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番外編-8- 平和的同時多発恋愛事件

   
         
(13)リリス・ヘイワード

     

 なんだかんだ言って、結局スポンサー募集の「営業」じゃないかと、リリスは顔面に焼き付いてしまった笑顔の下で嘆息した。

 まさかこれが個人の屋敷の一室なのかと目を疑う大広間に集まった貴族たち。定刻を五分過ぎて姿を見せた当主ドレイクが簡単に挨拶し、すぐに紹介されたセツが今日の集まりの趣旨を語ってから、ようやく、リリス以下出演者が招き入れられた。

 制作会社の代表が入室した時には無反応だった室内も、監督のウェズス・オルロが顔を見せると少し沸いた。「フラミンゴ」という作品で映画祭の映像賞を受賞した直後には頻繁にテレビに出たりしていたからだろうと、ドアの外で待機していたリリスは思った。

 次にジャン・ジュアーロが黒地にストライプのモード系三つ揃いに漆黒のシャツに紫のネクタイという、意外に派手な衣装で現われた時は、会場には小さいながら悲鳴にも似た歓声が起こった。さすがは、二枚目俳優として数多くの作品に出演しただけの事はある。

 そして、リリスが入室した時。

 会場は、しん、と静まり返った。

 円卓を囲んだ貴族たちをリリスは、顎を上げるようにして見つめ返した。スクリーンで見るよりももっと小柄なムービースターに、賓客たちは戸惑っているのだろう。

 リリスは決して大きくない。しかしその印象は、小さくもないのだ。

 こんにちは、リリス・ヘイワードです。今日は、皆様にぼくらの、作品を創造するという仕事にかける熱意を判っていただけるよう、限りある時間の中ですが、多くの方とお話したいと思います。

 支度されていた「台詞」に息を吹き込んで、笑顔を焼き付け、青年は…。

 突然起こった拍手と歓声に答えるように、深く頭を下げた。

        

       

 ムービーの趣旨説明やパイロットフィルム上映、荒書きされたシナリオの公開などという退屈な決まり事は、賞味一時間程で終わった。

「…結局のところ、お目当てはリリスなんだろうね」

 屋敷から急遽スーツを一式持って来させて参加していたスーシェが、部屋の壁際に並べられた椅子の一つに腰を下ろして肘掛に頬杖を突き、喜色満面の賓客に囲まれているリリスを眺めながら、呟く。

「俳優ってのが一等判りやすいだろうからな、こういう場合はよ」

 監督がどうとかスタッフがああとか言い出したらそりゃマニアの第一歩だろ。と付け足したドレイクを、スーシェが笑う。本日のホストであるドレイクと、制作会社が希望している適正規模よりも大きい屋敷住まいのスーシェは、この会に参加しているというよりは、見張りのようなものだった。

 制作会社の希望する屋敷の規模は、上級庭園中心部…ファイラン家私邸を囲む当該ミラキ邸やゴッヘル邸、ガン邸、貴族院幹部の屋敷よりもずっと小さい、上級庭園外苑辺りに位置するものだったのだ。

「ルー・ダイ邸くらいが手頃なのかな?」

 そもそも制作会社の話を聞く気もないスーシェと、歓談時間になったら退室しようとしていたドレイクは、先からずっと部屋の外周に並べられた肘掛け椅子に腰を据えたまま小声で話し込んでいた。少々…厄介な客が居て、部屋を出て行く訳にも行かなくなってしまったからだ。

「そうだな。アンの事がなけりゃ直接頼んでもいいんだろうが、俺がルー・ダイ家と仲良くすんにゃ、まだちょっと早ぇよ」

 ドレイクが表立ってルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家を非難する事はなかったが、同僚であるアンの「味方」というスタイルを取る旨を、実は、アンの父であるレバロに伝えていた。元よりアンとドレイクは懇意過ぎるくらいに懇意だが、家名同士はあまり係わり合いがないので、実質的には問題にもならない。

 それでも、いつか…必ず、とドレイクは思っている…アンがルー・ダイ家と仲直りし絶縁を解除する際の仲立ちは必要だ。誰かがもう許してやれとレバロに言い、レバロが「卿がそう仰るのなら」とあっさり首肯出来る、誰か、が。

 だからその時まで、自分はアンの「味方」でなければならない。と真摯な面持ちで言ったドレイクに、レバロは涙ぐんで頭を下げたという。

 そんな経緯があってルー・ダイ邸に協力を求められなかったのは少々痛いが、リリス…セイル…個人に肩入れしても、あまり制作会社と仲良くするのも都合が悪いとなって、ドレイクはあっさりと屋敷の紹介を放棄した。準備までは手伝うが、後はがんばれ、という所か。

