■ 前へ戻る   ■ 次は、お城で会いましょう。

      
   
   

番外編-7.5- ステールメイト リプレイ

   
         
(4)十三日目 14:00

     

 それまで密やかな話し声や上品な笑みに彩られていた室内に異様な静けさが降りて、ひとり、窓辺のテーブルに着いていたそのひとが、ふと、顔を上げる。

 退屈な寄り合いだった。呼び出しがなければ、二度と来るまいとさえ思っていた。

 その呼び出しに彼女は、なぜ今になって王城三号館別室なのかと問うた。返答は簡潔且つ明白。言い返す隙もなく。

 近いから。

 だから彼女は神妙に頷き、指定された時間の三十分前から彼女を待っていた。

 彼女は、キャロン・ヒス・ゴッヘル。百八十センチ近い長身をしっかりした筋肉で覆った、かなり大柄な女性。意外にも女性らしいボディラインを愛想のない白いカッターシャツとスラックスで覆い、座した肘掛け椅子の背にファー付きの黒いロングコートを預けている。

 アンと顔を合わせた日には背に垂らしていた極めて色の薄い金髪は今日、頭の後ろで一つに括られていた。それで大した化粧っ気もないものだから、コートを羽織った後ろ姿は殆ど男性に見えるだろう。

 キャロンは、探るような静寂を踏み付けて一直線に進んでくる黒と赤を見ながら立ち上がりつつ、内心苦笑を漏らした。そういえば、自分がこの部屋に入った時も似たような空気になったなと、今頃になってようやく気付いたのだ。

「お待たせして申し訳ありません、キャロン様」

 儀礼的な笑顔と共に会釈した「彼女」は、キャロンに挨拶する間も与えず、慌てて駆け寄って来たボーイを振り返って談話室に通すよう命じた。談話室とは、つまり内緒話をするために用意されている小部屋で、この…貴族の女性たちが定期的に集まるサロンに、みっつ用意されている。

「彼女」は、アリス・ナヴィ。勤務途中に抜け出して来たのだろう、漆黒の長上着に艶消しの長靴を真紅のベルトと腕章、赤い髪の縁取る完璧な美貌で飾った、王下特務衛視団電脳班所属の衛視だった。

 促されて歩き出したキャロンは、周囲から注がれる視線を上空から見返した。羨望と苛立ちのない交ぜになったそれは刺々しく、少し、可笑しくなる。

 無駄だろうにと思う。アリスはそんな、どうでもいい視線など少しも気にしていない。そう、そういう視線に晒されるのを恐れて群れている、大切にされる代わりに愛されない女性たちの向ける弱々しい攻撃など、彼女の心には届かない。

 小さな丸テーブルに肘掛け椅子が三客だけ据えられ、それで一杯になりそうな談話室に入り、ボーイにお茶を頼んでドアを閉ざすと、アリスは改めてキャロンを振り返った。

「突然のお呼び立てに快く応じてくださって、ありがとうございます」

「いいえ。こちらこそ、勤務中にご足労願えた事を感謝しております、ナヴィ様」

 ふたりは一定の距離を保ったまま、軽く頭を下げた。

 簡単な挨拶を終えたアリスは、キャロンが奥の椅子に腰を据えたのを見届けると、短く息を吐いてから、手前の椅子に自分も腰を下ろした。長上着の裾を捌いて深く座し、優雅に足を組んだ赤色の美女を、キャロンの空色の瞳が見ている。

「堅苦しい挨拶はこれでお終いよ。あたしは別に、あなたと腹の探り合いをしに来た訳じゃないわ」

 なんというか、微妙に柄悪く肘掛けに片肘を預け形のいい唇に指先を置いたアリスに、キャロンはクソ真面目な顔で頷いてやった。

「それは助かる。わたしも、不必要な事を言ってしまうかもしれないとびくびくしているのは、性に合わない」

 言い返されて。

 アリスは亜麻色の目を眇めて笑った。

「なら、余計な前置きなしでいいかしら?」

「構わない」

 上品な肘掛け椅子が小さく見えるような体格の女性なのに、愚鈍な印象は微塵もないキャロン。黒を赤で飾った掛け値なしの美女と並べば、当然、その体躯の立派さだけが際立ちそうながら、彼女もまた人目を引く空気を纏ったひとだとアリスは思う。

