■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
    9.アザーワールド オペレーション    
       
     

  

 (4''')

         

         

 正面で呆然とするレジーナに視線を据えて、ミナミは薄い唇を開いた。

「丁度一年くらい前だと思う。スラムの近くにいたトコあのひとに拾われて、それから今日までずっと一緒に暮らしてた。途中いろいろ騒ぎが起こったり、結構大変だったけどさ、あのひとは…あのひとだけじゃなくて、ミラキ卿とか、クラバインさんとか、とにかくあのひとに近しいみんなが俺の事大事にしてくれて、多分、それ以上にあのひとを大事にしてて、俺は…医療院から逃げ出して始めて、平和に暮らしてたと思う」

「ハルヴァイト…。あのハルが、君と?!」

 どう、あのハル、なのか判らなかったが、ミナミはレジーナの驚いた顔に頷きかける。

「あのひとは……俺が五年前医療院に居たのを知ってたんだよ。…あのひともその時、医療院に居たって…。それで、あのひとは医療院で俺を見て、俺がなんでそこに運び込まれてたのか知ってて、でも、ずっと…逃げ出して姿の消えた俺を、探してくれてた」

「…………それで、偶然出逢った?」

「うん。俺がスラムの近くで拾われたのは、本当に偶然だったみてぇ」

 レジーナは何か当惑するようにミナミから視線を逸らし、少し言葉に詰まって、深い溜め息を吐いた。

「ミナミくん……。ぼくは、君を停めるべきなんだろうか。上手く言えないけれど、あの…ハルヴァイトが君をそうも大切にしているというのなら、そうするべきなんだろう…。ハルがどうやってスラムで暮らして来たのか調べ、それでもなぜミラキの家に…ドレイクのところにやって来たのか知っているぼくは…」

 大人たちの都合で捨てられ、利己主義に虐げられ、全てを憎み切って疲れ果て、流されるようにまた拾い上げられた、あのハルヴァイト。

「……………ハルヴァイトを本当の意味で「育てた」のは、「ディアボロ」なんだよ、ミナミくん。誰もがその異様に「悪魔」だというあれが自分で「臨界」を振り切ってこの世に現われ、ハルヴァイトを生かした」

 少し驚いたように目を見開いたミナミに薄っすらと笑って見せてから、レジーナは首を横に振った。

「信じられなくて当然だけれどね。普通魔導機は魔導師の呼び出しに「応じる」事しか出来ない筈なのに、ハルヴァイトはその方法を知らず、だから、「ディアボロ」は自力でハルを守るためにやって来た。どうしてそんな事が起こったのか誰も知らない。本人も。それでぼくが出会った時彼は、一応…人間らしく育ってはいたものの、決定的に欠けているものがあったんだ」

「欠けてるもの?」

「会話するという方法を知らなかったんだよ。…言葉を理解する事は、出来たけれどね」

 理解力だけは図抜けて良かったのかもしれないが、まず、「言葉」という記号を並べて「意志」を伝える方法は知らなかった。「ディアボロ」は言葉を話さない。だからハルヴァイトも、それを…覚えられなかったのか。

「まず、何かを「好き」という感情を知らなかった。彼が知っていたのは、「憎い」かどうかだけ。憎いか憎くないか。憎くないなら関心を示す必要などなかったし、憎ければまずそれを無視し続けて忘れるか、相手が自分に関わって来ようとすれば…手当たり次第に殴り倒して、二度と関わって来ないようにした。……その方法が唯一通用しなかったのが、ドレイクなんだ」

 苦々しい想い出を語るように、レジーナが眉を寄せる。

「兄弟だと知る前も、知ってからも、ドレイクの態度は少しも変わらなかった。会話という意志の疎通方法を知らないハルヴァイトは、それこそ毎日官舎で喧嘩騒ぎを起こしてね、二週間で…何度も官舎から追い出されそうになったんだ。それでドレイクが一時邸宅に連れ帰っていて、その時に………………ハルヴァイトの養父というのがミラキ邸を訊ねて来たのと鉢合わせしたんだ」

