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番外編-7- ステールメイト

   
         
(4)一日目 13:32

     

 わたしはそれでも、まだ、恵まれた状態で魔導師隊に取り立てられたと思います。と、メリル・ルー・ダイは戸惑いながら言った。

「アンが魔導師として認められてから配属されたわたしに向けられるのは、決して悪意や蔑みではないのです。確かに、魔導師の皆様は相当…キツい事を平然と仰いますが、慣れてしまえば、それは嘘でも嫌がらせでもなく、包み隠さず事実なのですから、例えば、どうにかこうにかであれ弟は魔導師になれたのにお前はまったく無能なのかと言われても、はいそうですよと笑って答えるしかないですし」

 ですから、今更遅いと叱責されて当然でしょうが、わたしはあの子に感謝していますし、わたしを魔導師隊に推挙してくださったマイクス坊ちゃんにも、それを呑んでくださったゴッヘル小隊長にも、ナイ小隊長にも、本当に、感謝しているのです。とも彼は、緊張に蒼ざめた顔で言い足し、深々と頭を下げた。

「正直、ぼくらがアンを立派な魔導師だと認めざるを得なかったのは、かなり乱暴な方法だったと思います。何せ、彼のガン大隊長とエスト小隊長を含むぼくらにアンが喰って掛かって来ようとは、あの瞬間まで誰も思ってなかったんですから。

 でも、アンはそれをやったし、ミラキ副長も停めなかった。その上、魔導機顕現の際には、あのガリュー班長さえ…」

「つかね、まぁ、誤解のないように言っとくけどさ、別に大将は、あの時ようやくボウヤを認めたってワケじゃねぇと思うんだよね。

 あの人の場合、最初からね、なんてのか、ボウヤの才能というか存在つうかをね、普通に受け入れてたんじゃないのかね」

 ちゃちゃを入れるというよりは事実を明らかにするように言い足したデリラが、そこでふと苦笑を漏らす。

「ま、そういう意識なんてのも、持たない人だろうけどね」

 というよりも、と、デリラは思う。

 アン少年も、彼にとっては在って当たり前だったのかもしれないと。

「正直言うけど、普段はガリューやミラキ、アリス、それにデリ。それから、特務室に入ってからはミナミさんとか、スレイサー衛視とかのね、つまりなんというか、アクの強さじゃ王城エリアで最高峰みたいな連中に囲まれてるから目立たないんだけど…」

「…というかお前ね、おれも普通に入ってんのかね、その「連中」に…」

 なんとなくさっきまでの刺々しい空気も和らいだスーシェが、組んだ足の上に手を組み合わせて話し出すと、傍らのデリラが眉間に皺を寄せて唸った。しかし残念ながらその抗議は、メリルの弱った笑いと、マイクスの引き攣った頬と、イムデ少年の涙目と、スーシェの薄笑みできっぱり無視される。

 まさかデリラが、本気で自分を「影の薄いキャラだ」と思っていた訳ではあるまいが、少し複雑な気持ちにはなった。悪人顔でアクが強いでは、どう考えても敵キャラだろう、とか訳の判らない事まで脳裏を掠める。

「侮れないなと思うんだよ、ぼくは」

 うむー、と眉間に深い皺を刻んで唸っていたデリラが、不意にスーシェを振り向いた。

「なんでかね?」

 スーシェの発言に対して疑問を口にしたのはデリラだけだったが、向かいに座ったメリルもマイクスも、デリラと同じような表情で微笑む白皙を見つめていた。だから、その疑問はこの場に居る全員のものであり、スーシェには、その疑問に答える義務がある。

「どうでもいい事には迷ってみせるんだよ、アンくんて。アリスに泣きついたり、デリにからかわれたり、ガリューに適当にあしらわれてミラキに愚痴ってたり、ミナミくんに何か訴えてたりね。でも、本当に何か重大な、重要な事柄を決めなくちゃならない時、アンくんはいつでもひとりでそれを決めてきた」

 そして。

「自分で決めた事を、絶対に曲げたりもしなかった」

 言ってスーシェは、傍らのデリラに視線を転じた。

「あのコは、本当はね、誰も…頼ったりしてないんだよ、きっと」

 それが当たり前過ぎて、誰にも気付けなかったのか。元・第七小隊では上官の意見などあってないようなものだった。だからデリラもアンもアリスも、なんだって自分で決めて行動しなければならなかった。それが不自然だと思った事は、デリラにはない。いかに年端の行かぬアン少年でさえ、望んでハルヴァイトの部下になったのだから、小隊のルールに慣れるのは当然だと思っていた。

