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    番外編-2- その頃、少年?    
         
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 なんとも忙しい一ヶ月だったなぁ。というのが、久しぶりの連続した休暇? というか、待機? 三日目、昼近くまで惰眠を貪ってようやくベッドに身を起こした少年の、率直な感想だった。

 一ヶ月。少年が少し大人びた顔で漆黒の衛視服を纏い、この浮遊都市中央に位置する「王城」へ勤め出してから、一ヶ月。そして、危うい「誰かの気持ちの均衡」がぐらついて栄えある第一回目の謹慎を頂戴し、流れ的に? 少年にも休日らしい休日をが巡ってきた、一ヶ月目。

 とりあえずのろのろと身支度を整えて、朝食だか昼食だか判らない食事をしようとし、部屋にはろくなものがないと気付く。一体今日までどうやって栄養を補給していたのかと首を捻りつつも、何かしなければならないような気持ちでなんとなく通信端末の前に座り…、…座り…。

 一呼吸。通常の回転速度を回復した脳に酸素が行き渡り。

「ああああああああああああああああああああっ!」

 少年、アン・ルー・ダイは悲鳴を上げて椅子を蹴倒し、転がるように部屋を飛び出した。

 大して距離のない一直線の廊下を突っ走り、非常階段に続くドアを肩で押してくぐり抜け、つづら折りの鉄製階段を二段抜かしで風のように駆け抜ける。このままでは失速して転がり落ちるのではないか、と冷静さの残る意識の片隅で考えるもなんとか事無きを得て、一階のドアをこれまた体当りで開け放ちエントランスホールに出た、直後、アンは食堂の方から現れた白っぽい人影と激突し後ろにひっくり返りそうになった。

「……前方不注意だな。何やってる?」

 ぶつかった勢いで跳ね戻されたアンの細い腕を掴んで転倒するのを防いでくれたその人影が、普段通りの機嫌悪さで言い放ったのに、少年はしたたか打った胸を押さえて咳き込みながら、とりあえず、唸った。

 なぜ、ぶつかった自分が跳ね返されたのに、このひとは平気そうなんだ? と?

「というか、何やってる? ってのは、こっちのセリフだと思うのですが? 班長…」

「? なんでだ?」

 背中を丸めて咳き込んでいたアンは、冷たい声で質問を交わす上空のふたりを涙目で見上げた。

「そもそも、班長が退ければアンさんとの接触事故は免れたのではないかと」

 いかにも、だってあんた駆け込んで来たアンさんくらい退けられんでしょうに。と付け足しそうな口調でぼそりと呟き、インテリ風の黒縁眼鏡を指で押し上げたのは、ジリアン・ホーネット。

「俺とぶつからなかったら、アンくんは確実にあそこに積んである荷物の山に突っ込むハメになるんだがな」

 あからさまに、だから、それで、何か文句があるのか。としか取れない口調で言い返しつつ、背後、エントランス中央に積み上げられている箱の山を立てた親指で示したのは、ヒュー・スレイサーだった。

「ほほーーーーーーーーーーーー」

 掘り下げるようにわざとらしく答えたジリアンは、きょとんとヒューを見上げているアンの顔をわざわざ覗き込み、満面の笑顔で会釈してから姿勢を正し、かきっと踵で百八十度回れ右して、すたすたと………エントランスの片隅で抱き合っている(ように見える)アンとヒューをその場に残し歩き出した。

「ぼくはてっきり、退屈な休日の最初をアンさんの抱擁で気分よく始めようとしてるのかと思いました」

 言うなりジリアンは、脱兎のごとく、疾風のように非常階段室に逃げ込んだ。

 掻き消えたジリアンの背中を探すように非常階段室へ顔を向けて呆然としていたアンは、ようやくそこで、自分がヒューの腕に抱きかかえられているのと、思わずそのヒューの背中にしがみ付いていたのに気付いた。

 突然、物凄く恥ずかしい気持ちになる。でも、ここで慌てたりしたらもっと恥ずかしいに違いないと俯いて耳まで真っ赤になりつつも、なるだけ平静を装って、寄り添ったヒューの胴体を手で押し、なるだけ自然に? 離れようとする、少年。

 しかし?

