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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ |
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正直、メリルという一般的且つ常識的な人間が長く務めるのは無理なのではないだろうかと思われているのが、電脳魔導師隊第九小隊だった。隊長があれで副長がこれで砲撃手がそれで? その中でよくもまぁこの大人しそうな事務官がやって行けているものだ、と…。 ちなみに、残りの二人に特筆すべきは何もない、いかにも普通の「魔導師」だ。一人は一応貴族階級だが家族がどうにも犯罪者(…)気質で問題ありだったり、もう一人はあまりにも普通過ぎて、かえって浮いているとしても。 床に座り込んだままウィンリイとメリルを両腕に抱き締めてわんわん泣いているイムデのつむじを見下ろし、ベッカーは乾いた笑いを漏らした。 ラド邸に着いてからのそう短くない時間の殆どを泣いてばかりいるイムデの腕から逃れられないウィンリイは、しがみ付いて離れない小隊長に向かい合うようにしてきちんと床に正座しており、もう一方の腕に拘束されているメリルはびっくり眼を見開いて尻もちを突いている。多分、入室してすぐに飛び込んで来たイムデに抱き着かれた人間としての結果はメリルの方が正しいのだろうが、膝から床に泣き崩れようとする少年を抱き留めたウィンリイの行動も、また正しいのか。 さて。 相変わらずソファに座ったまま、肘掛に預けた腕で自分のこめかみを叩きながら苦笑を漏らしているベッカーが昏い金色の双眸でぼんやりと眺めているのは、一塊になっている自分の上官と部下ではなく、意図せずこの騒ぎに遭遇し引くも押すも出来ずに当惑している、招かれざる客だった。ああ面倒臭い。 今室内で繰り広げられ、この後も継続するであろうこの騒動を事細かに説明し納得して貰うつもりは毛頭ないが、さすがにここでハイご苦労さんお帰りはあちらと言う訳にも行かないだろう。 ベッカーはそこで深く深く溜め息を吐き、開け放たれたままのドアを背にして居心地悪そうにしているセイルとクレイに手招きした。 一瞬顔を見合わせ、それでも呼ばれたのだからと室内に深く入り込んで来る二人を眺めつつ、ベッカーは戻って来た頭痛を逃がすように細い指先でこつりこつりとこめかみを叩いた。面倒臭い。でも、いくら自分が人でなしを気取っているとしても、ここまで意味不明の事象を見せつけられて戸惑う人間をばっさりと切り捨てられるほど非情には成りきれない。 なんとなく。 「…いやぁ、まさかあのガリューを羨む日がオレに来るたぁ、思ってもなかったわ」 うんざりと呟いてから、近付いて来た俳優と脚本家に向かいのソファを勧め、座れと促す。 とはいえ、ベッカーはハルヴァイトを「非情」だとは思っていない。ただあれには、あの「天使」に係わるもの以外をばっさりと切り捨てる潔さがある。そう、いっそ呆れるほどにミナミに意識を割き過ぎて、自分の中でミナミ以外はどうでもいいと簡単に答えを出し過ぎて、時にそのミナミさえ傷つけても平然としている。 「質問には答えるけどもさぁ、オレからあれについて…」 あれ、で、床に座るイムデとウィンリイとメリルを顎でしゃくったベッカーは、持て余していた細い脚を組んで小首を傾げた。 「君らに説明するつもりはない」 質問には答える用意がある。しかし、自ら進んで説明するつもりはない。その発言をどう捉えていいのか、セイルもクレイも迷う。 問えば、答えてくれると言う。 疑問は。 クレイは果たしてここでどう行動するのが最適なのか、正直なところ迷った。訊きたい事は沢山あるような、でも、訊いて…部屋の片隅に控えている執事の機嫌をこれ以上損ねるのは得策でないような、複雑な気分で眉を寄せ、喉の奥で小さく唸る。 