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番外編-8- 平和的同時多発恋愛事件

   
         
(12)ドレイク・ミラキ

     

 正装としての古風な衣装ではなく、仕立てのいい濃茶色の三つ揃えに亜麻色のボウタイを締めたドレイク・ミラキは、執事長リイン・キーツに着いて応接室に入るなり、鷹揚な笑みを満面に浮かべた。

「お待たせして申し訳ない」

 軽く顎を引くようにして目礼したドレイクが視線を正面に戻すのに合わせて、応接室で待たされていた数名の客がそれぞれ立ち上がり、会釈する。精一杯上等なスーツに身を包んだ男たちはどの顔も緊張に強張っていたが、その内最も若い、亜麻色のロングストレートに金色の光を内包した緑色の双眸をぴかぴかと輝かせた青年だけが、真っ直ぐに顎を上げてドレイクの笑顔を見返している。

 白いシンプルなシャツに燕尾服という、取り立てて珍しくもない正装を纏った青年は、リリス・ヘイワード。「その顔」は久しぶりに見たな、などという内心の苦笑を隠して、ドレイクは客に着座を促しつつ上座に設えられた肘掛け椅子に腰を下ろした。

「この度は当制作会社製作の―――」

 と、企画、製作会社代表のセツ・ハノアが額に冷や汗を浮かべて謝辞を述べるのを右から左に聞き流すドレイクは、肘掛け椅子の中で足を組み、時たま意味なく頷いて見せたりした。だらだらと喋るセツの話を要約するならば、だ。リリス主演で製作される新作ムービーの舞台に、本物の貴族の屋敷を使いたい。そのために制作会社は屋敷を提供してくれる貴族を探していて、その協力者を募るために今回のムービーのダイジェストと趣旨の説明などを行なう場所にミラキ邸を提供してくれてどうもありがとう。という事である。

 社長というよりも企業の下っ端営業員みたいな風体のセツを無言で見つめていたドレイクは、彼が一通り話し終わるのを待ってから口を開いた。

「私はリリスに頼まれて屋敷の一室を貸すだけだ。本日別室にお集まりの諸氏には、特に私からの口添えはない。貴君らの誠意と熱意を持って最良の結果が出せるよう、尽力するといい」

 その偉そうな物言いにセツは深く頭を下げて「ありがとうございます」と言ったが、名前の上がったムービースターは…。

 くす。といかにも面白そうに、凛々しい口元に笑みを浮かべていた。

 こちらも笑い出しそうな曇天に睨まれたリリスが、殊更笑みを濃くして立ち上がる。

「お久しぶりです、ミラキ卿」

 昨日も帰りに会ったけど。リリス、心の声。

「本日はぼくたちのためにお心を砕いてくださって、ありがとうございます」

「殊勝だな、リリス。そんな真面目腐った顔は、始めて見た」

 っていうかミラキ副長のそんな顔、ぼくも始めて見たよ。リリス、再度心の声。

 肘掛に頬杖を突いて足を組んだドレイクのいかにも貴族然とした雰囲気に気圧される事もなく、青年はにこりと微笑んで小首を傾げた。その肝の据わりっぷりに、始終緊張しっ放しらしい他のスタッフは、さすがムービースターと内心賞賛を送る。

 その後リリスは、ソファに座した他の共演者を一人一人ドレイクに紹介した。制作会社代表のセツ、監督は名立たる映画祭で映像表現賞を獲得し頭角を現したといわれる若手のウェズス・オルロ、主演リリス・ヘイワード、リリスの相手役は、渋い二枚目で名を馳せているジャン・ジュアーロという俳優で、それにジャンのマネージャーだという男と、所属事務所の代表だという太った壮年。その他、別室にはパイロットフィルムの上映スタッフも来ていると聞いた。

 予定の開催時刻までまだ少し時間があるから打合せでもするといいと、ドレイクがリリスたちを残して応接室を出ようとする。それで、ドアの傍らに佇んでいたリインが両開きの扉を押し開けたタイミングを狙って、リリスがついとソファから腰を浮かせた。

