■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
(11)

     

固く閉ざされていたドアがさっと開き、それまで顔を寄せ小声で何かを囁き合っていた俳優やスタッフが息を飲んだ。

廊下側に居るのだろうラド邸の執事に軽く会釈した人物を、その場に居合わせた誰もが呆然と凝視のは、姿を見せたのが、漆黒の長上着を真紅のベルトで飾った衛視だったからだ。

普通に王都民として生活するならば間近でお目に掛かる機会などないだろうその人物たちの登場に、室内が俄かに困惑する。まぁ、その意味合いは色々あるんだろなと、床から天井まである大窓の前に置かれた肘掛椅子にだらしなく収まっていたベッカーなどは、苦笑を漏らしたが。

誰も動くなと鋭く命令されて、俳優やスタッフたちが不安げに表情を曇らせる。しかし、部屋を真っ直ぐに突っ切って主人に近付こうとする彼らに注がれる視線には、幾ばくかの興味も見え隠れした。

衛視の先頭は派手な顔立ちにこれまた派手な銀髪をなびかせた、ヒュー・スレイサー。そのすぐ後ろに着くのは、誰もが瞬きすら止めて見入るような、綺麗な青年。全く動かぬ無表情でぐるりと室内を見回す、ミナミ・アイリー。そして殿は。

ハルヴァイト・ガリュー。

金属質な鋼色の髪と光も射さない鉛色の双眸でちらりと部屋の隅に視線を向けた、その意味を知って、ベッカーは唇に載せた苦笑をますます濃くした。

「お早い御着きで」

「ラド副長がすぐ来いっつうからさ」

「まぁ、急いで貰った所で、別に事態は好転しもしないし、相手は「逃がしちゃった」けもどもねぇ」

「言ってみただけかよ」

無表情のまま唸ったミナミを、ベッカーが小さく笑い飛ばす。しかしその間も男は椅子から腰を上げるどころか、彼らに顔すら向けなかったが。

「………―――」

ふと、ミナミはそのベッカーをじっと見つめ、何か言いたげに唇を動かした。しかし、何も思い浮かばなかったのか、それとも言うべきでないと思ったのか、すぐにその形の良い唇を真一文字に結んでしまう。

「とにかく、邪魔な一般人の皆様にはとっととお帰り願うとして…。アイリー次長」

そこまで言って、ベッカーはようやくミナミに顔を向けた。

「五分やるからさ、全員の顔、見といて」

「―――三分でお釣りくるっての」

自力で動くはずのないからくり人形が人間に襲い掛かると言う、つまらないB級ムービー的な珍事は瞬きする間に収束し、撮影場所として使われていた広間に集められた俳優やスタッフには、…無駄かもしれないが…、今日の「事件」については他言無用と箝口令が敷かれた。果たして、今ここで肩を寄せ合い、ひそひそと囁き合い、今自分の置かれた状況、唐突に始まって終わった不可思議な事象、それから、今後の「作品」の行く末を案じて不安げな顔を見せるモブ達が、本当にこの事件を墓まで持って行くかどうかは、誰にも判らないのだけれど。

「今こちらにお集まりの皆さんの所属や住所などの情報は、製作会社に問い合わせて至急提出するように伝えてあります」

ミナミ達が入室して来た瞬間には立ち上がって敬礼したものの、すぐに端末に噛り付いて作業を再開したメリルが緊張した面持ちで報告すると、ベッカーは無言で頷いた。

偶然…、正真正銘の偶然でラド邸近くのナイ・ゴッヘル邸に遊びに来ていたメリルとウィンリイが呼び出されたのは、屋敷で起こった騒ぎが収束してすぐだった。翌日の登城準備として制服を携帯していたのが幸いしたものの、取るものも取りあえずすぐに来い三分で、と音声だけの通信で呼びつけられた二人は、私服に魔導師隊の腕章だけという恰好で室内に詰めている。

「代表の方とお会いになりますか? ガリュー班長」

少々気後れしているのか、うろうろと視線を彷徨わせてベッカーに助けを求める様な顔をしつつも、メリルは佇むハルヴァイトに声を掛けた。

「ミナミが全員の顔を覚えたら、事件が起こってから終わるまでの状況を説明出来る人間だけを残して、その他のスタッフは一旦別室に集めて置いて下さい」

「警備部隊から何人かこっち回せないもんかね、ガリュー」

ハルヴァイトは問い掛けるメリルにも、言い足したベッカーにも顔さえ向けずに、じっと、ぴくりとも動かぬスタッフの間を歩き回るミナミを見つめている。

ゆるゆると、戸惑うように、所在なさげに身体を揺らすスタッフの間を縫うミナミの、瞬きの少ない双眸は、今この瞬間この室内に居る全ての人間の顔を記憶し、全ての言葉を記録しているのだろう。