ソファの真ん中にふんぞり返るベッカーをやや右正面に据え、きちんと背筋を伸ばして座すセイルはと言えば、当初の戸惑うような表情を消し、じっと金色の双眸を見つめている。いつもなら判り易いほどくるくると動く表情はなりを潜め、ただ、室内の空気を読んでいるようだと見つめられた男は思う。 読んでいる。 この、青年は。 「御三方は、ラド副長の所属する小隊の方なんですよね」 一手置き。 「そう。隊長さんと砲撃手と、事務官」 「判りました。ぼくらは後から来た御二方をこちらに案内して来ただけですから、これで失礼します」 あっさりと、引いた。 あれこれと脳内で質問に優先順位を付けていたクレイは、言い置いてすぐにこりと微笑み会釈して立ち上がったセイルを視線だけで追い掛けてから、びっくり顔のまま慌てて自分も立ち上がった。 訊きたい事がない訳ではない。しかし、自ら進んで説明しないと言う事は、つまりそういう事だ。 ベッカーに目礼したセイルは、当惑して落ち着きなく周囲を見回すクレイを蹴飛ばす勢いでソファの前から追い出し、立ち上がった事で集中した室内の視線に再度笑みを見せて小さく頭を下げた。 つまりそういう事。訊かれれば話す。そうでなければ話さない。 話すつもりは、ない。 そう暗に示唆されて、しかし、セイルはベッカーを身勝手で冷たい人間だとは思わなかった。疑問には答える用意があると言う事は、完全なる部外者なんだからお前らはさっさとどこかへ行けと言われた訳ではない。 なぜなのか、青年はそんな一言で満足してしまったのだ。 ドアの直前、床に座り込んだままぽかんとしているメリルと、えぐえぐと泣き続けるイムデの頭を機械的に撫でるウィンリイに向かう形で室内を移動しながら、セイルはそういえば、と思い立った。 今目の前で床に尻もちを突いたまま目を白黒させている金髪の青年の名前は、なんとかルー・ダイと言わなかっただろうか? と。 当然、ベッカーに彼はアン魔導師…とは呼ばないが…の関係者か何かなのかと訊ねれば、その程度はすぐに答えて貰えるだろう。しかしセイルはその小さな疑問を後回しにして、イムデ以外の青とKから注がれる視線に怯む事なく薄く笑んで会釈し、その横を通り過ぎようとした。 今すぐに訊ねる事は何もない。彼らの職場の問題? にくちばしを挟むつもりもないと態度で示し、ムービースターは静かにその「舞台」から退場しようとする。 だが、しかし。だ。 「居候」 その青年を呼び止めたのは、他でもないウィンリイの方だった。 本来ならスルーして何ら問題もない筈なのに声を掛けられて、セイルはぴたりと足を止め首を傾げた。 「はい?」 旋回して下降する、琥珀の光を内包した薄緑色の、瞳。 「かつら、何?」 「は?」 問う間も、ウィンリイはイムデの頭をでろでろと撫でている。いや、最早撫でていると言うか、柔らかそうな砂色の髪の上で機械的に手を上下に動かしているだけかもしれないが。とにかく、セイルに向けた髪に覆い隠されてはっきりとは表情の判らない顔以外は、しがみ付いているイムデに預けたまま淡々と言って、軽く小首を傾げる。 「はぁ」 「あぁ」 「あ!」 言われて一瞬きょとんとしたセイルの手元に視線を流したベッカーが疲れたように息を吐きながら、青年の背後に着いていて視線を下げたクレイが腑抜けた感じに、そして、当のムービースターの中の人がさも驚いた風に、感嘆。 忘れてた! というのがセイルの正直な感想か。うっかり。 そう、青年は、ウィンリイとメリルに遭遇する直前に外したウィッグを、未だしっかりと片手に握ったままだったのだ。 「かつら」 あの、えと、と、顔の高さまで差し上げた手で握り潰してしまいそうな、亜麻色の長い髪。理由は判らないけれど隊長さんがそんなに大泣きしてるんだから僕のウィッグなんて些末事に気を取られる必要なんかこれっぽっちもないでしょうに! とセイルは内心悲鳴を上げたが、問うたウィンリイから発する返答を待つ空気をしっかりと読んでしまって、思わず口籠った。 「仮装大会?」 