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番外編-2- その頃、少年?

   
         
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 それでなぜ自分が付き合わされているのかという疑問を、ヒュー・スレイサーは不思議と感じなかった。

 魔導師が魔導機を顕現させてなんらかの訓練を実行する場合、接続不良や暴走などの不測の事態に備え、単独で演習室に来る事はない。通常ならば魔導師はふたり一組なのだから、どちらかが訓練を行えば相方も同行するし、ふたり同時に訓練する場合は他の隊員が一緒にやって来る。

 しかし、アン少年にはいわゆる「相棒」がおらず、だから、手の空いている誰かが監視名目で同行するのは当たり前なのだ。

 その同行者がヒューなのは、まず、電脳班の連中は待機と謹慎で城にさえ居ないからであり、特務室はそれなりに忙しくアンに貼り付ける人員を裂けなかったからであり、ヒューは今日休暇で、ついでに暇を持て余していたからだろうか。

「いい暇潰しじゃないかな、スレイサー衛視。しかも、君なら自由に動けてこういった助手も勤まる訳だし」

 偶然なのかわざとなのか、王下特務衛視団長官クラバイン・フェロウ…通称室長の許可を得てアンとヒューが電脳魔導師隊地下演習室に到着した時にはすでにやって来ていた魔導師隊大隊長グラン・ガンが、内容は非常にナンだが、王者の風貌に似合いの威厳ある物言いと笑顔をヒューに向ければ、陛下以外のなにものにも礼儀を尽くす必要のないヒュー・スレイサーは、薄い唇に皮肉な笑みを載せて言い返す。

「確かに、ガン大隊長では、ご自身の暇潰しにはなっても助手は勤まらないでしょうからね」

「…内容はさておき、微妙に舌を噛みそうな言葉遣いなのが気になるが?」

「年長者は上辺だけでも敬えというのが、父の教えで」

「つうか、敬う気ぃあんなら言い返すなよ」

 と!

 なぜかグランと同行して来たミナミが、冷たく、またはいつも通りに、突っ込んだ。

 ドーム型の天井を持つ、円筒形の演習室。今日は他に使用の申請がないらしく、アン、グラン、ヒューとミナミの四人だけが、広い空間の片隅にぽつんと佇んでいる。

「……ミナミさん、自宅待機じゃなかったんですか?」

「うん? うん。そうなんだけどさ、…ちょっとね」

 相変わらず毛先の盛大に跳ね上がった金色の髪に、冷えたダークブルーの双眸と、淡い色彩の薄い唇。光沢のある藍色のシャツに、デザインなのだろう袖も丈も短い若草色のVネックを重ね着し、細身の黒いデニムパンツを履いている。

 小首を傾げて金の髪を指先で梳いたミナミの綺麗な顔に一瞬見とれてから、アンは少し照れたように笑った。いつも目にする衛視の制服もよく似合っているが、こういうラフな服装のミナミは、印象が柔らかくて好きだった。

「ガリュー班長は?」

「留守番。つうか、今朝方までネット入り浸りで、俺が出て来る頃やっと寝たばっか」

 相変わらず生活リズムの無茶苦茶な人だ。

「謹慎三日目で、もう暇を持て余してるのか? ガリューは」

 アンに持たされた箱の中を覗き込みながら、ヒューが失笑交じりに呟く。

「たった一日の休暇持て余してアンくんにくっついてるヒューには言われたくねぇだろな、とか思うけど?」

 そう言ってからミナミの唇に浮かんだ微かな笑みを、言われたヒューが横目で睨む。

「放っておけ」

 その、どこか拗ねたような口調をアンとグランがくつくつと笑った。

 とはいえ、魔導機を顕現させるアンには誰か見張りが必要なのは確かだし、その「誰か」をヒューが他に譲れなかった理由も、ミナミには…判る。

 その理由を訊いても、適当にはぐらかされて終わるのだろうが…。

「…素直じゃねぇな、ヒュー」

「素直さで人気が上がるような年齢は、とっくに過ぎたからな」

「ヒューさんにもそういう年頃ってあったんですか?」

 不満そうな響きを含んで呟いたミナミに顔さえ向けずしゃがみ込み、床に置いた箱の中身を掻き回すヒューの頭上にアンの無邪気な声が降りるなり、珍しく、ミナミが腹を抱えて笑い出す。

