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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ |
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長期戦の覚悟を決めたんですがね、ご主人。時々、お宅の執事を困らせても?
寝覚めにいきなりそんなふざけた事を言われて、お手柔らかに、とやる気なく答えた、朝七時。ぴしりと警備軍の制服を着込み、いつもは適当にあちこち跳ねているくすんだ金髪をきちんと後ろに流して整えたベッカーを、執事は満足げに、脚本家は物珍しげに、俳優は。 なぜか、呆然と見つめた。
なんだかやけに久しい気がする城の、普段ならば爪先も向けないような尖塔郡の一角をゆるゆると歩きながら、ベッカーは浅く短い息を吐いた。さすがに、今度こそさすがに昨日の今日、というところ、件の襲撃者どもは俳優も脚本家も狙って来ないだろうと高を括って屋敷を後にしたものの、どこかしら浮ついた気持ちが身体と離れている様な気がする。 だからとっとと用事を済まし、屋敷に帰ろう。 とは、思うのだが…。 「執務室に顔出した途端に大隊長室に行けっつわれて、そこが終わったら今度は特務室って、なんでオレはたらい回しなのかね…」 抗議だよ、抗議。と、ベッカー・ラドにしたら奇跡的に不機嫌な様子で言われて、受け取ったミナミが無表情に肩を竦める。いや、ゴメン。俺が謝っても多分無意味だけど、とりあえず、ゴメン。 「それにしても。そんなにエキサイトしてるラド副長、初めて見たかも」 「いや、エキサイトなんかしてないでしょうに。ただ、アイリー次長に不満をぶつけてるだけで」 まぁ、確かに普段通りテンションは低いのだけれど…。 「新鮮」 「だったらもうちょいいかにも驚こう、アイリー次長」 「わー、びっくり」 げんなりとベッカーに言われて、ミナミは無表情なまま両手で口元を覆い、平坦な声を上げつつぴくりと両肩を跳ね上げてみた。 「…変な芸覚えんの止めましょうよ」 「…昨日の晩、「ループループ」観たんだよ…」 ニコリともせず言ってすぐ手を下ろしたミナミの形の良い唇に載った、くっだらない三流コメディのタイトルに、ベッカーは心底苦笑した。本気で。本当に。笑えるくらいつまらないムービーだった。のにも関わらず、不本意ながら、例のドール急襲事件の前日の晩、夕食後のリビングで演目がコメディだとは思えない真剣な表情のセイルが、最後までくすりともせずに観切ったのに付き合ってしまったのを、思い出した。 「あの笑い所の判らんコメディ、流行ってんの?」 溜息混じりに吐き捨てて、ベッカーはそれまで身体を預けていた安っぽいソファの背凭れから背中を引き離した。 結局、ベッカーとミナミが対面しているのは大隊長室でもなければ特務室でもなく、例のラシュー・エドワドソンという襲撃者の足取りを追うために支度されたテレビモニターの据えられた部屋で、珍しく、青年の傍にあの悪魔が居ない。 「つうか、ラド副長もあんなの、観るんだ」 「観たくて観たんじゃねぇよ。ムービースターが鬼気迫る表情で観てたのを、後ろから見てただけ」 どちらを「みて」いたのかは、まぁ、色々ある訳だが。 「オレにゃあの映画のどこが面白いのか、さっぱり判らんかったけども」 一応何らかのシナリオに沿って進んでいるらしいゾンビに扮したコメディアンたちが、逃げ惑う市民を追い掛けてゆらゆらふらふらと歩き回り、時に猛ダッシュして閉鎖された地区をパニックに陥れるだけの、なんだか意味の判らない作品で、主人公たる警備軍の下っ端兵士がやたらめったら拳銃を乱射し、市民まで巻き添えにして、最後には自分だけが生き残るという…。 ぶつぶつと愚痴っていた言葉尻がフェードアウトし、音を消したテレビが昼のニュースを垂れ流している、微妙に騒がしい空間。ちらちらとモニターの中で動き回る人物や映像の煩さとは別に、見ることも聞くことも出来ない「騒音」にベッカーはつい眉間に浅い皺を刻んだ。 「やっぱ、ここ、うるせぇ?」 