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番外編-8- 平和的同時多発恋愛事件

   
         
(20)ミナミ・アイリー

     

 送ってくれたアスカと、勢い連れて来てしまったジュメールを移動用フローターに残したハルヴァイトとミナミは、一時間後に戻ると言い残して、屋敷の間を縫うように刷かれた小路を歩き出した。

「にしても意外だったつったら、意外だったよな」

 二人の住む上級庭園中央辺りに比べて小振りな屋敷の多い周囲をつらつらと眺めていたミナミがぽつりと漏らすと、ハルヴァイトが別段迷うでもなく、すぐに「何がですか?」と問うて来る。だからその質問の真意が判らず、青年は無表情に傍らの恋人を見上げた。

 果たして鉄色は、青年の言葉に興味を持ったのか。それとも、「そう答えるのが常識的だから」という理由だけで記号に記号を返して来たものか、最近、ミナミにも判らないのだ。

「………」

 まるで夜空の一部になってしまったかのような天蓋に描き出された、ハルヴァイトの横顔。何を考えているのか、何を見ているのか、何を…探しているのか全てどうでもいいのか。端正過ぎる面からは何の感情も窺えず、ミナミは人知れず溜め息を吐く。

 全て知りたい訳ではない。

 でも、その人は、余りにも不透明過ぎる。

 そう、あの、ともすれば冷たい鉛色の瞳のように。

 なんとなく拗ねた気持ちになってハルヴァイトの横顔から正面に視線を戻す、ミナミ。恋人の発散する奇妙な空気を、都市ファイランの悪魔は薄く笑った。

 手狭な感じの否めない小路を当てなく歩きながら、ハルヴァイトは天蓋を見上げた。小さな星が忙しく瞬き、時折、ちかと光って流れ落ちて来る。

 意外。さて、果たして恋人の言う「意外」とは何を指すのだろうかと鉄色は考える。先にミナミの言った「意外」に対するハルヴァイトの返答は、純粋に、感情を含まない質問だった。

 それを、傍らで拗ねているミナミに言うべきかどうかハルヴァイトは迷った。きっと、言えば納得して貰えてこの微妙に重い空気も払拭出来るのだろうが、回答に至るには先ず時間的開始点を明確にし、プロセスを組み上げるに要したキーワードを提示、それからミナミの思考パターンを考慮するための質問を幾つかして内容を絞り込み、彼の思う「意外」という意外性を確立した上で残った可能性を明言せねばなるまい。何せ、現時点でハルヴァイトの思考内に駐屯する「意外」は酷く広範囲であり、無数であって、会話を続行するには少々…話題が多過ぎる、という状況なのだから。

 つまり。

 ハルヴァイトは、ミナミが思っているよりも真摯に、青年の発言を受け止めていた訳だ。

 ただし、面倒なので大幅に…というか九割方…内容を省略し、何が意外なのかと問い返した恰好だけれど。

 少し待っても口を開かないミナミの、妙に意固地な態度が可笑しかったのか、ハルヴァイトがついに小さく吹き出す。

「…何」

「あ。いえ…えーと、ですね」

 感情の死んだダークブルーでじろりと睨まれたハルヴァイトは、慌てて笑いを収め口元を手で覆った。これは最早観念し時か。拗ねても怒ってもミナミはかわいいが、出来れば、機嫌は悪くない方がいい。

「意外…というと…」

 仕方なくハルヴァイトはそこで、ミナミが「意外」と受け取りそうな事柄を瞬時に脳裡に浮かべた。

「ジュメールが無意識に自分を卑下していたこと。アスカがそのジュメールを「悪い意味で特別視」していなかったこと。アンと班長が二人でドクター・ノーキアスを訪ねたらしいこと。リリス・ヘイワード主演映画にベッカーが屋敷を提供したこと。そのベッカーの絡んだ騒動に、ドレイクが今だ大っぴらに首を突っ込んでいないこと。オーバーヒートしたタマリが迎えのルードを素直に受け入れたこと。それから…」

 とりあえず直近の事柄から遡って昨日の朝辺りまで進んでから、ハルヴァイトは急に何か思い出したように「ああ」と腑抜けた声を上げ、傍らでぽかんとしているミナミに顔を向けて薄く微笑んだ。

「イルシュがナイ小隊長と一緒に、メリル事務官の屋敷に遊びに行ったこと」

 と、それが実は一番最近だったなと、ハルヴァイトが内心ひとりごちる。

 すらすらと、それこそ整然と並んだデータを読み上げるように平坦な口調で言ったハルヴァイトの顔を暫し見つめていたミナミが、急に肩を落として嘆息した。なんだろう、この人は。というか、なんだよ、俺。というところか。

