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番外編-9- ゴースト

   
         
(25)

     

果たして、殺風景な部屋の中央に持ち出された椅子に座らせられた少年は固い表情でたどたどしく言葉を紡ぎ、そして、口を閉ざした。

目の前の、外見だけはアンであって中身はまるで別人…ステラは少年を「ジャスパー」だと断言したが、そもそもその「ジャスパー」がなんなのかは説明しようとしなかった…が繰り出した突拍子もない告白に、同室しているカインとギイルとステラ、クラバイン、果てはドレイクまでもが困惑の表情を隠せない。

「…つまりですね」

「いや、いきなり結果からはねぇだろ」

当惑交じりの睨み合いに飽きたのか、壁際に置かれた一人掛けの椅子に腰を下ろして肘置きに頬杖を突いていたハルヴァイトが今にも欠伸しそうな声で言ったのに、待ってましたとばかりの勢いでミナミが喰い付く。

「詳細はさて置き」

「無視か、俺は。つか、俺はいいとしても、詳細は無視すんなよ」

「では、詳細は後回しで」

「てえか、正直に最後の仕込みがまだだからそれは後回しとか言っとけよ」

「わたしと正直がイコールで繋がらないんですが?」

「それ、自分で言うなよ、あんたも…」

無表情に呆れた溜め息を漏らしたミナミに、ドレイクは何か…そう、具体的な台詞が出ないもどかしさを抑え付けて何か言ってやりたい気分になった。なにやら事情の判っている二人は暢気なものだが、こちらはそうも行かない。

「待て、おめーら。痴話喧嘩は家に戻ってからゆっくりやりやがれ。で? つまりなんだってんだ、ああ? ハル」

不機嫌丸出しの剣呑なドレイクの声に、椅子の中で小さくなっていた少年がびくりと肩を揺らす。

その様子を視界に納めたまま、だからといって特にフォローする素振りも見せずに、ハルヴァイトは尚も退屈そうな顔で話し始めた。

「幽霊屋敷の幽霊が二十年も保身したのはロミー・バルボアとの約束を守るためで、アンの身体を使ってそこから逃げ出した…、正しく表すなら移動したという事になるんでしょうが、そうしたのは、ロミー・バルボアと医療院に入院していた「アンディ」という少年との約束が今だ継続中だと知らせるためだったという事です」

つまり、少年…「ジャスパー」は。

「二十年間その事だけを考えてて、行動したって訳か…」

まるで忠実に主人の命令を守り通す、従者のように。

時の停まった、二十年。

所在なさげに椅子の中で小さくなった少年を見つめていたステラの翡翠が、ふっと優しく緩む。アンディ・ベルスの真相を知っている彼女だけが、一足先にこの事象の意味を理解した。

「じゃぁよ、おめーはその目的を果たしたから、こうして俺たちの前に出て来たってのか?」

未だ残る様々な疑問のうち、ここが医療院だからだろう、ドレイクが少し首を傾げるようにして問うなり、少年の薄い肩がまたもぴくりと強張る。

「それ…は…」

緊張に蒼褪めた顔を伏せる少年の傍に、音もなく白衣が寄り添った。

「アンディ・ベルスは七年前に死亡している。結果だけを言うなら、アンくん…今はジャスパーなのか…、は、間に合わなかった」

沈鬱な室内が、ステラの固い声で益々重く沈む。

「そうですか…。

彼は間に合わなかった。ロミー・バルボアもアンディ・ベルスも既に鬼籍に入り、彼は、一人この世に遺されてしまった」

何の感情も含まれない淡々としたハルヴァイトの台詞は、事実を確認しただけだった。そこには寂寥も憐憫も存在しない。する事が出来ない。

これは、悪魔。

天使の幸せだけを願っている。

そして。

「俺は、そうは思わねぇよ」

天使は、全ての人のささやかな幸せを望んでいる。

アンの座る椅子の背凭れに片手を置いたステラをあの観察者のダークブルーで見つめたまま、ミナミは淡い色合いの唇を開いた。

「確かにさ、ロミー・バルボアが当初考えてた計画はダメになったかもしんねぇけど、その気持ちつうの? 誰かを慰めるために何かしてぇって、それは今「リビングアニマル」って形でちゃんと動いてるって、俺は思う。実際、それは一般にも発売されてるけど、医療関係の施設に寄付されてるのもあるしさ」

ここ数年、ファイランではアニマルセラピーという新しい医療行為が用いられている。彼らは愛らしい姿で人の心を癒し、話し相手になる事で世界と自己との均衡を図ってくれて、時に荒んで暴言を吐く人間に愛想を尽かす事もなくじっと待つ。

