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番外編-2- その頃、少年?

   
         
5)

         

 いかにも退屈そうな顔でテーブルに頬杖を突いていたヒューが、差し上げられたポットの内側で踊る褐色の液体をしばし見つめ、微かな笑顔で「もういい」と軽く手を振る。その、いつも以上に物憂い…というか、やる気ない仕草と気配を、カウンターから出て来たダルビンは笑った。

「まったく、ちったぁ何かしようって気はねぇのか? 班長。いくら暇だからって…」

 からかい混じりに言ってヒューの向かいに腰を下ろしたダルビンがそこで、ふと、妙な顔をする。

 大抵の人間なら一度は振り返ってしまうだろう整った顔を飾る、鈍い光沢の銀髪。普段の休日ならば無造作に巻き上げられて、殆どぐちゃぐちゃに纏めているはずのそれが、なぜか、綺麗に梳いて下ろしてある。

「………………まさか、デートか?」

 着ているものは相変わらずどうでもいいような白いプルオーバーに黒いパンツで、足下も裸足に踵を潰したワークブーツなのだが、やる気なく腰を下ろしたベンチシートの傍らに、丸めたコートらしき布の塊が見えた。

 だからダルビンが、ちょっと意外そうに目を見張り、なぜか、声を潜めてヒューの顔を凝視したまま問いかける。

 ダルビンの記憶によれば、半年ほど前に医療院の看護師と別れてからのヒューに、恋人はいない。その後貴族院の再編だとかなんだとか…まぁ、それ以外にもファイランをひっくり返すような騒動も城では起こっていたし…で極めて忙しく、まさかその合間にヒューがどこかで誰かを口説いていたとも思い難い。

 しかも、とダルビンは、彼だからこそ、思う。

 ヒュー・スレイサーが自分から誰かを口説いた試しは、今まで一度もない。

「デートする暇があったら部屋の掃除でもする」

「…つってて掃除してる姿、見た事ねぇな」

「ほっとけ」

 ついからかってしまって、ちょっと笑みなども漏らしてしまってからダルビンは、「じゃなく!」と、無人の食堂に響き渡るような声を張り上げた。

「夕食をご馳走するって交換条件で、買い出しのお伴」

 ダルビンから顔を背けたままのヒューは、微笑みもせず、どこか憮然としたくらいの表情で、溜め息のようにそう言い放つ。

「? 誰の?」

 元々のどんぐり眼をますますきょとんと見開いたダルビンが府抜けた声で質問した、まさにその時、ぱたぱたとした軽い足音が食堂の前で停まった。

「走るな」

「…う…。あの…、もう大丈夫ですから、そんな怖い顔で睨まないでくださいよ、ヒューさん」

 いかにも不機嫌そうに言いながら立ち上がり、傍らに置いていたグレーのハーフコートを翻して羽織る、ヒュー。青い瞳から注がれる冷たい視線の先には、半分だけ引き開けたスライドドアから覗く、アンの引き攣った笑顔があった。

 少年は、約二時間の魔導機稼動後、下城するというミナミを通用門まで送り届けて、それから、通路の途中で出会った、交代時間で官舎に戻ろうとしていた数名の衛視とともに城のカフェで少しくつろぎ、部屋に食料品がまったくないのでこれから買い出しに行くと笑顔でヒューに告げた、直後、いきなりなんの前触れもなく、その場で…倒れたのだ。

 意識をなくしたのではなく。

 突如脳が手足の制御を放棄した、と少年は言った。

          

 三分くらいで「復旧」します。カウントダウンしてますから。

       

 本丸から官舎へ戻る通路の真ん中で倒れたアンを抱き上げたヒューの「不機嫌」ゲージが振り切った原因は、何だったのか。

 とにかく、抱えた少年はか細く、軽く、それなのに、ヒュー自身が驚くほどに冷えた瞳で腕の中を見下ろす彼に返ってきた水色は、熱を発するほどに爛々と輝いていた。

 当たり前の事ではないにせよ、魔導師たちはどこかにそういう「脆い」部分を持っていて、それとは一生の付き合いなのだから上手く折り合っていかなくてはならない、と、以前スーシェに言われた事をヒューは思い出した。余力充分で、比較的こういう…つまり、脳に掛かる負荷を常に逃がせる状態で魔導機を稼働しているスーシェでさえ、そうなのだ。

 では、いつもぎりぎりのアンは、どうなのか。

 もしかしたら、誰も気付かないだけで、少年は、こういった状態をたったひとりで解決し、折り合い、やり過ごして来たのではないか。

 猛然と。

 憤然と。

 沸き。

 何か、が。

 ヒュー・スレイサーというひとのなかで、アン・ルー・ダイというひと…から微かに逸れた少年に対して、何か、が、沸き、憤然と、猛然と、…燻る。

 口を衝いて出そうになったセリフを、ヒューはそこで無理矢理飲み下した。

 きっかり三分後。

 足早に官舎へ向かっていたヒューのシャツを軽く引いて、アンは薄く微笑んだ。

            

 ご迷惑をおかけしてすみません、ヒューさん。

 もう大丈夫ですから。

        

 放してください。

       

 それから、自分の足で官舎に向かうアンの背中をヒューは、無意識に叱っていた。なのに少年はなぜかやたら笑い、ヒューの機嫌はますます傾き、それでもアンは買い出しに行かないと夜食に困ると言い張って、結局、夕食を城の外でご馳走するという交換条件付きでヒューの「同行を呑まされた」。

 つまり? 食事に行こう。その前に買い物があるのなら付き合ってやる。という事か?

