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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
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投げやりでもなく、諦めでもなく、しょうがない。

振り返り、同じ轍を二度と踏まぬと悲壮でもなく決意して、しょうがない。

開き直りでもなく、自責でもなく、しょうがない。

絶妙のバランスを取り、時に許し、時に戒め、やはり。

仕様もない。のだから、しょうがない。

     

     

どこも普段と変わりなく邸に戻ったベッカーは、こちらはどこかしら挙動不審なドイルに迎えられていつもの応接間に腰を据えると、そのうち現れるだろうクレイを待つでもなく待ちながら定位置の一人掛け椅子に収まっていた。持て余した細長い脚を組み、肘掛に置いた腕の先の指でこつりこつりとこめかみを叩く仕草はお馴染みの頭痛に耐えているようにも見えるものの、その表情は酷く落ち着いている。

だから、あの凶暴な頭痛と戦っている訳ではないようなのだが?

さて、こちらはありったけ、それこそあり得ないと思うようなテストケースですらコンマいちの可能性があれば「有る」という前提で対処法を叩き出して帰宅したベッカーは、どこか落ち着かなそうにしながらも退室しないでぐずぐすしているドイルの思い詰めた横顔をちらりと見遣り、様子を窺って来た視線を拾って、わざとのように小首を傾げて見せた。果たして執事の第一声は「どれ」なのか。今は無限とも言える選択肢は、それによってぐっと振い落される筈だ。

「―――旦那、様」

一度ベッカーから視線を逃がして、一呼吸、意を決した固い表情で顔を上げたドイルが、身体全体で主人に向き直りカラカラの喉を叱咤して声を上げた。

「先日のお話の、続きをお聞かせ願えますか」

執事の強張った顔を横目で見つつ、ベッカーが「あ、そっちなのね」と、…なんとも緊張感なく思う。というか、これがドイルに聞こえていたら、確実に気を悪くするだろうが。

「お前をクビにするって話?」

多少やさぐれた気分で意地悪など言ってみれば、ドイルは悪い顔色をますます悪くしてぐっと唇を引き結び、無言で頷いた。

「今のところ、オレの意志に変わりはない」

ここでベッカーが選べる経路は、大きく分けて三つ。今まで通り何事も無かったかのように屋敷を存続させ執事を置くか、屋敷を畳み執事を解雇するか、…条件を付け再考するか。そのうち二番目を選択したのはベッカーなりのささやかな抵抗だったのだが、さらりと告げられた解雇予告にドイルはますます固くなり、主人は…。

内心ほくそ笑む。花を持たせてやる気はないけれど、ヒーローの手の中くらいは晒して貰いたい。

実の所、ここは「しょうがない」から責任を取りましょう、という気分ではある。それが、まぁ、大人の? 対応? だとも思うし。ただ、どうしても、クレイ・アルマンドの脚本通りには行きたくない。

そう、もう、ベッカー・ラドのやる気なく不運な人生の内最大級に、彼は抵抗する。無関係な第三者を巻き込んでしまおうと思うくらいに本気で、だ。

つまり?

脳内でとっ散らかっていた選択肢の半分以上がごっそりと消え、幾つかにカテゴライズされたモノたちだけが取り残される。さぁ、さっさと出て来い、「ヒーロー」。このシーンの「ヒロイン」は今、大層お困りですよ? とか。

思ったり。

ドイルは多分、ヒーロー…クレイに助けを求めない。彼の拘る「過去」が解決しない限り、執事はあの「大学院時代の師を知っている人物」に縋る事はないのだ。

ベッカーもドイルも全く身動きせず、一人は肘掛椅子に収まり、一人は固く閉ざされた扉の前に佇み、膠着している。出て来い、「英雄」。

ノックの音。

応えを待たずに扉は開き。

ベッカーは、執事の「行動」を見逃すまいと、瞬きを止めた。

「失礼」

英雄、登場。ドイルは一瞬扉を振り返ったがすぐに視線を主人に戻し、しかし、その表情はますます硬く、身体の前に組まれた白手袋の両手をしっかりと握り締めて金色の眉を吊り上げ、勝手に入室して来たクレイなど無いもののように頑なに一心に主人だけを見つめていた。

