■ 前へ戻る   ■ 事件は、日々緩やかに、継続する。

      
   
   

番外編-8- 平和的同時多発恋愛事件

   
         
(21)ハルヴァイト・ガリュー

     

 どこへ案内しようというのか、足元にぼんやりと浮かぶ蓄光ブロックに倣って、ミナミとハルヴァイトはうねる遊歩道をゆっくりと進んだ。

「アスカとジューくんあんま待たせたら悪ぃから、大体一時間で車寄せに戻れるルート…って、あんの?」

 始めの半分はほぼ独り言、後半はハルヴァイトに対する質問で締め括ったミナミが、非常用の弱々しい光を受けて薄い影を纏い付かせた恋人を仰ぐ。

「三十分進んで引き返せばいいのでは?」

「つうかそれはナシだろ。情緒なさ過ぎ」

「実際そんな事をしたら、退屈でしょうしね。散歩として」

「…判ってんなら言うなよ。でも、…あんたに情緒を求めた俺は負けかもしんねぇ」

 剣呑な無表情…相変わらず、そういう所ミナミは器用だ…で腕組みした青年の横顔を恨めしげに見つつ、ハルヴァイトはわざと溜め息を吐いてやった。

「この周辺地図は?」

「覚えてるけど?」

「そのデータが読み取れれば、一周一時間のルートを検索するのに一秒もかからないんですけどね」

 言われて、ミナミも今更ながら思い出す。地図で大まかな距離が測れればハルヴァイトは、二人の歩調に合わせて必要時間を即座に算出するだろう。

 でも、ミナミは地図を覚えられても、それが出来ない。計算。まぁ、「算数」みたいなものだから、時間をかければ危ういながらも答えくらい出るけれど。

「じゃぁ、あんたがどっかから地図読み取ればいいんじゃねぇの?」

「出来ない訳ではありませんが、わざわざ都市管理局のデータベースに違法アクセスするほどの事でもないでしょう?」

 肩を竦めたハルヴァイトにミナミは、それもそうだ、と頷いて見せた。

 だから結局二人は歩いて時間を計らなければならない。

 そう、普通に。

「…なんか、それって、ちょっと可笑しいよな」

 実際には幾筋かの遊歩道が交わる部分に案内板があるので、そこまで行けば周辺ルートが判る。それが判れば、残り時間で車寄せに戻るのは難しい事ではない。

「でも、さ。今な? 俺は上級居住区を走る全部の遊歩道とか、知ってんだよ。で、あんたはどの通りを使えばどこへどれだけの時間で辿り着けるのか、すぐに判んだよな。なのに、俺たちは結局、それ、いっこも使わねぇで、自分の足で歩かなくちゃなんねぇって、なんか、可笑しい」

 前方に視線を馳せたまま言うミナミの横顔に、ハルヴァイトが薄笑みを向ける。

「いつもいつも、手の内全部を使って生きなくてはならない訳ではないですからね」

 たまには、いいだろう。

 ゆっくりと、時間に押し流されても。

「ま、それもそうだな」

 波型を描く蓄光ブロックを視線でなぞりながら小さく答えたミナミの薄い唇が、孤を描く。

 無意識に速度を落としたミナミの傍らを、それまで半歩ほど後ろを歩いていたハルヴァイトが追い越す。とはいえそのまま距離を離す訳ではないので、半歩の半分過ぎたあたりで恋人もまた速度を落とし、暗く翳った鋼色越しに天蓋をなぞる流星を見ているのか、違うのか、微かに顎を上げた青年を軽く振り返った。

 少しだけ前にある、白っぽい背中。今日は珍しく光沢のある灰色に淡い蒼でストライプを描いたシャツと、サンドベージュのトレンチコートを重ねたハルヴァイトをいっとき見つめていたミナミは、衣擦れを厭うようにそっと、静かに、密やかに腕を上げ、小さな子供みたいに、彼の袖を…掴んだ。

 きゅ。と、微かに引かれて。

 ハルヴァイトが、面映い笑みを零す。

 まるで何もなかったかのように…またはそれが当然であるかのように…ハルヴァイトは正面に視線を戻して、ミナミに合わせて歩いた。たったそれだけで「世界」を平穏に保ちたい気持ちになるとは大袈裟な表現でなく、ただただ、この穏やかな瞬間が続けばいいと心底思う。

 そのまま少し進み、やや遊歩道が広くなってきたのにハルヴァイトが無言で辺りを見回す。それを見て、ミナミは独り言みたいに呟いた。

「そろそろ、辻じゃねぇかな。車寄せの位置から考えると…」

 あ、すげぇでっけぇ星、流れた。と、そこだけ無関係なことを言って頭上を指差したミナミに釣られてハルヴァイトも上空を振り仰ぐが、星など既に消えている。その間抜けさを青年は小さく笑い、悪魔が肩を落として嘆息する。

