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番外編-7- ステールメイト

   
         
(3)一日目 13:00

     

 いや、だからぼくは人生相談とかそういうものを受け付けている記憶はないんですけど? とその時、王都警備軍電脳魔導師隊第七小隊小隊長スーシェ・ゴッヘルは、ただでさえ小さな身体をますます縮めて申し訳なさそうにしている第九小隊事務官、メリル・ルー・ダイの癖っ毛を見つめて、うんざりと溜め息を吐いた。

 ここは、保養施設オープン・カフェの片隅。ランチ・タイムを終えて勤務に戻る殆どの兵士や衛視が散った後も、そのテーブルにだけ数名の、深緑の制服が残されている。

 失礼、ととりあえず引き攣った笑みを正面の三人…に向けてからスーシェは、自身の携帯端末を取り出し執務室を呼び出した。

『おにょ? すーちゃん今どこに居んのん? お昼休み終わったよ?』

 てっきり事務官のウロスが仏頂面で出るものと思っていたスーシェの期待を裏切って、小さなウインドウに現れたのは副長のタマリだった。何をしているのか、美少女ばりの清楚な(?)笑顔を乗っけているのが真っ白い短髪なのに、スーシェは知らずこめかみに指を当ててまた溜め息を一つ吐いていた。

 どう見ても、タマリはジュメールの背中に張り付いた状態で通信端末の前に居るとしか思えない。何をやっているのか、うちの小隊は。というかついでに言うなら、自分も、何をしているのか…。

「ちょっと今手が離せないので、戻るの少し遅れるよ。急用があった時だけ呼び出すように、ウロスに言っておいてくれる?」

『うん、判った。どーせ今日は殆ど待機だし、ゆっくりして来なよー』

 んじゃねー。とスーシェの気持ちも知らずに相変わらずの枯れ行く笑みを残し、タマリの顔がぷつんと途切れて消える。そのくらい唐突にこの膠着した空気も途切れてくれないかなと思ったが、端末を内ポケットに仕舞い視線を正面に戻したところでスーシェは、ああ無理、とまた内心嘆息するハメになった。

 スーシェの正面に座しているのは、悲壮に眉を寄せたマイクス・ダイ魔導師と、先述のメリル事務官。それから、メリルにくっついて来たのだろう、イムデ・ナイ・ゴッヘル魔導師の三名。

「…それで、えーと、なんでしたっけ?」

 黙っていても仕方がないので、スーシェは吐く息のついでにそう言ってみた。すると、それまで俯いていたメリルがおどおどと顔を上げ、何か確かめるように傍らのマイクスへ視線を向ける。

 メリル事務官は、彼のアン・ルー・ダイ魔導師のすぐ上の兄なのだが、色の薄い金髪と全体の華奢な造り以外アンに似たところのない、いかにも控え目な印象の青年だった。毛先まで綺麗に巻いた癖毛に、紫かがった蒼い目、どこかしら気弱そうに下がった眉という、正直、地味な顔立ちだとスーシェは思う。

 あの、アンのように溌剌とした感じはない。世間の波に揉まれて尚真っ直ぐに前だけを見ているような、強固さが…ないのだ。

「…とりあえず、ゴッヘル小隊長…、その、さも迷惑そうな顔をどうにかして頂けませんか…」

 そこで、どうやら付き添いらしいマイクスが堪りかねたように、極遠慮がちにスーシェに告げる。でもしょうがないじゃないか微妙に迷惑なんだから、と言い返したい気分いっぱいながらもスーシェは、その迫力ある(……)女性的な白皙に冷たい笑みを浮かべ、「申し訳ない」と相当乱暴に言い捨てた。

 それで思わず、マイクスもメリルも退いた。怯えた。この、どこからどう見ても優しげで穏やかな男が浮かべるには、余りにも黒い印象だったのだ、その笑みは。

「…スゥ…、…ふ、普通に怖いよ…」

 だがしかし、そこは慣れているのだろうイムデ少年に真顔で注意されて、スーシェは苦笑いした。もしかしてこの意味不明の懇談に少年がくっついて来たのは、見た目を裏切って意外にも短気な親類を注意するためだったのだろうか。