 見つめるスーシェの視線を頬に受けつつ、デリラは暫く黙ってテーブルの一点を睨み続けた。

 順応の早いコだと、アリスと話したのをデリラは今でも覚えている。しかし、スーシェに言われて考え直してみればそれは、順応が早かったのではなく、元より少年はなんでも自分で決める事が出来ていただけなのか。

「…アンは」

 それぞれがそれぞれを探るような、それでいて個々として戸惑うような奇妙な空気に気圧されつつもメリルが消え入りそうな声で呟くと、傍らのマイクスは無言で青年に視線を当て、正面のスーシェはさきを促すように小さく頷き、デリラの視線がテーブルの表面から気弱そうな白い顔に移る。

「小さい頃から、多分、そうでした。年の離れた兄は、あれが魔導師だと判ってすぐから、お前はこの先長きに渡ってルー・ダイ家を代表する魔導師になるのだからと、あれに言い聞かせていました。

 甘える事を許さず、父と母に口答えする事も許さず、高等院を修了してすぐに、休む間もなく魔導師隊訓練校への編入手続きを取って…」

「…。え? アンくんて、高等院卒業してるの?!」

 とそこで、まったく無関係な事柄に、スーシェが素っ頓狂な声を上げた。

「なんでお前は、そこで驚くのかね」

 高速で振り返って穴が開くほど見つめられたデリラが、苦笑交じりに言いつつ白いテーブルに頬杖を突く。

「十歳過ぎてすぐ中等院に入学して、十三になる前には高等院に入学。半年だか十ヶ月だかで一旦休学、工学技師の専門校に一年半通って機械技師の免許取得。その後高等院に戻って、十六の誕生日にはもう修了証書を受け取ってたって、そう言ってたね」

 普通、行く末魔導師になろうとする貴族の子供たちは、良くて中等院までしか卒業しない。そこで団体行動と一般常識を学び、後は、魔導師隊訓練校の一般教養課程の単位を取って高等院修了と同等の知識を身につけるか、どうせ魔導師に一般教養など必要ないのだからと、それすら取りもしないかのどちらかだ。

 しかも、デリラの話からすると、アン少年はあれで機械技師の免許を持っている事になる。なぜ、魔導師になろうとする少年が、そんな技術を身に付ける必要があったのか…。

「…兄は、その時もアンに言いました。慌てて進学する必要はないし、技術などいらないと。でもあれは、十六までに学びたい事を全て済ませるから、それまででいいから時間をくださいと、毎日兄の仕事が終わるのを待って言い募り、結局、兄が根負けした形になったんです」

 唖然とするスーシェの表情を、デリラがいかにも人悪く笑う。

「訓練校での成績が散々だったのはね、間違いねぇんだよね、ボウヤの場合。でもさ、そりゃあくまでも訓練課程の話であって、ついでに言うならボウヤはさ、他の過程なんか一切取ってねぇんだから、つまり」

「あそこでの記録に残ってるのは、あくまでも魔導師としての訓練成績だけって事?」

 スーシェの呟きを聞き終えてから、デリラは目を細めてメリルを見た。

「あんたの兄上とかいうのはさ、随分と勘違いなさってたみたいだね。ボウヤがそんな事言い出したのは、幾つん時だね」

「十歳になったばかりだったと思います」

「スゥ、お前十歳の頃何してた?」

「…普通に初等院に通ってたよ。友達と遊んで、少し勉強して。ようやく、自分が魔導師になるんだなって自覚し始めた頃だったかもしれない」

「おれは働いてたよ」

「……………」

 デリラの素っ気無い呟きにしかし、マイクスとメリルの表情が強張った。

「大人に混じって、って訳じゃなかったけどね、その時おれに出来る仕事をしてたよ。だから、ボウヤがそんな事言い出してもおかしかねぇよね」

 目付きの悪い男が何を言いたいのか判らないのだろう、正面に座る青年たちが、硬い表情のまま困惑の視線だけをスーシェに向けて来る。しかし、縋りつかれたスーシェにもデリラの提示するなぞかけは難しく、結局彼は、降参、とでも言うように肩を竦めて、にやにやする伴侶の横顔を見つめた。

「訊いたんだよね、おれもさ。なんでそんなに急いで学校になんか入ったのかって。そしたらボウヤ、笑って言ったんだよ。…」

           

          

『いや、ぼく不器用だから、訓練しながら他の教科の勉強したら、どっちも中途半端で終わりそうな気がして』

        

        