ここで、また選択肢が増え、そして減る。ベッカーは目まぐるしくも余裕綽々で様々な選択肢を展開し、その先を読む。

「ラド卿の目に、おれの最高傑作はどのように映りました?」

にこにこと人好きのする笑顔を振り撒きながら現れたクレイは、ドイルが引き留めないのを良い事にさっさとソファに歩み寄り、これまた勧められもしないのにベッカーの前に腰を落とした。

「中々、考えさせられたよ。見事だった」

少々言い方は悪いが、いい歳の、優男。モード系のスーツをかっちりと着こなし、神経質そうな印象を与える細面の目元に落ちた泣きぼくろも嫌味なくらい決まっていて、地位も名誉も、下世話な話、財産もそこそこ有る。

のに、だ。

「あんたにゃ、色んな意味で才能がある。………貧乏貴族の屋敷に引き籠って今にもクビになりそうな執事に入れ込んで結婚まで申し込んじゃうような、無謀さもな」

言って、ベッカーがにやりと口の端を引き揚げた瞬間、クレイは虚を突かれたように目を見開き、ドイルが声にならない悲鳴を上げた。

よっしゃああああ!

数秒の間の後、ベッカーが内心ガッツポーズする。表面上涼しい顔を取り繕ってみたものの、これは正直現時点でかなり可能性の低い「賭け」だった。クレイがドイルに申し込んだのが「交際」なのか「結婚」なのか決定打はなかったのだが、執事の無視っぷりがあまりにもわざとらしかったので極端な方を選んでみたら、ヒットしたのだ。

「しかも断られるとか」

「なんでそこまで知ってんですか、ご主人様!」

「いやいや、あんたにご主人様呼ばわりされる筋合いはねぇ」

不自然に背筋を伸ばしたクレイが羞恥でなのか顔を真っ赤にしてセンターテーブルに身を乗り出し、ドイルがその場に座り込む、阿鼻叫喚。

やだなにこれ、面白い。

詰め寄ってきそうなクレイから視線を逃がして、ひひひ、と人悪く笑ったベッカーを、ソファの背凭れに身体をぶつけた脚本家がじろりと睨む。ドイルは今だ復活せず、頭を抱えて意味不明の唸り声を発していた。

「急遽人生相談良いですかね、ラド卿! おれは本気で落ち込んでんですけどもね!」

「いや、いらねぇ。勝手に落ち込んどいてくれて結構」

「むしろ聞け! 無関係じゃないでしょうに!」

「オレに責任取れるのはドイルの人生であって、脚本家先生の人生までは面倒見切れんて」

込み上げてくる笑いを弧を描いた口元だけに留め、ベッカーはいつもと同じ調子でさらりと言った。

「選択の結果、理解は双方向からあった。オレはドイルを屋敷に留めてしまった事をずっと後悔してたけどもさ、逆に、オレがドイルを拒否していたらどうなっていたのか、考えた事はなかったよ」

十六年前。

勢い込んで噛み付いて来たクレイに薄笑みを見せたまま、ベッカーは淡々と言葉を紡ぐ。

これは、告白か、独白か。

はたまた無意識に罪を打ち明け赦しを乞う、告解か。

「オレがドイルを屋敷に、自分自身に縛り付けたと思った。だから、未来は悪い方に流れた。でもそれはオレが引いた良いと悪いのラインを挟んだ、オレの解釈であって、その時、住む場所も学ぶ場所も、家族もなくしたドイルがどう思って、受け取って、その後今日まで屋敷に、オレの元に居続けたのか、オレは考えた事がない」