 ミナミは、判っていなければならなかったのに。

 そう、青年が一言「意外」と漏らしたら、この恋人は刹那でありったけの可能性を弾き出せる…。

 最凶最悪。

「概ねどれも正解」

 精一杯抵抗するつもりで「概ね」などくっつけてみて、ミナミはふいとハルヴァイトから視線を逃がした。なんだか、一人で拗ねていたのが恥ずかしい。いやいや、それでも青年の無表情は崩れないのだが。

「とりあえず、新しいトコではイルくんだけどな。いつの間に、そんなにナイ小隊長と仲良くなったんだ?」

「他の隊員に比べれば年齢も近いですし、電脳班に出向中のイルシュと、個人として一時的に協力させられた恰好のベッカーの上官であるナイ小隊長が接触する可能性は、常の状態より多かったでしょうからね」

 だからどこかだ、と言外にハルヴァイトは言う。

「―――…」

 どこか。どこでもいい。本当なら交わらなかったかもしれない「世界」と「世界」が偶然重なり合って、影響し合って、世界は広がるといい。良くも、悪くも、あるだろうが。

 それでもいいとミナミは思う。広がった「世界」を幸運と感じるか不運と嘆くかは、自分で決めれば「いい」。

 いつものように肩先の触れ合いそうで触れ合わない微妙な距離を保ったまま、ハルヴァイトとミナミはゆっくり遊歩道を歩く。

「そろそろ時間?」

「そうですね、あと数分でしょう」

 今だ皓々とした常夜灯を、ミナミは目を細めて眺めた。時折、天蓋に照り返す光の間を繋ぐように細い糸状の白が走る。

 流星。

「まぁ、でも、一番意外だったのは、ラド副長の件か…」

 王都警備軍電脳魔導師隊第九小隊副長、ベッカー・ラド。

 上げていた顎を引いて正面を向き直したミナミが吐く息に混ぜて呟くと、ハルヴァイトもそれには同意だったらしく、偉そうに腕を組んだまま頷いた。それで気をよくした訳でもあるまいが、薄い闇に映える金髪を軽く指で梳いた青年が、確認するように話し始める。

「元細君セシル嬢の件でラド家が派手に糾弾されたのは、半年前。その時点でラド副長とセシル嬢の離婚は決まってて、でも、細君はそれに同意してねぇつって、半狂乱で貴族会に駆け込んだ」

「事の発端は、細君の妊娠だったんですよね?」

 その、いかにも平凡な合いの手にミナミはなぜか足を停めて目を瞠り、涼しい顔のハルヴァイトを見上げてしまった。

「つうか、あんたがそれを知ってんのが今日一番の意外だ」

 どんな驚きだ。と内心突っ込みつつも苦笑する、ハルヴァイト。

「ドレイクが勝手に話すんですよ、執務室で。ベッカーといえばナイ小隊長繋がりでスゥから、デリラ。セシル嬢の方はサロンでも数少ないアリスの理解者だったらしく、ベッカーとの騒動の折にも随分心配していたものですから、直接手を出さないまでもそれぞれに対してある程度の情報を提示しているつもりのようです」

「…なのに、ミラキ卿…、ラド副長の件には全然噛んでねぇんだよな?」

 お家騒動、とでもいいのか。

「信じ難いほどの行動力を発揮して先手を打たれ、介入を拒否されてますからね、あのドレイクが。そこまで完璧に封じ込められては、知り得る限りの情報を集める程度しか出来ないでしょう」

 苦笑交じりのハルヴァイトの台詞に、ミナミが小首を傾げる。

「介入を拒否、「されてる」?」

 そこだけあえて言い換えられた部分に同意するように、ハルヴァイトは顎を引いて頷いた。

「ベッカー本人ですよ。貴族会でラド家当主が糾弾される。離婚を承諾していない元・細君がヒステリーを起こして駆け込む。連絡を受けたベッカーが現われる。

 水を打ったように静まりラド家の出方を窺うホールに入るなり、彼本人が「全て認める」と宣誓しています。

 そう…セシル嬢妊娠の「責任」以外は、全て、です」

           

「それまで認めちゃうとさぁ、色々、おかしなことになんでしょ?」

          