 何か不安げに見つめて来るセツと、不思議顔の共演者に華やかな笑みを見せたリリスが、足早にその場を離れて廊下に出たドレイクに追い縋る。

「ミラキ副長」

 潜めるような声を掛けたリリスを振り返ったドレイクは、応接室の奥に位置する私室リビングのドアを指差して小首を傾げた。

「いやいや、個人的にリリス・ヘイワードとお話するなんて、緊張するな」

「…嘘ばっかり」

 む。と剣呑な顔付きで顎を上げた小柄なムービースターの背を軽く叩いてから、自らドアを開けるドレイク。

「リイン、出迎えの準備は?」

「案内の者を正面に待機させております。旦那様のご挨拶は、定刻より五分後とさせていただきますが?」

 もみあげだけに白いものの混じり始めた壮年の執事長が直立して述べると、ドレイクは「あっそ」となんとも腑抜けた答えを返した。

「まー、どうせ生のリリス見たさに用事のねぇ連中まで集まって来んだろうしよ、俺なんかいらねぇんじゃねぇのか?」

 わざとのように肩を竦めたドレイクがふざけて言うと、リリスが困ったように眉を寄せて、助けを求める視線をリインに送る。

「ですが一応、ご挨拶差し上げるべきではないかと」

「一応っておめぇ…」

 クソ真面目に答えて腰を折ったリインを横目で睨みつつ、ドレイクは応接室にあったものよりやや小振りなソファをリリスに勧めた。壮麗な刺繍もふかふかのクッションもないが、いかにも頻繁に客人が訪れてくつろいでいるのだろう風にこなれた座面に腰を据えた青年の口元が緩む。

「時間になったら呼びに来い。ついでに、リリスくんにお茶」

 かしこまりました。と一礼して退室しようとしたリインに、リリスが会釈する。いかにムービースターだといえども執事の居る生活など想像も出来なかったのだろう、その、ホテルの給仕に対する礼のような行動を、ドレイクは小さく笑った。

「そんでぇ? 忙しいだろうに、俺に何か用か?」

 どさりと肘掛椅子に身体をぶつけたドレイクが、先とは別人のような砕けた口調で尋ねて来たのに、リリスがにこりと微笑む。

「改めて、今日はどうもありがとうございます。って話し」

 どちらかというと「セイル・スレイサー」の印象濃いリリスが、ぺこりと頭を下げた。

「ああ、いいっていいって。ハルとミナミがなんやら迷惑掛けてるってぇ話しだしよ、ま、兄貴の務めとしてな、俺に手ぇ貸せる事なら遠慮なく言ってくれ」

 重たい曇天の双眸を眇めたドレイクのその言い方が、なんだか可笑しい。

「ミラキ副長って、すごくいいお兄さんだよね」

 リリスにとっては、何気ない一言。

 しかしドレイクは一瞬、戸惑うように視線を揺らした。

「―――…、まぁ、今そうするくれぇしか、俺にゃぁ出来ねぇしな」

「?」

 まさかミラキ家とミナミの抱えた複雑な事情を知る由もないリリスが不思議そうな顔をすると、ドレイクはなんでもないと言って首を横に振った。

「…ところでよ、今度のムービーって、子供向け番組のリメイクなんだろ? それがなんで、本物の屋敷が使いてぇなんて話になったんだ?」

 ゆったりと肘掛にもたれたドレイクが真白い眉を寄せて首を捻ると、リリスがひとつ頷く。

「元々ある、子供向け番組の安っぽさ、みたいなのを払拭するのにね、主人公のピエロが黒幕から指示を受ける場所を、合成とかセットとかじゃない、本物の質感てので演(や)りたいねって、監督が言い出してさ」

 それでなぜか話が盛り上がり、全編を、元あった世界設定としての「荒廃した未来都市」から、古風な屋敷と石畳の裏路地に変更したのだとリリスは言った。

「…正直、ここが使えりゃこんな回りくどい会合なんかいらねぇんだろうがなぁ…」

「え!? いや、さすがにそこまでミラキ副長に頼る訳に行かないし、何よりもね? ミラキ邸は…あんまり立派過ぎるんだよねぇ」

 事も無げに言ってのけたドレイクに慌てたリリスが、しきりに首を横に振りつつ恐縮する。実際、ピエロが黒幕から司令を受けるのは「使い古された空き家」であって、ミラキ邸のように豪華な内装では、逆に、様にならない。

 そうか? などと、自分の家のランクに気付いていないらしいドレイクが本気で首を捻ったのとほぼ同時に、ドアが軽くノックされる。

「お茶をお持ちいたしました」

「おう」

 ドアを開け、またも一礼して姿を見せたリインがワゴンを押して入室して来る。いつまでもドレイクと二人きりで私室に篭っていてはセツがいらない事まで心配するから退室しようかどうかリリスは迷ったが、差し出された紅茶が今まで見たこともないくらい綺麗な琥珀色でふくよかな香りを振り撒いていたのに、つい、腰を上げるタイミングを逃した。

