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番外編-8- 平和的同時多発恋愛事件

   
         
(5)ギイル・キース

     

 締め括りの嘆息が漏れて、刹那、静寂。

 イルシュのものらしい若々しい笑い声が、薄いドア越しに漏れ聞こえ。

 直後。

 自分のデスクに着いて資料の仕分けをしていたアリスと、分解したリボルバーにグリスを注していたデリラと、来客用のソファに納まりがっくり肩を落とすギイルの正面に座っているドレイクが、同時に爆笑する。

「笑うトコじゃねぇでしょ!」

 くわ! と牙を剥くようにして叫んだギイルの濃紺が高速で旋回し、デスクに突っ伏して身体を震わせている赤い髪の美女、細い目をますます細めて大笑いしつつも手を休めない悪人顔の砲撃手、ソファの座面に折り曲げた片足を引き上げて斜めに座り、ギイルの視線から逃れてしきりに真白い髪を掻き回している魔導師を順繰りに睨む。

「いやいや」

 くくく、と人悪い笑いを喉の奥に残したドレイクが息を吐いてギイルに向き直りながらそんな意味不明の声を発すると、対する警備部隊長は益々嫌な顔をした。

「でも、ハチくんの言い分は間違ってないと思うわよ? あたしも」

 ようやく笑いを収めたアリスが、デスクから顔を上げた勢いで椅子を離れ、ソファに近付いて来るとドレイクは極自然に奥へ詰めて場所を空け、赤色の美女は当然のように、空いたスペースに腰を下ろした。

 電脳班直属の警備部隊は今、元より三つに分けていた班を更に細分化して王城周辺の哨戒任務に当っている。それらの班から上がって来た報告を纏め、更に今後の任務に即反映させるための会議と称して警備部隊隊長のギイルが執務室に現われたのは、つい先程だった。

 それで、丁度何もない、騒動と騒動の谷間みたいな時期だからか、ここの所ミナミに掛かりきりのハルヴァイトが不在だからなのか、手早く話し合いを終えてもギイルは退室せず、なんとなく暇を持て余していたドレイクたちと他愛も無い話をしていたのだが。

 当の本人がいない絶好のチャンスだったからだろう、話題は、アン少年に絡んだハチヤの暴挙に及んでいたのだ。

「まぁ、ギイルがね、そう言いたくなる気持ちも判らないでもないしね」

 進んで輪の中に入る訳でもないけれどちゃんと参加しているデリラが、煤を落とした銃身を覗き込みながら笑う。

「だろ? だろー! 顔合わせりゃ二言目には「アンさん」だぜ? つい言ってやりたくもなんだろうが」

 憮然とした顔をにやにやするドレイクとアリスから背けたギイルが、自分の膝に頬杖を突いて、溜め息混じりに吐き出す。

        

「だったらおめー、一発スキだーって潔く告白して、付き合ったらいいじゃんよ」

         

 いい加減ハチヤのテンションに付き合い切れなくなったらしいギイルが言うなり、背ばかりひょろひょろと高くどこかぼんやりした顔の部下は、さも呆れたように嘆息し、上官にこう言い返したという。

         

「…部隊長判ってないですねぇ。おれはアンさんが大好きだと思うからこそ、アンさんのしあわせを願ってんですよ。別に、おれと付き合って欲しいワケじゃないんです」

        

 ある意味、凄く男らしい発言だとアリスは思う。好きだからこそアンのしあわせを願うというハチヤは、自分と付き合う事に少年の「しあわせ」はないと言い切ったようなものだ。

「ハチくんて、ぼんやりしたコだけど、もしかして筋通ってるのかしら…」

 溜め息ともなんともつかない吐息と共に呟いたアリスの美貌を、ギイルの濃紺が捉える。

「てかよ、ひめさま。そん時あいつ、ちょっと気になる事言ってたんだけどよ?」

 斜めに置いていた身体をドレイクとアリスに向け直したギイルが、言いつつ太い眉を寄せ殊更難しい顔を作った。

「アンさんはアンさんの好きな人と付き合ったらいいんですよ。…までは判るよな?」

 まぁ、それは、話しの流れから行って至極当然の発言だろう。だから、アリスもドレイクも、聞いているのかいないのか定かでないデリラも、無言で頷く。

「だからってあの人とは、付き合うとかなんとか、それ以前の問題だと思う。ってのは…どうよ」

 ひそひそ話するように声を潜めてテーブルに乗り出したギイルの真剣な顔から、傍らでぽかんとしているドレイクに高速で視線を流し、アリスはぱちぱちと瞬きした。

「…なによ、それ」

 というか?

