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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
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第九小隊の面々とセイルとクレイが偶然か必然で顔を合わせてから、数日。何かが起こりそうで起こらない、危うい平穏の続くその日も、ベッカーは自室に閉じ籠って作りかけのドールの前に陣取っていた。

「………」

相変わらず生気のない玉虫色の虹彩に疲れた気配を漂わせながら、男は薄暗い暗幕の内側に胡坐をかいて座り込み、滑らかな曲線を描く腕のパーツの中に小さなライトを突っ込んで、漏れる光で整形の不具合を確かめている。上腕に当たる部分、丁度肩の所に微細な隙間を発見し、一度は貼り合わせて仮止めした外殻を再度ばらして鑢を掛ける必要があるかどうか、真剣な面持ちで…。

ふと、そこで、息を吐き。

「止めた。ちきしょう面倒臭ぇ」

ふて腐れたように吐き出して、知らず眉間に刻まれていた縦皺を開いたベッカーは、手にしていた白い腕のパーツにぞんざいに仮関節になるS字フックを引っかけて、二メートル以上はあるだろうフレームに細いワイヤーで固定され宙吊りになっているドール本体を見上げた。

磔の人形。華奢な男性を模した細い腰に、肉付きの薄い体。手も足もすんなりとしてどこか官能的なそれが、両腕を左右に伸ばし、項垂れている。

ベッカーは「彼」から目を逸らさずにゆっくりと立ち上がった。

性的な香りは一切しないのに、どこか劣情を呼び起こす肢体。儚く、脆く、美しいのに匂いも体温も感じさせない、正に浮世離れしたドールの腹部を掌で一撫でし、手にした腕の両端に微か見えているフックをそれぞれ肩と肘に繋ぐと、「彼」は欠けていた左腕を取り戻した。

イムデ退役については、現時点で保留。しかし、時置かず大隊長に届けを提出し、第九小隊再編を申し出なくてはならないだろう。だとしたら、「今」は丁度良いチャンスだとも言える。そう、丁度、残りの二名の魔導師、ガントとスチルは双方階級を返上して他のエリアに移住したいと申し出て来ていたから、イムデの分も含めて一気に片付けてしまえばいい。

ガントとスチルの件については、まぁ、ある意味片方が自業自得で片方が巻き込まれた感は否めない。それでも二人で話し合った結果が転属希望なのだから、引き留めるつもりも、ベッカーにはない。

男の前に裸体を晒す「彼」には、顔が無い。だから今は、専門の職人に頼んである「マスケラ」が届くまでの代用品の、フェイスレス・パーツと呼ばれる真っ白な仮面が取り付けられているだけだった。

フェイスレスの瞼もない双眸を見つめたまま、ベッカーはゆっくりと腕を伸ばしてドールの肘の内側に爪の先で触れた。掌を返し、少しだけ折り曲げた指の先端、爪の背で静かに、もどかしく、滑らかな作り物の肌を手首に向かって撫で下ろす。

艶やかで、温かみの無い感触に、安堵した。

自分の肩より高い位置に固定されたドールの、先の細った指先を持つ美しい手は、それこそ作り物以上に美しかった。その手首はごく自然に下に向き、薄らと開いた整った指先が不規則に垂れるのにさえ、密かな官能を感じる。

美しく、清らかで、普遍。安堵する。

顔の凹凸はあるが体毛はなく、眼球も入っていない。そんな、ある意味正真正銘の「人形(ドール)」を弄り回して何が楽しいのかと、ベッカーは失笑と共に自問し、しかし答えを探らずにその意識を放り出した。

美しく、清らかで、普遍。否。これは、出来上がっていく。変わらぬもののようにして、変わり続けるもの。そして。

応えてくれないものだ。安堵する。

今日も儀式のように、再度広げた掌でなめらかな腹部の感触を確かめようかとしたベッカーの足元で、放りっぱなしになっていた携帯端末が震えた。相手をインフォメーションしながら流れる表面の文字列を目で追った男が、深く溜め息を吐きながらそれを拾い上げる。