再度ソファの背凭れに身体を預け、座面からずり落ちそうにして持て余した細長い脚を組んだベッカーの不快そうな表情をあのダークブルーでいっとき見つめてから、ミナミが小首を傾げるようにして問う。 「まぁねぇ。通常のモニターが複数稼動してるってだけでも多少やかましいってのにさぁ、自分で余計なモン割り込ませてっからねぇ…。微調整不足で電波におかしな「揺れ」が出てて、それが「雑音」になってんでしょうよ」 便宜上「雑音」とは言ったが、実際「音」ではないだろう。なんというか、電波という波同士のぶつかり合いで生じるまた別の小さな波が、「感覚として」煩いのだ。 眉間に皺を寄せて不快感を表しつつもこの部屋での雑談にまで付き合ってくれているベッカーを、無表情に観察しながらミナミは、良い人…というか…。 「ラド副長って、意外とお人好し? なのな」 という、感想を抱いた。 「は? そりゃ…新しいイメージだね、オレの」 普段は、どこを見ているのか、何も見ていないのかも判らない眠たげな玉虫色の双眸を微かに見開いたベッカーが、涼しい顔のミナミに苦笑を見せながら言う。お人好しとか、なんとなく胸の中がむず痒くなるような称号を頂いてしまった。 なぜこの眼前の綺麗な青年が、そんな薄ら寒い感想を自分に抱くに至ったのか、ベッカーは気にしない。というか、気にしたら負けだ。もう、これ以上昨日まで積み上げて来た「ベッカー・ラド」をぶち壊すのは止めて欲しい。脚本家といい、俳優といい…。 ミナミとしては。 「この部屋、あの人なんか近付きもしねぇよ? 煩くて気が散るつってさ。ミラキ卿も、アン君も、少し居たらすぐ出てくしな。そういうのに…」 「オレの組んだプログラムが影響してんでしょ、この「騒音」も。だからさ、多少は馴染んでんじゃないの? オレとは」 はい、この話はおしまい。と勝手に話を切り上げられて、ミナミは無表情ながら内心苦笑した。なんだろうこの人は。周囲に善人だと思われたら都合の悪い事でもあるのだろうか、と。 さりげなくミナミから反れた金色が、ニュースを終えてエンタテインメントインタビューなる番組の始まったモニターに移る。本来ならば無い筈の、画面の左上に小さく区切られたサブチャンネルは、何の変哲も無い王城エリアの地図の一部を映し出していた。 「七号スラムと、居住区の際辺り?」 「クレイ・アルマンド襲撃事件の日の晩に、その周辺で発報があってさ。で、ズームしてから、そのまま」 この辺、とベッカーの向かいに置かれていたパイプ椅子から立ち上がったミナミが、サブチャンネルとメインチャンネルの比率を逆転させて、ラウンドした大通りの辺りを指差す。 瞬間、ベッカーの眉間の皺が一際深くなった。 「あ! ごめん、忘れてた」 そのしかめた顔を見るなり、ミナミだとしたら奇跡的に慌てて、再度モニターの比率を元に戻す。 「追跡用のモニター大写しにしたら騒音も途端にでけぇって、様子見に来たガン卿まで逃げ帰ったんだった」 言われて、ベッカーは天井を見上げ自分の顔を両手で覆った。 「あー、とっとと捕まってくれないモンかねぇ、その、なんとかクンとやら。いくら突貫工事で組み上げたにしても、出来が悪過ぎんでしょ、これ」 不出来なプログラムに苛立っているらしいベッカーが、折角整えていたアッシュブロンドをぐしゃりと掻き混ぜて、今度はがっくりと上半身まで折り曲げ項垂れる。その、際限なく沈んでいるらしい様子に、ミナミは無表情に首を捻った。 「出来、悪ぃの?」 「悪い。物凄い雑。ノイズキャンセラなんか仕込んでないし、しょうがないけどもね。あー。あそこでムービースターがオレの邪魔しなかったら、もうちょういましだったか…」 身を起こし、覆っていた両手で顔を擦りながらぶつぶつと零す、ベッカー。 しかし、ミナミは聞き逃さなかった。 「ムービースターって、セイルくんがなんかした?」 言われた瞬間にぴたりと口を噤んだベッカーは、それから、わざとらしいくらいに真面目な顔を作って、すっくと立ち上がった。 「いえ、何も。それでは自分はこれで失礼します、アイリー次長」 「待て逃げんな。話は終わってねぇ」 「いやいや、終わってますって。