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番外編-8- 平和的同時多発恋愛事件

   
         
(4)タマリ・タマリ

     

「こーんにちはー」

 ノックの音、二回。間を置かず勢いよく開け放たれたドア。同時に転がり込んで来た、まるで中等院の生徒が大遅刻して開き直り教室に現われた時のような能天気な声に、珍しくデスクワークに勤しんでいたヒュー・スレイサーは、がくりと肩を落とした。

 多分ミナミならば滅茶苦茶的確に突っ込んでいるだろうこの状況にも、在室の衛視たちは対処出来ない。というか、出来る方がおかしいのだが。

「あれ?」

 さて。

 ドアを開け放ち満面の笑みで室内を見回した少年…イルシュ・サーンスは、目的の人物が見当たらないのに、きょとんと琥珀色の目を見開き首を捻った。

 就労時間真っ只中、重ねて言うなら午後二時という非常に微妙な時間。待機に継ぐ待機で暇なのは判るが、どうしてあの小隊の連中はこうも気安く特務室に現われるのか…。とようやく気を取り直してドアに向き直ったヒューのサファイヤと、イルシュの不思議顔がかち合う。

「エスコー衛視はいないの? スレイサー衛視」

「非番。それで? ルードに…」

「非番!?」

 何か用かとヒューが尋ねるより早く、イルシュはさもびっくりしたような顔で素っ頓狂な声を上げた。

「すげー! 特務室て非番あるんだ!」

 その時その場に居た衛視たちは一斉に「あるよ!」と思ったが、なぜか口には出せなかった。何せ、非番と言ってもいつ何時召集されるか判らない、あってないようなものだったから、果たしてそれを非番と呼んでいいのかどうか、ちょっと悩んだのかもしれない。

「一応ある」

 ここでも多少の事には動じないヒューが…それでも幾分複雑そうにぼそりと答えるのを聞きながら、イルシュは勝手に室内に踏み込み、勝手に、勧められてもいない応接用のソファに座り込んだ。この辺りは、さすが魔導師というところか。

「でも、ヒューさんいっつも居るじゃん」

「いや、班長と一般衛視のぼくらを一緒にされては…」

 などと、忙しくキーボードを叩いていた手を止めて、今日も今日とて執務室の調度品よろしくデスクと一体化していたジリアンが笑う。

「っていうか、ジルさんもいっつも居るじゃん」

 ミナミのような突っ込みではなく、事実を在りのまま述べたというように、いかにもさらりと言い切られて、ジリアンはモニターに向いたまま苦笑を浮かべた。別にいつも居たくて居る訳じゃなくて、色々と騒動続きでちゃんとした休暇が取れずデートする暇もないだけだよと、寂しい気分になる。

 無邪気に室内を沈ませたイルシュのつむじを見下ろし、ヒューは溜め息を吐いた。

「それで? ルードに何か用か? サーンス魔導師」

 言われて、イルシュが、うん、と妙に子供っぽく頷く。

「ちょっと」

 しかし、少年はそれ以上何も言わなかった。それならば、どうしても本人に直接話したいのだろうと思ったヒューは、仕方なく、やや落ち込み気味のジリアンに官舎に連絡してルードを呼び出すよう指示する。

 別にお客じゃないのだから放っておいてもよかったのだが、ヒューはイルシュにオレンジの香りのするフレーバーティーを、来客用のカップではなく予備のマグカップで出した。湯気の上がるカップを差し出せばいかにも少年臭くどうもと笑顔で会釈され、勢い、向かいに腰を下ろす。

「そういえば、一人か?」

 甘い香りの紅茶を一口含み、熱かったのだろう、涙目になった少年の顔を横柄に眺め下ろしたヒューが、思い出したように尋ねる。第七小隊の年少三人組といえばいつもくっついているような気がしていたのだが、幾ら待っても残りの赤白コンビが姿を見せる気配はない。

「うん。ブルースは見張りで、ジュメールは医療院に行った」

 見張り? 医療院? 涼しい顔で内心首を捻ったヒューが、はぁ、と妙な相槌を打つ。

「…。ハウナスは、どこか悪いのか?」

 ヒューはそれで一瞬、何か具合の悪いジュメールが医療院に行かなければならないのを嫌がって、ブルースが付き添って行ったのだろうと思った。

「悪いっていうか、悪くないけど、ちょっと検査。ジュメール、昨日の夕方階段から転がり落ちて、頭にコブ作ったりしてたから」

―――。

 なんだ、それは。と、ヒューが眉間に皺を寄せる。

「意外と抜けてるな」

 とりあえず率直な感想を述べたヒューの呆れた顔を、イルシュが下から覗き込む。

「アスカがね」

 幾ら呼び出しても応答がないのか、ルードリッヒの自室番号を諦めたらしいジリアンが、特別官舎管理人のエドワースに彼を起こして来てくれと訴えていた。それを頭の片隅で確認しつつ、イルシュの言う意味が判らなかったのだろうヒューがまた難しい顔をする。少年の言う「アスカ」といえば、多分ミラキ邸若執事の事だろう、くらいは予想出来たが。

「階段から転げ落ちたのは、アスカの方。で、偶然下にいたジュメールが巻き込まれて、一緒に落ちたの。アスカはちょっと手首を捻挫しただけだったんだけど、下敷きになったジュメールが頭打って、一応検査に来なさいって昨日来たドクターに言われて医療院に行った」

 要約し過ぎと言うか、もしかしたら正常に成り立っていない会話にちょっとした疲労を感じつつ、ヒューは組んでいた腕を解いてソファの座面に投げ出した。なんというか、この子にももう少しちゃんとした会話の方法を教えた方がいいんじゃないのか? と失礼な感想を抱きつつ、苦笑交じりに呟く。

「…それに、ベリシティ魔導師が付き添って行ったのか」

 カップの縁越しにヒューの顔を見つめていたイルシュが、違うよー、と首を横に振る。

「ブルースは、仮眠室に篭城したタマリさんが逃げないように見張ってるの、今」

 じゃぁ最初からそう言えよ。と、一度はぐったりソファの背凭れに沈んだヒューが、再度背筋を伸ばして姿勢を正す。

「タマリが篭城?」

 黒い制服の肩を滑り降りた銀髪を眺めつつ、イルシュがまたも子供っぽく頷く。

「スゥ小隊長がね? それでエスコー衛視に、タマリさんがオーバーワークでショートしちゃったから引き取りに来てくれって、言えって」

 茶色のざんばら髪を揺らして小首を傾げ、全く持って緊張感も慌てた所もなく言った少年を見つめるヒューの耳に、かなり寝ぼけたルードリッヒの声と、それに被ったジリアンの「なんでもいいからとっとと第七小隊の執務室に行け!」という悲鳴が届き、銀色は、再度ソファの背凭れに沈んだ。

「…サーンス、もうちょっと慌てた方がいいんじゃないのか? そういう時は…」

 というか、「それで」ってなんだ、と嘆息したヒューのうんざり顔をきょとんと見つめたイルシュは、本気で首を捻った。

「だって、タマリさん結構元気そうだったし」

 そういう問題じゃないだろうと誰もが思ったが、未来の「大魔導師候補」に注意出来る者は、残念ながら居なかった。

  

   
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