「…や、まぁ、私生活にまでとやかく言うつもりはないんですけどね、わたしもね。でも、一応特別官舎にも風紀ってのがあるんですから、あまり派手な行動はいかがなものかとね…」

 エントランス中央に積み上げられた荷物の傍らにいて一部始終を見ていたはずの寮監、エドワース・オゾルが、独り言みたいに口の中でもごもご言いつつそそくさとその場を立ち去って行く。

「………………………」

「………………………」

 恥ずかしそうに丸めたエドワースの背中とお互いの顔を見比べてから、ふたりは慌てて飛び離れた。

       

        

 食堂のテーブルに憮然とした表情で頬杖を突き、すっかり煮詰まった不味いコーヒー飲み下したヒューが、盛大な溜め息を吐く。その向かいには、朝食だというトーストとコンソメスープと小さいサラダ、それから、フルーツの入ったヨーグルトを目の前に恐縮しているアンと、盛り上がった筋肉までも震わせて大爆笑している料理人、ダルビン・トウスが居た。

「朝イチでジルにネタ与えちまったんだ、あと三十分もすれば官舎中に知れ渡って、今日一日からかわれるぜ、班長」

 相変わらず身体にぴっちりしたTシャツに黒いサロンという出で立ちのダルビンが、アンの太腿並に太そうな腕を組んでくつくつ笑うと、ヒューは「ふん」とさも面白くなさそうに鼻を鳴らして、長い足を組み替えそっぽを向いた。

「すいません。ぼくが慌ててたばっかりに…」

 しかも。

「別に慌てる必要はなかったんだろう? 出向先には待機の通達が届いてるんだから」

 任務の性質上伏せられた出向先には、既にアンの所属する王下特務衛視団電脳班が一時待機になったという通達がなされている。それをすっかり忘れていた少年は、執務室に駆け込んで出向先…私財・通貨管理院に連絡しようとして部屋を飛び出し、ヒューとの接触事故を起こしたのだ。

 しかも、休日三日目に。

 先の二日は定例の休暇日で、今日から五日間が実質待機、という事だけを胡乱に覚えていたのがその原因だっただろうか。今週通貨管理院に赴く予定は、今日と明日と明々後日で、なぜか少年は、起き抜けにその部分だけを思い出してしまったのだ。

 傍迷惑な電脳班班長のおかげで日程に狂いが出たのがそもそもの原因、といった方がいいのだろうが…。

 咎めるようにというよりも確認するようなヒューのセリフに、アンがますます小さくなって「はい」と答える。

「おいおい。アンくんにまでそんな言い方ぁねぇだろうに。大人げねぇな」

 などと言いつつもまだ笑っているダルビンに、ヒューは顔も向けなかった。

「ま、午前中の班長つったらいつもこんなモンだしな。アンくんは気にしねぇでメシ食っちまいな」

 食後にフレーバーティーを頼み、とりあえず、食事を開始する。機嫌の悪いヒューを前にしているので気持ちは重かったが、ダルビンの作ってくれた朝食は美味しかった。

 ややあって、ふとヒューがアンに視線だけを向ける。基本的に食が細いのか、それともそういう育ちなのか、少年は千切ったパンをぽそぽそと口に運び、スープを少し飲み、それからサラダを少し食べ、またスープを…という具合に、朝から暴風のような勢いで出されたものを食い荒らす他の連中とは比べ物にならないようなゆったりした速度で、きちんと朝食を摂っている。

 健康的だな。とヒューは、思わず笑いそうになった。

 その間もアンは、壁に投影されたニュースから目を離さずに、食事を続けている。内部がどうであれここは陛下側近の衛視が寝起きする場所で、だから、食堂には二機のモニターが備え付けられており、一機はいつでもニュースチャンネルに固定されているのだ。

 食い入るようにニュースを見つめる、薄い水色の瞳。

 何がそんなに面白いのか? とヒューもモニターに視線を移した頃、ダルビンがアンの前にフレーバーティーを置き、ヒューには新しいコーヒー差し出した。

「ああ、どう…………」

「……そっか…………その方法があった」

 ヒューがダルビンからコーヒーを受け取った直後、アンが何か納得したように呟く。

「?」

 思わずダルビンとヒューが顔を見合わせ、それからふたりはアンに視線を送った。

「あの、ヒューさん? ちょっと、魔導機の動作確認したいんですけど、ガリュー班長は不在だし、誰に許可申請すればいいんですか? こういう時」

 モニターに向けられていた視線が旋廻して不思議顔のヒューを捉え、小首を傾げる。

「それなら。とりあえず室長じゃないか?」

「判りました」

 さっきまでの落ち込みなどないもののような、アンの笑顔。

「ごちそうさまでした、ダルビンさん。美味しかったです」

 きれいに平らげた朝食の皿を見て、ダルビンが唇を歪め笑顔を作る。分厚い手がトレイを持ち上げ、無言で遠ざかって行く背中に軽く会釈してからアンは、甘いりんごの香りを振り撒くフレーバーティーをやや忙しく楽しみ、椅子から腰を浮かせた。

「どこに行くんだ? アンくん」

「はい。室長の許可が下りたら、魔導師隊の地下演習室に」

 少年の色の薄い瞳が、何かを確信するように微笑んだ。

「ぼくは、弱いですから」

  

   
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