「だったらイヤだ…」

 呟いて、スーシェは硬い椅子の背凭れに身体をぶつけた。

「それで、…まぁ、大体の事情は判りました。結局、メリル事務官はわたしに何を頼みたいと仰るんです?」

 ああ、もう、何もかもイヤだ…。

「両家の間でも話が纏まり、本人も了解した、キャロンとアンくんの婚約なんて、ぼくは今の今まで知らなかったんですけれどね」

 言ってその事実を再確認し、目の前で小さくなっているメリルと頬を引き攣らせたマイクスを同時に視界に納めた途端、スーシェの中で…「何か」が急騰した。

「………どうしてこう、うちの一族というのは馬鹿ばかりなんだ…」

 スーシェの可憐(?)な唇を割って、ぼそりと漏れた呟き。

「地位とか身分とか体裁とかなんとか…、そういうものしか支えのない気持ちの貧しい連中ばかりで、気が狂いそうだよ、ぼくは」

 ふん、と冷笑交じりに吐き捨てたスーシェが、ソフトチャコールの両眼でマイクスとメリルを冷たく見つめる。

 注がれる視線が痛かった。本気で。しかし、目を逸らしたら噛まれるかもしれないとも、二人は思った。

「正直言わせて貰うけど、マイクスにメリル事務官。もしこの件にアンくんが関わっていなかったら、ぼくは君たちの話を聞く気も起きなかったと思うよ。なんだか訳の判らない両家の勝手な意見の一致だけで本人を置き去りにして進む婚約話なんてクソ詰まらない事に首を突っ込むほど、ぼくだって暇じゃ………」

 と、冷たい表情を微塵も動かさず繰り出される、更には徐々に暴言が混じって来たスーシェの呟きを聞きながら、イムデ少年がメリルの背中に隠れて地面に座り込み、懐から震える手で取り出した携帯端末で、「とある番号」を呼び出す。

 早く早く早く早く早くっ!

 耳慣れた電子音の後、どうやら登城していたらしい制服姿のその人の驚いた顔が、小さなモニターに映し出された。

『どうかしたのかね? ボク…』

 いつもの調子で飄々と言われて、少年は、携帯端末に噛り付いて涙ぐんだ。

「あ…あの…、そ…、あの。デリ…」

 早く来てくれないとスゥが壊れる。とイムデ少年が突っかかりながらも必死になって訴える姿を我慢強くも据わった目付きで見つめた後、その人…デリラ・コルソンは、濃茶色の坊主頭をがしがし掻きながら盛大に嘆息し、苦笑し、まず。

『良く言えたよね、ボクもさ。お前アレだ。スゥと離れて、少し成長したよね』

 そう言って、半泣きの少年に笑顔を見せてくれた。

           

          

 地位とか家名とかいう実態のないそれは、いわば「自称なんとか」と同等に胡散臭くて世間が周知してくれなければまったく価値がなく、その価値のなさはそれこそ子供の頃の気に入りだった靴を大人になっても後生大事に仕舞いこんでるのと同じだとぼくは思うんだけど? という、最早何が原因だったのかさえ判らなくなるくらい飛躍的且つ広範囲に対して腹を立てていたスーシェの一方的な暴言がこれまた一方的に止んだのは、本丸から全力疾走して来たのだろうデリラが息を切らせて保養施設に姿を見せた、その瞬間だった。

 やや呆れ顔でがつがつと近付いて来て、その辺りに放置されていたガーデンチェアを相当乱暴に引き寄せどさりと腰を落とした粗雑さにも、なぜか場には歓迎ムード満点。その、安堵というより九死に一生を得た風の空気を頬に感じつつもデリラは、とりあえず、スーシェの組んだ足の上に投げ出されていた繊手を取って、その指先に軽く唇を押し付けた。

