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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
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自分で「良い」と言ってしまった手前あれこれとやかましく文句を言い募る気もないし、そもそもそういう細かい事にいつまでもしがみ付いていられる性分ではない筈なので、まぁつまり、この居心地の悪さをどうこうしようとも、彼、ベッカー・ラドは思わない。しかし、この青年は不運というか、不幸というか…。ご愁傷様。とベッカーは、相変わらず眠たげな金色の双眸を、正面に座した人物に向けた。

ベッカーに「不運だか不幸だか」と称されたのは、そう広くない…とは家主の感想であって、庶民である青年にしてみれば十二分に余裕ある…応接室の中央辺り、楕円のローテーブルを挟んだ肘掛椅子とソファの内、大窓に向かう長椅子に収まった、亜麻色の長い髪と琥珀の光沢を持つ碧の瞳の青年、リリス・ヘイワードだった。

それまで、膝の上に組まれた自分の手に気まずげな視線を落としていたリリスが、不意に顔を上げる。それは別に唐突な行動でもなんでもなく、正面に腰を据えたベッカーが無遠慮に向けて来る視線に気付いたからだろう。

さて、こちらは相変わらずやる気なく背凭れに身体を預けているベッカーは、細長い足を持て余すように組み替えて、広く余裕のある肘掛椅子の座面に投げ出していた手の指先を、意味もなく二、三度握ったり開いたりした。そう、彼の行動に意味は無い。しかし、いつ何時も晴れる事無く眠たげな金色の双眸から注がれる、全く持って感情の欠片も見えない凪いだ視線に、リリスは内心うんざりと溜め息を漏らした。

「………」

いやいやしかし。

なんというか、無茶? だか無理だかを言って屋敷を貸して貰っている、いわば歓迎されない居候のような状況で「何見てんだこのやろう」と言い返すほど、リリスは非常識でない。うん、そう、今は非常識でないと思っているし、今後も是非そう思い続けたいので、つまり、何か言いたい事があるなら言ってくれないだろうか、という意思を込めて、リリスはそのくすんだ金色の双眸から視線を逸らさなかった。

結果、二人は特に会話するでもなく、お互いを探り合うでもなく、真っ向から睨み合っている訳だ。

そもそも、様々な事情と少々の思惑、多大なる創作意欲によって、リリス・ヘイワードことセイル・スレイサーが王都警備軍電脳魔導師隊第九小隊副長ベッカー・ラドの屋敷に出入りするようになった経緯は明白だとして、だがしかしなぜ青年は。

「つうか今更なんだけどもさ」

ようやく、だった。

賞味十分近くも無言で見つめ合ってから、ようやく、ベッカーは肘掛椅子にだらりと座ったまま、つまりは一切身じろぎせずに、声を発した。

「なんで君、こんな朝からここに居んの」

いやそれ訊くの遅ぇだろ。とミナミなら確実に突っ込んでくれるような事を問われて、しかし、リリス…セイルはむしろやっと質問して貰えた喜びにガッツポーズしたい気分だった。だってそうだろう。明らかに不自然で明らかにあり得ない状況なのにも関わらず、それをスルーするでもなく、何か問い掛けるでもなく、だからといって受け入れているようでもない場合、勝手に口を開いて良いのか、実は万事了解済みだから放置されているのか、判らない。

袋小路ってこんなに恐ろしいものだったんだと、セイルはその日学んだ。

「今丁度撮影時間帯が深夜なものですから、バスクさんのご厚意で一週間程客間に宿泊させて貰ってるんです。…あっ、と…ぼくだけ、だ…けど」

最後の部分がちょっと小さくなってしまったのは、別に言い訳なんかじゃない。とセイルは姿勢を正したまま視線だけを下げた。

中途半端な敬語の上、叱られるのを待つ子供にみたいなセイルの、普段の…と言うほど青年の事を知っている訳ではなかったが…威勢の良さがないのに、ベッカーはつい吹き出してしまった。

「…なんですか」

笑った途端に顔を上げたセイルの棘を含んだ問い掛けに、ベッカーは相好を崩したままなんでもないと顔の前でやる気なく手を振った。別にここに青年が居る事を咎めた訳ではなかったし、単になぜ居るのか不思議に思っただけなのだが。

「ドイルがいいつったなんなら、別にどうでもいいんだけどもさ」

ラド家唯一の執事であるドイル・バスクが良いと言うのだから、もっと堂々とすればいいのに、というのがベッカーの感想だった。まあ、青年が当惑するのも判らないではないが。