「まさか…天然!?」

「んー? ああ、違う。庭師と執事のおっちゃんが暇潰しに庭で育ててんだよ、このお茶」

 っていうかそれって天然よりすごくない!? と、リリスが呆気に摂られていると、執事のおっちゃん呼ばわりのリインが、ワゴンの前で一礼した。

「もしもお気に入りでしたら、お分けいたしますか? リリス様」

「――どうしよ、すごい魅力的なお話…」

 眉間に皺を寄せたリリスがカップを睨んで悩んでいるのを、ドレイクが笑う。構わないから貰ってやれとミラキ家の主人が言いかけて、口を開くのと一緒に、またもやドアがノックされる。

「旦那様」

「? おう、なんだ」

 す、と蝶番の軋みもなく開いた扉の向こうに立っていたアスカ・エノーが、リリスに会釈してから入室して来る。その、本物の…何せリリスのは偽物なので…長い亜麻色の髪を揺らして歩く姿の美しいのと、聡明そうな額を晒した若々しくも清潔な印象に、リリスは内心感嘆の呻きを漏らした。

 執事にしとくなんて、勿体無い。という所か。

 カップに唇をつけたままじっと見つめて来るリリスの視線などないもののように、アスカは停滞ない歩調でドレイクの背後まで寄ると、身を屈めて何かを囁いた。それを聞いた刹那、浅黒い顔にくっきりと描かれた真白い眉が、妙な具合に跳ね上がる。

「スゥ?」

「はい、至急旦那様にお会いしたいと申しまして、エントランスでお待ちです」

 ドレイクは、紅茶を頂くリリスの顔を見つめたまま、少し考えるような顔をした。

「んー、まぁ、いいか…。すぐこっちに通せ」

 軽く腕を上げたドレイクに一礼したアスカは、そこでようやく、先から視線を逸らさずにいたリリスに顔を向けた。

 にこり、と白皙に穏やかな笑みを浮かべて長い睫を伏せ、丁寧に一礼してから退室して行く、アスカ。

「キレイなコだねー」

「ん? おいおい、変な気起こしてスカウトなんかすんじゃねぇぞ? ありゃぁ次の執事長候補で、今は離れの面倒みさせしてんだからよ」

「えー。ざんねーん」

 残念じゃねぇ…。と、名残惜しそうにドアを見つめるリリスにドレイクが突っ込んで、すぐ、また、それが軽くノックされた。

「ゴッヘル卿スーシェ様がお見えです」

 アスカの凛とした声に続いて開け放たれた、ドア。

「忙しい所悪いね、ドレイク。…、って…」

 なぜか慌てて室内に入ってくるなり後ろ手にドアを閉ざしたスーシェは、ソファに収まってぽかんとしているリリスに気付いて、思わず口を噤んだ。

「ああ、こちらリリス・ヘイワードくん。リリス、スゥに会うのは初めてか?」

 見つめ合うスーシェとリリスの間に漂うおかしな緊張を感じつつもにやにやと口の端を歪めたドレイクが、肘掛に頬杖を突いたまま言い放つ。

「始めてです」

「スゥも「本物」見るのは初めてか…。班長も自分で言ってたし、デリにも話しは聞いてんだろ?」

「聞いてるよ。デリは、「リリス」より「セイル」くんの方が気に入ってるみたいだけどね」

 追加のお茶を用意したリインが退室するのを待って、スーシェはようやくソファに歩み寄って来た。淡いオレンジ色のシャツにクリーム色のストールを巻いた、全体に色の薄い儚げできれいな人。余程急いで来たのか、その足元は底の薄いルームシューズだ。

 ソフトチャコールの双眸を眇めるようにして微笑んだスーシェは、勧められて、ドレイクとリリスの間に座った。

「こちらは電脳魔導師隊第七小隊小隊長スーシェ・ゴッヘル卿。で、ついでに言うなら、デリの伴侶の方だ」

「ついでって…ドレイク…」

 肩から外れそうになっていたストールを巻き直しながら苦笑したスーシェの俯いた顔を、リリスがびっくり眼で凝視する。

「嘘! これが、デリさんの!? って、ごめんなさい!」

 いい加減このテの反応には慣れているのか、思わず叫んでしまったリリスは恐縮して頭を下げたが、言われたスーシェはさも可笑しげに笑ってから、顔の前で左右に手を振って見せた。

