苦肉の策だったのかもしれない。

 少年がハルヴァイトに脅える。そうすまいとイルシュが必死になっているのも判るが、ドレイクにしてみれば、ハルヴァイトに対して「恐ろしいものでも見るような態度」を取られるのは許し難いのだ。

 何を置いても。相手が誰でも。ドレイクの「中心」には…多分…あの弟が居る。

 とにかく。小隊長に執務室待機の決定が下された時、イルシュは本当にかわいそうなほど恐縮しつつ「ごめんなさい」と繰り返し、ハルヴァイトは、ただ朗らかに笑って見せただけだった。

 正直、どうでもよかったのか。何もしなくていいのに超した事はない。元々ハルヴァイトというのは協調性だとかが著しく欠損しているのに、軍に所属しミラキの家名がちらついている、というそれだけの「所為(せい)」で、なんとか日常生活に支障ない程度に振る舞っているだけなのだし。

 そういう訳で今日も堂々とミナミの顔を見に本丸までやって来たハルヴァイトが、特務室のドアをノックし所属と氏名を述べて応えも待たずにそれを押し開けた。刹那、室内で悲鳴と物音が上がり、椅子を蹴倒して立ち上がった数名の衛視がハルヴァイトの腕を両脇から抱え込むなり、「お茶でもどうですか! ガリュー小隊長!」と……引きつった笑顔で言い放ったではないか。

「………………拘束される理由が思い当たらないんですが? スレイサー衛視…」

 一瞬呆気に取られたハルヴァイトが左右を固めた衛視の顔を交互に見比べてから、見知った警護班班長に視線を向ける。

 王下特務衛視団警護班班長ヒュー・スレイサーは、室長室に続くドアに背中で張り付いたまま、にっと口元に…………不自然な笑みを浮べて首を横に振った。

 背丈はハルヴァイトとほぼ一緒。陛下の脇を固める特殊警護班の班長で、格闘技にかけてはファイランで一か二だろう、と言われているが肩書きと噂に似合わず、長い銀髪とエメラルドグリーンの双眸が特徴的な細面の色男。

 ちなみに、ハルヴァイトとはそこそこ仲が悪い。原因は、ミナミが妙に…ヒューに懐いているからなのだが。

「ガリュー小隊長に心当たりが無くて当然だ」

「では、なぜこうも「親切」にされているのか、教えていただけませんか?」

 部屋の片隅に置かれたソファに無理矢理押し込められて、ハルヴァイトがあからさまな臨戦態勢で言い返した。それでも、一応、大人しくも横柄に着座したハルヴァイトの向いに移動して来たヒューは、若い衛視にコーヒーを二つ頼み、支度を終えたら全員出て行けと言い足した。

「室長室の出入りは、今、厳禁だ。特に…お前は入れるなと言われている」

「……………?」

 ヒューは困惑したような顔で言いながら、自分の膝に両肘を置いてじっとハルヴァイトの瞳を覗き込んだ。

「ミナミだよ」

 言われて、ハルヴァイトが室長室のドアに視線を向ける。

「お前、いつから登城してた?」

「……今日で三日目になります。明日の夕方には、自宅へ戻りますが」

「俺が登城したのは昨日の夕方なんだが、その時から、ミナミが………」

「ミナミが、どうかしたんですか?」

 ハルヴァイトが鉛色の瞳をヒューに戻す。

「様子がおかしい。昨日は自宅に戻ってない。というよりも、戻れなかったらしい…」

 それでハルヴァイトは、ますます訝しそうな顔をした。

「昨日の昼食を一緒に摂った時は、別にどこもおかしくはありませんでしたけど? 確か、夕方には普通に下城する予定だと言ってましたし。夕方の報告の時は、ここが空でしたから後で室長の端末宛てに報告書を送りました」

…というか、ミナミが居なければ顔を出す気もさらさらないらしく、夜間は報告さえしなかったくせに…。と、ヒューが内心の苦笑いを噛み殺す。

「俺にも詳しい事情は判らない。ただ、夕方登城してみたらもうミナミは室長室に篭城していて、心配したここの連中がクラバインに連絡を取ったんだが、なぜかあいつは「そっとしておけ」としか言ってよこさなかったそうだ。………それと、お前には絶対知らせるな、とも…言っていたらしいがな」

 その時点でヒューは、奇妙な違和感を憶える。

 ミナミに何か都合の悪い事が起こったら、一等先に呼び出されるのはハルヴァイトのはずなのだ。

 ハルヴァイトがここに呼び出された事は、今までにも数回あった。陛下に謁見を申し出て来た貴族院の議員がしつこくミナミを食事に誘い、断ったのに何度も特務室に顔を出し、結果、ミナミを強引に連れ出そうとして彼の体に触れかけ恐慌状態(軽度だ、とクラバインは言ったが)に陥った時や、本丸内を移動する陛下に着いて歩くミナミを見初めた(!)宮廷絵師が彼をモデルに絵を描かせてくれと言い出し、これまたしつこく付き纏ってしょうがないからとヒューがハルヴァイトに連絡して脅かされた時など、傍から見たらばかばかしい理由ではあったが、つまりそんな些細な事でもハルヴァイトはすぐに呼び出されたのだ。