「他に、外苑辺りから来てる参加者は…」

 芳名リストを勝手にダウンロードして脳内に駐屯させていたスーシェが、軽く眉間に皺を寄せてデータを流す。

「ドリー教授、エラム卿、オーン・ガン卿、と…ベッカー辺りじゃねぇか? まるっきり外苑に接近してんでもねぇ、でも、屋敷の規模が大きい訳でもねぇってのはよ」

「ナイ・ゴッヘル家からは誰も来てないんだ」

「おう。ぼくちゃん今日はこっち蹴って、メリル事務官お手製のケーキ食いにいったぜ」

 あのイムデ少年がこんな場所に顔を出すはずはないが、それにしても理由が酷いなとスーシェが苦笑いする。

 ドレイクとスーシェがそんな話をしている間も、リリスの周りには人が集まっていた。握手を求めるもの。サインを求めるもの。過去の出演作品を列挙し薀蓄を語るもの。様々なそういう「もの」に囲まれて笑顔を絶やさないムービースターを眺めていたドレイクが、腕を組んで関心したように唸る。

「さすがはムービースター、大した腹芸だよなぁ」

「ははははは!」

 リリス・ヘイワードそのものが殆ど「演技」だと知っているドレイクの呟きに、スーシェが爆笑する。デリラの言う通りなら、外見はそうでもないけれど中身は完璧「スレイサー一族」というセイルだったら、なるほど、あの輪の中でにこにこと笑顔を振り撒いているなんてあり得ない。

 椅子の肘掛けに上半身を伏せ背中を震わせているスーシェとにやにや笑いのドレイクを、旋回したリリスの碧が捉える。それにキッと睨まれて肩を竦めた当代ミラキ卿は、仕方なく、微かに冷えた空気を発散しているムービースターに手招きした。

 失礼します。と周囲を固めた賓客に会釈し、リリスが小走りになってドレイクの元へ駆け込んで来る。

「もー、ミラキ副長もスゥ小隊長も酷いなぁ。二人で楽しそうにしてないで、ちょっとはぼくにも構ってよ」

 通り過ぎようとしたアスカを呼び止めてリリスに飲み物をと言い置いているドレイクの横顔を、リリスが唇を尖らせて睨む。

「疲れた?」

 ようやく笑いを収めたスーシェが顔を上げて尋ねると、リリスは大仰な仕草で天井を仰いだ。

「この先一生分の笑顔と忍耐を使い切った気分になるくらいね」

 それ、笑顔と忍耐少な過ぎ。とミナミなら突っ込む所か?

 アスカから檸檬ソーダを受け取ったリリスが会釈するのを視界の隅に収めていたドレイクは、周囲から注がれる探るような視線に内心苦笑した。自分とスーシェがリリスを独占しているのは、やはり都合が悪い。

 そもそもこれは、ただの顔見せパーティではない。

「ちょっとここ座ってろ、リリス。今、一人紹介してやるよ」

「?」

 ならばそれらしく振る舞えばいいではないかとドレイクは、わざと、今まで自分の座っていた椅子を空けてリリスをそこに押し込んだ。

 立ち位置変わって、肘掛け椅子に座って休憩するムービースターから離れて行く、濃茶色の広い背中。有象無象とする貴族にも、どこかしら居心地悪そうな監督や制作会社のスタッフにも見劣りしないのはよしとして、かの二枚目俳優ジャンにも引けを取らぬ存在感に、ストローを銜えたままリリスは感心した。

 特務室で顔を合わせるドレイクといえばもっとこうだらけた感じを漂わせているのに、衣装を変えて背筋を伸ばしただけで、ああも雰囲気を変えられるとは。

 そこでふと、青年は思い出す。

 だらけた…。と、言えば。

 果たしてあの人は何者だったのかと、際限なく傷だらけのローファーと海賊被りのバンダナを思い出してしまったリリスが苦笑を漏らすなり、密集していた人垣がゆるゆると左右に割れて、視界が広くなる。

「ああ、なんだ…ベッカーか」

 ドレイクが何をしにどこへ行ったのか判らず首を捻っていたスーシェは、割れた賓客の向こうに見えたドレイクの白髪、更にその背後でひょろりと揺れた痩身とアッシュブロンドを目にして、得心したように口の中で呟いた。

「?」

 それを聞いて、リリスが無言で小首を傾げる。

「まぁ、魔導師隊の身内みたいなものだよ。所有する屋敷の規模も君たちの希望に沿ってるし、ここにムービースターを縛り付けておくには丁度いいと思ったんじゃないのかな、ドレイク」