相手が悪い。無視したら出るまで鳴らし続ける。絶対に。

「はいよ」

小さな画面の殆どを覆う、くしゃくしゃのブルネットと顔からはみ出した黒縁眼鏡。

『今、たいちょーのトコ。メリも。近所?』

「ナイ・ゴッヘル邸ともルー・ダイ邸とも遠かねぇけど、オレは行かないからな」

『えー。ピーチ・パイ、美味しいよ?』

「オレぁ仕事なの。自宅待機。自宅から出たら命令違反」

さすがにそこまで拘束力のある命令だとは思わないが、一応ベッカーにしては強い口調で言ってみた。そうでないと電信の相手、ウィンリイは諦めそうにない。

『お泊りも、あり。ベッカーも来る? あと、居候とか、脚本家とか』

「行かんて…。つうかお前…時節のとは言わないけども、そっちから電信して来たんだから挨拶くらいしようぜ…」

『あ。こんにちは、ベッカー』

遅ぇよ…。

とはいえ、慣れているから殆ど諦め気分になっただけで、ベッカーは再度「行かないからな。ケンカすんなよ」と、まるで保護者か何かみたいな事を言って、強引に通信を切断した。

どうやら今日は非番だったらしいウィンリイとメリルが揃ってナイ・ゴッヘル邸に赴いたのは、別に仲良く菓子を食うためではないだろう。そもそも二人には内々に退役手続きの方法を調べるように言ってあったから、多分、その話だ。…多分。まぁ、一緒になってわーきゃーしている時間の方が、俄然長いとしても。

普遍。そんなもの、結局はこの世に存在しない。それはそれは、相当穿った上に捻くれた言い分だなと言われても致し方ないかもしれないが。

愛も恋も絆も信頼も。あれもこれもそれもどれも。普遍的な物など、この世界には存在出来ない。

「………。多分」

無表情に項垂れて首の後ろをがりがりと掻きながら、ベッカーは薄い唇に笑みさえ浮かべず小さく呟いた。

普遍的な物なのこの世には何もない。人の気持ちなどという姿形の無い物に於いては、その傾向は顕著だ。と思おうとして、どうしても挫折する。

では、あの最強最悪の天使と悪魔は。

触れるだけのくちづけが全ての、あの天使と悪魔は。

あの恋愛は、果たして、普遍を貫き通せるのか。

「――別に、オレは知りたくないけどもね…」

目を閉じて。

数瞬、ベッカーは不意に顔を上げ、虚空を睨んだ。

     

     

その日の撮影は、これまでで最多の俳優とスタッフを揃えて始まった。

群衆に追われた、リリス演じるメブロが隠れ家に飛び込むも、待ち構えているのは味方でなく、敵の殺し屋。背後から市民、正面から殺人鬼に挟まれて逃げ惑いながら、どうにかして殺人鬼だけを仕留めようとする、といったような下りらしい。

しきりに背後を気にしながら、しん、と静まり返った室内に転がり込む、メブロ。緊張しているのかひどく固い表情で、浅い息を繰り返し、瞬きを極端に減らして室内を窺う。

しん、と…。

「かあああああーーーーーっつと!」

苛立った監督の声が室内に響き渡って、一呼吸、俄かにざわめき始めた部屋の奥から、黒尽くめのジャンが顔を出す。

「あああああああああああああもう、ダメダメ!」

頭を掻き毟って絶叫する監督から視線を外さないままのジャンに、セイルが弱った笑みを向けた。

「何?」

うん、とそこだけ子供っぽく頷いた青年が口を開くよりも前に、またもや監督の叱責が飛んだ。

「機材班何やってんだ! 音声にノイズが入ってるって、何度言わせるんだよ!」

怒鳴り散らされたスタッフが慌てて機材をチェックする。そう、先ほどから何度もこのシーンは撮り直されているのだ。

「なんか、マイクが変な雑音拾ってるんだって」

「狭い部屋に色々持ち込んでるからじゃないのか?」

「うーん。昨日までは何にもなかったのにね」

手持無沙汰になったセイルとジャンが顔を寄せて囁き合う傍ら、開け放たれたドアから何人ものモブが顔を出す。突入の指示を待って部屋の前に待機している群衆役のエキストラは十数名居るようだった。