大隊長からはありがたい第九小隊活動停止続行の宣言と、イムデ・ナイ・ゴッヘル魔導師の階級返上と退役の許可まですんなりと頂きましたし、この通り、不出来ながらも賊を追跡するプログラムの正常な稼動を確認致しました。さて、これ以上不肖わたくしめにアイリー次長よりどんな用件がありますかな?」 ん? と胡散臭くへらりと笑ったベッカーが首を捻って、ミナミは一切揺るがない表情のままキッと彼を睨んだ。 「で、セイルくんは?」 「元気ですよ?」 「そうじゃなくて」 「元気です」 言って、再度にんまりと微笑んだベッカーは、ぴんと立てた人差し指を自分の唇に当てた。 「――後は、非常に、プライベートなお話なんでご勘弁を」 黄金に玉虫色を回す瞳に見つめられ、ミナミは一瞬、喉の奥で言葉を詰まらせた。
「…やべぇ、ラド副長と話してると、突っ込みどこが判んねぇ…」
ミナミを強引ながら上手いこと煙に巻いて特務室近辺から逃げ出したベッカーは、一旦魔導師隊の執務室に戻ろうとして、途中、護衛なのか付き添いなのか、はたまた引率なのか定かでないヒューを連れたアンとばったり出くわした。 「あ、ラド副長!」 足元に目線を落として一心に話していたアンに、視線だけを流したヒューが二言三言声を掛けると、少年はぱっと顔を上げ、ぱあっと表情を明るくして、抱き付かんばかりの勢いでベッカーに駆け寄って来たではないか。 「熱烈歓迎だな、身に覚えがないんだけどもね」 むしろ、不出来なプログラムで騒音を撒き散らすなと言われても仕方が無い状況だったから、連絡通路の真ん中で足を止めたベッカーが、本気で首を捻る。 よほど何か困っていたのか、違うのか、ノンブレーキで突っ込んで来た少年を思わず抱き留め、微笑ましい気分で色の薄い柔らかそうな金髪をうっかり撫で回しそうになって、あ、と間抜けな声を上げた。 「―――違った、イムじゃねぇんだった」 抱き留めた具合の多少の差異に意識を取り戻し、微妙に口元を緩ませたまま、アンを自分の身体から引き離す。………。ああ、意識すまい。おまけに問い質しもすまい、誰にも。なぜか一瞬、冷やりとした空気が背中を駆け上がったのはなぜかなんて、絶対に! すっかり癖になっててさぁははは。なんてわざとらしくカラ笑いを浮かべたベッカーは、本当に軽く、アンの両肩をヒューに向かって押した。 「いや、意外と手馴れたスキンシップだなとは思いましたけど、そういう理由だったんですか。確かに思い出してみれば、ナイ小隊長っていっつもラド副長にしがみ付いてましたもんね」 こちらは押された事を意識するでもなく、もしかして後ろに倒れるかもしれないと堪えるでもなく、半歩ふらりと下がったアン少年の華奢な背中を、ゆったりと歩く早さで追い縋ったヒューが胸元で受け止める。 「――――――きみら程手馴れてねぇと思うけどもね…」 言って、きょとんとベッカーを見上げてくるアンと、器用に片眉だけを吊り上げたヒューを正面に見据えて、ベッカーは小さく肩を竦めた。 「とまぁそんな話はどうでもいいとして、オレになんか用事か、アンちゃんよ」 確実に後ろからヒューが来て間に合うと思っているアンと、そのアンの思惑? 期待? 通り少年の背を捉えたヒューの、絶妙のタイミングに白旗を挙げたい。そういえば、この二人は一体なんなんだ、この前から。いつ見ても任務中だというのに、特におかしなところは無い筈なのに、親密とも言えない距離を保っているのに! 近い? んだよなぁ。 と、ベッカーは内心嘆息する。 まぁ、それだってどうでもいいんだけども。 もし男にもう少しやる気があって突っ込んだ質問の一つも出来れば、この、俄かに目覚めた「後ろめたさ」も多少は軽減されたのかもしれないが、残念ながら昨日までで培われたやる気のない「ベッカー・ラド」は、そう簡単にアクティブには成れなかった。 だから、その話も疑問も、これ以上は継続しない。 「そうでした! ラド副長、今からちょっと時間取れます?」 一度も背後のヒューを意識する事無く銀色から離れたアンが、胸の前で祈るように手を組み、目をうるうるさせながら問いかけて来たのに、ベッカーは思わず吹き出した。 「そんな顔してもオレは騙されんよ、ルー・ダイ魔導師。