「流星は足が速い。これが彗星なら余裕なんですけどね」

「流星って、ちっこい「滓」みたいなモンなんだろ?」

「彗星から放出された塵、小天体と呼ばれるようですが、それが惑星に猛スピードで降り注ぐ事によって起こる化学反応が流星の正体ですよ」

「滓が燃えてんじゃねぇんだ」

「小天体自体が燃え尽きる現象ではなく、燃え尽きようとする時発生するガスの発光が「流星」として観測されるという事のようです」

「つうかそれ、なんか微妙にややこしくねぇか」

 どうやら天文学には興味がなかったのか、引き篭もっていた間相当数の本を読み、テレビを見ていたミナミにもその辺りは記憶になかったようで、すらすらと話すハルヴァイトから再度天上に視線を移して、ちょっと眉間に皺を寄せ、唸った。

「じゃぁ、その、彗星は?」

 ミナミがそこで、ふと思い付いたように問う。

「彗星には軌道があり、あんな風には燃え尽きないんですよ。消失や崩壊はあるらしいですが、流星のように流れてすぐ消える事はありません」

「軌道…って事はさ、彗星って、回ってんの?」

 まるで何かの授業みたいだなと思いつつ、ハルヴァイトは頷いた。

「太陽の周りを、と言っていいでしょうね。実際は円形軌道だけでなく楕円軌道もありますし、周期も、数百年、数億年というものありますから、あまり回っている感じはしないでしょうが」

「……でも、さ、彗星はずっと消えないでどこかに居て、いつか戻って来るかもしんねぇんだ」

 数ある彗星のうち、中には二度と持ってこない天邪鬼もいるらしいが、ハルヴァイトはあえてそれに触れなかった。

「そういうことですね」

 夜空を見上げるミナミの睫に、流星が降る。走る光がダークブルーに白く小さな軌跡を描き、薄笑みの唇を掠めて、消える。

 嫌な顔をされるかもしれないと思いつつハルヴァイトは、袖を掴んだミナミの手ごと左腕を引き寄せた。それで、上空に向けられていた青年のダークブルーがスライドし、見下ろす鉛色と見つめ合う。

「……」

 何か言おうとしたのか、それとも、詰めていた息を吐きたかったのか。微か戸惑うように視線を揺らしたミナミの薄い唇が開いて、瞬間、流星の代わりにハルヴァイトの唇が降った。

 触れて、離れる、冷たく乾いた感触。

 ミナミは無意識に下した瞼をゆっくりと上げ、笑う鉛色を咎めるように見据えた。

「…今のは不意打ちだろ、情緒がねぇ」

「おや、わたしに情緒を求めたら負けなのでは?」

「あんた…サイアク」

 ふぅ、とわざとらしく肩を落としたミナミを、ハルヴァイトが小さく笑う。そんな事を言いつつも、掴んだ袖を放さないのが微妙におかしい。

 再度ゆっくりした足取りで歩き出したミナミとハルヴァイトは、すぐに幾筋かの遊歩道を繋ぐ辻に行き当たった。直前、そこで地図を見て車寄せまでの時間を計ろうかなどと言っていた二人が、自然に、左手方向の端に立っている案内板に視線を流す。

 そこで。

「…つうか、これまた意外?」

「と、言ってしまうほど意外でもないでしょうね。元より、あの二人は揃って医療院に行っていたらしいですから」

「あっそっか。んじゃまぁ、奇遇くれぇで」

 うん。と頷いたミナミはハルヴァイトの腕を…袖を?…引っ張って、案内板の手前に立っている二人…言わずと知れた、ヒューとアン…に歩み寄った。

 すぐそれに気付いたのは、当然ヒューだった。というかこの銀色、彼らが姿を見せるのと同時、それが厄介な顔見知りだと気付いていたのだろう。そう広くない辻の外周に沿って近付いたミナミたちに驚いたアン少年が「あれ?」と惚けた声を上げた頃には既に、額に手を当てて天蓋を仰ぎ、嘆息していた。

「こんなトコできぐーだね、アンくん。デート?」

 胡散臭くもわざとらしくミナミが言えば。

「え!? あ、いや、デー…」

 トじゃないですよ何言ってんですかミナミさん! とアン少年が、ミナミに向き直り慌てて言おうとしたのを遮って。

「ああ、そうだ」

 ヒューが涼しい顔で答えた。

「って! 嘘でしょ、ぼくそんなの聞いてないです!」

 超高速で振り返ったアンが、ヒューの横顔を見上げて悲鳴を上げる。

「つうかなんでアンくんが一番驚いてるよ」

 必死になって首を横に振るアンにミナミが突っ込むなり、ヒューが噴き出した。

「てー! ぼくのコトからかいましたね、ヒューさん!」

「いや、本気」

「それ嘘だって。ぜってー嘘」

 素知らぬふりでそっぽを向き、睨んで来るアンの視線を振り払うよう顔の横で左右に手を振るヒューに、ミナミは呆れて突っ込んだ。

 きっと、ここに誰かが居ても居なくても、ヒューのアン少年に対する態度は余り変わらないのだろうなとミナミは思った。それで、随分振り回されているなと内心苦笑しつつ色の薄い少年を見遣れば、少年は、知らぬフリを決め込んだヒューからはもう視線を外して、相変わらずの無表情を崩さない青年に小首を傾げて見せている。

