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番外編 引越し日和

   
         
4)午前零時

         

 目が覚めてから一日中なんだか忙しなく動き回り、新しい部屋に戻ってようやく一息吐いた、午前零時。

 片付かない荷物を躱して奥のベッドルームに移り、シャワーで濡れた髪もそのままに、ばったりとベッドに倒れ込む。

「てっ」

 そこでアンは、ピローの隙間に挟まっていた固いものに頭をぶつけた。

「ったーーー。もう、なんだよぉ」

 掌で赤くなった額を擦りながらベッドに座り込み、幾つか並べた小さめのピローをひっくり返して憎い犯人を探し出すと、それは、ケースに収められたハーフサイズの通常ディスクだった。

 録画しているシネマと音楽番組のディスクはまだ箱から取り出していないし、第一、こんなハーフサイズロムを持っていた記憶がない。

 では、荷物を運んでくれた誰かが忘れていったのか? とアンは、慌ててディスクの表面に書かれている文字列を目で追った。

【アンさんへ/ルード】

「ぼく宛て?」

 きっと、荷物を運び込んだ時ルードリッヒがこっそり置いて行ったのだろう。それならそうと言ってくれればいいのに、と内心呟きながら内容をサーチしてみると、無圧縮の映像データだとすぐに判る。

 電脳陣経由でこのまま脳内展開するという手もあったが、アンはわざわざリビングに移動して再生デバイスにディスクを差し込み、灯りも点けない室内で発光するテレビの画面をぼんやりと見つめながら、冷たい床に膝を抱えて座った。

 清潔な印象の水色に、水平な砂嵐が滲む。

 思わず漏らしそうになった、溜め息。疲れているのか。そうかもしれないと思って、ここには誰もいないのだからと、その杞憂に満ちた儚い吐息を…。

 瞬間、パ、と画面が変わった、

         

『えーっと、ここが特務室に向かう大階段です』

         

 ルードリッヒの声と伴に映し出されたのは、本丸の正面大階段だった。声ばかりで姿が見えないという事は、この撮影者こそルードリッヒなのだろう。

       

『あ、こんにちは。え? 何って…、ああ、カメラ? えーと、これはですね、事前情報?』

『おれに質問してどうすんですか、エスコー衛視。本丸内はビデオ撮影禁止ですよ』

『室長に許可貰ってます。ほらね。あ、彼は近衛兵団の巡回兵士、アッキーくんです』

        

 カメラがパーンし、黒い近衛兵団の制服を着た若い兵士を映し出す。

          

『は? ああ。電脳班のね。はいはい。えーー。どうも、近衛兵団巡回警備部のアツキ・サッチモです。エスコー衛視つうか、ルードとは喧嘩友達です。どうぞよろしく』

         

 見知らぬ青年がカメラに向かって笑顔を見せ、最後に小さく会釈する。

 そこでアツキと何か少し話して、カメラは移動し始めた。何度か見た事のある城内、正面エントランスを見回してから、大階段の横にある非常階段室に入って行く。

         

『実は、エレベータや大階段は貴族も使用するので、ぼくらはこっちを使う方が多いです。だってね、いちいち立ち止まって会釈なんか面倒だし、本当はしなくてもいいのに、衛視だからってどうとかこうとか言う貴族もいますからね。

 特務室は七階です。扉を開けると…』

       

 説明の声とともに重そうな鉄扉が開き、天井の高い廊下に出る。微かにラウンドした細長い廊下をカメラは、会議室や資料室などを映しながらゆっくりと進む。

       

『? 何やってんの、ルード』

『お、衛視一号発見。彼はジリアン・ホーネット。特務室では主にデスクワークを担当してます。ジル、挨拶は?』

『だから、何やってんのって』

           

 ここでまたルードリッヒが不思議顔のジリアンに何か説明する。

        

『どうも、始めまして? かな。でも、もしかしたらこのV観る前に会えるかもですが』

『ジルは官舎編でも登場するので、これくらいで。

 で、ここがアンさんの新しい職場、特務室です』

       

 何の変哲もないドア。

 その映像と被ったルードリッヒのセリフに、アンは無意識に息を詰めた。

    

『誰がいるのかな? あ……』

   

 画面が旋廻し、室内で忙しく働いている衛視ひとりひとりを捕まえる。笑顔で告げられのは、名前と短い挨拶。特務室総勢十二名が漏らさず自己紹介し、そのうちの何名かが、「どうぞよろしく、アンさん」と最後に付け足した。

 だから、この映像が自分ひとりのために撮られたのだと少年も気付く。

 何か、奇妙に気持ちのざわつく感じ。それが何なのか判らないアンを置き去りにしたカメラがまたも旋廻し、きっちりと閉ざされた乳白色のドアを映し出す。

       

『こっちが電脳班の執務室ですが、まだ準備中で撮影の許可下りませんでした。見た目に見合わず、意外にそういうトコ固いんですよね、ギイル部隊長ってば。

 なので、今日は特別に室長室にご案内します』

『………つか何? ルード。衛視辞めて記録映画の監督にでも転職すんの?』

『あ! ミナミさん!』

『ではなく、君はアイリー次長と呼びなさい、エスコーくん』

『…………という風に、薄笑いで注意するのが一等怖い室長と、アイリー次長です。まぁ、アンさんには一番か二番に馴染み深いんでしょうから、特別挨拶はなしって事で…』

『アンくん? 何?』

        

 何か用事でもあって顔を出していたのか、私服に黒い腕章だけを掲げたミナミが、無表情に小首を傾げてカメラを見ている。レンズ越しでもはっとするほど綺麗な青年なのだが、ミナミはやはり本物がいいとアンは思った。

         

『アンくんに職場紹介? ふーん。で? 何か挨拶すんの?』

       

 意味もなくカメラにひらひらと手を振りつつ、クラバインの微笑に問いかける、ミナミ。

       

『好きなように?

