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番外編-9- ゴースト

   
         
(2)

     

 <王下特務衛視団電脳班執務室>

 眉間に皺を寄せて難しい顔をしながら端末のキーを叩いていたアリスが、ついに盛大な溜め息を吐いて椅子の背凭れに身体を預ける。

「こっちだって別に暇じゃないのにカインくんの持ち込んだ仕事を引き受けるなんて、それっていかにもハルらしくないと思わない? デリ」

 過去二十年間の件の建物についての資料を収集していた赤い髪の美女が呆れたように言うなり、同様に移転申請関係の書類を捜していたデリラが肩を竦めて苦笑した。

「らしくねぇつっちまえばね、幽霊なんてモンを大将が信じてるって、それこそらしくねぇんじゃねぇのかね、ひめ」

 ハルヴァイトが幽霊に関心を示した所から、そもそもらしくない事尽くめだったのかもしれないと考えを改めて、アリスが内心嫌な方向に納得する。そう思えば結果、最初から最後まで誰しもの予想を裏切る、素晴らしくハルヴァイトらしい行動と言われればそれまでか。

「ただし、それが世間一般に言われるオカルト話の「幽霊」かどうかというとかなり怪しいなんて言ってたけど、あたしに言わせればそのハルの発言の方が怪しいわよ」

 また何か突拍子も無い事を考えているようならば今の内にシメて諦めさせようかとアリスは真剣に悩み、周囲がごちゃごちゃ言ってもやると言ったら絶対退かない迷惑上官のために、デリラは黙々と作業に勤しんだ。

「そういやぁ、葬祭部の最高司祭呼んどけなんても言ってたっけね」

 もしかして、本気でお祓いでもするつもりなのか、ハルヴァイト。

「最高司祭? 誰よ、今」

「葬祭庁第五十四代司祭筆頭は…」

 これはもしかしたらアリスの作業なのではないだろうかと内心眉間に皺を寄せつつ、デリラが端末を操作する。城内組織図の片隅、少し離れた位置に小さく記載された「葬祭庁」という文字をクリックすると、ポップアップウインドウが一つ立ち上がった。

 それを見て、デリラが思わず目を瞬く。

「ジュサイアース・メルヒカニ? ってぇ、小僧っこだね」

 だらけた態度で椅子にふんぞり返っていたアリスが、端末に送られた肖像写真をオープンにし、やっぱりきょとんと目を瞠った。

「王城幹部の若年齢化が激しいわね、最近。どう見ても、十五、六歳じゃないこのコ」

 小さなウインドウの中、純白を淡い灰色のラインで縁取ったカソックを身に纏って微笑む少年を凝視して呟く、アリス。

「年齢非公開になってるけどね」

 色の白い、線の細い少女のような風貌の少年は、白と見紛うばかりの薄い灰色の頭髪を襟足に掛かる程度の長さで綺麗に整えた、いかにも聖職者らしい印象だった。

「まさかそれ以下って訳じゃないでしょうね…」

 今回の仕事は先が思いやられるわ、とぶつぶつ言いつつアリスは、呼んでおけと言われたから、とにかく、司祭に王城電脳班執務室へ出頭出来る日を問い合わせるための通達を作成し始める。

 それで室内にはかたかたとキーボードを叩く音と、ファイルのダウンロード終了を告げる電子音と、時たまデリラが退屈そうに肩を回す衣擦れだけに沈んだ。カインの持ち込んだ幽霊騒動に興味を示したハルヴァイトは、ドレイクと一緒にミナミの執務室に呼ばれている。

 残る一名、アンは、早速件の建物の周辺住民に聞き込みに行けと命令されて、ミナミに着いて来ていて運悪く話しに首を突っ込んでしまったヒューと共に、早々に下城した。なぜかその時、アンが一人で大丈夫だと銀色の同行を頑なに断わっていたのが印象的だったが、結局、少年に何かあったら困るというミナミに押し切られたようだった。

「確かに、班長と一緒じゃ必要以上に目立つものね」

 ぷちり。と出来上がった通達を送信し終えたアリスが、デスクに頬杖を突いてくすりと笑みを漏らす。

「まぁ、目立つなっつえば、居るんだか居ないんだか判んないようにすんのだって、班長にゃ出来んでしょうけどね」

 まぁねぇ。と呆れたような笑いを含んだ声で答えたアリスが、ふと思い出して再度デリラに顔を向けた。

「ところでデリ。スゥ、例の件、何か掴んだって言ってた?」

 例の件?

「言ってねぇね。メリル事務官にも色々聞き込んでるみたいだけどね、全然、これっぽっちも、尻尾も見えねぇらしいね」

 例の件。

「キャロンからの有力な情報もないし、一体…」

 誰なのよ、アンの好きな人って!

