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番外編-9- ゴースト

   
         
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<王下特務衛視団執務室(会議室)>

「幽霊!?」

 言い終わるのとほぼ同時に上がった素っ頓狂な声に、その話を持ち込んだ王都警備軍一般警備部第二十一連隊長カイン・ナヴィは、妹アリスに似た顔を照れ笑いと困惑のない交ぜになった表情で飾り、うん、と弱々しく頷いた。

「何よ、それ。カインくんがえらく真面目な顔で「電脳班の皆様に相談が」なんて言うから忙しいのに無理して召集してみればそんなくだらない話だなんて、あたしの事ナメてんの?」

 コの字型に並べられた長テーブルの、上座から見て左側一人目に着いていたアリスが、印象的な赤い髪をガラ悪くかき上げて情け容赦なく吐き棄てたのを、向かいに座すアンとデリラが乾いた笑いで見ている。なんというか、凄い画像(え)だ。まるで尋問でもされているかのようにコの字の中央に座らせられたカインと、それを囲む電脳班の面々。恐縮して小さくなっている連隊長に先から率先して遠慮なく文句を言っているのが良く似た顔立ちの妹だというのが、微妙に申し訳ないというか、笑いを誘う。いや、笑っている場合ではないのだが。

 実際は、「幽霊」などという非科学的単語を耳にした瞬間、アリスと似たような感想を誰もが抱いたのだけれど。

「…幽霊たぁ、随分気の利いたネタだなぁ、カインくん」

「つうか、ミラキ卿も容赦ねぇ…」

 このまま放って置いたらアリスが何を言い出すか判らないと思ったのだろうドレイクが助け舟のつもりらしい呟きを漏らすなり、上座に着いていたミナミが呆れて突っ込む。言われてみれば、どこもカインの助けになっていない発言だ。

「ゆーれーですかぁ」

 最早半泣きのカインを平坦な表情で見つめ、今度はアン少年がぽつりと呟く。

「う…、ルー・ダイ魔導師は、信じてくれないの?」

 胸の前で両手を固く握り締めたカインが縋るような声で言うなり、アンがちょっと弱ったように眉尻を下げて小首を傾げた。なんだろうこの弱々しい小動物みたいな人は、と内心苦笑というか呆れた薄笑みも洩れたが、年長者に対して非常に失礼な感想だと思い直して、その件には触れないで置く。

「幽霊を信じているのかどうかって質問でしたら、申し訳ないですけど、信じてないです」

 そのきっぱりした否定の台詞に、ミナミが肩を竦める。

「アンくんて、普段そうでもねぇワリに、中身はしっかり魔導師的だよな」

「中身? って…」

 大きな水色をきょとんと見開いたアンの子供っぽい顔を、隣のデリラが笑う。それに剣呑な表情を向ける少年だけではなく、室内の全員に聞かせるように、ミナミは言った。

「人間には魂があって、なんて話をさ、魔導師てのは信じてねぇつうか、人間の意識、働きが脳の出す電気信号に支配されてるって判ってるから、「魂」なんてねぇってんじゃねぇけど、そんなモンが身体から離れてこの世に存在する訳ねぇ。みてぇな考え方つうのかな」

 言われて、その場に居合わせたアンとドレイク、先から一言も発しないで成り行き見ているハルヴァイトさえも、思わず苦笑を漏らす。

 例えば、「魂」というのが死者の「意志」であったり「死後尚果てぬ望み」であったり、「自らが不在であろうとも達成されるべき目的」であったりすると仮定するなら、それは永劫生き続けるものだと彼らは思う。それはつまり後世の者が記録媒体や口伝えで引き継ぎ継続させようとして繋がり続くものであり、死者が生前の姿を持って訴えるような現象とは、少し受け取り方が違うのだ。

 だから死者が生前の姿で現れる「幽霊」などというものは、映画か小説の中の荒唐無稽な物語の登場人物で、実際そこここに居るものではない。

 しかし。

「僕だって最初は信じてなかったよ。でも、実物見ちゃったらどうしようもないでしょう!」

 涙目で訴えるカインをテーブルから少し離れた壁際に立ったまま眺めていたヒューが、内心嘆息する。噂以上の情けなさのわりに、誰もが怯むであろう電脳班の面々に囲まれてもこのマイペースさを崩さない辺り、なるほど、実は相当手強い相手なのかもしれない。

 なぜか、孤立無援のカインに潤んだ瞳で睨まれたデリラが、額に冷や汗を滲ませる。どうやらこれは、魔導師連中とアリスを除いて、一番まっとうな人間…でもないかもしれないが…という立場上友好的な発言をしろという意味のようだが、果たして、何を言えばいいのやら。

「幽霊つったらねぇ」

 茶色のボウズ頭をがりがり掻きつつ俯いたデリラが、力なく話し出す。

「スゥがね、怖がるんスよね」

 その、もしかしたら意外な発言に、室内の視線がデリラの困り顔に集中した。

「大抵の人間にしちゃ、信じてねぇけど怖いってぇ、訳のわからんモンじゃねぇんですかね、幽霊なんてのは」

「スゥさんは、幽霊信じてねぇの?」

 怖がるけれど、信じて居ない。

「ねぇっスね。でも、怖がるんスよ。現実に居たら怖いだろうってのが、スゥの主張ですがね」

 呆れたように肩を竦めたデリラの発言に、誰もが奇妙な心持ちで納得する。信じて居ないなら怖がる必要などない。でも、現実的な事象として目の前に押し出されたら怖いと思う。種類の違う「恐怖」はしかし、どちらも恐怖であるのに他ならない。