「どうして警備軍に?」

 唐突に切り出された質問。キャロンはなぜか、不思議そうな顔をした。

 さすがにこれは急ぎ過ぎたかと苦笑したアリスが、唇に置いていた指先を膝に戻して、組んでいた足を解こうと背を背凭れから浮かせるのと同時に、キャロンは迷うように…本気で悩むように唸りつつ、極端に色の薄い金髪をがしがしと掻いた。

「他に、方法が判らなかった」

 一旦アリスの顔から離れた空色が、またすぐ戻る。

「ずっと、何の取り得もなく身体ばかり大きくなる自分が、「貴族」だと持ち上げられて贅沢している理由を考えていた。幼い頃から母は、二言目には幸せな結婚だなんだと言ってばかりで、わたしの質問に答えてはくれなかった。だから、自分で考えた。考えているうちに、つまりわたしは、母の言う庶民に食わせて貰ってここまで育ったんだと思った」

 その、妙に真剣なキャロンの顔を凝視したまま、アリスは「はぁ」と腑抜けた答えを返した。

 すごく、ではないにしても、判り易く間違っていないだろうか? それ。

「育てて貰ったら、感謝すべきだろう?」

「…そうね」

「感謝しても、目に見えなくては意味がない場合もある」

「それも…そうね…」

「だからだ」

 助けて、ミナミっ!

 アリスは、内心悲鳴を上げた。

「だから警備軍て、あなた、それはちょっと安易じゃないの?」

「だから他に方法が判らなかったんだ、わたしは。王都民に対して何か返そうと思った時、だったら公職に就くのが妥当だろうと考えた。ひとりでも多くの都民に関わる仕事というのはなんなのか、三日も悩んで警備軍が一番いいという答えに辿り着いたのに」

 そんな、頭ごなしに安易だなんて言ってくれるな、とでも言いそうな顔付きのキャロンを呆れた表情で見つめていたアリスは、でも、なんだか…急にばかばかしくなって、吹き出してしまった。

 片手で顔を覆ってくすくす笑うアリスを、キャロンが恨みがましい目付きで睨む。

 確かに、彼女と話をするなら忍耐力が必要ね、スゥ。と思った。それから、確かに、アンの言う通り、男らしい女性だとも。

「…失礼…」

 と、言いつつもまだにやにやしているアリスを、空色の瞳は見ている。

「でも、そういう風に乱暴なひとは、好きよ」

 その青に、アリスは極上の笑顔を送った。

「乱暴か? わたしは」

「ええ。育ててくれてありがとう。今度はわたしが守ってやる。なんて、極めて乱暴じゃない?」

 同性でもはっとするような笑顔に、キャロンの拗ねた顔も緩む。

 会話が途切れるのを待っていたかのように、微かなノックの音。答えてボーイを招き入れ、テーブルに並んだカップに香りのいい紅茶が注がれるのを見ながら、アリスは再度小さく微笑んだ。

「もっと乱暴なひとを知ってるわ」

 ボーイが退室し、閉じた飴色のドアから正面のキャロンに視線を戻したアリスの穏やかな、剣の取れた笑顔。

「そうね…、ひとたち、って言うべきかも」

「ひと「たち」?」

「そう」

 白磁に金色の縁が際立つティーカップを手にして、アリスがゆっくり頷く。

「とんでもなく凶悪な恋人同士。

 彼らはお互いを信じてるし、愛してる。

 だから、彼らは彼らの住むこの都市を、ついでに、愛してるわ」

 いかにもしあわせそうに呟いたアリスの笑顔に、キャロンは不審げに首を捻った。

「いいのか悪いのかよく判らないが?」

 凶悪な恋人同士に愛された都市もある意味迷惑だな、などと付け足したキャロンに同意しつつも、アリスはまたくすくす笑った。

「いいのよ、それで。きっとあなたにも、すぐその意味が判るわ」

 言って、小さく息を吐いたアリスが、カップをテーブルに戻して居住まいを正す。

「キャロン、あなたが警備軍に入隊するための書簡は、全て揃った。司令への推薦状は王下特務衛視団次長ミナミ・アイリー、同じく電脳班班長ハルヴァイト・ガリュー、副長ドレイク・ミラキが連盟で署名し、推挙状はアン・ルー・ダイ魔導師の署名で作成され、配属承認状は王都警備軍一般警備部第二十一連隊長カイン・ナヴィが提出する。

