■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
(9)

     

セクシーだと言われて、なぜなのか、猛烈に恥ずかしい気持ちになった。

別に他意があった訳ではないのだろうから、別にそんな神経質に隠そうとしなくても良かったのではないか、と、意図的に引き裂かれたシャツの胸元を覆うように薄手のジャケットをきっちりと着込んだ所で、セイルはようやく正気に戻った。

なんか、ぼく、何やってんだろ…。

まさか彼の言葉に一喜一憂する訳ではないが、無意識に神経を向けている自分に気付いて、青年は呆れた溜め息を吐いた。

苛々と頭を掻き毟りたいような気持ちになって、しかしそんな癇癪を起した子供みたいな行動を取れるはずもない青年が、しょんぼりと肩を落として項垂れる。別にだから、セクシーだなんて言っても本気でそう思ってなんかいなくて普段よりというか衣装で破れたシャツのズボンの穴が素肌見えててだからきっとああ見えてるから言っとこうかなセクシー? とかそういう軽い気持ちだったに違いないよねそうだよね!

支離滅裂な事を逆上せた頭で考えつつ荒々しくも足を踏み鳴らしながら部屋を横切ったセイルは、ドアノブに手置いた所で不意に動きを止めた。

なぜ、自分はこんなにもあの人を気にしているのだろうか。

今までセイルの周りには居なかったタイプだからだろうか? それも、あるのかもしれない。しかし、それだけではないのかもしれないとも、思う。

この場合、おかしいのは彼ではない。多分、セイル自身だ。相手が誰であれ、どうであれ、言いたい事があればはっきりと問い、意見するのがセイル・スレイサーという青年の常だった筈だ。しかし、なぜなのか、ベッカー・ラドというあの男にはその「常」が発揮できない。

撮影場所に屋敷を借りていて、居候させて貰っているから? ふと思い浮かんだ可能性に縋るように首を捻ってみたものの、やはりそれも違うような気がした。嫌われたくないとか? 機嫌を損ねてはならないとか? いや。そもそもあの男は、例えば何か気に障るような事をセイルが言っても、大して気にも留めないだろう。

相手にされていない訳でもない。しかし、彼我の間に横たわる透明な壁は、厚く、高い。

「意味判んない…」

ぷうと唇を尖らせて小さく呟き、セイルは溜め息を一つ零した。

「―――お仕事しよ」

考えても判りそうにない問題を先送りにして、青年はムービースターの顔になり、手を置いているだけだったドアノブに力を込めた。

それと同時。

があん!! と隣室から派手な爆音のようなものが上がり、セイルは咄嗟に廊下に飛び出した。

「な…にっ?!」

開け放ったドアから転がるように表に出たセイルが目にしたのは、隣室の物と思われるドアの残骸と、その残骸を踏み越えてゆらりと姿を現した。

真白い肢体に鈍色のワイヤーとひしゃげたフレームらしい鉄骨を絡ませ、引き摺り、まるで幽鬼のように左右に身体を振る、からくり人形(ドール)だった。

うわあああああ! と悲鳴が上がり、一瞬の呆然自失から素早く立ち直ったセイルは、背中で逃げ惑うスタッフやモブ役の俳優たちの気配を感じながら、鋭く叫んだ。

「すぐにここから離れてクレイたちの居る部屋に避難して!」

意味が判らない。しかし、判っている。これは、危険なものだ。

いかに家人が狭い狭いと言おうとも庶民には十分広い屋敷の、廊下。毛足の短い固い絨毯を引き摺ったフレームの角で削りながらゆらりと一歩踏み出したドールから視線を外さずに、セイルは目一杯の声を張り上げた。

撮影場所に使っていた部屋はセイルの背後、今バタバタと駆け離れて行く足音の先にある。ドールの現れた部屋は撮影場所から最も遠い屋敷の角に位置していて、セイルが与えられていたのはそのすぐ手前の部屋。数日前から青年と共に居候になったクレイの部屋は、青年の部屋の真向かいだ。