 さて。

 入室し着座して、緊張した面持ちのカインが話すのを聞いても今の今まで感嘆の声さえ漏らさなかったハルヴァイトが、組んでいた腕を解きテーブルの上に置き直すと、ふっと吐き出すように笑った。蔑んでいるでもない、面白がっているのでもない、酷く複雑でどこか攻撃的なその笑いを、誰もが不審そうに見つめる。

「話を元に戻しましょう。まず、幽霊です。カイン連隊長の他、連隊の隊員が何名も目撃しているという、幽霊。信じるか信じないかは別として、連隊長以下第二十一連隊の面々は、見たんですよね?」

 噂話も自分の主観も関係ない事実としての「幽霊」を、ハルヴァイトは確認する。

「うん、見た」

 真剣な面持ちで大きく頷いたカインから、口元の薄笑みを消さないハルヴァイトに視線を移しても、側のミナミは無表情を貫き通した。悪魔の意図は図れない。でも何か、彼の中では答えのようなものが出ているのだろうか。

「手も振れていないのに物が動き、携帯端末は誤作動し、乾いた音が周囲で断続的に上がるという、怪現象も」

「起きたよ」

 それで連隊長を含む隊員が怯んでしまって件の「建物」調査は進展せず、カインは電脳班に泣き付いて来たのだ。

 つうか、よくこんな眉唾な話を陛下が…いくらカインとも懇意だといえ…電脳班に回してよこしたなとミナミは、その時になってようやく思った。

 もしかして、裏があるのだろうか?

「その「建物」の取り壊しには、何か重要な意味があるんですか? ミナミ」

 青年の胸に沸いた小さな疑問を打ち消すような平坦な声が、傍らの青年に伝わる。

「一般居住区の区画整備事業だよ。今年度は三十丁番台の一部の空き家を統合して、区画整備事業初期段階に建築された建物を新しくする予定」

 無表情にカインを見つめているミナミに顔を向けたハルヴァイトが軽く問うなり、青年は室内をぐるりと見回しながらすらすらと答えた。

「その為に、初期建築のアパルトメントや戸建て住宅居住者を移転させて空き家を纏め、解体しようという計画ですか」

「うん。ただし、ナヴィ連隊長の言う問題の物件は、もう二十年も前から誰も住んでなかったけどな」

 特別住宅事情が悪いという訳ではないが、限られた国土…浮遊都市…内部の事だから、あまり余裕がある訳でもない。その中にあって、一般居住区三十番台といえば近くに商用地区を持ついわばベッドタウンで、そこに二十年も住宅を遊ばせておいたというのは、どうにも怪しい。

「なんで二十年も空き家だったの? そこ」

 室内を代表して赤い髪の美女が質問する。

「移転希望者は居たらしいんだけど、下見段階で断わって来る、って注釈だけだった」

 と、いう事は?

「じゃぁよ、そこにゃぁもしかして、二十年前から幽霊が棲んでたって、そういう事なのか?」

 真白い眉を吊り上げてテーブルに頬杖を突いたドレイクに、ミナミが首を横に振って見せる。

「それは、どうだか判んねぇ。住宅調書には移転契約成立せずってしか書いてねぇし」

 移転希望者は下見に行く。

 しかし、下見を終えると、断わって来る。

 二十年。

 何かの理由で。

 二十年間。

「100%出るのか。それは随分マメな幽霊も居たもんだな」

 ハルヴァイト以上に居たのか居ないのか判らなかったヒューが、ドアの横に立ったまま呆れたように呟いた。それで思わず室内の視線が集中しても、銀色は大仰に肩を竦めただけで何か言い足そうとはしない。

 言われてみれば確かに、随分人好きの幽霊だとミナミも思う。

「…幽霊ねぇ」

 そこでようやくやや腑抜けた呟きを漏らしたハルヴァイトが、こめかみを指で叩きながら足を組み替え、肩を落とした。

「実のところ、皆様の期待を裏切って大変申し訳ないのですが」

「いや、だったらもうちょっと申し訳なさそうに言えよ」

 いつも以上に偉そうな口調で言ったハルヴァイトに、ミナミ、すかさず突っ込む。

「…つうか、何が申し訳ねぇって?」

 そこで青年は、純粋に疑問を抱いて首を捻った。

「幽霊ですよ」

 室内を巡った鉛色が最後にミナミを捉え、先から一度も逸れなかったダークブルーと噛み合う。

「幽霊? まさか、見た事あるとか言うなよ」

「まさかわたしでもそこまでは言いませんが、信じているかいないかというお話でしたら…、どちらかといえば信じてますよ? わたしはね」

 苦笑も自嘲の笑みもなくハルヴァイトは、呆気に取られる室内を置き去りにしてさらりと、本当にさらりと、衝撃の告白をした。

  

   
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