 背中を丸めて震えているミナミを睨んでいいのか、悪びれた風もないアンを咎めていいのか、それとも、にやりと笑ったきりそっぽを向いたグランに何か言ってやった方がいいのか一瞬迷ったものの、ヒューはすぐそのどれもを諦めて溜め息を吐いた。

「はいはい、そんな年頃なんかなかったよ、どうせ」

 その、今度こそ完璧に拗ねた言い方を、アンが転がるように笑う。

 ふて腐れて床に座り込み、箱の中から何かを掴み出すヒューの背中をミナミとアンが見下ろす。普段は横柄だし口を開けば皮肉ばかりだし、というヒューもさすがに今日は休日モードなのか、適当に結い上げた銀色の髪と飾り気のないプルオーバーに薄手のジャケットというラフな衣装と相俟って、いつもの偉そうな印象は微塵もない。

「つうかさ、私服の俺も俺だとは思うけど、アンくんとヒューの府抜けた雰囲気はなんなんだ?」

 ミナミに言われて、アンは改めて自分の身体を見下ろした。

 ヒューの格好は前述の通りで、足下は裸足に踵を潰したワークブーツ。もう一方のアンも思い付きで演習室を使わせて欲しいと緊急申請し、今なら空いているというクラバインに二時間だけ使用許可を受け慌てて官舎を出て来たものだから、濃紺と白のベースボールシャツにすり切れたジーンズと履き古したデッキシューズという…、衛視でなかったら、とてもじゃないが警備軍の執務棟に入れて貰えるような姿ではない。

「部屋掃除のついでに演習室に立ち寄ったという感じではある」

 ふむ、と衛視たちの服装を咎めるでもなく淡々とグランが頷く。

「ヒューはじゃぁまず、その部屋掃除を敢行しねぇとな」

「………だから、俺の事は放っておけ!」

 今日は朝からよくからかわれる日だ。班長。

 溜め息も出ないほど疲れ切ったヒューと、どことなく笑いたそうなミナミから、アンがそっと離れる。演習室の使用時間はたった二時間で、遊んでいる暇はなかった。

「ところでルー・ダイは、何をするつもりだ?」

 移動したアンの気配を感じて首を巡らせつつ、グランがそこだけ威厳のある、それでいて堅苦しくない口調で言いながら、ヒューの手から一個の…ピンポン玉を取り上げる。

 そう。先ほどからしきりにヒューの掻き回していた箱の中には、無数のピンポン玉が詰まっていたのだ。

「はい。「キューブ」で、そのピンポン玉を動かせないかと」

 答えたアンの笑顔に、ミナミとヒューの視線が吸い寄せられた。

「ふむ。わたしの「ヴリトラ」ならばじゃれつくくらいはなんでもないが、ルー・ダイの「キューブ」には、そもそもそういった「機能」がない。それでどうやってこれらを動かそうと?」

 手も足もない、何の取り柄もない立方体の集合。一辺が約五センチほどで、艶消しした白い表面はフリーザーから取り出したばかりのチーズの塊りによく似ており(イルシュは、これくらいの大きさのホワイトチョコレートが食べたい、と言ったが)、数だけならば百六十個とかなりの多さではあるものの、基本機能は相互間通信と位置固定機能しかない、正真証明の「完全補助系」魔導機「キューブ」。

「どうせ内緒にしてもガン大隊長にはバレるんでしょうから白状しますけど、空気振動を利用しようと思って」

「ふむ…」

 右手にピンポン玉を持って顔の前に翳し、左手を自分の顎に当てたグランが、何か納得したように唸る。

 そうなると、ミナミやヒューには口を挟む隙はない。質問があるか、またはミナミ的ツッコミ所があれば話は別だが、魔導師でないふたりは顔を見合わせて頷き、佇むグランとアンから少し離れた。