「……………もしかして、それで…」

「そう。それで、ドレイクとハルヴァイトが兄弟だとその場で判った。ハルの養父は定期的にミラキ邸を訪れて、金銭を受け取っていたらしいから…。事実の口止め料とハルの養育費、という名目だったようだけど。…とにかく、ハルヴァイトが弟であると知った時、少しも責任を感じる必要のないドレイクが……」

 ドレイク・ミラキという、家柄に恵まれて育った兄は…。

「ドレイクだって、まだ十六歳だった。電脳魔導師隊の大隊長だった先代を亡くしたばかりで、身体を壊した母親を抱えてた。それでも、いつも元気のいいドレイクでさえハルヴァイトの件では堪えたらしくて、暫く軍の方にも顔を出さなくなったよ…」

「そん時、あのひとは?」

 ミナミの問い掛けに、レジーナが落胆したように首を振る。

「「面倒」とだけ言った」

 面倒。

 ハルヴァイトの時々使う常套句。

 なんの感慨もなく吐き出されるあのセリフ。

「世界」などまったく関係ないように冷え切った鉛色の眼でそう呟くのが、ミナミは嫌いだった。

「ふたりの母親が死んだのはその少し後だったけれど、ハルヴァイトは一度も彼女に会おうとしなかった。ただ…妙な事に、すぐに喧嘩するような事はなくなったな。それから…母親が死んで、ドレイクがハルヴァイトのために屋敷に部屋を用意してね、正式に官舎を引き払って屋敷に来ないかと誘った時、ハルヴァイトはそれを断って、…王立図書館の無制限閲覧権が欲しいと言い出した。それで連絡を受けたぼくが彼に着いて図書館に行った時、何をするのか訊ねたら、ハルはこう答えたんだ」

 あの頃の常として、短く一言。

「叱られた」

 それからハルヴァイトは数週間王立図書館に通い、蔵書を片っ端から電脳陣経由で読み込んでは、頭に叩き込む作業を繰り返した。それに何の意味があるのか訊ねるレジーナには答えず、どういう基準で選り分けているのか、彼は必要とする情報を徹底的に憶え込み、四六時中張りっぱなしの陣で整理し、最後の一冊を処理し終えてからドレイクを訪ねた。

「そこでようやく、ハルヴァイトはドレイクに言ったんだ、「誰も何も悪くない。俺はこれで多分普通に暮らせるだろうし、だから、ドレイクも今まで通りでいい。俺はなにも望まない」ってね」

「………あのひとは…」

「学習したんだよ、「ファイラン」を。それでやっとドレイクを慰めたんだ。その代償は…かなり大きかったけれど」

「代償?」

「元々自己流で「ディアボロ」を暴れさせない程度の陣しか張れなかったハルは、無理をしたせいで急激な能力値の上昇を誘発してしまった。それで、基本が桁外れに高いものだから、脳がそれに追いつけなくなったんだよ。極端に感情も発達しているし、結果的にハルヴァイトは強くなったかもしれないけれど、彼は…」

 眠れない。

 夢を見ない。

 それでも平然と暮らし、それを誰にも気付かせず、数年後…。

「「ディアボロ」の暴走騒ぎを起こす」

 死に行く夢を、見るほどに。

「………………それでも君は、ハルヴァイトを…そうまでしてやっと生きて、死んでもいいとさえ思って、でも、医療院で君を見つけて死ぬ事を蹴った彼を、見捨てて行くというのかい?」

 問い掛けられて、ミナミは唇を引き結んだ。

「ハルはきっと、君が居なくなったらこのファイランさえ「面倒」の一言で済ませてしまうよ」

 判っている。

 それなのに、信じてもいる。

 卑怯なほど。

「…生きるとか死ぬとか、そういうのって…簡単に言っちゃだめだろ…。でもきっとあのひとにとってそれは、データの崩壊でしかねぇんだし、恐いともなんとも思えねぇんだろうけどさ。俺は俺を不幸だなんて思った事なくて、きっとあのひとも自分をそう思ってなくって、回りが思ってくれてるほど、俺たちは…重大な問題なんて抱えてねぇよ」