 なのに、なぜ今回はわざとのようにハルヴァイトを遠ざけたのか…。

「…それで、当然俺だっておかしいと思った。だから朝から詰めていた衛視に事情を訊いたら、そいつも詳しい事は知らなかったが…………昼過ぎに来客があって、直後、また部屋を飛び出し吐いたらしい…」

「…………また?」

 さも不機嫌そうに問い返されて、ヒューはようやく気付いた。

「そうか…。あの「noise」騒ぎと被って、お前は知らないんだったな。あの日、ガン大隊長が「noise」の発生をここに報告して来る直前、ミナミが急に体調を崩して吐いたんだよ。理由は大した事じゃなかったんだが、どうも様子がおかしくて、自宅へ帰るように言っていた矢先にあの騒ぎが起こって有耶無耶になってしまった」

 それをハルヴァイトは。

「聞いてませんよ、わたしは」

「ミナミ自身なんでもないと言い張っていたし、結局お前の方が大変な目にあっただろう? だから、余計な事は言わなかったんじゃないのか」

 黙り込んで腕を組んだまま、ハルヴァイトは眉間に縦皺を寄せてじっとヒューを睨んでいた。しかしその視線からハルヴァイトの内情が知れる訳もなく、ただヒューは居心地悪そうにするしかなかったが。

「篭城って…どういう事なんですか?」

 やっと口を開いたハルヴァイトに頷いて見せてから、ヒューがコーヒーを一口飲む。とうに誰もいなくなってしまった特務室には重苦しい空気が溜り、妙に喉が渇いた。

「何度かは出て来た。酷い顔色で、何を訊いても「なんでもない」と言い張るばかり。家に帰れと言っても首を横に振るし、何度かお前を呼ぼうかと言ってみたが、そのたび、吐きそうで耐えられないと言って出て行く。奥に私室があるんだからせめてそこで休めとクラバインが言っていたが、どうも…………何をしているのか、それも拒否したらしい」

 誰に何を言われても聞き入れない。

「心配を掛けているのは判っている、とか言っていたが、あれは、判ってる人間の行動じゃないぞ」

 何を、やっているのか………………。

 暫し黙り込んでいたハルヴァイトが、急に立ち上がった。ヒューに何を言うでもなく室長室のドアに歩み寄り、それを軽くノックする。

「第七小隊隊長ハルヴァイト・ガリュー、出頭しました。…入りますよ?」

 どうぞ。と、予想外の声にハルヴァイトが眉を寄せ、なぜかヒューを振り返った。

「? クラバインか? いつの間に戻ってたんだ」

 勢い立ち上がってハルヴァイトの後ろに付いたヒューの呟きを耳に、ハルヴァイトがかなり乱暴にドアを開ける。

「ガリュー小隊長は、任務の定期報告ですね。今までの報告内容はミナミさんから聞いています。それで…」

「ミナミは?」

「陛下の命令で議事堂に行きました。ヒュー、ちょっとこれを、議事堂に居るミナミさんに届けて貰えませんか?」

 ドアの前に立ったまま不愉快そうに言い放ったハルヴァイトに臆する事無くいつもの調子で平然と答えたクラバインが、資料室の使用許可をヒューに差し出す。

「……報告が終わったらわたしが届けましょう。ミナミに何があったのか、わたしに判るように説明して貰えませんか? クラバイン」

 言って、ハルヴァイトがクラバインの手から許可証を取り上げようとした。

 その手を紙一重で躱したクラバインが、常と変らぬ穏やかな表情でハルヴァイトを睨む。

「申し訳ありません、ガリュー小隊長。これは特務室の極秘任務ですので、衛視以外の関与は望ましくありません。ヒュー…さっさと行け」

 かなり乱暴に許可証を投げつけられて、しかしヒューは黙ってそれを受け取り室長室を出ようとした。

「報告を手短にお願い出来ますか? こちらにも少々込み入った事情が出来まして、余り無駄な時間は取れませんので」

 一礼し、背中から凄まじく怒気を発散しているハルヴァイトに視線を流して、ドアを閉ざしかけ、ヒューは彼の呟きを…聞いてしまった。

「忘れるな、クラバイン。ミナミに何かあって、それで城を瓦礫の山にされたくないなら、貴様が死んでも、絶対にミナミを傷つけるなよ」

 閉じたドアを見つめ、ヒューは思う。

 それは、嘘ではない。やるといったら必ずやる。それが多分、ハルヴァイト・ガリューなのだと…。

  

   
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