 と、アリスが眉間に皺を寄せて天井を睨んだ。

 その話題、アンの婚約破棄事件に始まってキャロン入隊以降も継続調査中ながら、関わった人物の誰もがその「好きな人」というのに当たりも付けられない状態が続いて居る。途中何度が本人を脅して口を割らせようとしたり、ヒューを使ってさり気なく白状させようとしてみたりしたのだが、最早本人は気配を察すると逃亡、ヒューは「下世話」の一言で協力を拒否と、芳しい結果が出ていないのだ。

「なんつか、それこそ幽霊みたいなモンだよね」

「キャロンなんか、その場凌ぎの出任せだって言ってくれた方が信用出来そうとまで言ってるわよ? 最近」

 ホント、誰なんだろう。とアリスが呟き、デリラも溜め息を吐きつつ小さく頷く。

……………周囲が鈍いのか、はたまた、本人たちの振る舞いが一枚も二枚も上手なのか………。

 最早何が悩み事なのか不明な空気が室内に流れ始めた頃、ミナミに呼ばれていたドレイクがうんざり顔で戻って来た。

「おかえり、ドレイク。それで? ハル、結局やるって?」

 正体不明の「幽霊」調査を?

「やるどころじゃねぇよ、全く…。なんだか知らねぇが途中でよ、幽霊幽霊ぶつぶつ言ってたミナミが、急に乗り気になっちまって」

「「はぁ??」」

 幽霊発言以後、かなり鋭くハルヴァイトに突っ込んでいたはずのミナミが、今になって乗り気になる理由とは?

 思わず顔を見合わせたアリスとデリラに苦笑を向けたドレイクが、疲れたようにソファに腰を落とす。

「なんでもよ、ミナミが言うにゃぁ、ハルと「幽霊」の定義で合意したらしいぜ?」

 なんだそれは…。

 ますます不思議そうな顔で首を捻り合う赤い髪の美女と悪人顔の部下を眺め遣りつつ、ドレイクは仕方なしに肩を竦めて、自分の膝に頬杖を突いた。

「とにかく、言われた仕事だけきっちりやっとこうや。暇見て、ハルがミナミと現地調査に行くらしいしな。で、ハルの言う通りなら、二度と「幽霊」なんて出なくなるそうだ」

 果たしてなんの根拠があってそんな事を言うのか、ハルヴァイト。

 と、思ったが、その場に居合わせた誰もが一秒後には、その疑念など明後日の方に蹴飛ばしている。

 何せ、ハルヴァイトだ。おまけに、ミナミまで合意しているとなれば…。

「実はもう、アタリがついてんでしょうね」

 ははは、と乾いた笑いに載せて呟いたデリラの独り言に、ドレイクとアリスは激しく同意した。

         

        

<王下特務衛視団衛視長(室長)室>

 ドレイクが退室した後。

「幽霊な。うん、まぁ、確かに「幽霊」ってのが一番しっくり来んのかもしんねぇ」

「姿も見えず明確な存在も確認出来ない。しかし、「それ」はそこに在る訳ですから、幽霊などと呼ばれても仕方ないでしょうね」

 偉そうに足を組んでソファに座すハルヴァイトを無表情に見つめ、ミナミが小さく首を竦める。幽霊を信じているなんて言い出すから、一体今度はどんな脳内反応だと思っていたら、なるほど、理由はミナミにも…唯一臨界の秘密を共有する恋人だからか…納得の行くものだった。

「他に説明しようもねぇし、どうせだからこのまま「幽霊」って事にしといた方がいいか」

 ミナミのかなり投げ遣りな台詞に、ハルヴァイトがくすりと笑う。

「今まで、調査を一般警備部で行なっていたのが幸いでしたね。下手に魔導師など近付けていたら、それこそ話が大きくなるところだったでしょう?」

「大掛かりなお祓い騒動になるとこだな」

 どうやら既に「幽霊」のなんたるかに思い当たったらしいハルヴァイトとミナミが、顔を見合わせてうんざりと肩を落とす。そうなると、真相を知っているだけに十割ばかばかしい、本当の気休めに付き合わされるところだった。

「ってー、アンくん、実地調査に出たんじゃね? もしかして」

 少年は大丈夫なのかと、少し心配するような空気を発散する恋人に、悪魔が涼しい顔で答える。

「敷地には入らず、周辺住人への聞き込みだけを指示しましたから、大丈夫でしょう」

「ヒューにも言った?」

 無表情に小首を傾げたミナミを、ハルヴァイトが少し不思議そうな顔で見つめ返した。

「いや、言いませんでした。それが、何か?」

「…んー。まぁ、言っとけば万全だったかなって、その程度」

 少年に危害の及ぶような事になろうものなら誰よりも先に気付くだろうヒューが一緒なら、特別に警戒しろと言わなくても大丈夫だろうとその時、ミナミも、ハルヴァイトも思った。

 まさかそれが、突拍子も無い「幽霊騒動」を引き起こすハメになろうとは、知らずに。

  

   
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