後悔してばかりだった。いつも、もっと良い方法があったのではないかと思っていた。

正直、今だって思っている。

しかし。

「ドイルが「ラド家」に拘らなくちゃなんない理由はあったでしょ。でもさ、それは…まぁ、ドイルの問題であって、オレの問題じゃなかったけどもねぇ」

「……私は…私に、ラド家の仕事を、紹介して下さった―――」

床に座り込んで俯いたまま、ドイルが絞り出すように呟く。その言葉が不自然に途切れた理由を、ベッカーは知っていた。

「恩師の好意と期待を裏切れなかった、だろ?」

まるでそんな些事など気にも留めないような乾いた声音でベッカーが続けると、更に項垂れたドイルが、床に置いた両手をぎゅっと握り締める。

その、主従それぞれの反応の意味が判らず、クレイは首を捻った。

「そこに「オレ」の介在は、ない」

どんな経緯でドイルがラド邸にやって来たのか知らないクレイには、それは酷く淡々とした、過去をただ転がしただけの言葉に聞こえただろうか。

「つまり?」

不審げに問うた脚本家に、ベッカーは肩を竦めて見せた。

「ドイルがこの屋敷に残ったのは、拘ったのは、ドリー教授を立てなくちゃならんと思ったからだよ」

決して、孤独だった少年を救おうとしたからではないのだ。

「オレが居たからとか、なんとかはさ、まぁ、正直「どうでも良かった」んじゃないの?」

「待て待て待て! 部外者のおれにはさっぱり意味が判らんだろう、それじゃ」

「…だからぁ、学校も辞めて行き先の無くなったドイルを案じた教授は、行く末一人娘が嫁ぐ筈のラド家の家督が学校にも行かず引き籠ってて困ってる屋敷に、これまた困ってるドイルを紹介したの、判る? で、紹介されたドイルはその恩師に報いるためにも、この屋敷を追い出される、または勝手に辞めて消える訳にも行かなかったの、ここまでOK?」

今度こそテーブルに両手を叩きつけて身を乗り出したクレイが、強張った表情で「OKだけど!」と言い返す。

「だからって、どうでも良かったってのは、言い過ぎなんじゃないの?!」

「まぁ、言い過ぎだね。でも、その時点では、引き籠りの一人息子に名前なんかないでしょ、ドイルの中で」

ベッカーにとってそれはもう十六年前に解決していた話だったので、何をこの脚本家はそんなに興奮してんのかね、くらいの感想だったのだが。

「あのさぁ、もう家族も移住済みで戻る先も無い、住む場所も金も無いそれまで学生だった二十二、三の若造の目の前に垂らされたのは、ラド邸での家庭教師って行く末だけだったとして、脚本家の先生、あんた、その息子が気に食わないからって、せっかく住み込みの仕事紹介してくれた尊敬する恩師に後ろ足で砂掛ける様な真似、出来んの?」

お先真っ暗でしょ、どう考えても。

続いた、本当に面倒臭そうなセリフに、クレイは唖然とした。

反論しない、床に崩れ落ちたままの執事。

「―――そう、なのか、ドイル…」

呆然と漏れた小さな声を拾ってなのか、ドイルの肩がぴくりと震える。

「ドイ…」

「落ち着けよ、脚本家の先生」

洒落た眼鏡越しの双眸を見開いたクレイが再度執事を問い質そうとしたのを、ベッカーが諌める。

「オレが試してんのはあんただ、ドイルじゃねぇ」

感情の揺らぎ一つ見当たらない玉虫色の瞳が、ぴたりとクレイに据わる。

「おれ?」

そう、と大袈裟に頷いたベッカーは、持て余していた細長い脚を組み替えた。

「事の発端はドリー教授だよ、脚本家の先生。そして、向こうもずっとドイルの事を気に掛けてる。ここでオレが屋敷を畳んでドイルを解雇するって報告すれば、お優しい教授はきっとうちの執事を拾ってくださるだろうよ。

そしたら、あんたはどうする」

さぁ、どうする、ヒーロー。

泣き崩れたヒロインは健気に見えて、実は自分の拘りを捨て切れず「主人」を傷つけた自己中だ。

だったらお前は、どうする?

