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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ |
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剥がれかけた壁のクロス。 不恰好に波打つ絨毯。 傷のついたソファ。 荒れたままの室内。 三脚に、フィルム撮影専用のアナログカメラが一台。 窓枠から垂れ下がったカーテンと。 破れて広がった、暗幕。
「何も新しい物なんて必要ないんだよ。そもそも、「新しい物語」なんてのは、本当はもうこの世に残ってないんだ、きっと。貧乏人が努力と幸運で成功するサクセスストーリーも、虐げられていたか弱い主人公が王子様と結ばれるシンデレラストーリーも、敵対する二つの組織に引き裂かれ再会するラブストーリーも、夢も希望も英雄譚も、悲劇さえ、「それが人間の想像である以上想像を超える事は出来ない」んだって、おれは思ってる。何かを書く、何かを造る、何かを映像にして残す。それを見た誰かが、誰もが、「それはそれは新しい素晴らしい革新的なラブストーリー、ハレルヤ」と言えば、それはその時点で既に「ラブストーリー」にカテゴライズされる。だからもうそれは真っ新に新しい物なんかじゃない。 だから、新しい物なんていらない。おれはおれの思うサクセスストーリーを、シンデレラストーリーを、ラブストーリーを、夢と希望と英雄譚を、悲劇を、―――喜劇を、書きたい。 今の、セイル・スレイサーを、おれは切り取りたい。
美しさも健やかさもいらない。作る必要なんかない。 ただ、「お前」を撮りたい。
セイル、おれは、今のお前の、怒りや悲しみや失望を…知りたいんだ」
さん。 に。 いち。
どこかのアパレルショップの店頭CMを撮影するのだと言っていた割に、クレイ・アルマンドは何もせず宛がわれた自室に篭り、セイルの姿は、無い。 その奇妙な空気を感じつつも気に留めようとはしないベッカーは、一人、リビングのソファにだらしなく座り、ただじっと正面を見ている。 何もしない。 何もしようとしない。 いいや。 彼には、しなければならない事がある。 耳の奥にこびりついた静寂を掻き分けた、小さなノックの音。 入れ、と普段より固い声に促されて入室して来たのは、ラド邸唯一の執事、ドイル・バスクだった。 「お呼びでしょうか、旦那様」 緊張に蒼ざめたドイルの顔をちらりと一瞥して、ベッカーは薄く、自嘲気味に笑った。 目を背ける「過去」は、自分の手で壊してしまった。では、もう潮時だ。これ以上「自分の及ぼす悪い流れ」に誰かを繋ぎ止めて置くべきではないと、ベッカーは決めたのか。 いつものようにソファに収まり、細長い脚を持て余し気味に組んでいたベッカーは、艶の死んだ金髪をゆっくりと揺らして顔を上げると、ドアの前に直立したドイルに改めて視線を投げた。 「ドイル、今回のムービーの撮影が終わったら、お前、この屋敷を出ろ」 静かな声だった。 動かない眠たげな玉虫色が、物憂げに瞬く。 「…それは、クビだと言う事でしょうか」 「そう、クビだな」 迷いなく言い切られて、ドイルは息を詰めた。 身体の横で握り締めた手が震える。 吐き出した吐息も、情けなく震えた。 「理由を、お訊きしてもよろしいですか」 問うた、声も。 震えた。 「もう、この屋敷には意味がない。誰も居ない、未来もない。過去も…無くなった。だから、オレもここを出て、官舎に移る。 もうさ、オレも、お前も、自由になっていいんじゃないの」 ふと薄い唇を笑みの形に引き上げたベッカーの顔を見つめたまま、ドイルは言葉を探そうとした。 そうではない。 意味はなくなっていない。 ここに主人が居るならば、執事が居て当たり前なのだ。 しかし、主人も居なくなると言われてしまっては、抵抗する術が、ない。 だが、しかし。 「ちょっと待って、それは早計。この話し合いはおれのシナリオ上フライングで、つまりミステイク。