 切り替えが早いのか…、それとも。

「アンくんて意外に、そういうトコ、ドライだよな」

「はい?」

「………」

 唐突にミナミに言われてアンはますます不思議そうに首を捻り、ヒューが苦笑に頬を歪ませる。

「ミナミ、出来れば俺のために、その話題には触れないでくれないか」

 ここで溜め息でも吐いてくれれば少しは信用のし甲斐もあるのだろうが、言い終えた銀色の横顔を飾っていたのが面白がるような意味不明の薄笑みだったものだから、ミナミはうんざりと肩を竦めて言い返してやった。

「ヒューのためになんねぇんなら、是非とも掘り下げてぇ話題だな」

 それを聞いて、ハルヴァイトが笑う。

「笑うな、ガリュー。とっととミナミを連れてどこなりと行ってくれ」

「そうですね。班長がデートの邪魔をするなと言うのであれば、その通りにしますが?」

「…それは、こっちの台詞だよ」

 薄い闇に覆い被さる天蓋のそのまた向こうには、今だ途切れることのない流星。殆どの家の街路灯は落ち、遊歩道をなぞる蓄光ブロックと足元を微かに照らす非常用の丸い光だけが、ものの輪郭も定かでない暗がりに、ハルヴァイトのコートとミナミの金髪、ヒューの銀髪とアン少年の色の薄い金色をぼうと描いている。

 流星。

 ハルヴァイトはふと微笑んで、自分の頭上を中心に孤を描きながら流れているような錯覚を起こす流星を指差し、ヒューと、アンと、ミナミに、ゆったりと微笑みかけた。

          

「知ってます? 流れ星が消える前に願い事を三回唱えると、その願いは叶うそうですよ?」

       

 それにミナミは。

「そりゃ知らなかったな。つうか、あんたがそんな迷信臭ぇ話知ってるってのに、正直驚いた」

 それにアンは。

「あ、それ、どっかで聞いた事あります。アリスさんでしたっけ?」

 それで、ヒューは。

「――――――――――――――――――…」

 何か言いたそうな妙な顔をしたが結局何も言わず、辻に設えられている案内板を見上げて暗くて読めないとかなんとか言い始めたミナミとアンの背を眺め、始めて、小さく苦笑を漏らした。

 そこで、押し黙ったヒューを見て声を殺して笑っているハルヴァイトに気付き、胡乱な表情を向けてやる。

「なんだ、ガリュー」

「いえ。やはり班長は一枚上手だなと思いまして」

 人悪く喉の奥で笑いながら言われても有り難くない台詞だ。

「どこが」

 大体、急におかしな質問をするハルヴァイトが悪いと言わんばかりの不満げな声を、悪魔がまた笑う。

「わたしなら、「流星が消えるまでのコンマ数秒から数秒という極めて短い時間に願い事を三回なんて、言えっこないでしょう」と、正直に答えますよ?」

 正直に。

「言いかけて、止めたりしません」

 今の、班長みたいに。と、付け足されてヒューは、仕方なく大仰に肩を竦め、今だ星の流れる頭上を見上げて、盛大に、わざとらしく、溜め息を吐いてやった。

「出来上がってのうのうとしてるお前と一緒にしないでくれ。俺はこう見えても「選ばれる方」で、立場が弱いんだからな」

 言い返されて一瞬惚けたハルヴァイトが、案内板を指差すアンの小さな背中と、真顔であらぬ方向を睨んでいるヒューの横顔を見比べる。その、微妙に当惑した気配がどうにも可笑しかったのか、銀色は一秒ほど固い表情を貫くのには成功したが、次にはすぐ俯いて肩を震わせ、笑い出していた。

 果たしてハルヴァイトは、笑われた不愉快に顔を顰めてがっくりと肩を落とす。これでは、最初から最後までヒューの言葉のどれほどに「本当」が、どこまでに「嘘」が含まれていたのか、皆目検討も付かないではないか。

「そんなに世の中を穿って眺めて、嫌な気分になりませんか? 班長」

「別に穿って眺めた覚えはない。だから、嫌な気分に「なられても」、その逆は多くないよ」

 暗がりの中で悠々と腕を組むヒューを恨みがましく睨んだハルヴァイトが、首を横に振って見せる。

「班長は一枚どころじゃなく、二枚も三枚も上手だという事が、よーく判りました」

 拗ねたように言われて、ついにヒューはハラを抱えて爆笑し、案内板の前できゃあきゃあ言っていたアンとミナミが驚いて目を瞠り、その、笑い転げる銀色とそっぽを向いた鋼色の間で視線を何度も往復させた。

 天蓋の向こうの夜空では、今だ、細かな流星が休みなく奔り続けていた。

           

          

2007/05/10(2007/07/20) goro

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 事件は、日々緩やかに、継続する。