「つうかよ、ギイル」

 不意に真白い眉を寄せて険しい表情を作ったドレイクが、腕を組んで背凭れに身体を預ける。

「ハチのやつ、アンの「好きな人」つうのが誰だか、判ってるってのか?」

「そうだと思う」

 即答されて、ドレイク、アリス、デリラが…心底悔しそうに唸った。

 少し前に持ち上がった、ヒス・ゴッヘル家とルー・ダイ家の婚姻騒動。結果としてそれは両家和解のうちという体面で解消された訳だが、陰で暗躍したハルヴァイトはアリスとドレイクがどんなに問い詰めてものらりくらりと話を逸らしてどう介入したのか絶対に明かさず、どうやら何か知っているらしいミナミは「いつか判る」の一点張り、「好きな人が居る」と言い切って自ら婚約解消を言い出したアン少年に至っては、その「好きな人」に話題が及ぼうものなら脱兎の如く執務室から逃走する捻りのなさだった。

 しかして、残されたドレイクたちにとっては、謎だらけで気持ち悪いまま有耶無耶にされそうな話題だったのだが…。

「せめてそれだけでも知りたい!」

 アリスが、両の拳を固めて天井を睨む。

「ハルとミナミはなぁ、ありゃもう、言わねぇつったら死んでも言わねぇ強情揃いだから諦めるけどよ、せめてアンの口は割らせてぇよなぁ」

 ぶつぶつ言いつつ頷き合うアリスとドレイクから、デリラに当惑の視線を流して首を捻る、ギイル。仕事上の関係者でもあり貴族でもある電脳班の面々は当然アンの婚約騒動を熟知しているが、警備部隊に属するギイルはつまり「一般市民」であり、ルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家の間で持ち上がった騒動は噂さえも届いていなかったから、果たして、この二人は何をそんなにリキんでいるのか、という所か。

 さて、こちらも当日の立会いで直に少年の「好きな人」発言を聞いているにも関わらず、未だその正体が知れずにいるらしい伴侶…スーシェ…に、誰か思い当たる人は居ないかとしつこく訊かれているデリラが、苦笑を漏らしつつ肩を竦める。

「で? ギイル。お前はハチから何か聞き出せたのかね?」

 組み立て途中の拳銃をデスクに置いたデリラが、苦笑しながら椅子を回転させギイルに向き直った。

「おお、おれぁ色んな義務感全開で訊きましたともよ。んじゃお前そりゃ誰だよってな? そしたら野郎、なんで判んないんですかと抜かしやがる」

 渋いというより忌々しげに顔を歪めて搾り出されたギイルの台詞に、電脳班の面々がまたも眉間に皺を寄せて唸る。下手をすれば朝から晩までぽややんとアンを眺めていそうなハチヤと違い、居て当たり前のあの少年を四六時中見張っている同僚などここにはおらず、結果…。

 と、内心そこまで愚痴って、ドレイクははっと気付いた。

「…見てりゃ判る、じゃねぇのか?」

 何か重大な見落としに気付いたような、そんなドレイクの声に、ギイルは濃紺の瞳を訝しそうに細めて「あぁ」と不満げに頷いた。

「そんな、ちまい言い回しの違いなんかどうでもいいんだよ、どうでも」

 そうよねだってハチくんたら暇さえあればアンの事遠目に眺めてるんだものアレじゃ一歩間違うとストーカーよストーカー。などと興奮した風ではないが一気にまくし立てるアリスの声を遥か彼方に聞きながら、ドレイクは腕を組んで天井を睨んだ。

 なぜ判らないのか。

 見ていれば判る。ではなく、なぜ判らないのか。

 確かにギイルの言う通り、それはただの些細な言い回しの違いかもしれない。しかし、話しの流れで自然にその「台詞」が出てしまったのだとしたら。

 実は、明らかにあからさまにそうと「判る」ような相手だという事なのか?

「―――ミナミ」

 見開いた曇天の双眸が水平に戻るのと同時、自然にドレイクの唇から零れた名前に、それまで何事かを話し合っていた誰もがぎょっと目を瞠った。

「まさかドレイク、アンの好きな人がミナミだって言いたいの!?」

「あ? や、そうじゃなくてよ」

 思わず素っ頓狂な声を上げて振り返ったアリスに苦笑を向けてから、ドレイクはわざとのようにテーブルに乗り出し残りの三人に手招きした。

「俺がな? アンのヤツに、「おめぇ、ミナミにばっか教えといて俺にゃ内緒か?」って訊いた時分によ、アンは誰にも教えてねぇつってたんだよ。でもミナミはよ、なぁ? デリ」

 ひそひそ話でもするように囁いたドレイクに視線を投げられて、デリラが頷く。

「室長が、どうやらミナミさんはボウヤの「好きな人」ってのが判ってるみたいだってね、言ってたね、そういやぁ」

 ならば、だ。

 ハチヤだけでなく、ミナミにも「判る」痕跡が、どこかにあるという事か。

「あ、そっか、判った!」

 暫し難しい顔で膝の上に組んだ自分の手を見つめていたアリスが、不意に顔を上げる。

「こうなったら、本人に吐かせればいいじゃない。そう、ごまかしなんか利かない相手けしかけて」

 亜麻色の瞳をきらきらさせて男どもを見回してから赤色の美女は、ふふん、と意外にもふくよかな胸を反らして、びしりと隣室へ続く扉を指差した。

「ミナミとハルのシフト合わせのおかげでアンと非番が被り易くて官舎住まいの」

 ほら、と、偉そうに顎を上げたアリスが自信たっぷりに言い放ったのは。

「班長」

 ある方向から見れば最悪に都合悪く、逆から考えれば最高に都合のいい、「渦中の」人物だった。

  

   
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