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番外編-7.5- ステールメイト リプレイ

   
         
(3)四日目 11:52

     

 アリスの調べた所、貴族の女性が警備軍に入隊を希望した前例は、全くない訳ではなかった。かく言う赤い髪の美女も元を正せば警備軍勤務の兵士だったし、ステラ・ノーキアスという女医も警備軍医療部隊に在籍していた過去がある。

「…じゃぁ、この、「最後」の問題が解決出来れば、入隊の許可は下りるんでしょうか?」

 履歴書と推薦状以外の添付書類一覧を眺めながら呟いたアンに、アリスが「そうねぇ」と気のない答えを返す。

「でも、さ…、それが一番問題じゃねぇ? っても、思うよな」

 自分の膝に頬杖を突いて、顔の前に投影されているモニターの一点を凝視したミナミの無表情も、心なし沈んでいるように見えた。

「実際、推薦者なんてのはある意味無責任でよ、はいはい大丈夫ですからよろしくお願いしますよ、つって、お偉いさんにちょこっと頭下げるだけみてぇなモンだろ」

「確かに、何か問題なり騒動なりが起きた場合は推薦者にお咎めがあるとしても、正直、その女性を預かる連隊の長が取らされる責任に比べたら、微々たるものよね」

「そうですねぇ…。だからってまさか、電脳班(うち)に配属してくださいとも言えないし」

 特務室の増員には貴族院議会の承認が必要だ。

「つうか、入隊希望書類に配属させてくれる連隊の責任者の署名が必要って、その意味が俺にゃさっぱ判らね…」

 細長く息を吐いて呆れたように言いながら身を起こしたミナミが頭の後ろで手を組み、相変わらずの無表情でぶつぶつ言っていた、真っ最中、電脳班執務室と衛視室を繋ぐドアがノックもなしに開かれる。

「ミナミ、午後から陛下の…」

 言いつつそこから顔を覗かせたのは、室長、クラバインに制裁? を加えられているはずの銀色だった。

「? なんだ、揃って難しい顔で」

 ソファの背凭れ越しに首だけを回したミナミが、うん、と子供っぽく頷く。

「っつうか、ヒューが案外早く開放されて、午後さぼり損ねたなーって」

「…午前中いっぱいサボっただろうが…。それに、俺はもう正座したくない」

 やはり正座させられたのか、と声を殺して笑うミナミを一瞬だけ睨んだヒューが、勝手に誰かの椅子を引き寄せて腰を下ろす。

「そういやぁよ、班長」

「なんだ」

 室内灯の光を映す銀髪を掻き回すヒューの横顔を見上げたドレイクが、何か思い出した顔でぽつりと問うた。

「失踪騒ぎはどうなったんだ?」

「俺の?」

「他に誰が居るよ」

「別に、失踪した覚えはないんだが?」

「覚えがあるとかないとかじゃなくてだなぁ!」

 足を組んで椅子に座り、いつもと同じ涼しい顔を崩さないヒューと、そのヒューに今にもソファから飛び出しそうな勢いで噛み付いたドレイクを交互に見遣って、ミナミは内心嘆息した。

 一瞬で摩り替わる「質問者」。

 一瞬で掌握された空気。

 会話は成立しているのに、ドレイクは最後まで、訊きたい事のひとつも解決出来ないだろう。

 そう思いながら、言い合うヒューとドレイク、それにちゃちゃを入れるアリスと、いつものように笑ってばかりのアン少年を眺めていたミナミの背筋を、冷たい空気が…舐める。

 もしも、だ。

 もしも。

          

        

「彼」は何もしなかった。

「彼」は何もせず、ただ退いて、それが何かしてしまった事になるのなら。

「彼」は。

          

 あの清廉潔白な少年が、家も家族も棄ててしまうかもしれないと。

 少年だからこそ、気持ちをどこかに残したまま、つまりは、婚約者に対して不誠実だと知っていながらこの結婚に踏み切れないかもしれないと。

 予想ではなく。

 予測でもなく。

 読んでいたのだとしたら。

           

「彼」こそが、全てを膠着させ、全てを崩壊させ、全てを並べ替えた。

           

            

 だったら怖いなとミナミは思った。今回に限り、相当歩き回った挙句自らさえ介入したハルヴァイトやミナミと違って、ヒューは、ずっと軟禁状態だったはずだ。

「ねぇ、ミナミ、さっきの話しなんだけど…」

「え?」

 不意に振り返ったアリスに声を掛けられたミナミは、慌てて彼女に顔を向けた。

「さっきって、どれ?」

「やだ、何ぼんやりしてるのよ。キャロンの引き受け先の話に決まってるでしょ」

 唐突に戻った話題。今度はその意味が判らなかったのだろうヒューが小首を傾げ、キャロンの名前が出たからなのか、ドレイクを飛ばしてその向こうで小さくなっているアンに視線を流した。

「キャロンさんがね、警備軍に入隊したいそうなんで、どうしたらいいのかなーって話をしてたんですよ」

 アン少年がけろりと言うなり、ヒューがなんとも言えない顔で苦笑を漏らす。

「君の婚約解消はゴッヘル卿立会いの下の和議だとは聞いたが、その元婚約者のために何かしてやろうなんて、随分とお人好しだな」

 誰も言いはしないが胸の内に溜め込んでいただろう、呆れにも似た感想をきっぱり言い切ったヒューの横顔に、ドレイクも苦笑を吐き付ける。言葉に出ないまでも、まったくだ、と言いたそうな空気に、さすがの少年も困って眉を寄せた。