なぜ、とも問い返してくれないハルヴァイトに苦笑を向け、ベッカーは勝手にその理由を口にした。

「一応さー、こっちにゃ無関係な王都民を無事お家に帰す義務つうもんが、あんでしょ」

自分たちが軍人で、彼らが「無関係な一般市民」である以上は。

そのベッカーの言葉をゆっくりと咀嚼してから、ハルヴァイトはようやく肘掛椅子に顔を向けた。

いかにも、不満そうな表情の。

それを目にしてベッカーなどは思わず吹き出しそうになってしまったが、真横にいたメリルはそうも行かず、別に自分が叱られている訳でもないのに肩を竦めて小さくなり、助けを求めるようにちらりと部屋の片隅を見てしまった。

「さっきも言った。「逃がした」んだよ」

「―――ルー・ダイ事務官、特務室に電信して、至急上級庭園昇降口に大型フローターと警備部隊を回すよう、ジルに伝えて下さい」

ぶっきらぼうに言い捨てられて、メリルは返事もままならないほど青くなり、慌てて端末に噛り付いた。

     

     

三十名を下らない俳優とスタッフの殆どは一階の大広間に集められ、彼らの監視目的でラド邸執事のドイルと、ウィンリイとメリルが階下に追い払われる。

それで、ごちゃごちゃと機材が置かれ、一基のライトが粉砕したままの室内に残されたのは、ミナミ、ハルヴァイト、ヒュー、ベッカーと、監督、脚本家クレイ・アルマンド…。

それと、窓際のソファの下に膝を抱えてうずくまったままの、青年。

青白い顔で、瞬きも少なに、ただ呆然とした。リリス・ヘイワード。

事の起こりはマイクが拾う小さな雑音からだった、と監督とクレイが説明し始める。その後ベッカーが現れ、リリスが退室し、突如廊下で大きな音がした。それでこの場をクレイに預けたベッカーが部屋を飛び出して、別室にいた俳優やスタッフが駆け込むように戻ってから、次に家主が現れるまでこの部屋に変わった動きはなかった、と告げられて、ミナミが無表情に頷く。

「じゃぁ、ラド副長の方は?」

「オレの方は、後。でさ、脚本家先生」

無秩序に点在する誰彼の中、相変わらず肘掛椅子に座ったまま今は細い指先でこつこつとこめかみを叩いているベッカーが、ちらりとクレイに視線を投げる。

「オレが出てってから、誰かさ、スタッフでも俳優でもいいんだけども、体調不良を訴えたとか、具合悪そうに見えたとか、倒れたとか、そういう人、なかった?」

問われて、クレイは確かめるように監督に顔を向けた。

「いや。別に…、みな不安そうにしてたかもしれないが、目立って具合の悪そうなスタッフはいなかった」

ふうん。とやる気のない返答一つで、ベッカーの質問はあっさりと終わってしまう。

本当にもう訊く事はないのか、ミナミがクレイや監督に何か尋ねている間も、ベッカーはぼんやりとどこかを見つめているだけで、身動き一つしない。そのうち、階下に下がっていたドイルが現れてギイル到着を告げると、彼はあっさりとスタッフの帰宅を許可した。

その時、この場を仕切る役目を受け持っていたベッカーが告げたのは、監督とクレイには後日なんらかの事情聴取があるかもしれないと言う事と、今回の事件については絶対に他言しないようにと念を押す事、それから。

「ムービーの撮影は、一時中断して貰わなくちゃならんけどもさ、そっちがこりごりだってんじゃなければ再開は許可するけど、どうする」

どうでも良さげな声音で言われた途端、それまで固い表情だった監督が安堵の溜め息を漏らした。

「よろしく、お願いします!」

「…勇気あんね、監督さん」

思わず苦笑交じりにベッカーが呟いて、本当に少しだけ場の空気が和んだ。

その後殆どのスタッフはギイル達警備部隊に護衛される形でラド邸を後にし、ベッカーたちは二階の応接室に場所を移す事になった。

「ところで、アレはどうしたんだ」

と、ようやく立ち上がったベッカーに、ヒューが不審そうな顔を向け顎で示したのは、先から全く動かない青年…セイルだった。

「――――――さー、よく判らんね」

大袈裟に肩を竦めたもののそれ以上興味も示さずさっさと歩き出したベッカーの後を着いて踵を返そうとしたが、さすがにセイルを一人部屋には残せないと思ったのか、ミナミはヒューに残るように言い置いた。それから早足で部屋を出て、ふと、左手に続く廊下にダークブルーを向ければ、なぜなのか、何なのか、突き当りに近い場所に無数の部品らしきものが秩序なく散らかっている。

「あれって…」

「アレが、俳優を襲った実行犯だよ」

ミナミにつられて廊下に視線を流したベッカーは短く言って、すぐ応接間に爪先を向けた。

振り切るように。

切り捨てるように。

無感情に…。

そこにはもう何も、無いかのように。

     

もう何も。

無駄と無為と後悔と罪悪と失望と諦念も。

過去、も。

思い出、も。

     

「ああ、そういやぁ…」

ふとベッカーは天井を見上げて呟き、ゆっくりと薄い唇を歪めた。

     

自分とあのドールとの奇妙な関係が始まったのは、まだうら若い妻の熱を帯びた視線の先に誰が居たのか気付いた日だったと、思い出した。

     

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む