いつもと変わらぬようにしてどこか挑むような玉虫色を睨み返し、クレイは大きく息を吐くと、どさりとソファの背凭れに身体をぶつけた。

「亭主が居るくせにコナ掛けて来るようなお嬢様の居る屋敷になんかやれるか。ドイルが嫌だつっても、攫って行ってやる」

「あ、それは知ってんのね」

「………おれ様の交友関係舐めんな」

重畳重畳。

「回答が優等生過ぎてつまんないね、先生。あんた、恋愛もの書くの辞めた方がいいと思うよ」

「今はそんな話じゃねぇだろ!」

「いや、そんな話」

で、ベッカーはにんまりと笑い。

「もうううううどうしてその話を今ここで暴露するんですかあああああ!」

泣き崩れ…ならぬ、急激に勢い付いて顔を上げた涙目の執事に睨まれて、主人はついに声を上げて笑った。

「いつの世も他人の幸せはムカつくもんだ。それが現時点でオレの天敵として認識された脚本家なら尚更だろうに、なぁ、ドイル」

「すみませんすみません、本当にすみません! 必死過ぎてカラ回って三日目にたった十二歳の旦那様に窘められた恥ずかしい過去を、何も今ここで言わなくてもいいじゃないですかあああ!」

クレイ・アルマンド。は? という間抜け面を晒す。

「いや、なんかもう鬼気迫るモノがあって面倒臭くなったんで、ドリー教授の期待に応えたいのは判ったから、まず落ち着こうって言ったのは、オレ。で、その時ようやく自分がラド家の為でもオレの為でもなく、自分の為にオレに気に入られようとしてたって気付いて、知恵熱出したんだよ。二十歳過ぎの、良い大人が」

「うあああああああああああああああああ」

再度頭を抱えて床に伏したドイルと、まるでそれは何でもない事のようにからからと笑うベッカーを交互に見遣り、クレイは頬を引き攣らせた。

つまり?

「まぁ、今言った十六年前の事柄は既に解決済み。というか、笑い話」

「こんな時ばかり本気出すなんて、旦那様は卑怯です…」

つまり!

「ほんと、お前教師にならなくて良かったね。望み通り教職に就いてたらウザいよ、多分」

熱血教師は流行らないぜー、と、ベッカーが茶化して笑う。

「はい?」

もう脳が目前の遣り取りを処理しきれずに白熱し、きょとん、と目を見開いたクレイが首を傾げた。

「ドイルはそもそも中等院の教師を目指してたんだけどもさ、まぁ、その未来は絶たれて、でも丁度その位の年齢のオレの家庭教師に就くって言うんで、必要以上に貼り切っちゃってねぇ。二日は付き合ってみたものの、面倒になっちゃってさぁ、オレが。三日目に、当時は相当捻くれたガキだったもんで、自己中で自己陶酔型の家庭教師なんかいらねぇってきっぱり言っちゃってね、良い大人大泣きさせて知恵熱まで出さしたワケ。で、その後膝突き合わせて話し合った結果、現在に至ると」

いやいや、途中重大な十五年と数カ月と何某かをすっ飛ばしてませんか? と、クレイは内心呆れた。

「―――おれのシリアスな気持ちを返せ!」

ガン! と握り拳でテーブルを叩いたクレイを、ベッカーが肘掛に頬杖を突いた気安い姿勢で、にやにやと見ている。

「でも、あんたはドイルがそんな自己中熱血陶酔野郎でも、攫って行くんだろ?」

「ああ、担いででもな!」

「じゃぁ、まずは、あんたが返せ」

す、と眼前に掌を上に向けた手を差し出されて、クレイはまたもやきょとんとした。

「上級庭園の来賓用常時入場許可証」

どうやら、本題はこちらだったらしいとドイルが気付いたのは、その瞬間だった。

     

   
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