 ひとつずつ、クリアしたのだと。

「おれは働いてた。自分で考えて、働くのが一番いいと思ったからね。それが、十歳だよ。だったらさ、ボウヤが、魔導師になるための準備を始めるって自分で決めても不思議じゃねぇと、おれは思うけどね」

 メリルが、黙り込む。

 あの少年は。

 誰にも、頼らない。

 それから。

「兄上とやら言われたからって、嫌々決めたワケでもねぇだろうしね」

 自分で、決められる。

 そして。

「だからさ。ボウヤがあれこれ騒いでねぇってのに、なんでダイ魔導師とメリル事務官がボウヤの婚約話に難しい顔してんのかなって、おれは思うね。次期当主に指名するって言われても、ボウヤ、抵抗しなかったんだろうに」

 無情にも肩を竦めて、だから諦めろと言い掛けたデリラの顔を、色の薄い青色が睨む。

「しませんでした」

「じゃぁ、……」

「でもぼくには!」

 初めて、メリルが語気荒く言い放ち、白いガーデンチェアを蹴倒して立ち上がった。

「生まれて始めて、アンが「何かを諦めた顔」をしたって、そう、思ったんです!」

 握った弱々しい拳をテーブルに叩き付けたメリルの顔を椅子に納まったまま見上げていたデリラが、ゆっくりと、目に見える速さで口の端を吊り上げる。

「おれは、あんたを信じねぇね」

 その、いかにも悪役全開な顔付きと冷たい台詞に、スーシェとマイクスは唖然とした。

「ボウヤが直接そんな婚約も結婚もお断りだつわねぇ限り、おれは、信じねぇよ」

 華奢な白い椅子の背凭れに片腕を預けて横柄に足を組んだデリラが、ふん、とどこかしら蔑んだように鼻を鳴らす。

「あんたはね、やっぱり判ってねぇよね。ボウヤはさ、自分で自分の面倒見て来たんだよ、今まで。お屋敷に居ても居なくても、兄貴があってもなくても、そんなの…どうでもよかったんだよね。

 だって、そうだろ?

 あんた一度だって、ボウヤに直接手ぇ貸してやった事ねぇんだろ?」

 言われて、瞬間、メリルの顔から血の気が引く。

 そうかもしれない。上の兄は厳格で、父より怖い人だった。メリルは今日まで兄に逆らった事はなく、役所の窓口から魔導師隊に転属になった…よく考えればこれは非常に異例の事だったが、アンとメリルの兄、セリスはマイクスの口利きで事務官の臨時募集にパスした、という、どこにもアンの名の出ない説明を少しも疑わずマイクスにとても感謝していたが、メリル昇進のお祝いにアンが駆け付けないのには、今でも不満を漏らしている…時分も、彼はマイクスに頼んで兄に事情を説明して貰った。

 怖かったのだ、ただ。

 もし兄に「アンはどうした」と訊かれても、メリルは答えられなかっただろうし、今も答えられないだろう。

 まさか、弟は、兄上が思っていらっしゃるより遥かに優秀で、王城エリアに住まう魔導師の中で、ある意味、三番目に恐れられています。ですからあなたの、今日までの弟に対する評価は全部間違いでした。とは言えなかった。

 セリスは今でも、アンはハルヴァイトとドレイクの温情で衛視に昇格したと、信じて疑わないのだから。

「あんたは、いつまでそうやって、卑怯なまま居るつもりなんだろうね」

 テーブルの上で握り締めた白い手の甲に視線を落としていたメリルが、はっと顔を上げる。その、複雑な感情の渦巻く色の薄い双眸からの戸惑いを真っ直ぐに受け止めた、デリラは。

「誰かの後ろに隠れてね、こそこそとさ、暗躍するって役者じゃねぇでしょ」

 横柄に座したまま…見知った誰かを真似るように…ゆっくりと腕を組み、ただじっと、正面で蒼褪める青年を見つめた。

 一呼吸。

 二呼吸…。

 三度。四度。五度目の息を吸い。

「第七小隊(おれたち)は、いつだって、与えられるのを待ってなんかいなかった。いいや。「見返り」を望むなら、まず、「自分」が行動した。

 おれたち(電脳班)は、全ての人間は個人であり個別だという事を「あのひと」から学び、それを承知の上で他の個人と関わろうとする事の難しさと喜びを「あのひと」から教わった」

 そして。

「自己犠牲なんて美しいモンじゃないね、とんでもないレベルの我侭と押し付けと自己満足ってヤツも、ついでに知っちまったけどね」

 最後の部分だけを軽い口調で吐き出したデリラは、なぜかそこで、心の底から沸き上がる苦笑に頬を歪め、肩を竦めた。

  

   
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