ぎぎぎ、と奥歯の軋むような音を響かせて首だけを巡らせたドールの、眼球のない虚ろな双眸が青年を捉える。眼球のない「コレ」に、「見る」という動作は必要なのだろうか? 詮無い問いをムービースターが思い浮かべるのと同時、ほっそりとした腕が高速で振り上げられ、絡み付いていたワイヤーがびゅんと空気を引き裂いて青年の顔面に襲い掛かった。

明らかなる悪意を持って仕掛けられた攻撃を、脊髄反射で仰け反って右に身体を投げ出す事で避ける。しかし、撓んだワイヤーの先端からぶら下がっていた短い鉄骨が急に引き戻された索に操られて急落し、床に転がったセイルの足先にざくりと突き刺さった。

それで相手の腕の一本が動きを止めたとは、青年は思わなかった。アレにどれほどの腕力があるのか知らないが…。

身体を丸めて床を転がったセイルは立ち上がるのももどかしく、わざと壁に背中でぶつかって角度を変え、ドールから距離を取るように再度転がった。その動きを読んでいたのか偶然なのか、木片を撒き散らしながら引き抜かれた鉄骨が垂直に上昇し、急落した真下に、青年が転がり込む。

鋭い矢のように落ちる鉄骨が身体に触れれば、無事では済まない。

どうする!

瞬間、仰向けになったセイルは自分を串刺しにしようとする鉄骨を睨みブリッジする要領でぐいと身体を持ち上げると、そのまま床を蹴って綺麗に後方に回転した。

ガン! と爪先に衝撃。

間一髪、身体に触れる寸前で鉄骨はその脚に蹴り上げられ、セイルはドールに向き合う恰好ですっくとその場に立ち上がった。

咄嗟に両の拳を握って迎撃の体勢を取ったものの、こちらを窺うように動きを止めたドールと対峙して、睨み合い、セイルは微かに眉のお終いを吊り上げた。

アレが出て来たのは、隣室…ベッカーの部屋だ。

ではアレを操作してセイルを襲っているのがベッカーかと言えば、多分…違うだろう。屋敷を騒がせ、多少のストレスを与えているとしても、まさか命を狙われるような事態には陥っていない筈だ。

では、黒幕は誰なのか。

それに明確な答えがあった訳ではないが、セイルの記憶にはこれとよく似た光景が焼き付いていた。

多分「それ」が発端だった。あの日、あの時、あの丸盆(ステージ)に堂々と姿を見せた、イレギュラー。ムービースターという非日常を日常に持つ青年に、更なる非日常を突きつけた。

彼ら。

敵も味方も、魔導師だ。

だとしたら、ここで手加減も遠慮も選択する必要はない。あの日、初めてアンたちに出会ったサーカスエリアで襲って来た機械式と同じだとするならば、相手はこちらを再起不能、または、殺すつもりだ。

ハレルヤ! 道場以外の場所で、且つ相手が片親でも兄でもないのに手加減しなくても良いなどという状況に、多分生まれて初めて遭遇したセイルは、にやりと唇の端を吊り上げて凶悪に微笑んだ。別に、力試しをしてやろうとか、相手を粉砕する勢いで挑んでやろうとか思った訳ではないが、どことなく気持ちが沸き立つ。

今日まで積み重ねてきた拳士としての青年が解き放たれる感じ。本能か。愉悦か。

―――もし今のセイルの胸の内を彼の兄が知ったなら、盛大に顔を顰めただろうが。

再度固く握り直した拳を身体の前に構え、すっと垂直に腰を落としたセイルは、奇妙な軋みを上げて首を回したドールの全身をしっかりと見据えた。

敵は、全体的に白く、しかし固そうな体表に天井からの薄い光を全身で躍らせている。背丈は180程度で手足が長く、胴体が薄いからか、か弱く華奢な印象を受けた。

人体であれば関節に当たる部分の体表…ボディシェルには複雑な切れ込みが入っており、自由に動かせるように見えた。先にセイルを襲った鉄製のフレームらしきものはそれぞれ左右の手首辺りから伸びたワイヤーの先端にぶら下がっているのだが、空中に躍らせたそれを縦横に操作するのは、繋がれた索に絡ませてある手の動きだ。