 スーシェが気軽に手を挙げると、リリスの位置からだとドレイクの影になって見て取れない人物も、スーシェに答えて軽く腕を挙げた。

「珍事だね、ベッカーとこんな所で会うなんて」

「薄暗い部屋にばっか篭ってないでたまにゃ光合成しろって、ドイルに追ん出されてさぁ」

 その、気の抜けた口調と台詞に、スーシェとドレイクが笑う。

「いい執事をお抱えじゃねぇか」

「ミラキ家の執事頭にゃ負けますよ、ホント」

 目前まで迫ったドレイクに促されて立ち上がったリリスは、濃茶色のスーツと煌くような白髪の向こうで足を停めた痩身をなぞるように見上げて、刹那、目端の吊り上った双眸を微か見開いた。

 細長い手足と薄い胴体を包む、光沢のある黒のシングル三つボタンスーツ。襟の小さな真っ白いシャツに、暗い煉瓦色のネクタイに、先端の尖った煉瓦色の靴。

 毛先が不揃いで襟足だけがやや長いアッシュブロンドと、暗い…生気のない…金色の双眸。

 痩せた。背の高い。これは…。

 リリスに顔も向けず退屈そうにどこかを眺めていた金色が緩く水平に動き、ようやく、息を詰めて凝視してくるムービースターを捉える。

 ふ。と、そこで微か目を細めたベッカーは、スラックスのポケットに突っ込んでいた手を抜きながらリリスに向き直った。

「よろしく、リリス・ヘイワード」

 口の端を吊り上げただけのような緩い笑みを浮かべたベッカーに手を差し出されて、リリスは慌ててソーダのグラスをサイドテーブルに置き、彼の手を握り返しながらぺこりと頭を下げた。

「よろしくお願いします…」

 そこまで言って、名前を聞いていないのに気付いて顔を上げたリリスが、ベッカーの手を握ったままダルそうな笑みを見つめる。しかし彼はいくら待っても自分の名を告げようとせず、結局ムービースターは、傍らで苦笑を漏らしていたドレイクに弱った視線を送った。

「…電脳魔導師隊第九小隊副長の、ベッカー・ラドだ」

 魔導師隊の副長と聞いて、リリスはまたもやきょとんと目を見開き、薄笑みを浮かべたままのベッカーに視線を戻した。この疲れ切った中年みたいな人が副長? という無言の驚きに、当のベッカーが軽く肩を竦めて見せる。

 それだけであっさりと握手を解かれ、リリスは戸惑った。

「おめー自分の名前くれぇちゃんと言えよ」

「そんなの、ムービースターにゃいらん情報でしょうが」

 呆れた口調のドレイクに肘で脇腹を小突かれたベッカーが、溜め息混じりに言い返す。

「袖刷りあうも多少の縁て言葉、知らないのかい? ベッカー」

 こちらは元同じ小隊所属でこのやる気なさに慣れているスーシェがわざとのように眉を吊り上げて言うと、ベッカーは薄い肩を寄せて恐々とその白皙から視線を逸らした。

「名言・格言辞書は収蔵してないからねぇ」

 リリスは、そんな三人の遣り取りを始終無言で見つめていた。押しても引いても全て受け流してしまうようなベッカーの「緩さ」が、なんともむず痒い。

 密かな波が絶えず打ち寄せては引くようなさざめきに紛れて時々聞こえて来る、熱っぽく理想を語る監督や俳優の声。気のない挨拶やひそひそ話し。そういうものさえ寄せ付けない、だらけた空気で薄幕を作り世の中と「自分」を隔絶しているような感覚に、リリスは微か眉間に皺を刻んだ。

「ぶっちゃけた話しなんだけどさぁ、おれ、リリス・ヘイワード出演作品て、観たコトねぇんだよね」

 ぶっちゃけたというよりも極めて失礼な事をさらりと言ったベッカーが、今日は随分整っているアッシュブロンドを掻き分けて首の後ろに手をあて、かくりと項垂れる。その時彼の口元に浮かんだどうしようもなく疲れた笑みと漏れた台詞に気付いたのは、リリス一人だった。

       

「観てたら、とっくに気付いてんでしょ、さすがに」

       

 伏せられていた睫が軽く持ち上がり、覗く、金色の目。

 リリスはなぜか、息を詰めた。

 そんなムービースターになど気付いた風もないベッカーは、面倒そうに腕を下ろしてから、踵でくるりと回ってリリスの隣の空席に身体をぶつけるようにして座ると、持て余した細長い足を組み、肘掛けに置いた腕で側頭部を支えて広い会場をぼんやり眺め始める。

 それだけだ。

 傍らのリリスに興味を示すでもなく、時折何事かを話すドレイクとスーシェに相槌を打つでもなく、時間感覚の麻痺してしまいそうな奇妙な気配を漂わせたままそこに居るだけのベッカーについてリリスは、ハルヴァイトとはまた違った意味で居心地の悪い人だと思った。