「一旦休憩入りまーす」

助監督の掛け声でそれぞれがほっと息を吐き、室内に入って来るものと廊下や階段で固まって小声で話し込むものに分かれる中、スタッフだけが青くなってあちこち走り回り、ノイズの原因になりそうな機材の割り出しを始めた。

このシーンのポイントは静寂なのだと監督は朝からしつこく言っていた。だから、その意味不明の雑音が気になるのだろう。どうやら、今日も撮影は押しそうだとセイルは呆れて肩を竦める。

さわさわとさざ波のように話す声。その中で一際大きな監督の声を聞くともなしに聞きながら、セイルはなんとなく室内をぐるりと見回した。

時々内装に手を加えながら進む撮影場所は。昨日と別段変わった所はない。ではなぜ、今日に限って監督の気に障るような雑音が発生するのかとムービースターが首を傾げるのと同時に、廊下に繋がる開け放たれたドアからひょいと覗いた、くすんだ金色。

「今、いい?」

「え? あ! あの、はい!」

聞き取り難い低い声を掛けられてぎょっとしたスタッフの悲鳴に集中する視線。

「あ…ラド副長?」

珍しく、というよりも、撮影が始まって始めてになるだろう家主の登場で、室内は先までとは別の緊張に包まれた。

つい漏れたセイルの呟きを拾ったのか、相変わらず希薄な気配を纏ってふらりと現れたベッカーが、細い指先でこつこつと自分のこめかみを叩きながら青年に近付いて来る。その顔色がどこか青白いのに微か眉を寄せたムービースターに軽く手を上げた家主は、イライラと室内を見回す監督に視線をくれながら、肩を竦めた。

「今日、何やってんの?」

唐突に繰り出された質問。

「すみません、今日は群衆のシーンで…」

廊下や控室、果ては玄関エントランスにまで点在してるモブの多さが煩いのかと慌てたセイルに、ベッカーはまるで違うともいうように軽く首を横に振った。

「いや、違うよ。人間はいいんだけどもさ」

カメラやマイクを上げたり下げたり、覗き込んだりするスタッフを眺めていた玉虫色が水平に動き、少し下がって、佇むセイルの全身を見つめる。

「なんか妙にセクシーになってんね」

にこりともせずに告げられて、青年は思わず自分の姿を見下ろした。撮影しているシーンの手前、着衣があちこち引き裂かれてぼろぼろになり、肩や腕が露わになった上胸元も大きくはだけられているのに今頃気付いたセイルは慌ててシャツを掻き寄せると、なぜなのか、急に真っ赤になって俯き、風のような速さでベッカーの前から走り去る。

「きゅ、休憩だよね! ぼく、何か羽織って来るっっ!」

逃げる勢いで部屋を出て行ったムービースターを視線だけで見送ってから、ベッカーは相変わらず緩い表情のままで首の後ろをがりがりと掻いた。何か都合の悪い事を言っただろうか。いや、多分、見たままの感想を漏らしただけで、セクハラはしていない。ハズ。

うん、下手な事は言っていない。と自分の中でオチを付けたベッカーを、近付いて来ていたクレイが生温い笑みで見ていた。

その妙な空気を気にするでもないベッカーが、またもや走り回るスタッフに視線を投げる。

「今日、やけに音が喧しいんだけどもさ、マイクに変なノイズ入ってないんかね」

「どれですか!」

「うぉ!」

虚空を指差して疲れたように言ったベッカーに食い付いたのは、クレイではなく少し離れた位置に居た監督の方だった。飛びつくように男の眼前に滑り込んで来て、今にも胸倉を掴み上げそうな勢いだ。

