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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
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極端な人見知りで対人恐怖症。イムデ・ナイ・ゴッヘルが「そんな風」になってしまったのには根の深い理由があるのだと、諦めに似た溜め息を吐きながらベッカーに言ったのは、他でもない、イムデの従妹に当たるスーシェ・ゴッヘルだった。

だからと言ってその理由とやらを根掘り葉掘り訊くでもないのはベッカーの美徳なのか、違うのか。ともあれ、同じ小隊に所属しているという事実以前にイムデの相棒である男は、それなりに少年を気に掛けていて、それに感謝しているとスーシェもいつか言っていた。

「お前、まさか一人でここまで来たの?」

首根っこに噛り付いて顔を伏せたきり離れようとしないイムデをくっつけたままリビングのソファに腰を下ろしたベッカーは、自分の腿をまたぐようにして居付いてしまった少年の砂色の髪をぐるぐると撫でながら、呆れたように呟いた。だとしたら、珍事というか、奇跡ではないだろうか、それは。

「…誰にも…、言ってない…」

ひっくひっくとしゃくりあげる間に挟まれた弱々しい声に、そりゃびっくりだ、とやる気なく相槌を打つ。では、とりあえず関係各位に連絡してやらなければ、イムデ失踪で捜索願が出され兼ねない。

手っ取り早くバックボーンを使って脳内に立ち上げた通信陣で、働き者の執事にナイ・ゴッヘル邸にイムデ来訪を伝えさせる。それから…と、天井に視線を投げたまま幾つかの可能性を思い浮かべて、男は再度小さく嘆息した。

「ベッカ…、ごめ…ね」

痩せて小さい肩をますます小さく寄せたイムデが吐く息のような声で呟き、顔を天井に向けたまま、金色の双眸だけを動かして自分の胸元に伏せている砂色の小さな頭を見下ろす、ベッカー。

「お前がさ、オレに謝るような事、何かあった?」

薄笑みもなく飄々と言い置かれた言葉に、また少し、イムデの啜り泣きが大きくなる。

「ぼくが…こ…こんな、で、…ごめ…ね」

それは、哀しみか。「こんな」である自分に対する苛立ちか、悔しさか。

泣きたいくらいの、決断か。

「ぼく…。

魔導師隊…辞める」

その瞬間だけ、イムデは顔を上げた。

顔を上げ、涙で滲んだ瞳でベッカーの緩い表情を見つめ、きっぱりと言い切って。

「うあああああああああああああああああああああああん」

堰を切って溢れた涙に押し負けるように、まるで小さな子供みたいに、声を上げてわんわんと泣き出した。

     

     

よしよし、がんばったな。お前はさー、ゴッヘルって名前だけで訳も判んないうちに小隊長になんか担ぎ上げられて、でも、よくがんばったよ。うん。

でもダメだった。もうこれ以上がんばれないよ、ぼく。ぼくがこんなで、ベッカーに頼ってばっかりだったのに、ごめんね。

スゥにもいっぱい迷惑掛けたのに、最後までがんばれなくて、きっとスゥはぼくの事嫌いになるんだよ。それが嫌だからもう少しがんばろうって、思ったりもしたけど、でも、やっぱりぼくダメだったよ。

みんなきっとぼくに失望するんだよ。やっぱりあいつはダメなやつで、ゴッヘル家の面汚しだって言うんだよ。

あのさぁ、まず、スゥはそのくらいでお前の事嫌いになるような奴じゃないでしょう。むしろ、よくがんばったお疲れ様ってさぁ、いつもみたいににっこり笑って言うんじゃないの?

でもぼく、スゥを一人だけ魔導師隊に残して、逃げ出すんだよ? きっとスゥだって、ぼくに失望するんだ。

     

「…お前に失望なんてしないよ、スゥは。それに、スゥはもう一人じゃねぇしな。お前さ、デリ、好きだろ? 今度は何があってもデリがスゥを護ってやれんだからさ。デリはそのために、衛視になってすぐゴッヘル卿に頭下げに行ったんだから、今までお前を温かく見守ってくれたスゥと、スゥの大好きなデリを、お前も信じてやんないとさ」

     

でもぼく、ベッカーも、メリも、リイも残して、勝手に辞めてくんだよ?

オレがお前に失望してるように見えんの?

見えない! でも…、でも!