 それで、デリラが姿を見せた瞬間に、む、と不機嫌そうな顔で黙り込んだスーシェの眦が、微かに緩む。

「何しに来たんだい、君。今日は休暇じゃなかったの?」

「うちのボウヤが欠勤してね、急遽呼び出されたんだよ。まさか、今日最初の仕事がお前のご機嫌取りだとは、思ってなかったけどね」

 視線も交わさず剣呑な口調で言い合いながらも、デリラはスーシェの手を離さなかったし、スーシェも握り返した伴侶の手を振り払おうとしない。その奇妙な光景を目の当たりにして、マイクスとメリルは急に納得した。

 何が決定的にスーシェの機嫌を傾けたのか。

 そんな事は、判り切っている。

 全て放棄し、愛されるという幸せを手に入れたスーシェから見れば、メリルの持ち込んだ問題は問題ですらないのだ。実態のないはりぼてに縋ろうとする者を。それがいかに愚かなのか知っていながら流されようとする者を。全て見聞きしていたのにも関わらず黙して素知らぬフリを決め込んだ者を。

 スーシェには罵倒する権利がある。相当我侭だと思うけれど、反論出来ないほどに。何せ彼は一度全て棄て、家族にも一族にも見限られ、ただ無条件に愛してくれる伴侶を得て、棄てたはずの全てを自らの手で新たに創り直したのだから。

「で? なんでまた、こんな時間に仕事サボって…」

 とそこまで言って、デリラは思わず口を噤んだ。

 正面に視線を戻し、半泣きからようやく立ち直ろうとしているイムデ少年の世話を甲斐甲斐しく焼いている金髪の青年を目にして、少し驚く。

「珍しいメンツだね、こりゃ」

 ようやくスーシェの手を離したデリラは、相変わらず悪い目付きでマイクスとメリルを見回して嘆息交じりに呟きながら、白い丸テーブルに頬杖を突いた。

「悪巧みするにゃ、ちょっと迫力に欠けるけどね」

 にやにや笑いで付け足されて、スーシェが苦笑を漏らす。

「君が日常的に顔を突き合わせてる皆様方に比べたら、ファイラン中の悪人だって良識在る一般市民に見えるだろうよ」

「まったくだね。まぁ、そこにしっかり馴染んでるおれにだって、偉そうな事言えないけどね」

 はは、と軽く笑ってからデリラは、肘でテーブルを突き放し背凭れに身体を預けた。

「他の用事がないなら、退散した方がいいのかね、おれはさ」

 ただでさえ細い目をますます細めて、何か確かめるように緊張した面持ちのマイクスとメリルを見回したデリラの横顔に視線を据え、スーシェは重い口を開いた。

「いや、デリにもひとつ訊きたい事がある。君、アンくんとキャロン…ヒス・ゴッヘル家の令嬢が婚約するって話、知ってた?」

「知ってるよ」

 またもや剣呑な表情で睨んで来るスーシェに顔を向けた伴侶が、さらりと答える。

「…どうして、それをぼくに教えてくれなかったんだい!」

 テーブルの上にあったデリラの腕を掴んだスーシェが身を乗り出して、語気荒く咎める。しかし咎められた当の本人は相変わらず飄々と肩を竦めただけで、すぐには何も言い返さなかった。

 眉を吊り上げたスーシェと、視線を逸らしたきりのデリラ。俄かに緊迫した空気に戸惑うマイクスたちの縋るような顔をちらりと見てから、電脳班の砲撃手は仕方なさそうに息を吐いた。

 まるで、スーシェの気持ちを冷ますかのように、冷たく。

「どうしてって、教えたからってどうにかなるのかね。ボウヤ自身が何も言い出さないのにさ」

 それに、と言いつつスーシェの手を腕から引き剥がしたデリラが、椅子に座り直す。

「ボウヤはね、お前には知らせないでくれって言ったよ。ヒス・ゴッヘル家つったら直系で関係が深いんだから、いずれ耳に入るって判ってただろうけど、つまりさ、ボウヤはお前を煩わせたくなかったんだと思うんだよね、おれはさ」