色々と複雑な事情が絡み合って、結果的にリリス主演ムービーの舞台にラド家が決まってから早数週間。時折帰宅するたび見た事もない機材が増え、忙しそうに歩き回るスタッフが増え、どこかで見た事のある俳優たちが屋敷を出入りするようになっても、ベッカーの生活はさして変わらなかった。

いつもと同じだ。厄介事が舞い込み、執務室では面倒事が待ち構え。時折襲って来る頭痛に悩まされながら、薄暗い部屋でからくり人形を組み立てるだけの、緩い日々。

だったはずが。

ひとしきり笑って気が済んだのか、ベッカーは肘掛椅子に収まったまま頬杖を突いて、目に掛かる不揃いなくすんだ金髪越しにセイルを眺めた。特に何かを話すでもなく、これ以上の質問を繰り出すでもなくだらりとした気配で身を護る男を、正面の青年はじっと見つめている。

実の所、朝からセイルが私室応接間に陣取っているのを見た時、ベッカーは先日特務室に呼び出された意味を、ようやく知った。今回のこの撮影に係わる「可能性」として話された内容は突拍子も無いようにして、現実的でもあった。

曰く、リリス・ヘイワードの身の安全のために、お前は屋敷に詰めて居ろ。と。

一皮剥けば豪腕スレイサー一族の一端を担う青年を護ってやるほど自身は偉くもなく、そもそも向こうだって護って貰いたいとも思っていないだろうとなけなしのやる気を出して抵抗してみたが、滔々と語られる事象は決して笑い飛ばせるものでもなかったし、「青年の腕っぷしでどうにかなるものでない」とも思えた。

だからといって「それ」をベッカーが喜んで享受した訳でもなかったが、最後には命令だからしょうがないと思ったのも、確かか。

登城する面倒はなくていいな、くらいは考えたかもしれないけれど。

さて。ベッカーの淡々とした日常に突如現れた青年をそこで救ったのは、普段通りの時間に朝食を準備したドイルだった。

「おはようございます、旦那様、セイル様。食堂にお食事の準備が整いました」

朝から一部の隙もなく執事然としたドイルが姿を見せて、褐色の肌に映える金髪を下げ声を掛けると、セイルは明らかに安堵の表情を浮かべて立ち上がった。

「―――いつまでだ、ドイル」

一呼吸遅れて長い足を解いたベッカーが言いながら立ち上がり、セイルは不思議そうに小首を傾げ、問われたドイルが「はい」と答える。

「当面、夜間撮影が終了するまではとお話しさせて頂きました」

つまり、撮影スケジュールによって期間は定まっていない、という返答に、ベッカーが相変わらず面倒そうに「ふうん」と返す。

「…ま、どうでもいいんだけどな…」

それがベッカーでない誰かの指示なのか、本当にドイルの一存なのか、男は興味を持たなかった。ただ、不自然でなく青年を足止めする手間は省けた。

「撮影時間なんか考えたら、通うのは面倒だろうから、居たいだけ居たらいいさ」

やる気なく告げてからベッカーは、俯いた首の後ろをがりがりと掻き、一つ、疲れた溜め息を零した。

     

     

ベッカーの世捨て人紛いな生活を強制終了させた張本人が王下特務衛視団準長官ミナミ・アイリーだと判明した瞬間、男は全てを諦めて溜め息を一つだけ吐いた。何せ相手が悪い。これはもう、逃げ隠れ出来るレベルの話ではない。

リリス・ヘイワード主演のムービーに屋敷を提供すると自分で言ってしまった手前、今さらあれこれごねる気はない。だからベッカーは、特務室に呼び出されて電脳班執務室に連れ込まれ、ハルヴァイトとミナミに対峙した瞬間から、色々と諦めていた。

もう、これは、振り回される事請け合いだ。

「セイル君の撮影場所がラド副長のトコに決まったの、結果的には良かったよな」

相変わらずの無表情でありながら多少機嫌良さそうなミナミの声音に、ベッカーはだるく「どうも」と答えた。何やら企みが含まれていると知っていたらそんなバカな申し出はしなかっただろうと、諦めは付いたと思いつつも、内心うんざりする。