     

「も、ウィンリ…とも、メリ…とも、今まで、み…みたい…に、会ったり、話し…たり、出来ない、もん! み…な、ぼく、の…事―――うえええええん!」

     

んなワケないでしょ。二人とも、お前の事判ってくれてただろ? きっとさー、あいつらもお前はがんばったってそう言うよ。

言わないもん。判んないもん。みんなぼくの事ダメなやつだって言うもん。魔導師のくせにって言うもん。何も出来ないくせに逃げ出すのかっていうもん。

     

小さな子供みたいに駄々をこねて泣きじゃくるイムデの頭を撫でながら、ベッカーはもうどうしようもなくて、困ったように首を横に振った。

「とりあえず、今はさー、気が済むまで泣いたらいいよ」

自分に対する苛立ちに泣き喚くだけのパワーがあるなら、それは、好ましい事だとベッカーは思った。

     

     

何度も監督からのダメ出しを食らい、どうにも調子の出ないままなんとかかんとかその日の撮影を終えたセイルは、「リリス」の艤装を解かないまま玄関ホールに残って、一塊になって帰るスタッフを笑顔で見送った。

スタッフは基本的に朝と夕方…撮影時間によっては一日のうちのどの時間帯になるのか判らないのだが…、セイルを除くほとんどが一緒に行動している。しかし、数日前までの例外として、ムービースターだけは目立つのを避け、一人、マネージャーであるセツと共に時間をずらして上級庭園に出入りしている、という建前だった。

ここ何日かは、そのセイルの付き添いがセツではなく脚本家であるクレイに変わったが。

今までどことなくざわめいていた屋敷に静寂が戻り、セイルは小さく嘆息して天井を見上げた。

一人この屋敷に残されるのは、正直、少々気が重い。別に居心地が悪い訳…ではない。あの主人に手が掛からな過ぎて手持無沙汰なのだろうドイルがあれこれと細やかに気を遣ってくれるし、その執事の手料理は意外にも玄人はだしで美味しいし、食事時しか顔を合わせない家主の緩い空気にさえ慣れてしまえば、一人暮らしの自宅よりものんびり出来るくらいだ。

それでもセイルが「気が重い」と感じるのは、やはりというべきか、あの主人の存在だろう。何を考えているのか判らない。特にこちらを窺っている訳でもないし、関わって来る訳でもないのに、付かず離れずの距離を保ち続けている。

天井に向けていた顔を、がくりと肩を落とすのと同時に今度は床に向け、セイルはもう一度憂鬱な溜め息を吐いた。

ベッカーは、食事時に顔を合わせればセイルの振る軽い会話にもちゃんと乗って来た。まぁ、その対応がぐだぐだでやる気なく時々強制終了されるという、酷くリズムの悪い物ではあるとしても、下手な問いでなければ普通に? 返事をしてくれる。

特に、セイルの聞きたがる城での兄の様子やミナミの事、他の、青年の知る魔導師や衛視の話については、余り親しくはない、という前提ながら色々なエピソードを教えてくれたりもした。

ただし、自分の隊の話は一切聞いた事がない。

なぜ、登城もせずに日がな一日自室に閉じ籠っているのかも、聞いた事がない。

隠している訳ではないだろうとセイルは思っている。しかし、訊いても答えてはくれないとも。

だからではないが、セイルはベッカー本人の事を尋ねようとは思っていなかった。それは多分、最初にドイルに会った時、別れ際にフローターの中で告げられた一言が、ずっと引っかかっているからだろう。

     

「どうぞ、旦那様には関わらずにいて差し上げてください。そうすれば、不快な思いをする事もありません」

     

良くも悪くも踏み込んで、一撃必殺。兄であるあの銀色に比べれば十二分にお節介で気が短くて気性の激しいセイルさえ、ベッカーの緩い、温い、疲れた雰囲気に近寄り難さを感じる。

それなのに、今日のこの事態はどうだろう。関わるまい関わるまいもういっそ考えるまいあの男の事なんかー! くらいの気概で危うくもこの瞬間まで過ごして来たセイルの決心を鈍らせる、この、大事件は!