目鼻の凹凸と凛々しく引き結ばれた唇はあるが眉はなく、禿頭。まさにかつらを載せる前のマネキンのような無表情。

それが、セイルを睨んでいる。

相手の造りが人体と同じで、しかし痛みを伴う打撃では怯んでくれない。と瞬時に判断したセイルは、ドールの肩がゆらりと動いたのに合わせて摺り足で一歩横に移動した。向こうが距離を詰めて来るのか、それとも手首からぶら下がった凶器を振り回して来るのか、一撃目を見謝ればこの闘争は終始押されるだろう。

しかし、出自も判らぬ…明かされぬ、かもしれないが…青年を青年たらしめるのは、血の繋がりではなく精神の繋がりを重んじ、「彼ら」を誇り高き一族であると意識させた「師」であり「家族」であり、「教義」だ。

だから青年は対峙する「敵」の一撃目を見謝ったりしない。

彼ら一族は、万死に値する「敗け」を、享受する訳には行かないのだから。

膠着状態は瞬き一度と、少し。ドールの指先がピクリと動いたと感じる間もなく、セイルは滑るような足運びで素早く相手の懐に飛び込んだ。

振り上げられた腕の先、歪んだフレームがまたもびゅんと唸り、まるで生き物のように床を蹴って青年の背中に肉迫する。それを後ろが見えているかの如く危なげない、しかし最小の動作で横に避けたセイルは、張った掌をドールの薄い胸板に水平に叩き込んだ。

ぱあん! と想像以上に軽く大きな音を立てた胴体の一部が軋んで、腕の振り上げと共に起きた上体を不安定に押す。それでバランスを崩したのだろうドールがたたらを踏み、足元から救い上げるフレームの一撃が揺れて、自らの肩のあたりにがつんと激突した。

びきりと嫌な音を立ててボディシェルにヒビが入る。それをごく近くに感じながら身を低くした青年は、大きく一歩後退したドールの脇を擦り抜けて背後に回った。

振り向き様、頸椎に固く握った拳の打撃を一発。それで再度バランスを崩したからくり人形が膝か腰を折って前傾した所で、振り上げた踵を背中の頂点に叩き下し完全に動きを封じる。

と、そこまで一瞬で組み立てたセイルがドールの背を捉えようと身を翻す、正にその瞬間。

青年は、見てしまった。

壊れて開け放たれたドアの、向こう。無残に引き千切られた暗幕が闇色の川のように、その内に一筋二筋鮮血を流すかのように荒れ狂い、蟠る、室内。天井から下がる金属フレームの残骸と、蹴散らされた肘掛椅子…。

アレは。

不覚にも刹那動きを止め完全に意識を逸らしたセイルの後頭部に襲い掛かる、ドールの拳。はっとする間もなく反射的に身を沈めてそれをやり過ごし、しかしどうする事も出来ずに大きく飛び離れた青年の肩をあらぬ方向から急降下して来た金属フレームが狙っていた。

戸惑う。

アレ、は。

完全に気を散らしたセイルは襲い来る鈍色を目端に捉えながらも、回避動作さえ取れずにいた。どうすればいいのか。だって、アレは!

瞬間、閃光も衝撃もない爆音。

ただ全身の産毛まで逆立つような不快感に跳ね上げた肩には、何の被害もない。

ない。

一瞬前まで空中にあったはずの、金属フレームも。

ただ、凶器たる剣先を失って絨毯に叩きつけられたワイヤーだけが、びたん! と断末魔の悲鳴を上げた。

「どうした、ムービースター。そんな不甲斐なさじゃ、兄貴に半殺しにされるぜ」

しん、と静まり返った廊下に、酷く聞き取り難い低い声が木霊する。

「……――――――」

青年は答えあぐねた。

ドールの向こうに佇む覇気のない、筈、の男の、緩くない険しい表情に気圧されて。

「制御盤も電脳も使ってないと思って、油断してた。―――まさか、ソイツが動くとはね…」

呟いてベッカーは、無表情に睨んで来るドールになのか、その先の廊下に呆然と佇んでいるセイルになのか、溜め息さえも混じらない純粋に疲れ切った小さな呟きを吐きつけて、それから。

ふ、と、唇の端を微かに歪めて、苦笑した。

「…まぁ、「そんなモン」、惜しくもなんともないんだけどもさ」

     

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む