 問答無用で言い訳も弁明もなく、そんな重大問題で問い詰められているのなど嘘のような軽薄さで、ベッカーは言ったという。

「…確かに、セシル嬢の両親が言い出したラド家の「責任」と彼女の妊娠は、どうあっても同時に認められねぇしな」

 だから、結果としてベッカーは、彼女の妊娠と…中絶…の責任は負いかねる。それは、そちら――セシル・ドリー――の問題だろうと、この部分だけは強固に否定しなければならなかったし、実際、それは彼に関係のないのだし。

「そんな派手な騒ぎ起こした…ラド副長がさ? よく、あんだけのスタッフとか俳優とか、屋敷に入れる気になったなって、思う」

 ようやく沈静化し始めたあの騒動を蒸し返すような事にならなければいいがと青年は、この先暫くラド邸に厄介になるだろうムービースターを含む「彼ら」を案じた。

「確かに、ドレイクも奇跡だって言ってましたけどね」

 前方なのか天蓋なのかを見つめたまま歩くミナミの白い横顔を見遣ってから短く答えたハルヴァイトが、それきり口を閉ざす。

 ミナミの杞憂を思い過ごしで片付けるには、まだ、決定的な要素が足りない。逆に、ただの思い過ごしを重苦しい杞憂と言い切るにも、決定打はない。

 どっち付かずとも言えるその曖昧さに、ハルヴァイトは気持ちの悪さを感じる。だからといってそれを解消したいと思うでもなく、何か「事件」が起こったならばいち早く馳せ参じてやろうとも思わないのだが。

 結局、それがミナミを煩わせなければどうでもいいのか。万一、ムービースターと渦中のラド家当主が原因で恋人が心を痛めるような事態になれば、まぁ、おっとり刀で登場し完膚なきまでに全てを叩き潰し、まっさらにクリアにしてやろう、くらいはちらりと考えたけれど。

 数歩進んで、不意にハルヴァイトは笑いたい気分になった。これは目覚しい「心の発達」か。下手をすればそんな些事などどうでもよく、誰がしあわせになろうが不幸になろうが、もっと極端に、生きようが死のうが「そういうもの」だと割り切って不介入…というよりも無関心…を貫いてきたハルヴァイトにあるまじき、攻撃的思考だ。

「…何にやにやしてんだよ…」

 気持ち悪ぃ。と付け足されて、ハルヴァイトはあからさまに落胆した顔で肩を落とした。

「他に…言い方はないんですか」

 よりによって気持ち悪いとは、恋人が冗談で言うにしても酷すぎる。

 わざとのように落ち込んだ表情で俯いたハルヴァイトの傍らで、ミナミはくすくすと笑っていた。それを咎めてやろうと意を決して顔を上げ、半歩先に出た恋人の名を呼ぼうとハルヴァイトが口を開いた瞬間、パッと周囲が淡い闇に飲み込まれる。

「始まったな」

「そうですね」

 一瞬足を停めたミナミが、暗がりに仄白く映える面を上げて常夜灯の残影消えた天蓋を見上げる。毛先の跳ね上がった金髪と長い睫の先端に吸われるように、瞬きながら燃え尽きようとする白く小さな星々が流れていた。

 幾十も。

 幾百も。

 幾千も。

 幾億も。

 数多。

 振り上げた視界を縦横に奔る小さな煌めきに誘われるように、ミナミはゆっくりと振り返ってハルヴァイトに視線を向けた。光。光。小さくて弱々しい光。白く鮮やかで明らかな光。光の軌跡。頭上に広がる星空を無秩序に跳ね回るかのようなそれらは…。

 しかし、照り返すべき光を失った悪魔の鋼色と鉛色には、一片も存在しない。

 まるで、その人の抱えた底知れぬ闇色を見た気がした。

 凍り付いたダークブルーから注がれる温度のない視線に気付いてか、ハルヴァイトは問うように小首を傾げてミナミに微笑んで見せた。それで、彼から感じられていた無機質感が吹き消され、青年は内心安堵の吐息を漏らしつつ首を横に振る。

「―――手、繋ぎましょうか」

 何を思ったのか、相当押し殺した笑いを含んだ声でハルヴァイトが言うなり、ミナミは速攻で「ヤだ」と返しさっさと正面に向き直った。その反応は…正直判り切っていたので、あまり気落ちしない。

「そういう風」にハルヴァイトを見つめるミナミは、彼に触れることも触れられる事も嫌がる。だから、これもまた目覚しい「心の発達」だと悪魔は思っていた。

「それは、残念」

 心にもない台詞をさらりと吐いてからハルヴァイトは、足早に遊歩道を歩き進む恋人を追って、少しだけ歩を急がせた。

  

   
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