上官であるらしい華奢な少年が突然現れて飛びついてぎゅでうわーんでなんなのあの仕方なさそうなくせに手慣れた感じの抱擁っていうか抱っこ。

知らず眉間に深い皺を刻んでいたセイルの視界に、ピカピカの靴の爪先が入り込み、青年は慌てて顔を上げた。

と、そこには、弱り顔の脚本家様が、一名。

「まだ帰んないの?」

「あー、うん、まぁ…」

脚本家が屋敷の奥を気にしながら歯切れ悪く答えたのにセイルは、その心情を慮って苦笑を返すも、今日は諦めて帰りなよと冷たく彼をあしらった。自身は屋敷に居候している身だから帰宅しないまでも、極力気配を消して宛がわれた自室に篭るつもりだ。

ずるずると亜麻色のウィッグを外してふうと息を吐いたセイルを少々恨めし気に見遣り、しかし、クレイも溜め息一つで気分を変える。何が起こっているのか知らないが、さすがに今日はドイルと親しく会話できる雰囲気ではない。

「挨拶くらいはと思ったんだけどなぁ、まぁ、しょうがないか」

ぴしりと着込んだ三つボタンスーツの肩を揺らして苦笑いを漏らしたクレイが、さてでは帰ろうかと踵を返し、毛足の短い枯葉色を基調とした精緻な模様の絨毯を踏みしめて進み、玄関ドアに手を置く。

「じゃぁ、また明日来る…」

肩越しに振り返ったクレイが、ちょっと残念そうに、佇む青年のもっと奥に視線を馳せたのを見逃さず、セイルは苦笑ともなんともつかない曖昧な表情を作って小首を傾げた。子供かお前は。と言いたい。新しく出来た友達に構って欲しくてそわそわしている、初等院のちびっこか。

そうでなければ、まるで。

片思いの真っ最中みたいだよ? とも。

さすがにここでクレイをからかって遊ぶ気にもならなかったセイルが、うん、と頷き小さく手を振ると、何か自分でもおかしいと思ったのだろう脚本家が、弱ったように眉をハの字に下げて、玄関ドアを引きあける。

「あ?」

「え?」

「……」

と、そこには、今まさに呼び鈴を鳴らそうかという姿勢でぴしりと固まる、小柄な人影が二つ。

来客はどうやら、普段ならばきっちりと閉じているはずの門が開け放たれているのを訝しみつつも玄関まで辿り着いたばかりのようだった。それで、来訪を報せようかとしていたところ、勝手にドアが開いて驚いたらしい。

「え…と…」

きょとんと眼を見開いたクレイの正面に立つのは、鮮やかな青色と、濃い深緑色の似たような長上着を纏った青年たち。色は見慣れないものだが、間違いなく王都警備軍の制服に身を包んだ二人のうち、一人は癖の強い金色の巻き毛を肩まで伸ばし青い目をしていて、もう一人はくしゃくしゃのブルネットを分厚くもっさりと…資料映像で見た鳥の巣みたいに…伸ばし、顔からはみ出すような大きさの黒縁の似合わない眼鏡を鼻にひっかけて、黒い目をしていた。

「だれ?」

その、ブルネットの青年がクレイを指差してぶっきらぼうに問うなり、呼び鈴を押そうとしていたらしい金髪の青年が慌ててその手を掴んで引き下しつつ、引きつった顔でブルネットの青年を振り向く。

「だ、だめです、ウィンリイさん。指差しちゃだめです」

「うん、ごめん。で、だれ?」

最初の部分を金髪の青年に向け、丁寧に頭を下げつつ言い置いて、すぐ、ブルネットの青年はまたもクレイに視線を戻した。

目に掛かるほど、というか眼鏡の上半分を覆うほど? 長い? 前髪に半ば隠れてはっきりは見て取れない表情で見上げられ、脚本家は戸惑った。誰っていうか、そちらこそ誰ですか? という心境か。

「…え…と」

「ま、いいや。ベッカー居る?」

訊いておきながらそれかよ、とミナミならば確実に突っ込むような事をさらりと言いつつクレイから正面に顔を向け直したブルネットの青年が、あわあわと慌てふためく金髪青年を引きずって、棒立ちの脚本家を躱し勝手に玄関に入り込む。

最早そのマイペースさに付いて行けずぽかんとしていたセイルの目前で、青年が足を止めた。

「ベッカー、どこ?」

くいっと顎を上げて見つめられ、セイルは思わずぱちくりと瞬きした。

「多分、応接室じゃないかと…」

「ふーん。それ、どこ?」

「ウィンリイさん! ウィンリイさん!」

さっきクレイを指差していた手を掴んでいた筈が、いつの間にかしっかりと手を握り締められて逃げ出す訳にも行かない金髪青年がブルネットの青年の腕を掴んで引き留めるように慌てて言うも、眼鏡の彼は一向に動じた風なく、どこ? と再度セイルに視線を向けて小首を傾げた。