「しかし、「キューブ」を操作しつつ空間系のプラグインを構築するのは、難しいのではないかね?」

「遠慮なさらなくて結構ですよ、ガン大隊長。仰る通り、ぼくの占有率ではその二つを同時に行うのは、無理です」

 きっぱりと清々しくも、自らの「弱さ」を認めるアン少年。

 ふとそこでミナミは、傍らに立つヒューの横顔を見上げた。

 だからなのかもしれないと思う。

 アンは「弱く」、しかしその「弱さ」に甘えず、そしてその「弱き」を振り翳さない。

 抑え付けようと無理もしない。

 だからといって屈したりもしない。

「…アンくんはさ」

「?」

 ぽつりと呟いたミナミに視線だけを向けたヒューが、青年のダークブルーに捕らえられる。

「目いっぱい強くなろうとしてんだよな、いつも」

 上限までは。

「ああ、そうだな」

 限界以上には「出来ない」事を、知っているから。

 それ以上ミナミに何か吹っかけられるのを厭うように、ヒューはふっと青年から目を逸らした。

「………そういうトコ、ヒューは卑怯だけどさ」

 微かに笑いを含んだミナミのセリフを小さく笑ったヒューも、頷いてそれを肯定した。

     

     

 プラグインを指し込む方法でなく、基本機能として無操作で行える相互間通信の種類を書き換えるのだとアンが言い、グランも納得する。

「ホストからの命令を一方的に受信して通過させるだけのブランクと、最終ラインに敷くエンドの受信方式をまず書き換えます」

「なるほど。それならば、プログラムを構築するのではなく基本機能に付加するだけなのだから、余計な電素は必要ないな」

「はい。ブランクについては、第二位通信方式として新たな電波情報を登録してやるだけですし」

 緊張の微塵さえ窺えない明るい笑顔で言いながら、アンが大きくグランから離れて行く。少年の陣は、平面で直径二メートル。陣立ち上げのスペースを確保し、身体の前で軽く手を組み合わせたアンの周囲に、規則正しく美しい電脳陣が、ゆっくりと描き出され始める。

 その陣の構築についてグランは、見つめるミナミとヒューに「とても丁寧で美しい」と解説してくれた。

 電脳陣の描き方には癖があるらしく、基本的な描き順は全て同じようであっても、中には乱暴に構築して強行稼働するような不良もいる。例えばローエンス、当然のようにハルヴァイト、意外にスーシェもそうだとグランは言った。

「そういう連中に比べると、ルー・ダイの陣は基本に忠実でひとつひとつ丁寧に描き込まれているし、規律正しく美しい。どうかな? スレイサー衛視。格闘技にあっても、基本が正確であるというのは大切な事だろう?」

「その通りだな。武術でもなんでもそうなんだろうが、基本がなっていないのと基本をしっかり学んでいるのでは、その後の成長が違う」

「つかさ、スゥさんて意外な事ばっかじゃねぇ? 攻撃系だってだけでも驚きなのに、不良だつうし」

「ゴッヘルのはまだマシな方だな。アレは見かけによらず気が短くてね、占有率の多さと「スペクター」のAIに助けられて、キャンセル出来るプログラムを最初から描き込もうとさえしないのだ」

……………………。なんとなく、スーシェの人格に一抹の不安を覚える。

「しかし、アイリー次長の恋人などはもっと酷い」

「…聴きたかねぇけど、何がどうひでぇの?」

「真円であるべき外周が、歪んでいる」

 思わず、ヒューがミナミの顔を見下ろす…。

「………聴かなきゃよかったとか、今マジで思った…」

 それがどう問題なのかヒューにはさっぱり判らなかったが、ミナミはかなり真剣な無表情で、ハルヴァイトに訓練のし直しを勧告すべきかどうか悩んでいるようだった。

 そんな無駄話の間に、アンの陣は完成。数秒後には中空に五つの白い臨界接触陣が浮かび上がり、中心から文字列が崩壊して落下、今回は床に到達するよりも前にきちんと整列して、あの、百六十個の真白い立方体の群へと姿を変える。

「あのー、ヒューさん? ちょっと手伝って貰えますか?」

 張り上げるでもないアンの声に呼ばれて、ヒューはミナミとグランの傍を離れた。ヒューから見たらどれも同じに見える電脳陣ではあるが、あのグラン・ガンが「美しい」と誉めるのだから、きっと、にこにこする少年を取り囲んだこの文様は、芸術的なものなのだろうと思う。

 滑らかな直線と、微細なズレも見当たらない直線の描く、光の三重構造。足下からほんのりと照る淡い色の輝きを受けた少年は、色の薄い金髪と水色の瞳も滲んでしまうように、半ば溶けて見えた。