 その話が出て、それで、マイクスとメリル…イムデ少年はおまけか何かだとしても、このスーシェの機嫌悪さなら、ついに来る時が来たのかと、デリラは内心うんざりした。

「だってお前さ、魔導師でもねぇルー・ダイ家の三男になんぞ娘を差し出したかねぇってごねて、ボウヤの全面引責で婚約破棄させようってあれこれ画策してたヒス・ゴッヘル家がさ、…ボウヤが衛視になった途端に掌返したなんて聞いたら、黙ってねぇでしょ」

 しん、と素肌に痛い静寂が、小さな丸テーブルを食い潰す。

「ただでさえ、こっちも平穏無事ってワケでもねぇ時期だったしさ、その話をおれが聞いたのもね」

 一度は家名を棄てる書類にサインまでしてゴッヘル家を出奔したスーシェがデリラの衛視昇格で家族と和解し、揃って上級居住区の屋敷に戻る経緯にも、ささやかな騒ぎはあった。いかにスラム上がりといえども陛下直属の衛視に成ったデリラを迎えるゴッヘル家自体は余り騒がなかったが…もしかしたら、スーシェが怖かったからかもしれない…、一族郎党の中には本邸に捻じ込んで来た命知らずもいた。

 由緒正しいゴッヘルの筋に、どこの馬の骨ともつかない男を入れるつもりなのか。と。

 そんな男とはとっとと別れて、毛並みの良い妻を娶れ。と。

 後先考えず放言し、本気でキレたスーシェがハルヴァイト並みの放電現象を引き起こしてゴッヘル邸リビングの窓を粉々に吹き飛ばし、ついでに、天井から下がっていたクリスタル製のシャンデリアを一瞬で溶解させ流れ落ちた高温の液体水晶が床に修復不能な大穴を開けて危うく屋敷の土台まで炭にしようとしたのは、緘口令が敷かれて闇に葬り去られたが…。

 そんな時期にまさか、ヒス・ゴッヘル家のルー・ダイ家に対する無礼を伴侶の耳に入れ、今度こそ屋敷の屋根を黒焦げにしてやろうと思うほど、デリラはゴッヘル家を恨んでいない。

 それどころか、どんなに極端な性格であろうともこの世にスーシェを送り出してくれたゴッヘルの両親には、感謝しているくらいかもしれないし。

「ま、そういうワケでね、まだそっちにはなんの動きもないようだし、ボウヤが何か相談して来るでもないしね…」

「あの、コルソン衛視」

 だから黙っていたのだと続けかけたデリラを、マイクスが妙な顔つきで遮る。

「もしかしてコルソン衛視は、その後の事を、ご存知ないんですか?」

 不穏な空気を発散するスーシェに怯えつつも、マイクスはテーブルに噛り付いて身を乗り出した。問題は、つまり、その後の方なのだが?

「その後? って、まだ何かあんのかね」

 器用にも片眉だけを吊り上げたデリラが、マイクスの真剣過ぎる顔に視線を当て、首を捻る。

「…兄が、早急にアンとキャロン様の婚約を履行し、次期ルー・ダイ家の当主にアンを指名すると…」

 マイクスに促される格好になったメリルが消え入りそうな声で言った途端、デリラは一瞬だけ虚を突かれたような表情を晒してから、すぐ、ふんと鼻を鳴らして口の端を歪めた。

「貴族の皆様にゃ申し訳ないけどね」

 王下特務衛視団電脳班の砲撃手が、良く知った誰かを真似て、全く誠意のない口調で前置きする。

「今まで散々な目に合わせた実の弟にそういう事を押し付けられるって神経はさ、凡人のおれにゃさっぱり理解出来ないね」

  

   
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