さっきのアイリー次長といい、最近の特務室じゃ、芝居がかったわざとらしい仕草ってのが流行ってんのかい」 「あ、バレました? ほら、この前までちょくちょくセイルさんが特務室に来てて、待ち時間に、小芝居をなんか披露してくれたりして」 つい真似したくなっちぇって、てへー。と自分でやっておきながら照れ笑いを浮かべたアンを見下ろして、ベッカーは何かを思い出したように、薄い唇に淡い笑みを刷いた。 「…そういやぁ、来てたねぇ。随分と」 その複雑な表情を見て、アンがことりと小首を傾げる。 「あれ? ラド副長、セイルさんがお城に来てた事、知ってたんですが? あ、もしかして、ご本人から聞きました?」 「いや…」 答えて、ゆっくりと俯いたベッカーが白手袋に包まれた指の長い手を、長上着のポケットに入れる。 「時たま、アイリー次長なんかとオープンカフェ行ったりしてたでしょ。それをさぁ、偶然見かけた事があるだけですよ」 伏せ気味のくすんだ金色の睫から微かに覗く、玉虫色。 「―――何度見かけたのか知らないが、ミナミたちと一緒にいたのがセイルだったと、よく覚えていたな」 そこだけ的確に言い返してきたヒューに視線を当て、ベッカーは小さく笑った。 「たまたまでしょ、たまたま」 全ては、偶然ですよ? 「んで? 何度も話が逸れてちっとも進まないんだけどもね、アンちゃん」 す、とヒューから視線を逃がしたベッカーが再度アンに声を掛けると、今度は真面目な顔をした少年が、一つ頷く。 「実は、以前見て貰った機械式の件で、また新しい指示が出たんですけどそれが余りにも…進まなくてですね…」 人海戦術でどうにかと考えて居た所、先日のラド邸襲撃事件で「敵側」を徹底的に追い詰めるという主要任務が突如発生したために、ギイル率いる警備部隊が殆どそちらに取られた。結果、アンの手伝いに回して貰えるのはせいぜい三人か、四人、六つに分けた小班の一つだけで、どうにも人手不足らしい。 申し訳なさそうに言い募るアンを眠たげな視線で見つめていたベッカーは、少年の話が一区切り付いた所で、くすんだ金髪をがさりと掻き回しながら大仰に嘆息した。 「お前、ホント無駄にイイ子だよねぇ。大丈夫か? そんなんで魔導師なんかやってけんのか? まぁ、まさかスゥみたいにはならないだろうけどもさぁ」 「「は?」」 殆ど呆れたようなベッカーの言い方に、アンもヒューも、思わず気の抜けた声を漏らした。 「当てにしてた警部部隊が使えなくなったのは、オレが何の相談もなく余計な事して、追跡班を出すハメになったからでしょうに。だったらお前はオレに、勝手なことしやがって人手が足りないから手伝えこのやろう、つってもいいくらいなんじゃないのかねぇ」 それをどうして「申し訳ない」気分で、諸悪の権現たる自分に頼むのか、とベッカーは言いたいらしい。 ポケットから引き抜いた手で艶のないアッシュブロンドを掻き回していたベッカーの、削げた頬と細い鼻梁に視線を当てたまま、アンもちょっとぽかんとした。それを言うならラド副長もじゃないんですか? 別に、自分が悪いとか、僕が気付いてないんだから言わなくてもいいのに。と思ったが、口に出すのは止める。 「じゃぁ、手伝ってください」 「何を?」 がし! とベッカーの腕を掴んだアンが言い、男が面倒臭そうに問う。 「中央鍛錬場に運び込まれたばらばらの機械式を、組み立て直す作業です!」 はははははは! と自棄気味に笑いながら、アンは渋い顔をしたベッカーをずるずると引き摺って、一般警備部に隣接したドーム状の屋根を目指し歩き出した。 「何体あるのか判らないんです! 部位として残ってる部分を繋ぎ合わせるにしても、どのパーツが接合部の物なのかも判らないんです! とにかくですね!」 せめて組み立てるヒントを下さい! 何やってんの、電脳班…。 と、鬼気迫る表情で宣言したアンの横顔と、呆れたように溜息を吐いたベッカーの眠たげな横顔を同時に視界に納めたヒューが、内心嘆息し、それからくすりと唇の端を吊り上げる。 「どっちもどっちだな。言い方は捻くれているが、結局手は貸すくせに」 そこで銀色は、じゃぁ、あのベッカー・ラドも「イイ子」か。と内心独りごちた。
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