 つまり、彼らがあなたの軍内での所業に責任を持つと言う事。でもそれは、あなたに対する信用ではなく、全部、アンが「そうしたい」と望んだから書かれたサインだって、忘れないで」

 列挙された氏名を口の中で反芻してから、キャロンは難しい顔で眉を寄せ、唸った。

「非常に有難いとは思うが、しかし、衛視団の次長殿にまで署名を頂く理由が思い浮かばない。

 わたしには面識もないミラキ卿らが必要な書簡に署名してくださったのは、わたしに対する評価や信用でない事は、重々承知している。警備軍入隊を許可された暁には、アンくんの信用を失墜させるような真似などしないよう心がけるつもりだ。

 …ナヴィ衛視」

「アリスで結構よ」

「では、アリス。わたしは、わたしを含めた「人」というのは、誘惑に弱い生き物だと思う。それを知っていて、誘惑に流されまいとしながら、どこかで自分に甘くなる機会を狙っている」

 余りにも真剣なキャロンの表情を冷たく見つつ、しかしアリスは、本気でミナミ召喚を視野に入れ始めていた。

 面白過ぎた。どこの世に…。

「じゃぁあなたは、自分がいつか何らかの誘惑に負けてしまうかもしれないから、その時ミナミにまで責任を取らせる訳には行かないっていうの?」

「いいや」

 キャロンはそこで、睨むような亜麻色を酷く弱ったような空色で、でもしっかりと見つめ返し、大きく横に頭を振った。

「過分だと申し上げている。頼むから見ず知らずのわたしなどに親切にしないで欲しい。わたしはアンくんの信用を守り切るので手一杯だというのに、その後ろにもっと大勢お偉い方々が控えてらっしゃると思ったら、恐ろしくて眠れない」

 余り「自分」を信用するなと、疑ってかかれというひとが居るのか。

 アリスは、今度こそ呆れて、でも、やはり可笑しくて、キャロンの真面目腐った顔から視線を逸らし、吹き出した。

「大丈夫よ、キャロン。万一あなたに何かあっても、例えばあなたが何らかの誘惑に負けて誰の信用を失墜させてもカインくんのクビが飛んでも、陛下だってミナミを咎めたりはしないわ」

 俯いて肩を震わせるアリスを、キャロンはまだ不満げな顔で睨んでいる。

「なぜ、そう言い切れる」

 つかなんであなたがおかしな方向に怒ってんだよ。とミナミなら絶対に突っ込むような口調に、アリスはようやく笑いを抑えて、言い返した。

「だって、ミナミだもの」

 乱れた赤い髪を手で梳きながら顔を上げたアリスが、冷め始めた紅茶の表面に柔らかな視線を向け、形のいい唇で囁く。

「判る? ミナミは、何もしなくていいの。ただ、そこに居てくれればいいの。当たり前に、ミナミらしく、ただ…」

 悪魔の傍らに寄り添って。

「…好き放題突っ込んでくれてればいいのよ」

 まるで無垢な少女のように微笑んだアリスにつられて、キャロンの表情も緩む。

「ひとつだけ忘れないで、キャロン。

 あたしたちは、あなたを歓迎するわ。家名でなく、地位でもなく、あなたをね。

 次は、お城で会いましょう」

 アリスの、手元に落ちていた視線が再度正面の空色に据わり、キャロンは、その視線を真っ直ぐ受け止め、背筋を伸ばして頷いた。

           

           

 その後、キャロン・ヒス・ゴッヘルは正式に王都警備軍に入隊し、事前の約束通り一般警備部第二十一連隊に配属される事となる。

           

          

2006/02/03(2006/04/05) goro

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次は、お城で会いましょう。