ここばかりは年長者を敬って、テイク2は明々後日(しあさっての)朝ですよ? ご主人様と執事殿」 微かに開いた唇から弱々しい吐息を漏らしたドイルと、いつも同じ緩い表情でその執事を見つめるベッカーを止めたのは、先まで姿どころか気配もなかったクレイだった。相変わらずのスーツ姿で軽薄な笑みを浮かべた脚本家に、思わず家主の眉根が寄る。 「出やがったな脚本家。オレに指図すんじゃねぇよ」 何というか、これがベッカー・ラドだとしたら奇跡的な嫌悪感…もしかしたら行き過ぎた苦手意識で若干キレ気味なのかもしれない…を滲ませて吐き捨てたのを受けて、クレイは再度にんまりと笑った。 「しますよ、しますとも。素晴らしい映像(え)が撮れた。これを見ずして勝手にシナリオを書き換えて貰っちゃ困るんだよ、おれは。結果はどうあれ、後三日、騙されたと思ってちょっと待っては貰えませんかね。つうか、ぶっちゃけ、ここで「終わり」なんて打たれたら全部台無しなんだよ。ああ、勘違いしないで欲しいんだけど、おれは別に、ご主人様と執事殿の為を思ってこんなバカげた話を吹っかけてる訳じゃないって事」 ムカつくくらいの上機嫌で大仰に肩を竦めつつ勝手に入室して来たクレイは、不機嫌さを隠しもしないベッカーの正面、三人掛けのソファの真ん中に座ると、なぜかぴしりと姿勢を正してから、自分の顎に親指の先を当てて、喉元へと薬指を伸ばす。 ?。 クレイはそのままベッカーから目を逸らさずに、まるで顔の高さを確かめるように軽く顎を下げ、すぐ満足げににやりと笑った。 「巻き込まれてくれませんかね、おれに。三日間今まで通りに生活して、三日目にちょっとだけおれのお願いを聞いて、それから、テイク2」 顎に当てていた手をゆったりと下げたクレイが、泣きぼくろのある目元を和らげる。 「おれの最高傑作を見ないなんて、ソンしますよ?」 言われて、ベッカーはげんなりと肩を落とした。
店頭CMの撮影を終えたセイルは、用意された自室に戻りベッドにばたりと倒れ込んで、ひとつ大きく息を吐いた。 クレイに言われた事を何度も何度も頭の中で反芻し、悩み、吹っ切って、演じたのではなく、告白した。 瞬きを忘れた視界の半分を埋めるのは、淡い色をした上質な布。掛け値なしの庶民であるセイルでは見た事もない、滑らかで柔らかな手触りのそれをつらつらと撫でながら、青年は二度目の溜め息を吐く。 その告白を、後悔はしていない。 しかし、自分自身の曖昧な気持ちが完全に出てしまったような気もする。 しかも、撮影が終わって映像チェックしたいと申し出たセイルに、クレイは出来上がったCMを見せてくれなかった。だから、実はあの時自分がどんな声で話し、どんな表情(かお)をしていたのか、彼は知らないのだ。 知らなくていいんだよとクレイは言った。 手直しなんか、しないよ。とも。 今日撮影したCMが店頭で流されるのは四日後だとクレイは言っていた。気になるなら、四日後にアルファ・ビー壱号モール店に行って見たらいいよ、と。 それが、良いとも悪いとも言わず。 ただ。
「四日後には、決着ついてんでしょうよ」
と、薄く微笑んで、言った。
出来上がったのは二分にも満たない、短い映像。コマーシャルというよりは、イメージ映像に近いだろう。 しかしそれは、美しく晴れやかで希望に満ちた笑顔を誘うようなものではない。 だからといって、中身の無いただ格好良い憧れだけを掻き立てるものでもない。 戸惑うような、告白。 それはそれは、きっと、行き着く先や伴う感情や状況や結果が違っても、誰にも覚えがあるのではないだろうかと思わせる、告白。 愛とか、恋とか、寂寥とか、悔恨とか、憎しみだって、悲しみだって、自分の中で際立って、はっきりし過ぎるくらいにはっきりしていて囚われて、しかし、最初から最後までそうであり続ける事は、出来ない。 人は迷う生き物で。 人は忘れる生き物で。 人は決められる生き物で。 人は思い出を抱えている。 ハレルヤ。 「ハッピーエンドは、四日後だよ?」
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