そう、企みだ。

リリス主演の新作ムービーがこの時期に撮影に入ったのも、そもそも、その舞台に「本物の廃れた屋敷」を使いたいと監督が言い出したのも、純然たる「偶然」に過ぎない。しかしその「純然たる偶然」を「まるで謀った」ように、自分たちの都合良いように書き換えて、組み替えて、思い通りに物事を運ぼうと画策…ですらないだろうとベッカーは思う。この二人ならば、ただ何もせずそこに居てにこりと微笑み、一言予想外の台詞を吐くだけで、世の中の方が勝手に良いように、または悪いように物事を解釈し、結果、彼らの思い通りに動いてしまうのだろう…したのは、良くも悪くも、という冠で飾られた、最強、最悪の天使と悪魔か。

最凶、最悪の。

結果、監督の希望通り新作ムービーはラド邸を舞台に撮影され、本来なら城詰めで雑事に振り回されるはずだったベッカーは。

「―――暫く登城すんな?」

また意味の分からない事をあっさりと告げられて、さすがのベッカーもきょとんとその眠たげな金色の双眸を見開いた。

さてここで、暫く登城するなという余所の上官ども…一応、ベッカーの真の上官は電脳魔導師隊大隊長グラン・ガンだ…の突拍子もない発言を受けて、暫く仕事しなくていいなんてラッキーだねーなどというつまらないボケを普段通りに吐けるほど、やる気などどこかに置き忘れて来たような男は、馬鹿ではない。図太くない、かもしれないが。

では、城に来ず、何をさせられると言うのか。

「確認事項としてさ」

瞬きを減らした金色に見つめられて居心地悪いなどという気配は微塵もなく、ミナミは平素の無表情を全く崩さずに口を開いた。

だからこれは、どんなに柔らかな口調でどんなに差し障りの無い言葉を選んで告げられたとしても、完全なる「命令」だ。敵前逃亡は銃殺刑。

なんて、死んで逃れる事さえ許されない類の。

「現在電脳魔導師隊第九小隊は、「諸般の事情により」一部隊員の隊員資格停止。その「諸般の事情」に関係して通達された「諸事情により」心労を引き起こした隊長が、無期限療養中。現在の正常勤務者は、副長、砲撃手、事務官の三名のみ」

こちらもいい勝負なのだから他人の事をとやかく言うつもりはないが、ミナミもハルヴァイトも、ベッカーに対するこの話題に大して興味は無いように見えた。

だからその事項は、淡々と机の上に並べられる。悠々と足を組み、瞬きも少なに見つめて来るダークブルーに、ベッカーは苦笑と溜め息を返した。

それを了承と取ったのか、ミナミが表情筋一つ動かさず頷き返す。

「本日付で、電脳魔導師隊第九小隊の現在活動中の隊員は、一時措置として王下特務衛視団電脳班の命令下に置かれ、砲撃手ウィンリイ・ウェイスバーグは一般警備部射撃訓練場にて隊員の指導、一等事務官メリル・ルー・ダイは電脳魔導師隊執務棟にて通常業務及び執務棟受付業務を兼任」

まぁ、ここまでは良いだろう。とだらしなくソファに収まったまま、ベッカーはだらけた仕草で頷いた。そう、ここまでは良い。大抵の場合、魔導師隊の砲撃手というのは腕に覚えのある者が多く、着任までの経緯が多少特殊なデリラですら、城内競技大会の拳銃部門と砲筒部門で上位入賞の実力者だ。その大会の長銃部門で二年連続入賞したウィンリイが射撃指導官になるのは、ある意味妥当だろう。

そして、妥当といえば続くメリルも、妥当過ぎるくらいに妥当な配置だと言える。まず、執務室には留守番が必要だ。小隊に直接下される命令がないにしても、魔導師隊一斉通達はあるだろうから、誰か受け取る人間がいなければならない。それに、魔導師隊執務棟のインフォメーションカウンター業務は通常各小隊の事務官が交代で行うのだが、現在第七小隊が特務室電脳班の傘下に入っている都合上、シフトが相当乱れていると聞いた。その穴埋めのために比較的暇な…何せ留守番だ…メリルを置くのも、なんら不自然ではない。

では。

小隊の活動もなく、相棒たるイムデも不在の、ベッカーは。

「ラド副長は、名目上無期限自宅待機。でも、実際はさ」

ミナミが先からぴくりとも動かず淡々と述べる間、ハルヴァイトもまた少しも動かず、ベッカーに視線さえ向けなかった。ただ、正面に座す、世の中の全てに倦み疲れたような男をやや斜に捉え、光も射さない鉛色を虚空に据えている。