 朧な輪郭。

「ヒューさん?」

 訝しそうな声に再度呼びかけられて、ヒューがふとアンに焦点を当てる。足下に広がる電脳陣を含む少年はどこか消え入りそうに淡く儚く、別の世界に居るような気がした。

「どうした?」

 らしくなく、一瞬ぼんやりと見つめられて戸惑ったアンが、そう問われてますます困惑する。どうした? と訊かれても、どうかしたように見えたのはヒューの方なのだ。

 眩しげに目を眇めて、遠く半透明な何かを探すように見つめられたのは、アンの方だったのに。

「あ…いえ。えと、それでですね…」

 当惑しつつも仄かな笑顔で答えたアンはヒューに、さっきのピンポン玉を持って「キューブ」の傍に寄ってくれと頼んだ。ただし、当然ながら「キューブ」に触れてはいけない、と注意するのも忘れない。

「合図したらピンポン玉を一個、「キューブ」の上に放り込んで貰えます?」

 言われた通り、ミナミが手を突っ込んで遊んでいるピンポン玉入りの箱を取り上げ、「キューブ」の群れに近付くヒュー。彼が定位置に到着するまで「キューブ」たちは何か確かめるようにくるくると動き回り、時折、ぶる、と震えたりもした。

 そこでヒューは、自分の背中を通り越して注がれる視線に、なんとなく嫌な予感を抱く。

 百六十個の真白い「キューブ」が位置を決め、ヒューの肩より下がったところで移動を停止。ひとつひとつはそう大きいものではないが、それが百六十個、どういったフォーメーションなのか、かなりの広範囲に広がって停止している様は、非現実的過ぎて薄気味悪いくらいだった。

 想像して欲しい。日常生活を営んでいるなんの変哲もないリビングに、五センチ四方の白い立方体が百六十個、ぴくとも動かず中空に留まっている様子を。動いていればそれはなんらかの機能を持つものなのだと納得出来るだろうが、全く動かないから、殊更不思議な光景ではないだろうか。

「じゃぁ、お願いします」

 アンの平和な声に押されてヒューは、箱から取り出して右手に握っていた一個の黄色いピンポン玉を、気安い動作で「キューブ」の上空へ放った。

「キューブ」たちが動いて見えたのは、ほんの一瞬。

 しかし、ふるっ、と輪郭をブレさせた「キューブ」の群れに紛れ込んだ黄色いピンポン玉の方は小刻みに震え、落下せずに中空で何か…堪えているように留まっている。

「「キューブ」よか、そっちのピンポン玉の方が生きてるっぽい」

 アンが何をやっているのか興味津々という、でもやっぱり無表情なミナミが言い、グランも頷く。

「あとニ、三個足してください、ヒューさん」

「…なんというか、餌か何かをやってる気分なんだが?」

 言って、自分で何か可笑しい想像でもしてしまったのか、口元に薄っすらと笑いを浮かべたヒューが、「キューブ」の群れにまたピンポン玉を投げ込む。後発の三個も最初の一個と同じようにふるふるしながら中空に留まったのを確認してからアンは、ヒューに少し下がるよう言った。

 ヒューが数歩離れて、直後、震えながら中空に留まっていた黄色いピンポン玉が、なぜか、突然乾いた音を響かせてぐしゃりと…潰れてしまったではないか。

「……………あれ?」

 そして、一番それに驚いたのは、アンだったり。

「ルー・ダイ」

「…あの…はい?」

 ひしゃげたまま「キューブ」の上に留まる黄色い残骸を冷静に見つめたまま、グランが呟く。

「なんのデータを?」

「えーーーと…、テレビのスピーカーを参考にして、再生されない非可聴領域の音声データです…」

「周波数は?」

「いわゆる、重低音?」

「なんでそこ質問してんだよ」

 ミナミ、突っ込み所は見逃さない。

「てか、アンくん動かすって言ったよな? どう見ても、アレ、ぶっ壊れてるようにしか見えねぇんだけど? 俺には…」

 いや、この場にいる誰にも、そうとしか見えないだろうが。

「ルー・ダイ」

 淡い色彩の電脳陣に取り囲まれたアンに、グランはちょっと意地の悪い笑みを向け直した。

「…はい」

「精進するがいい。お前は、お前が思っているほど「弱く」はないようだ」

  

   
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