 ただ、何もしないままでいたいハルヴァイトと、出来る事があるならばやろうとするミナミが、少し擦れ違うだけ。

「それでも俺は…自分勝手な事ばっかしてあのひとを振り回し続けたのに、まだ、あのひとが俺を…好きでいてくれるなら、俺の救おうとしてるファイランをあのひとが護ってくれるんだと………そう、思ってる」

 俯いて消え入りそうに呟いたミナミを凝視したまま、レジーナは息を詰めた。

「卑怯な言い方だけどさ…」

「ミナミくん、君は、何をしようというの? それを……………クラバインは、どうして許している? 君を助けた時、君を組み敷いた男も間違いなくファイランの一部だと言ってああも怒って見せたクラバインがなぜ、君も、ハルも、どうしようもなく傷付くと判っていてなぜ黙っている!」

 ぎく。と肩を震わせたミナミが顔を上げ、レジーナの瞳を見返した。

 彼は本当に怒っていた。

 ミナミにではなく、クラバインに対して。

「いつの間にあいつは、そんな風に腐ってしまったんだ」

「…クラバインさんは…停めてくれたよ。陛下に、…俺が傷付くって判ってて、やらせる訳には行かないって言って。でも、俺は…あのひとを………助けたかったから…」

「? 助けたい……?」

 そこでミナミはやっと、ハルヴァイトが殺人容疑で拘束された事や、その時陛下がヘイルハム・ロッソーという男と取引しようとしていた事、それをミナミがハルヴァイトの解放という約束で継承し、特務室詰めの衛視になった事などを手短に話して聞かせた。

「本気なのかい?! ミナミくん。あの…アドオル・ウインを…貴族院の議会で告発するなんて!」

「…うん。あいつが今ここで俺に姿を見せたって事は、あいつは、まだ何かするつもりなんだと思う。ううん…陛下か、もしかしたらあのひとか、どちらか…だからその……あいつが…俺を「取り返す」のに邪魔な誰かの命を、今度こそ本気で狙ってくるつもりなんじゃねぇかと…」

「だから急いでいる? それはおかしいよ、ミナミくん。陛下には衛視が着いている。しかも警護班は全員ヒューが直々に選んだ部下なんだよ? 信用出来ないなんて言わないよね? それにハルヴァイトは、自分の身を自分で護れるじゃないか」

「あいつは、俺を殺すためならついでにファイランとだって心中するよ」

「……」

「だってあいつは、俺を…殺したいほど憎んでて、俺が生きてるってそれが気に食わなくて、手に入れたいんじゃなくて…俺と……………死にたいんだから」

 アドオル・ウインが来る時、ミナミの部屋は決まって灯かりが落された。それから目隠しされて、それでやっとアドオルは悲痛に言葉を紡ぐ。

         

「お前が憎くて堪らない。どうして…お前は一度も私をその瞳で優しく見つめてくれないのか…。あの悪魔にさえ微笑みかけるお前がなぜ、私からは逃げようとばかりするのか。なぜ悲鳴なのか。どうして愛していると言ってくれないのか! 私は!!」

        

「一緒に死ぬ気なんてねぇよ、俺には。だから、あいつが「ファイラン」に手を出す前に、あいつを抑えなくちゃなんなくなった。陛下との約束…ちょっと内容が違っちゃったけど、きっと、隠匿されてる空間だとかいうヤツも、あいつが知ってると思う」

「ではなぜ…ハルにそれを話さないの?」

 静かに言い置かれて、ミナミは視線をテーブルに落とし。

「言えばハルヴァイトは君の力になってくれるだろうし、どんな告白をされても、彼は君を責めたりしないだろう? だって君は、何も悪くないんだから」

 それも、判っている。

「俺は………………だめなんだよ」

 握り締めた手を震わせて、ミナミは長い睫を閉じた。

「触れないんだ」

 脳裏に鮮やかに浮かび上がるのは、鋼色の髪と、鉛色の瞳。

「でも、だめなんだ…」

 触れたら傷付いてしまうという、スティール。

「本当に側にいるだけでいいって、あのひとはそういう風に言うけど、俺は…そうじゃなくて…………」

 本当は。

 その刃で胸の奥に隠れた秘密を抉り出され、正体がなくなるほどずたずたに切り裂かれて、生暖かい情欲に塗れた「ミナミ」を曝け出されたいと、いつからか…いつの間にか望んでいた。