「階段を上って左の…」

「あ、無理。豪邸、迷うよ、おれ。連れてって」

背後の階段を指差したまま、いやまだ左にしか曲がってないし! と…セイルは内心全力で突っ込んだ。

「ほら、早く」

「―――こちらです…」

青年がしぶしぶ答えたのに満足したらしいブルネットの青年は、そこでにこりと微笑み、ありがとう、と、馬鹿丁寧にお辞儀した。

「メリ、お礼言わなきゃ」

「…ウィンリイさん…」

くりっと首だけを向けて言い放たれ、がっくりと肩を落とした金髪青年が泣きそうな声で呟いて、直後、セイルが吹き出す。片方は超が付くほどマイペースで、もう片方はきっといつもこうやって振り回されているのだろうと思ったら、なんだか無性におかしくなったのだ。

「いいですよ、気にしないでください。ぼく、ラド邸の居候なんで、これくらいはなんでもないですから」

ふふふ、と抑えきれない笑みを口元に乗せて言ったセイルに先導された金髪の青年が、何度も、すみませんありがとうございます、と恐縮しながら繰り返す。どこかに特徴がある訳ではないが、小さな顔、色の薄い金髪、青い目がやけに親しみやすく、セイルは本当に気にしないで、と肩越しに二人を振り返って微笑んだ。

「いい人だよ、メリ」

「…はい、良い方にお会い出来て、本当に幸運でしたね、ウィンリイさん」

「うん。世の中の人、短気過ぎるよね。大抵すぐ怒る」

背後で繰り広げられた和やかな会話に、いやそれは多分色々理由があると思いますよ本当に! と内心突っ込みつつ必死になって笑いを堪える、セイル。

玄関ホールから大階段を登り切り、幅の広い廊下を左に折れて、三部屋目、普段何事もなければセイルが通されている応接室の、一つ手前で、青年は足を止めた。

ここはいわゆる執事の待機室で、給仕や話し相手という雑務が無い場合に、ドイルの詰めている場所だった。本来なら背後の客人は希望通り応接室に通すべきだろうが、セイルは今日、そこへ近付けない。

やや緊張気味に頬を強張らせ、目の前で硬く閉ざされているドアを、ノックする。

「あの…バスクさん」

「如何なさいましたか、セイル様。……」

近くに居たのか、一呼吸も置かずに応えがあり、すぐにドアが開く。

「玄関先でお客様に、その―――」

セイルの背後に視線を流したドイルの表情が硬くなったのに、青年は慌てて言い訳しようとした。

この執事はなぜなのか、主人の心労になるような事が彼の身の回りで起こるのを極端に嫌がっているようにセイルには見えた。それは確かにすばらしい忠誠心とも言えるだろうが、それだけとは思い難い、というのが俳優の…スレイサー一族に名を連ねる青年の、か…感想だ。

だから正直、自分は、この見た目がやけに豪華な執事に、嫌われているに違いない、とも。

「ベッカーは」

俄かに蒼ざめたセイルに助け舟を出す気もなく、ブルネットの青年…ウィンリイ・ウェイスバーグは、真っ直ぐにドイルを見上げてぶっきらぼうに問うた。

「ウィンリイさんってば!」

そのウィンリイの態度の悪さに慌てた金髪の青年…メリル・ルー・ダイがまたもや必死になって深緑の制服の袖を引っ張る。

「あ、ごめんなさい。そうだった。こんばんは、執事」

で。

ウィンリイは傍らであたふたしているメリルの金髪のてっぺんをがっと鷲掴みにすると無理矢理頭を下げさせながら、自分もぺこりと頭を下げて、今更ながら、丁寧に挨拶した。

多分、それ、違うと思うよ。とは、その場に居た誰もが思い、しかし、口に出せない。

それで結局、毒気と言うかやる気と言うか怒りと言うか、そういうもの全部を吸い取られてどっと疲れたドイルは、唖然とするセイルに申し訳なさそうな苦笑を向けてから、佇む青年たちを促して隣室のドアをノックした。

「旦那様、王都警部軍電脳魔導師隊第九小隊砲撃手ウィンリイ・ウェイスバーグ様、並びに、同事務官メリル・ルー・ダイ様がお見えですが」

廊下には、中から聞こえた「入れ」に被って、セイルと、勢いで着いて来てしまったのだろうクレイの「ええええ?!」という悲鳴が同時に響いた。

  

   
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