 暫しその場に居てドレイクやスーシェと話し、途切れかけた笑顔と忍耐をある程度復活させたムービースターは、低頭しながら近付いて来た監督に連れられてまた貴族たちの輪に戻って行った。燕尾服に身を包んだ華奢なリリスの背が人波に呑まれて見えなくなった直後、一瞬だけ、ベッカーの頬が引き攣るように緩む。

「…参った参った」

「? なんだ? ベッカー」

 リリスが離れて空いた椅子に腰を下ろしたドレイクが首を傾げて見せると、ベッカーは笑いながら顔の横で手をひらひらと振り、なんでもない、ない、といつものように気の抜けた答えを返した。「それ」だって最早過去のデータに成り下がり、改竄不能なのだから、今更どうしようとも思わない。

 何もかも。

「今更さぁ」

 全てを観ているようで何も観ていない暗い金色に、折り重なる人の群れ。

「ドリー教授に頭下げられたって、どうしようもねぇよなぁ。しかも、ミラキ邸で」

「………」

 漏れた、呟き。

 疲れ切った声だった。

「…ベッカー、おめぇ、ドリー教授に何か…言われたのか?」

 思わず腰を浮かせて振り向いたドレイクと硬直して息を詰めたスーシェの気配を吐き出すように笑う、いつものようにダレた仕草で肘掛けに頬杖を突いたベッカーが、んー、と腑抜けた声を返す。

「セシルが」

 折り重なる、人の群れ。

「…自分の不貞を告白した手紙置いて、自殺未遂騒ぎ起こしたってさ」

 組み換えられる、人の、群れ。

 動揺ではない驚きに揺れたドレイクとスーシェに顔も向けず、ベッカーは眠たげな金色の双眸でただぼんやりと、正面を見続ける。

 先にドレイクとスーシェにからかわれた折には傍にリリスが居たからか、執事のドイルに言われてこの会場へ足を運んだとベッカーは言ったが、真相は、離婚した元妻の父親であるドリー教授に呼び出されての事だった。そんな理由でもなければ、ベッカーがわざわざ正装して屋敷から出る必要がない。

「そのうちおれの耳にも入るだろうから、先に謝っとくってよ」

 他人事のように飄々と言い放ったベッカーの横顔を睨んでいたドレイクが、ついに眉間に皺を寄せて深く嘆息し、椅子の背凭れに沈む。

「…貴族会でアレだけ派手に糾弾しといて、こんな場所でよ、こっそりごめんつって、それで終わりのつもりか? 学識経験者が聞いて呆れんな」

「―――どうでもいいよ」

 殆ど吐息のような呟き。

「んで? おめぇ、両親には? 報告…」

「しない」

 ベッカーがそこだけきっぱりと即答した途端、折り重なった人の群れがゆらりと割れて、華奢なムービースターの横顔が現われた。

「セシルがどうでもさぁ、ラド家断絶は決定事項でしょ」

 それも、どうせ、改竄不能。

 だから、ベッカー一人を屋敷に残してそれぞれ生家に戻り、離縁調停の開始した両親には何も知らせないと彼は言った。

         

「面倒だから、どうでもいいわ。そういうの」

      

 またゆるゆると揺れた人の群れがリリスの笑顔を押し潰して、ベッカーは、なんだか可笑しくなった。バカな事をしたと自分に呆れ、目を伏せて、くすくす笑う。

「でさ、ミラキ卿」

「なにが、でさ、なんだよ…。おめぇ、大丈夫か?」

 にやにやするベッカーに剣呑な視線を突き刺す、ドレイク。

「まーまー。そんでさ…」

 わざとのように首を竦めたベッカーは小さく両手を挙げてホールドアップしたまま、ドレイクと、その向こうでぽかんとしているスーシェに何事かを一方的に言い、最後を「んじゃ、ソユコトで」と軽薄に締めて、さっさと椅子から腰を浮かせた。

「…―――、ちょっと待てよ、ベッカー!」

 慌てて彼を呼び止めようとしたドレイクを振り返りもせず、ひらひらと手を振って人波に呑まれて消える、ひょろついた背中。それは元妻の自殺未遂騒動を聞かされた元夫の態度でも、娘の不貞に気付かなかった義理の両親にいらぬ嫌疑をかけられ、公衆の面前で糾弾された男の態度でもなかった。

「…何考えてんだ、あいつ…」

 ベッカーの紛れた人の群れを指差したドレイクが、呆れてスーシェを振り返る。

「さぁ…」

「おめぇ、元同じ小隊に居たろうが」

「居たけど、それとこれとは話が別だよ、ミラキ…」

 言い合って、二人はやれやれと嘆息し、肩を竦めた。

  

   
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