「嘘じゃないよ、本当」

「本当にごめんなさい。でも、その…お綺麗な方なんで―――」

 あの悪人顔の砲撃手とすぐには繋がらない美人の伴侶に、リリスが興奮した様子で話しかけているのを眺めていたドレイクがそこで、改めてスーシェの恰好を確かめ妙な顔をする。

「つうかよ、スゥ。おめぇなんで、部屋着のまま飛び込んで来たんだ?」

 呆れを含んだドレイクの声を聞くなり、スーシェは何か思い出したかのように蒼くなって悲鳴を上げた。

「そうだった! ドレイク、頼むから、兄が来たら入口で追い返してくれないか! あのバカ兄貴、事もあろうに、引退後のアリシアの面倒を見させてくれとかなんとかいうとんでもなく恥ずかしい事を、本気でリリスくんに言うつもりらしいんだ!」

 言われて。

 涙目で睨まれて。

 ドレイクは乾いた笑いを漏らしつつ椅子の背凭れにずしりと沈んだ。

「―――いやぁ、世の中、「兄貴」って言っても色々居るモンだねぇ」

 当のリリスは暢気にも苦笑しながら、この美味しい茶葉を貰って帰らないテはないなと思っていたけれど。

     

      

 リリスが最後の打ち合わせだと退室し、定刻も近くなり集まり始めた賓客の中から発見されたメイライン・ゴッヘル氏が色の薄い弟に追い返されて、すぐ、本当なら兄と帰宅するはずのスーシェが、最後の準備で衣装を整えていたドレイクをドレッシングルームに訪ねる。

「まだ、なんかあんのか?」

 ネクタイを直すドレイクの見つめるスーシェは、鏡の中で、何か考え込むような顔をして腕を組み、閉じたドアに寄り掛かっていた。

「―――珍しく、ベッカーが来てたよ」

 明かり取りの窓をぼんやりと眺め遣るスーシェが、少し沈んだ声で呟く。

「マジか? ホント珍しいな、あの引き篭もりが休日に屋敷から外出るなんてよ」

 一度は締めたボウタイを解きながら、ドレイクはわざと明るい声で答えた。

 城から帰って来ない…噂によれば、一般居住区に居る愛人の所にいっているらしいが…か、一度屋敷に入れば次の登城まで姿を見せないという極めて極端なベッカーの私生活についてとやかく言える立場にはないドレイクが、それきり口を閉ざす。

「…ユアソン・ドリー教授も来てた」

 その名を聞いた瞬間、ドレイクの手が停まった。曇天の瞳だけを動かして鏡の内側で憂鬱そうな顔をしているスーシェを窺い、ようやくその重苦しい空気の意味に気付く。

「ひとりか?」

「判らない。ぼくが見かけた時は一人だったよ。細君も、セシル嬢も傍には居なかった」

 手早く、且つ苛々とボウタイを締めながら、ドレイクは眉を寄せて舌打ちした。こちらで認めているのは、会場に限りがあるからと当主ないし代理代行の他一名だけだが、当主ユアソンの他に細君か令嬢、どちらか一人でも居れば…。

「まさか、ミラキ邸でまでおかしな騒ぎを起こさないとは思うけど」

 ようやく締め直したボウタイの出来は散々だった。それにまた苛々と溜め息を吐いたドレイクに、スーシェが近付いて来る。

「ベッカーを帰らせた方がよくないかい? ミラキ」

 軽く肩を叩かれて振り返ったドレイクのボウタイを、スーシェは白い指先でするりと解いた。皺になった部分を撫でて伸ばしてから、流れるような仕草でネクタイを締め直す。

「…あの件についちゃぁ、本人同士の問題だろ。ドリー教授の方は、原因は全部ベッカーだって言い張ってるらしいが、医療院の某女医さんからの情報によりゃぁ、だ」

 間近でスーシェの顔を見つめ、ドレイクは溜め息みたいに呟いた。

「セシル・ドリーは自分の不貞を認めた上で、堕胎処置を受けたって…告白したそうだからな…」

 陰鬱な空気が、睨み合うようにして黙り込んだスーシェとドレイクの喉元を、緩く、重く締め上げた。

  

   
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