 きっとこれからも色々苦労すっと思うけど、世話の焼ける上官どもをしっかり見張ってやってください』

      

 相変わらずの無表情がぺこりと頭を下げたのに、アンは「上官て、ミナミさんも入ってるんじゃないんですか?」と笑いながら突っ込んだ。

     

『余計な気など使わずに、アンさんらしく、衛視としてがんばってください。わたしは、アンさんが魔導師としてわたしの部署に転属になった事を、心から喜んでいます』

『この室長の笑顔がかなーり曲者なので、要注意です。

 はい、ここで職場編はお終い。官舎編に続きます』

『……つうかさ、ルードは今日休みな訳? 仕事なのか? それも…。だったら、特務室暇そうに見えてやべんじゃねぇ?』

       

 一旦画面がブラックアウト。アンは、最後の最後まで突っ込み続けていたミナミの横顔を、膝を抱えてくすくすと笑った。

 瞬き二回ほどの刹那を挟んで、また映像が戻る。そこは見覚えのある、というか、今日越してきたばかりの官舎正面エントランスだった。

        

『はい、続いて官舎編です。

 まず、ここが入り口。管理人のエドワース・オゾルさんは、官舎で唯一班長の生活態度に注意出来るつわものです。エドさん、アンさんについて一言どうぞ』

『ルー・ダイ魔導師? 小さくてかわいいよね。この前転入申請に来たんだけどねぇ…、って? 本人に見せる? ……。そゆことはね、早めに言っときなさいよ、ルード!』

         

 喚くエドワースから逃げ去ったカメラが、食堂に立ち寄る。

         

『ここが食堂です。ぼくらの食生活はここのおかげで健全を保ってると言っても過言じゃありません。

 今の時間なら…あ、いるいる』

          

 今日食堂に集まったのとは微妙に違う面々が、カメラの前にひとりずつ出て来る。知り合いになったばかりの顔、見知らぬ顔、それぞれがやっぱり笑顔で「よろしく、アンさん」と言うのに、少年はなんだか照れくさいような気がした。

 それ以上に、嬉しいなとも思ったが。

      

『最後だけに、ラスボス登場』

         

 いひひ、とイヤな含み笑いに被って、不機嫌そうな「いいよ、俺は」という声。

     

『よくないですよ、班長。親しき仲にも礼儀ありって言葉知ってます?』

『お前に言ってやりたいよ、それを』

         

 どこにいたものか、無理矢理カメラの前に引っ張り出されたヒューが、長い睫を伏せ銀色の髪をかきあげる。

 もしかして照れているのだろうか? 少し当惑したようなヒューの横顔に、知らず、少年の口元に笑みが零れる。

     

『ご存知「班長」ことヒュー・スレイサー衛視です。鬼です、室長と同列くらいに。よく、軽いスキンシップだとか言いながら廊下で部下を落としてます』

『それは、お前らがわざと俺の安眠を妨害するからだろう…』

『そうでもして弱らせてからでないと、班長には歯が立たないんですよ。というか、それでも部下軍団連敗中ですけど』

『判ってるならもうやめろ』

『いつか温情で負けてくれるまでやめません』

『……………………』

『班長もアンさんに何か言ってくださいよ。ほらほら』

          

 一瞬温度の下がった空気を打ち砕くかのように、カメラがヒューに近付く。

 ぶつぶつと聞き取れない何かの後急に画面が大揺れし、すぐ水平に戻った。

        

『自分で言ったらいいじゃないですかー』

『俺が言っても今更だから、お前の方がいいんだよ』

『うー』

         

 カメラを奪い取られたのだろう、映し出されたのはルードリッヒの顔。

 ちょっと恨みがましくカメラのやや上(多分ヒューの涼しい顔だと思われる)を見つめていた青年が、気を取り直してこほんと咳払いした。

        

『では、特別官舎及び特務室を勝手に代表しまして、ルードリッヒ・エスコーがアンさんにご挨拶を』

        

 抱えた膝に顎を載せたアンは、テレビの前で「はい」と答えた。

      

『ようこそ、アンさん。

 ぼくらはみんな、心よりあなたを歓迎します』

        

 ルードリッヒの笑顔がファイドアウトし、右下に現れたささやかな文字列。それを視線だけでなぞってからふと口元を綻ばせたアンは、引き寄せるようにして固く抱えていた膝を伸ばし、両腕を伸ばし、テレビの前に仰向けに転がった。

「つづく」と洒落の利いたお終い。

 何がどう続くのか。それは、今日からアンが決める。

 なんだか忙しかったが、いい休日だったじゃないか、とアンは、睫の先で跳ねるささやかな光の粒子をぼんやりと目で追いながら思った。それは単純に、画面に映し出されている砂嵐から反射する「残影」だと少年は知っていたが、なんとなく今は、その粒子ひとつひとつが今見たばかりのビデオのひとコマひとコマのような気がする。

 荷解きはまだだが引越しも無事に済んだし、楽しい食事も宴会もあったし、今日だけで大勢友達が出来た気分だし。

「…………疲れた…けど…」

 確かに疲れてはいたけれど。

「楽しかった」

 呟いて、杞憂など微塵もない清々しい吐息を天井に吐き付けて、アンはゆっくりと瞼を閉じた。

        

         

「君は、そのままでいいよ」

       

       

2004/02/06 goro (2004/02/24:2007/02/16 訂正) 

  

   
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