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番外編-4- 星の回り/夜想曲

   
         
6)午後三時

         

 一緒にお茶をどう? と言う赤い髪の美女の誘いを丁重に断わり、駄々を捏ねる陛下(…)と姫君を言いくるめてくれるよう真白い少女に笑顔を向けると、少女は、なぜかあの深紅の瞳に少し弱ったような色を浮かべて、一言、「ヒューさんはそっとしてあげしょう、ルニ様、ウォル様」と、ヒューの方がぎくりとするような事を言った。

 陛下私室の外までヒューを見送りに出て来たのはアリスとマーリィだけだったが、それにヒューは、「物凄く丁重に扱われ過ぎて薄気味悪い」などと心にもないからかいを浴びせ、赤色の美女に軽く脛を蹴飛ばされたりした。

 ふかふかと笑みお辞儀するマーリィと、またね、などと胡散臭い笑顔で手を振るアリスに軽く手を挙げて見せてから、ふと思い出して、純白の髪を揺らす少女を軽く振り返る。

「ひとつ質問なんだがな、フェロウ女官」

「はい?」

 抑えた照明を受けて、しかし白くほんのりと浮かぶマーリィが、不思議そうな顔で小首を傾げた。

「さっきのあれには、何か意味があるのか?」

 そっとしておいてあげましょうと言われた事を思い出し質問したヒューに、少女が、ふか、と笑みを返す。

「………………」

 それきり答えないマーリィを訝しそうに見つめるヒュー。

「何もないなら黙って帰ればよかったのに、班長、意外と間抜けね」

「………………………。ああ、そういう事か。…そうだな…」

 少女の代わりに答えたのはどこか弱ったような笑みのアリスで、言われて、ヒューも自分の軽率な行動に気付く。

 あれは、百パーセント口から出任せでないにせよ、マーリィにもその「理由」は判らない、ウォルとルニを黙らせるための発言でしかなったのかもしれない。

 今度こそ軽く手を挙げて顔を正面に向け直したヒューが、細長い廊下を歩き出す。

 それなのに、マーリィの言葉に過剰な反応を見せたのはヒューの方で、だから彼にはなんらかの理由があり、誰も知らないはずの理由があるとなぜ少女に感じられたのか、と問う事で、ヒューは自分の首を締めた。

 あの少女も一癖ニ癖では済まないのかもしれないと、ヒューは苦笑する。生まれて、今までの人生のうち半分近く(だとアリスが以前言った)を孤独に過ごし、それから世間の冷たい視線や蔑みや、解放された「孤独」を越えて来た少女もまた「強い」のか。

          

 真理を求めなさい。「強さ」とはなんなのか。それを知り、理解し、自らを御す事が出来なければ、お前など、行く末自滅してしまうだろうよ。

        

 陛下私室から特務室室長室に出て、無人のそこを通り抜ける。この部屋の主であるクラバインは今退去して来たばかりの私室でお茶の仕度に勤しんでいたし、もうひとりの主であるミナミは、まだ、もう少しの間ここへは戻らないだろう。

 部下たちの適当にだらけている執務室で少し話をし、それから城を出る。官舎に戻ろうかどうか少し迷ったのは、少年のイヤに落ち着いた声が脳裏を掠めたからかもしれない。

        

 清潔で優しそうな方ですね。

         

 ミシガン・トウスの朧な輪郭を思い出した。

 彼は、多分、どこも変わっていなかった。手に取った誰かがほんのいっとき幸福な笑顔を見せて、自分の作った甘いお菓子を愛おしんでくれたら幸せだ、と言った。

 与えるばかりの男。ささやかであれ、見返りがあればそれだけで自らも幸せな気持ちになれる男。いつも彼の身体からは甘い香りがして、ヒューは差し出されたカラフルなショートケーキを前に肩を竦め、「甘いものはお前だけで足りてるよ」と笑ってみせた。

 嘘ではなかったと思う。

 今になってみれば、幻みたいなものだろうが。

 誰にも見咎められずに官舎自室へ戻り、荒れ放題に荒れた室内をぐるりと見回して、ヒューは溜め息を吐いた。部屋を片付けようかと一瞬だけ思ったが、現状は日々悪い方へと傾いていて、今日もまた、やる気だとか義務だとかそういうものが刹那で挫ける。

 コートのポケットに手を突っ込んだまま、なんとなく項垂れて、酷く疲れていて、リビングとベッドルームを区切るドアに背中を預け、ずるずると座り込む。

 与えるばかりの男。しかし彼は、見て見ぬふりで受け取る相手の様子を窺い、ぽろりと零れた幸せを拾って自分の幸せに積み上げていた。

 だから、とヒューは、俯いたまま微かに口の端を歪めて自嘲する。

 護ろうとする自分。安らかで穏やかに過ごすものたちを少し離れた場所から見守り、その安寧が壊されようとするときには全力で闘おうとする自分とは、関わりあう訳がなかった。

 彼はささやかな幸せが返されるのを待っていた。

「彼」は彼が幸せであればいいと願っていた。

 彼の幸せは「彼」が作らなければならず、しかし「彼」は彼の幸せを願うばかりで幸せを返す術を知らず、彼はそれに倦み、「彼」はそれに気付かず、彼は………。

 間違った解釈で、「彼」を理解しようとした。

        

 かわいそうね。お前は。

         

 口元に浮いた笑みを凍り付かせたまま、ヒューはゆっくりと目を閉じた。

 今更、あの時ミシガン・トウスがなんのつもりでそんな事を言ったのか、知りたいとは思わない。終わったのだから、という安易な逃げ道を作らないとすれば、ヒューにもその言葉に含まれた優しさが判っていたから、もう知る必要などない、というところか。

 彼は思ったのだろう。出奔し消息不明(という事になっていた)の片親。「師範」であり、親である事を半ば忘れなければならない片親。血の繋がらない四人の弟たち。そういう境遇で生き、これからも生き続けるだろう「彼」に彼は、愛される方法を知らないまま大人になり、強くなってしまったから、ささやかな幸せを返す事が出来ないのだと。

 それでも、とヒューは不自然極まりない体勢で浅い眠りに就きながら、繰り返し思う。

 誤解を解いてやり直そうと思わなかったのは、ミシガン・トウスにはヒュー・スレイサーを理解出来ないのだと落胆したからではない。

 では、なぜなのか。

「……………結局、俺の我侭なんだろうがな…」

 洩れた呟きに苦笑が混じり、朧だった優しげな姿が霧のように掻き消えて、ヒューは小さく首を横に振った。

 彼は全てに愛を分け与えても枯れないほど「強く」。

 自分は、「剛く」ありすぎて脆いなと思った。

           

 ミシガン・トウスに差し出すべき手の行き先が判らなくて、伸ばした指を掌に握り込み引き戻したのは、ただの我侭だったなと。

  

   
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