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番外編-5- 夢が見れる機械が欲しい

   
         
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 機嫌の悪い「ディアボロ」とハルヴァイトだけの残ったコート。それをどうにかしろとドレイクに泣き付かれたミナミが、更衣室から出て行こうとスライドドアに向き直る。

「アンくん、もう戻んだ」

 その頃には既にスライドドアを開けロッカールームを出ようとしていたアンに声をかけると、なぜなのか、少年は「きゃぁ!」と可愛らしい悲鳴を上げて大袈裟に驚いたではないか。

「あ! や、はい。ちょっと、色々と、えと、忙しい感じで!」

「いや、意味判んねぇ、それ」

 高速で振り返り後退しつつ通路に出ようとするアンの水色が、一瞬、佇むミナミの背後に流れる。それで、確かそこにはアレが居たな、などと内心訝しむ青年に引き攣った笑いを戻してから、少年は、慌ててぺこりと頭を下げた。

「今日は、ありがとうございました。じゃ、先に戻りますね、ぼく」

 誰にも何も答える暇なく一方的に言い放ったアンが逃げるように飛び出して行ったのを唖然と見送って、ミナミはくりっと首だけを回し背後を窺った。

「逃げたけど?」

 シャワーを使いに行ったのは、タマリ、デリラ、ドレイク…。で、ハルヴァイトは拗ねている。なら?

「気にするな。ここ暫く、明らかに避けられてる」

 残っているのは、銀色の髪を解くヒューだけだ。

 ロッカー備え付けの鏡を覗いたまま涼しい顔で答えたヒューに身体で向き直ったミナミが、ちょっと意地悪そうに口の端を吊り上げた。

「なんか悪さとかした?」

「いいや、別に」

「へー」

「信じてないだろ?」

「うん」

 薄暗い室内にぼんやりと浮かんだ銀色を見つめる、ダークブルー。

「…いつから?」

「忘れた」

「なんで?」

「さぁ」

「ヒューってウソ上手い?」

「どうだろうな」

「あの人よりは扱い難いよな」

「それも、どうだか」

 ふと、ミナミが見つめる口元に浮かんだ、自嘲の笑みは。

「なんかあったろ」

「そう思うか?」

「思う」

「なんでだ?」

 逆転する質問。ミナミは、少し苛立った。

「ヒューがさ、俺に答えてるからだよ」

 睨むように見つめて来る無表情に、ヒューは小さく肩を竦めた。

 いつもなら、こういった種類の質問には絶対答えず、自らはぐらかそうとさえしない男なのに。なぜ肯定しようとするのか。なぜ否定しようとするのか。ミナミは責めるように男を、睨む。

「答えないという手を使う必要がなくなった。それだけだろう? ミナミ」

 羽織った長上着の前を合わせて釦を留めながら、ヒューが微笑む。その時ミナミの方に顔さえ向けないのに、ウソだよ、それ。と青年が小さく唇を動かすと、男は、すぐには答えずまた肩を竦めただけだった。

 しかし。

「じゃぁ、答えるという誤魔化しが必要になったとでも言えば、満足か?」

 旋廻したサファイヤがようやく青年に据わり、思い出したように言い足す。

「………………」

 なんとなく叱られたような気になって、ミナミは目を伏せ視線を足元に落とした。

「そういう顔をしないでくれ、ミナミ。これ以上ガリューに怨まれるのはごめんだ」

 判っていた。喉まで出掛かった言葉。それ、にミナミが気付くと知って、ヒューは答えを返したのだ。

「責めてる訳じゃない。お前たちにはお前たちだから許された理由があり、俺には俺の事情がある。

 そして」

 可哀想なくらい小さくなったミナミの肩から閉じられたドアに視線を移したヒューが、微かに目を眇めた。

「彼には彼の…生きなければならない場所があるだろう?」

 帰らなければならない場所が。

 続けなければならない歴史が。

「だからだよ」

 ミナミとハルヴァイトがきっぱりと背を向けたものが、彼と彼には、あるのだ。

 哀しいかな。

 哀しいかな。

 深紅のベルトを肩にかけ、腰のベルトにパチリと嵌める。無言で身支度するヒューの立てた衣擦れはその一つ一つが重苦しくて、ミナミはぎゅっと瞼を閉じた。

「おにょ? ひゅーちゃんは、何みーちゃんいじめてんのよ」

「そんな恐ろしい事するか、この期に及んで。なんでもないからさっさと帰れ」

 すっかり身支度を整えたタマリがロッカーの隙間からぴょんと飛び出して来て、ミナミが慌てて顔を上げる。

「なんじゃその言い草は。てめー限りなく失礼だよ、失礼。ふつーに失礼。ばか」

「そのガキ臭い思考回路をどうにかしろ。そうしたら失礼に接するのを考え直してやる」

 むーん。と眉間に皺を寄せて腰に両手を当てたタマリが、唇を尖らせてヒューに詰め寄る。

「みーちゃんいじめたらこのタマリさんが黙ってないんだからね」

「だから、いじめてないよ」

 ネクタイを直すヒューの腕に顎を載せたタマリの微妙に剣呑な気配を読み取って、ミナミが首を横に振る。

「ホント、なんでもねぇよ。タマリはあと執務室帰んの?」

「うん。すーちゃんとランチだよー、今から。運動したからお腹減った。途中でパン買ってこーっと」

「…つうか、学食でお昼買う学生か? タマリ…」

 言われたタマリがぴょんとヒューから離れ、わははははは! と大口を開けて笑う。笑顔。すぐに戻る笑顔。他のどんな表情も持続しないくせに、すぐにこの笑顔は戻る。

「似たようなモンでしょ? んじゃ、またねーん」

 ぱたぱたと駆け離れていく、小さな背中。枯れた笑顔。色褪せて行く何か。擦り切れたそれを取り戻したくないと笑い続ける男は、ヒューとミナミの纏った緊張に気付かない振りをする。

 タマリを見送って、それでも釈然としない表情をヒューに向け直す、ミナミ。お前はそれでもいいだろうが、とか、じゃぁ彼はどうするのか、とか言い募ってやりたい気もするが、その全てが、喉に痞えて言葉にならない。

「…大丈夫だ。まだ勘違いで済む。そうでないなら、もう、気付いてる」

 ミナミの固い気配に負けたのか、そこでヒューがぽつりと呟いた。

「気付いてるなら」

 だから彼は、少年は、アンは。

「避けられてるくらいが、丁度だよ」

 呟いて、青年の全てを否定するように逸れたサファイヤ。

 行けと手で追い払われ、そこまで拒絶されてはもう言葉も出なかったのか、ミナミは重い身体を引き摺るようにスライドドアへ向き直った。

  

   
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