「そういう、班長みたいに冷たい事をアンが言わないから、今回の件が和議で決着するのよ。人徳、知ってる? 班長」

「俺にはないって言いたいんだろう? 知ってるよ」

 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いたヒューの面白くなさそうな顔を、アリスが笑う。

「つうか、ヒューに人徳あったら怖ぇけどな」

 わざとのように言って肩を竦めたミナミを、高速で旋回したサファイヤが睨んだ。

「そういえば、ねぇ、班長? どうして、女性の入隊希望者だけに配属させてくれる連隊の責任者の署名が義務付けられてるの? 普通はそんなのいらないでしょう?」

 魔導師であるドレイクとアン、元より、一般警備部とは全く縁のない状態で当初から魔導師隊に配属されたアリス、そもそも特例中の特例でいきなり衛視になったミナミと違って、ヒューには六年近い一般警備部勤務の経験がある。普通に入隊試験を受けて、哨戒部、治安維持部、城門警備部を経て半年間の近衛兵団在籍後特務室に採用になった彼ならば、何か思い当たりがあるのではないだろうかとアリスは考えた。

「最初から、何か問題が起きた時に首を切る対象を決めておくためだよ」

 即答だった。しかも、確信的に。

 それまでデスクに置いていた片腕を引き寄せて横柄に腕を組んだヒューが、椅子を回してソファに向き直る。

「魔導師隊には義務付けられていないが、一般兵士には最低半年の格闘訓練と射撃訓練がある。例えばその女性が半年後に事務専門官になるとしても、警備部に入ったからには基礎訓練である二つを必ずクリアしなければならない。その半年の間に訓練中の事故で怪我なんかされてみろ、軍の上層部は揃って強制労働区に送られる」

「でも、本人は了解してるでしょう? 訓練中の事故についての責任書面にも、サインするわよ?」

「自分がいいから周りもいいという訳じゃない。本人はなんでもない、判っていたといくら言っても、だ」

 そこで一旦言葉を切ったヒューは、何か考えるような顔をした。

「傷の付いた芸術品を高い金で買い求める好事家は、そういない」

 途端、アリスの細い眉が不快げに吊り上った。

「酷い例えね。ちょっと、そのスカした横っ面をひっぱたいてやりたい気分だわ」

「避けていいならご自由にどうぞ。ただし、これは俺がない知恵を捻って考えたんじゃなく、そう言って婚約を破棄されたさるお方が、笑って教えてくれたものなんだがな」

 言い返したヒューのサファイヤが、室内を睥睨する。

 一瞬で凍り付いたアリスの背中を視界に納めたまま、ミナミはヒューを睨んだ。

 だから早まるなと言いたいのか。

 それとも、覚悟しろと言いたいのか。

「女性が転属する場合には常に直属の上官にあたる責任者の承認が必要で、実際、ひめさまが特務室に昇格する際ガリューも室長も承諾書にサインしてる」

 引け腰の上層部に苛立ちを感じるも、それに強く抗議する言葉もなく、ミナミは微かに眉を寄せた。責任の所在をはっきりさせた上で、何かあったらひとりの首を切って後は知らぬふり。そんなのはおかしいと言いたくても、何かが喉に痞えて、上手く声にならないような気がした。

 降りた沈鬱な空気。アリスの亜麻色が何かを見据えるように中空に在るのを見つつ、ドレイクが重い溜め息を吐いた。

「特務室の増員手続きってのは、どのくらい時間食うモンなんだ? ミナミ」

 自分の膝にそれぞれ肘を預けたドレイクが漏らし、アン少年が慌てて何か言おうとする。

「正当な理由を付けてまず陛下の許可取ってから議会執行部の承認が通るまで、普通に行ったら何ヶ月もかかるよ。そもそも、さ、今、特務室って増員計画ねぇし」

「比較的早急に通りそうな増員案としては警護班だろうが、残念ながら、警護班に召し上げられるにはそれこそ、基礎訓練で解除階級を取っておくのが絶対条件だ」

 ミナミの渋い口調を引き継いだヒューが言い、ドレイクがまたも深く溜め息を吐く。

「八方塞がりか? たまにやる気出してみりゃこれだ」

 ソファの背凭れに背中を預けたドレイクの横顔を見ていたアン少年がそこで、何か思いつめた顔で「あの」と声を上げた。

「余計な事言い出して、すみません。ぼく、もう一度キャロンさんに…」

「………、ねぇ、アン」

 再考するつもりだったのだろう少年の緊張した声を、アリスが遮る。

「彼女は、信用出来る?」

「…え? あ、はい…。ぼくは、そう思います」

 それまでどこかを睨んでいたアリスの双眸がゆっくり水平に旋回し、アン少年の水色を捉えた。

「そ、じゃぁ、あたしはアンを信用する」

 そして彼女は、煉瓦色の睫に縁取られた亜麻色を緩め、赤く塗られた形のいい唇で、これ以上ないくらい華やかに微笑んだ。

「ガラ総司令への推薦状には、ドレイクだけじゃなくハルとミナミのサインも入れて貰える? それから、入隊希望書にはヒス・ゴッヘル家全員のサインを貰うよう彼女に伝えて。…配属了承の連隊長誓約書は、あたしが用意するわ」

 その、ミナミですら見惚れるような美しくも物騒な笑みを振り撒いたアリスは、真っ赤な髪を腕で払ってから、堂々と胸を張って言い放った。

「アンのためだもの、カインくんの首くらい差し出すわよ」

「つうかやっぱ報われてねぇ…、カインさん」

  

   
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