 支離滅裂。

 というか。

 無茶苦茶だ。

 当然そんな経緯など知らないダルビンはしきりに首を傾げたが、ヒューは不審顔の料理人を取り残しさっさと食堂を後にする。

 不機嫌全開のヒューを追いかけて、見送り、というか、呆然と見送ってしまう形のダルビンに弱った笑いで会釈したアンがまたぱたぱたと駆け寄ってくる足音に、ヒューは再度「走るな」と短く言い捨てた。

「うー。何そんなに怒ってるんですか? ヒューさん」

「別に怒ってないよ。ちょっと機嫌が悪いだけだ」

「じゃぁ、なんでそんなに機嫌悪いんですかぁ。まぁ、ガリュー班長の機嫌悪いよりは、ずっとマシですけど」

 俯いてぷちぷちと愚痴るアンの歩調に合わせてゆっくり歩きながらヒューが、無言で小年の細い首筋に視線を落とす。

 色の薄い金色の猫っ毛が白い肌をさらりと滑り、わざと不揃いにカットされているのだろう毛先が、子供とも青年ともつかない顎を掠ってふわと微かに踊る。

 ミナミが特務室に入る前、毎日のように訪れる電脳魔導師隊執務棟第七小隊の執務室で顔を合わせるだけだった、「こんな場所には不似合いな小さいコ」が、いつの間にか自分と同じ制服を纏いこうやって並んでいる事をヒューは、酷く複雑な気持ちで確かめていた。

 清算出来そうにない内情。

 結局アンも魔導師だったのだと思う部分と、「魔導師」負荷に耐えているただの少年なのだと思う部分。

 何を考えているのか、何を思っていいのか判らなくなったヒューは、自然な動作で自分を見上げてきたアンの視線から目を逸らすタイミングを逃した。

 水色の大きな瞳は底の無いもののように澄み切り、迷いが、ない。

「…………? どうかしました? ヒューさん」

 覗き込むでもなく頭上に留まるヒューの視線を訝しそうに見上げるアンが、囁くように問う。

「なんでもない」

 ヒューはそこで、意識のない溜め息をひとつ吐いた。

「………俺も…」

 アンから視線を引き剥がして正面に迫る官舎通用門に顔を向けたヒューが、ぽつりと呟く。

「「キューブ」に触ってみればよかった」

「?」

 やや肌寒いくらいの気温が、ヒューの複雑な内情を冷やす。そうしたら少しは、何か判っただろうか。少しは、何か…あの「片割れ」は、判ってくれただろうか。と、口に昇らぬ問いかけが、冷えた気持ちに覆い被さった。

「?? 急に何言い出すんです? ミナミさんみたいに」

 城の外壁に埋もれた通用門横の監視室から覗く、見知った近衛兵の顔。彼はどこか訝しそうに首を傾げ、それから、手元のボードに視線を移して下城者リストからヒューとアンの名前を探しはじめた。

 平凡な光景に小走りのアンが紛れ込んで行くのをぼんやりと見つめ、ヒューは、どうしても清算出来ない気持ちを、身体の内側、誰にも曝さないと決めた奥深くへ押し遣る。

 窓口に貼りついたアンが、近衛兵と何かにこやかに会話している。何を話しているのか、興味はなかった。

 思考は、ただ沈む。

 三次元に構築された、異世界の正方形。生き物なのか、違うのか、意思があるのかないのかも判らない。

 もし「彼」に言葉を理解し、答える機能が付いているのなら訊いてみたいと、ヒューは思った。

「……………………。訊く事なんか、何もない…か」

 意味不明の呟きで男は、くだらない無間ループから抜け出した。

        

          

 ゆったりと波打つ草原の片隅で、走り抜ける風向きに逆らって一房の若葉が微かに震えた。それは怯えるように、耐えるように揺れ揺られ、すぐ、真っ直ぐに天を突き艶やかに輝いて、また、通り過ぎる穏やかな風に身を任せ瑞々しく流れる。

 この世界に、若葉の揺らめきを目にするものは、いない。

 そしてその若葉の揺らめきを誘ったのが、一陣吹き抜けた銀色の光であった事を見止めたものも、いない。

 そしてその、眩しい蒼穹の遥か上空、広大な草原と表裏一体である月光煌く夜空の片隅で、一際強固に光を放つ小さくも白い星の荒れ果てた地表に、ぽつ、と弱々しい若草が芽吹いた事を認めるものも、この世界には、いなかった。

         

 モシ アナタガ キイテ クレ タナラ / コタエ ハ ナク テモ / キイ テ ミタイ / アナタ ガ 「ボク」 ヲドウ ミテ イルノ カ / ジツハ スゴ ク キニナリマス / ト

          

          

「それで? 何を買うんだ? アンくん」

「えーと、コーヒーと、紅茶と、それからハーブティーと…」

「食料がないんだろう? 飲み物ばかりじゃ、栄養は摂取出来ないぞ」

「…ヒューさんに栄養の心配されるなんて、なんか、屈辱的だなぁ」

 わざとのようにそう言って、少年はくすくすと笑った。

            

2004/04/21(2004/05/11) goro

  

   
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