「リリス・ヘイワードこと、セイル・スレイサーの護衛を頼みてぇ」

多分、ベッカーがリリスの本名…かのヒュー・スレイサーのすぐ下の弟の名前をきちんと聞いたのは、その瞬間が初めてだっただろう。

「つうかさー、あの豪腕に護衛なんていらんでしょう」

呆れたと言うか疲れた感じに吐き出しながら、ベッカーは薄く笑った。いや、確かに初対面ではチンピラに襲われる青年の前に颯爽…?…と登場し手を出してしまうという大失態を犯したが、その正体を知ってしまえば、むしろ有事の際にはこちらが護って貰う方ではないかと思う。

「相手が目に見えて、尚且つ殴れば怯んでくれて痛いと言ってくれるような相手ならな」

無表情に肩を竦めて言ったミナミの顔を見つめたまま、ベッカーは首を捻った。

「んじゃぁ何かい、仮に、ムービースターに護衛が必要だとして、そのムービースターを狙ってる相手ってのは、目に見えなくて殴っても怯んでくれなくて、痛いとも言わないって? そんなまさか、機械かスレイサー衛視みたいな奴が、ほいほいとそこらに居るもんかねぇ」

目の奥に微かな痛みを感じながらハハハと適当に笑って見せたベッカーに、しかし、ミナミはくそ真面目な無表情でこくりと頷いて見せたではないか。

そんな、まさか。

「どうやらヒュー程強かねぇけどさ、いろんな意味で「機械」ってのには、当て嵌まると思うよ? 俺はね」

その一言は余りにも簡単で、しかし余りにも重々しく、ハ、の形の薄っぺらい笑顔を表層に貼り付けたベッカーの顔を凍り付かせた。

     

     

結局自分は一言も発しなかったハルヴァイトから一枚の臨界式ディスクを押し付けられて電脳班執務室を追い出されたベッカーは、普段以上に疲れた気分で第九小隊の執務室に戻り、相当渋々ながら件のディスクを読み込んで内容を確かめた後…、また馴染の頭痛に悩まされソファに沈んだ。

その時、室内に残っていたウィンリイとメリルが心配そうに男の様子を窺ったり、額に冷えたタオルを載せてくれたりしたものの、ベッカーにはそれに礼を言う気力も残っていなかったが。

曰く。

     

隠匿されている違法電脳魔導師、機械式、又は魔道機が、リリス・ヘイワード襲撃を企てている可能性が高い。

     

こめかみから鮮血の吹き出しそうな激しい頭痛をやり過ごしつつ、ベッカーはぼんやりと天井を眺めて考える。

何か。そう、何か飛んでもない事が自分の知らない場所で起きているのは、判っていた。それが、暫し前に城を騒がせたミナミの関わる、アドオル・ウィンを発端にした事件と関係あるとも、ハルヴァイト失踪の際に巻き込まれたから、なんとなく判っている。

それで今更何も聞いていないし見ていないから、今後一切関わりありません。とならないのが、この世の恐ろしい所か。結局、関わってしまった事柄に目を瞑り耳を塞いでみた所で、「関わってしまった」という事実が折り重なった過去と言うデータから消去される事はない。

     

嗚呼。それはまるで自分の人生のようだ。

     

何の気なしにそう思い浮かべて失笑し、ベッカーは全て諦め受け入れる覚悟をした。そこまでの経緯は良いとしよう。流されて関わらせられた、と責任転嫁するくらいの横暴はいつだって働けるつもりだ。しかし、今回舞い込んだ、この、リリス・ヘイワード護衛任務から先に起きるであろう数多の騒動と事件については、自ら首を突っ込んだようなものなのだから、抵抗など虚しく空を切るだけだ。

何か詮無い事をだらだらと考えながら、ベッカーは冷や汗の浮いた額に腕を載せて、顔を覆った。それでようやく息苦しいような表情を作り、深く、深く…もしかしたら断末魔の喘ぎのように…息を吸う。

そう、それはまるでベッカーが今日まで歩んで来た、決して長くはないが短くもなく、平坦でもない人生と似ている。流されて抵抗せず諦めて甘受して。ほんの少しだけ、本当に少しだけ気まぐれを起こせば。

何もかも、上手く行かない。

がんがんと頭蓋骨を内側から叩くような頭痛に耐えかねて更にきつく眉間に皺を寄せ、ベッカーはやはり少しだけ唇の端を吊り上げて嗤った。

呆れる。呆れる。本当に。死にたいと思った事は今まで一度もなかったが。

     

何も考えない、機械仕掛けのからくり人形になりたいと思う程度には、彼は「彼」に愛想を尽かしていた。

  

   
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