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番外編-5- 夢が見れる機械が欲しい

   
         
(3)

  

 道場に用意されている生成りの上下に身を包んだアンと、どうやら置いてあったらしい黒いアンダーウェアに深緑のボトム、というデリラと、派手なオレンジ色に黒いハーフパンツというタマリを前に、王下特務衛視団警護班班長ヒュー・スレイサーは、いつもと同じ漆黒の長上着に長靴、という出で立ちで偉そうに腕を組んでいた。

「コルソンは実戦組み手で、アンくんとタマリは護身用に何か? というか、タマリは部外者じゃないのか?」

 いーじゃんべつにぃ、と唇を尖らせて飛び付こうとするタマリを器用に躱したヒューが、わざとらしく溜め息を吐く。

「暇なのか? 魔導師隊」

「ウチが暇なの。この前まで酷使されまくりで、チビどもぶっ倒れそうなんだもーん。んで、すーちゃんとアタシが交代で執務室残って、他の連中はお休みなのよん?」

 言われて、誰もが苦笑を漏らす。

 まぁ、それは判らないでもない。何せ今まで普通に無理して来た魔導師どもさえ疲労困憊で半死半生という現状なのだ、いきなりこき使われた若い者が倒れても、誰も文句は言わないだろう。

 ハルヴァイトに文句は言っても。か。

「ではとりあえず、適当にストレッチして筋肉をほぐす。基礎訓練でやる十式、憶えてるか?」

 確か、警備軍に入るとすぐに教えられる実戦格闘訓練の準備運動だったよね? などと言いつつ、タマリとアンが顔を見合わせる。実はこの実戦格闘訓練、魔導師の参加は義務付けられていなかったから、アンもタマリも数えるほどしかやった事がないのだ。

「憶えてないならなんでもいい。好きなように…て? なんだ?」

 相変らず腕を組んだままそっぽを向いていたヒューが、頬に視線を感じて目だけをタマリに向ける。

「……教えてくれてもいーじゃん。ヒューちゃんのケチ」

「もう忘れた」

「「「………………」」」

 あまりにもきっぱりした返答に、思わず口を噤む、面々。

「判ってたけど漢らしい潔さつうか、それであれだけ偉そうに出来んだから、やっぱヒューってすげぇよな」

 だから、当然? そこで…。

「何しに来た、ミナミ…」

 道場のスライドドアをがらりと開けた勢いで、ミナミがきっぱり突っ込んだ。

「ひやかし」

 無表情に言い放つミナミに、タマリがにこにこと手を振る。それに軽く手を振り返しながら入場して来た漆黒の一団を順繰りに見渡して、ヒューはますます渋い顔を作った。

「暇か? 電脳班…」

「まぁ、暇だな、確かに。だってほれ、そもそもそこに二人いるしよ」

 にやにやしながら答えたドレイクがデリラとアンを指差し、最後に現れたハルヴァイトが笑いながら更衣室方向へと爪先を向ける。

「? 大将も訓練スか?」

「たまには」

「…へー。それは面白いな」

 問うたデリラよりも先に、なぜなのか、ヒューがハルヴァイトに答えた。

「面白いって、何が?」

 きょろりとそれらを見回したダークブルーがヒューに据わると、彼は、金属質な銀色の髪をさらりと揺らして首を傾げてから、何か意味あり気に微笑んだではないか。

「うわお。血の雨降るんだ、今日」

「知ってるか? タマリ。骨折は血の出ない怪我だ」

「そういえばそうですね、いい事聞いた」

 目も合わせずに言って退けたハルヴァイトと、ヒュー。その間に挟まっていたミナミの顔を苦笑混じりに見下ろしたドレイクが、助けを求めるようにデリラとアンに顔を向ける。

 そして誰もが思い出す。

 ハルヴァイトが過去、必要だったにしても、ヒューに落とされたという事と。

「…………そういやぁアンタら、地獄のような負けず嫌いだったよな…」

 ヒューが最近、二足歩行式の魔導機に腕を引き千切られそうになった事を。

「つうかさ、誰か停めねぇ? このふたり…」

 ミナミが疲れたように呟き、アンが額に手を当てて天を仰ぎ、その時点で誰もが、「いや、お前らが放棄したらそれ無理」と、顔の前で手を横に振った。

        

        

 勢いで一緒に訓練するハメになったドレイクとハルヴァイトが着替えるまでの間、アンとタマリに護身術の基礎を教える。

「コルソンには、ミラキが来たら自由組み手を教えるとして、とりあえず、タマリとアンくんには、そうだな…」

 何か思案するような顔のヒューをミナミが、壁際に膝を抱えて座り込みじっと見つめている。別にその視線が気になった訳ではないのだろうが、なんとなく無言で首を傾げて来た銀髪の警護班班長に、ミナミが素朴な疑問を投げかけた。