「どれって、訊いてんのはオレなんだけど」

溜め息混じりに問い直したベッカーを、監督が睨むように見上げる。

「判らないんですよ、困ってるんです」

「ああ…そうなの」

魔導師というのはえてして電波的な騒音を酷く嫌う。その音は通常の可聴領域を遥かに逸脱していて凡人には聞こえないが、彼らはそれを「感じる」のだという。

「困ってんのね…」

ではこの発生源を押さえて消去しても問題ないのかと勝手に完結したベッカーは、傷だらけのローファーで、撮影用に薄汚れた古臭い絨毯を敷き詰められた室内を横断し、壊れた肘掛椅子の横倒しになった部屋の中央まで進んだ。騒音。耳に付く。

「全員機材から離れろ。すぐにだ」

決して通りの良い声ではない。普段は低過ぎて、聞き取り難いくらいの声だった筈だ。しかし、今、命令する彼の声は騒音も雑音も押し退けて誰もの耳を打ち、誰もが、慌てて機材から手を放し佇む監督の背後に駆け寄る。

「何があってもオレに近付くな。すぐに済む」

ぴしりと緊張の走った室内。

ベッカーは薄く目を閉じて、バックボーンによる索敵を開始した。

一般的な電子機器の発する小さな雑音、周波など読み取るのに複雑な索敵など必要はない。稼働する機材の出す騒音を許容範囲でチェックし、そこから外れた、つまりは「雑音」になりそうなものだけを拾って、視覚に繋いだワイヤーフレーム上に黄色の警告色を重ねる。

「カメラ、ライト、ライト、マイク、カメラ…編集機材……マイク…」

ほんの一瞬の後、ベッカーが肩まで差し上げた腕の先端、細く骨ばった指先で幾つかの機材を指差しながら、淡々と呟く。その度に、ぱちん、と小さな音を伴って示された機械類が沈黙し、稼働中のイコライザーの表示が一瞬跳ね上がっては、消えて行く。

手も触れず通電を切られていると気付いたスタッフが蒼ざめる中。

ベッカーの表情が徐々に険しくなる。これは―――おかしくはないか?

男の指した機材におかしなところはない。何もなかった昨日までも使用されていた、普通の機材だった。しかしそこに小さな異物を感知して、ベッカーは半ば閉じていた瞼を上げた。

「…時限式? じゃねぇか。おい、……、いや、面倒臭ぇ」

一旦俯いて床を睨んだベッカーは不意に顔を上げてぶつぶつ何事か口の中で繰り返すと、一番差し障りのなさそうなライトに視線を投げた。

瞬間、その脚の真下に薄い金色の文様…小さめの電脳陣が描き出され、囲い込まれたライトが刹那で分解した。

音もなくボルトを引き抜かれたように、瞬きの間にばらりと解けたライトの部品ががしゃがしゃと音を立てて床にばら撒かれる。

一瞬、誰もが息を呑んだ。

「なんだこりゃ。ブースター?」

足元に転がって来た部品を一つ拾い上げたベッカーが、屈めていた腰を伸ばして目前に晒したのは、長さが三センチほどの円筒形だった。

人差し指と親指で挟んだそれの意味が判らず首を捻るベッカーに、クレイが近付いて来る。

「それ、は?」

「いや、だから訊きたいのはオレでしょ。これ、何?」

おろおろするスタッフに見せつけるように突き出された部品。しかし誰にも覚えがないのか、それぞれが顔を見合わせてから慌てて首を横に振る。

「――――今日の撮影は…」

中止しろ。と、ベッカーが言い終える直前。

爆音のようなものが廊下から聞こえ、瞬間、逃げ惑う悲鳴と何かが破壊されるようなばりばりとした音が、屋敷の窓を揺らした。

「! 脚本家! スタッフを全員この部屋に集めろ! オレの許可があるまで誰も部屋から出すな!」

手にしていた部品をシャツの胸ポケットに捻じ込みながら叫んだベッカーは、普段の緩い行動などまるでないもののように、弾かれるように、半分だけ開け放たれていたドアをけ破る勢いで開け放ち、廊下に飛び出した。

  

   
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