いきなり突拍子もない事を言い出したウィンリイに驚いてなのか、一瞬前までほぼ号泣のイムデまでが泣くのをやめ、睫毛の先端に水滴を付けたまま首だけをくりっと回してセイルを見上げる。もう何これやだいたたまれない! と青年は、完全に問う視線に晒されたまま内心頭を抱えた。 「い…まは、それよりも、重要な、事が、あるのでは、ないでしょうか」 ますます力強く握り締められたウィッグが窒息するかのようにきゅうと震え、なんとかかんとか絞り出したセイルの声も、震える。 「重要?」 言われてこてんと首を傾げたウィンリイが、自分の胴体にしがみ付いたままのイムデに視線を戻す。そうそうそれ! はい、そこ重要! と内心ガッツポーズしそうになったセイルの希望はしかし、次の彼らの行動であっさりと霧散したが。 「重要。たいちょー、お仕事辞めたいんだよね」 余りにもあっさりと吐き出されたセリフに、思わずぎょっとする、セイルとクレイ。しかし、問われた…というよりも、判っていた事を確かめたようにしか聞こえなかったが…イムデもまた、嫌に軽い仕草でこくんと頷く。 「ごめ…ね。ぼく、やっぱり…だめ、だったよ」 恐々と小さな声で言って、ウィンリイ、メリル、と順番に動いた戸惑いがちな視線。 「――自分が大事、それ、仕方ないよね、ベッカー」 窺うようなそれを真っ直ぐに受け取って、ウィンリイが小さな笑みもなく、素っ気なく言い置くと、微かに、セイルの眉が寄った。 その、青年の発する不機嫌さに気付いたベッカーが、小さく肩を竦める。 「誰かのために我慢するとかさぁ、嫌だ嫌だと思いながらなかった事にするとか、そういう、聞き分けの良い大人な対応なんてぇのは、プライドに縋り付いて人目を気にしなくちゃなんねぇ連中に任せていいんじゃないの?」 結局は、さ。と、絡まるように抱き合ったイムデとウィンリイとメリルから逸らした視線を真正面に据え、男は疲れたように、吐き出すように笑った。 「誰だって、自分が一番かわいいモンでしょうに」 誰だって。 自由に、奔放に、勝手気ままに生きたいのだ、きっと。しかしそれは例えば「自分」を取り巻く環境だとか、責任だとか、柵だとか、そういうものに邪魔されて忘れ去られ、または心の奥底に追いやられてしまう。 「切れるワイルドカードは切ったらいいよ。引けない瞬間だけを読み間違えなきゃ、そんでいいんじゃね」 ベッカーは、一度だけ吐き出すようにして苦笑した。 「イムデが軍を退役したいってのは、逃げ出す事にはなんないでしょ」 例えば誰かがイムデ・ナイ・ゴッヘルは「逃げた」のだと言ったとしても、イムデ・ナイ・ゴッヘルを知る誰もはそう思わないだろうとベッカーは考える。むしろ、よくここまで踏み止まったものだと感心するかもしれない。 「大丈夫だよ、イム。―――お前の分まで、リイとメリは、オレが責任持つから」 部外者であるが故に余計な口を挟まずにいたセイルは、ぼんやりとどこかを見つめ呟いたベッカーの削げた頬に視線を当てたまま、ふと、思った。 こうやってこの人は、抱え切れない「何か」を一つ一つ抱え込み、何も知らないような顔をして、何ものにも関わらないような顔をして、そのくせその一つ一つを放り出す事も出来ず、それから逃げ出す事もせず、疲れ果てて行くのだろうか。と。 「ナイ小隊長、非番の日には、ケーキを焼いてお屋敷をお尋ねします。ウィンリイさんも誘って。だから、ぼくたちの事は心配しないでくださいね」 少しの静寂の後、沈んだ空気を払拭するかのように、柔らかく、メリルが微笑みながら言う。 「ぼくは、魔導師隊に入って、ナイ小隊長にお会い出来て、本当に良かったと思っています」 小首を傾げるようにして言い足したメリルの顔を見上げ、イムデがまたひくりとしゃくりあげた。
ずっとずっと、お友達で居て下さいますか?
ウィンリイに倣って床に正座し直したメリルが言って、結局、イムデはまた小さな子供みたいにわんわんと泣き出した。
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