「俺が…それに耐えられない…」

 もう、限界。

「逃げ出したい」

 青緑色の炎を、求めてしまう前に。

「………………………どうして君はそれを、ハルヴァイトに…言わないの?」

 穏やかなレジーナの声に、ミナミは力なく笑った。

「レジーナさんが………クラバインさんのトコ出て来た理由…、教えてくれたら話す」

 それで今度は、レジーナが凍り付く。

「君…。大きくなったと思ったら、相手を脅迫する手口まで憶えたの?」

「あのひと、こういう無茶平気で言うから」

「ハルも…相当育ったようだね…」

 ふう。と深く嘆息したレジーナが、ソファの背凭れに沈んだ。

「クラバインは、ぼくに話せない「何か」をいつも抱えてたんだ。ぼくは話してくれなくて構わなかったけれど、どうしてかな…あいつは………話してやれない秘密を抱えてる、というのに疲れているように見えた。だから、移送と言い渡された時、ぼくは内心喜んだくらいだった。これで………もうクラバインを苦しめなくて済むと思ったから」

 だから、意味のあるようでない捨て台詞を残し、レジーナは第八エリアに移住して来る。

「あいつが思っているよりも、ぼくは物分かりがいい…。クラバインは陛下の側近なんだ、口外出来ない秘密があって当然だろう? 同じに特務室に詰めていても、ただの衛視とクラバインは、陛下から見てまったく別ものといっていいくらいなんだから」

 遠くを見るような目で中空を眺めたまま、レジーナは密やかに微笑んだ。

「ばかが付くほど真面目な男だよ。呆れたから…見切っただけ」

 側にいなければ、悩ませる原因にもならない。

「ぼくも、かなりばかなんだろうけど…」

 三年経っても、その気持ちに変わりは…。

「…陛下と当代ミラキ卿が実は恋人関係にあるって、知ってる?」

「……………………は?!」

 ミナミは何気なくそう言ったが、レジーナは思い切り狼狽えて背もたれから身体を浮かせた。

「だから実は、今の電脳魔導師隊最高議決機関第一位が、ミラキ卿なのとか」

「…ドレイク?」

「うん。それが原因でアリスは陛下との婚約を解消させられたとか」

「………ミナミくん…?????????」

「とまぁ、クラバインさんがレジーナさん言えなかったのは、そういう事なんだけど。あ、ちなみにこれ、ヒューには内緒な」

「ミナミくん!」

 レジーナは…とりあえず悲鳴を上げた。

「そんな事をぼくに…もう衛視でもなんでもないぼくに漏らしていいと、君は思っているのかい!」

「クラバインさんと陛下には後で俺から言っとく。陛下は別に笑って済ましてくれそうだけど、室長には怒られるかもな」

「そんな話をしているんじゃ…!」

「俺は、王城エリアを出る。だから衛視もやめる。その時、出来れば後任の特務室次長を指名して行きてぇんだ…。多分…………ミラキ卿とあのひとは、陛下とクラバインさんを許してくれそうにねぇから。…………俺は本当に我侭ばっかで、またレジーナさんにも迷惑掛けるけど…、レジーナさんしかクラバイン室長の力になってくれる人は居ないと思って」

 唖然とするレジーナに、ミナミが相変わらずの無表情を向ける。

「俺が傷つけていいって甘えて許されるのは、あのひとだけ。だから………お願いだから、クラバインさんとウォル…陛下を……………助けてやってください」

 卑怯なまま逃げ出す、ミナミの代わりに。

「臆病な俺の我侭を…最後まで通させてください…」

 言って、ミナミはレジーナに頭を下げた。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む