「ヒューはさ、準備運動とかしねぇの?」

 触れ合ってさらさらとした金属音を奏でそうな銀色の髪と、鋭角的に整った顔立ち。ハルヴァイト並に背が高く、格闘技を極めようとしている者らしく姿勢も体格もいいのだが、重い印象のない長い手足。普通にしていても偉そうなそれをますます高圧的に見せるのは、漆黒を深紅で飾った衛視団の制服と。

 伏せたような睫の奥にあり、いっときも曇らない強固な印象のサファイア。柔らかさとは程遠い硬質な瞳がミナミは、最近少し、怖いと思う。

 あれは見ている。判っている。その上で何も知らない振りをしている。誰かを傷付けても平然と。自分が傷ついても平然としているその様は、まるで、ミナミの恐れる…恋人に似ている。

 そう思わざるを得ない事が、あった。

 先には視線だけをミナミに向けたヒューが、ゆっくりと全身で青年を振り返る。軽く、さえも身体を動かさないヒューを不思議に思ったのは、何もミナミだけではなかったはずだ。

「準備運動してる暇があるのは、道場の中だけだろう?」

 答えて、ふと口の端を綻ばせる、男。

 だから彼は準備運動などしないのだ、いつでも。突発行為で戦闘態勢に入る事の多い警護班の衛視だからこそ、そんなものは必要ない。

「さて。軽量のアンくんやタマリなら、暴漢ないしそれに準ずる人物の襲撃を受けた場合、相手を倒す事は考えなくていいだろう」

 ミナミの無表情から視線を剥がしてデリラに流し、それから、またゆっくりと身体を向け直すヒュー。そういえばこの人は、こういう風に必ず視線から行動を始めるな、とミナミはぼんやり考えた。

「つまりどういう事かと言えば、コルソン」

 数歩デリラから離れたヒューが、やや左に体を開いて顔だけをデリラに向け、彼を掌で招くような仕草をする。

「適当に殴りかかって来てみろ」

「偉そうだな、ヒューって」

「…黙れ、ミナミ…」

 なんとなくぼそりと突っ込んで言い返された、瞬間、デリラは何の予備動作もなくいきなり一歩踏み込み、固めた握り拳をヒューの顔面に叩き付けようとした。

 ひゅ、と空を切るストレート。軽く仰け反るような格好で鼻先を通過させたデリラの拳が押す力の限界点に到達し、引き戻される、瞬間、ヒューが軽く右手を動かした。

 としか見えなかった。確かに、動きとしてはそうだった。

 しかし、引き付けようとした腕、その肘の真下を跳ね上げるように払われたデリラはなぜか、いきなり「うわ!」と小さく叫んで、そのまま、どすん、とその場に尻餅を突きひっくり返ったではないか。

「とまぁ、こんな感じの事が出来れば、他は覚える必要ないな」

 床に座り込んだまま唖然とする、デリラ。

 そのデリラと涼しい顔のヒューを見比べて、ぽかんとするタマリ。

 さすがにアンは大して驚きもしなかったが、なぜなのか、小さく溜め息を吐く。

「だから、それが出来ねぇから習おうってんじゃねぇの?」

「だから。結果がこれになるように今から憶えるんだろう?」

 ああ、なるほど。とミナミが納得する。

「つうか、スパルタ過ぎ、それ」

「身に着くとはなんぞや」

 くくく、といつになく人の悪い笑いを浮かべたヒューが、タマリとアンに手招きする。転ぶと怪我をするからマットレスを出して、などと親切に指導しているように見えて彼は、習おうとする者には厳しく、そうでない者には興味さえも示さないだろう。

 教える意味のない者に教える手間など彼は持たず。

 彼から奪い取る勢いのない者は彼に教わる資格を認められない。

 タマリとアンに何かを説明しているヒューの身振り手振りを遠くに眺めていたミナミが不意に、床に座ったままがりがりと首の後ろを掻いているデリラに視線を移す。何か釈然としない顔つきの砲撃手と目が合ってミナミが首を捻ると、デリラは、その座った目に少々複雑そうな色を浮かべて苦笑いした。

「班長が動いたってね、思ったんスよ、おれも。だから逃げようとしたよね、普通に。引き戻す腕を少しだけ上に流して、体重を後ろに移動して。多分、いつも喧嘩してた時はそれで十分だったんだろうけどね」

 うん、と先を促がすように頷いたミナミから視線を外したデリラが、ぺしん、と自分の膝を叩いて立ち上がる。

「その、おれが逃げるタイミングで押されたよ、見事に。同じ呼吸だったと思うね」

 呼気を読まれたのだとデリラが笑う。それも、人の悪い笑い方だった。

「でもおれには、班長の呼吸が判らなかったね」

「それって、すげーの?」

 そういう風にさえ他人との接触を持てないミナミが、また首を傾げる。

「そんな気がするよ」

 それでミナミは。

「そんじゃ判んねぇって」

 いつもの無表情を保って、突っ込んだ。

  

   
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