「…そういえば、新型のリハビリ補助機器として医療院にも導入が検討されていたな。まだ開発途中で試作機止まりらしいが、次のは、ヒューマノイドタイプらしいぞ?」

「二足歩行に難問があって、外装変えするしかねぇって話だけどな」

ステラの呟きに、ミナミがさらりと返す。

この短時間で何をどう調べて来たのか。

「ロミー・バルボアをネオ・ロード社に採用したのは、当時の社長、今は会長職に就いてるダナウェイ・バスラヘムだったんだよ。

私立の機械工学系大学院在学中に家族が入院して医療院を訪ねたロミー・バルボアは、防護服を着て中庭を散歩中だったアンディ・ベルスに会い、彼の病状を知った。大学院卒業後別の大学院で看護課程を履修したロミー・バルボアは、進んでアンディ・ベルスの入院してた特別病棟に勤務願いを出し、採用されてる。

その頃から、ロミー・バルボアは「リビングアニマル」みてぇなモンを作ろうって考えてたのかもしんねぇ。当時のアンディ・ベルスは酷い我侭で癇癪持ちで、看護師たちは相当手を焼いてたって話だったしさ。

………、物心付いた…生まれた時から誰の温かさに触れた事もなくって、ビニール越しの世界しか知らなかったアンディはさ、多分、世の中を妬んでたんだと…俺は思うよ」

触れられない世界。

触れてくれない世界。

優しさは判る。

でも。

実感出来ない。

俺は別に、妬んでねぇけどな。と小さく漏らしたミナミの無表情を捉えて、ドレイクは渋い顔をした。アンディとミナミは、違う。しかし、共通点がない訳でもない。

全てから拒絶された少年と。

全てを拒絶した、ミナミ。

「医療院での仕事の傍ら、ロミー・バルボアは寝る間も惜しんで「リビングアニマル」の前身になる学習型人工知能搭載機の設計図を引いた。それがある程度形になって、実際試作機で試さなくちゃなんねぇってなったところで、直接ネオ・ロード社の社長に掛け合った。

時間がない。必ず成功させる。権利も利益も何もいらない。だから、これを作らせてくれ、ってさ」

情熱と、焦燥。

アンディ・ベルスに残された時間は多くなく、だから、ロミー・バルボアは直接ダナウェイ・バスラヘムに話を持ちかけたのか。

「多少の紆余曲折はあったにしても、ロミー・バルボアは自由に研究出来る場所を手に入れた。でも、そっちに専念するためには医療院を辞めなくちゃなんねぇだろ? それでロミー・バルボアは、唯一の気がかりだったアンディ・ベルスと一つ約束をする」

それまでどこか虚空を見つめ淡々と話していたミナミのダークブルーが、少年の小さな顔に移った。

         

「ロミーはアンディに、僕が戻るまでいい子にして。そしたら、君に友達をあげる。って言ったって、言ってた」

       

真っ直ぐにミナミを見つめ返した少年が、固いながらもきっぱりとした声で答える。

「ってのをさ、もっと早くに俺たちが知ってたら、多分俺はすぐにドクターを押さえて、こんなに騒ぎが大きくなる前に、解決出来てたかもしんねぇ。でも、俺たちがこれを知ったのは、ヒューが城を突破して上級庭園に向かったって聞いてからなんだよな」

それはこちらの落ち度だとでもいうように、ミナミはわざとらしく肩を竦めた。

「だからといって、ミナミさん…。事実が全て、スレイサーが二十一連隊と警備部隊を混乱させてここまで来た事を正当にする理由にも、規範逸脱行為自体が許される理由にもなりません」

束の間室内に降りた静寂を破ったのは、先の少年以上に固いクラバインの声だった。

「――まぁ、理由がなんであれ、一旦特務室に連絡して指示を仰ぐってのがセオリーだとは思うしな」

実害はないが同じ特務室に詰める者としてその独断は頂けないと思ったのか、まるで椅子に縛り付けられてでも居るかのように動かない少年を気にしつつも、ドレイクが吐く息混じりに呟く。理由は判った。もしかしたら、これは二十年越しの美談かもしれない。しかし、こちらは実害ありまくりで一般居住区から上級庭園まで走り回らされたカインとギイルが、顔を見合わせる。

「うん、それは、俺だって判ってるつもり。でもさ、俺は、最初からずっと引っ掛かってた事がクリアになったから、それでいい」

別にヒューを庇うつもりはないのだろうミナミは、無表情に少年を見据えたまま抑揚なくクラバインに言い返した。

「だから、俺はさ」

ミナミのダークブルーに映るのは、厳冬の晴天を思わせる水色の瞳と、色の薄い金色。今は白い頬を緊張に強張らせているが、その顔立ちは最早二十歳になろうかというのにどこかしら幼く、清潔で、柔らかく、温かい。

ミナミは、気付いている。

ハルヴァイトは、判っている。

もしもあの場所に赴いたのがヒューとアンではなくミナミとハルヴァイトだったとしたら、この騒ぎは、最初から起こらなかったはずだと。

「この件に関してだけは、例えば室長の言う事が絶対的に正しかったとしても、俺は、室長に反対する」

天使は。

佇むクラバインにミナミがゆっくりと顔を向ける。白磁を思わせる滑らかな肌を底の知れないダークブルーと永遠に輝きを失わない黄金色で飾った青年は、薄く形のいい唇にいつもは形を潜めている強情さを載せて言い切った。

「ヒューは、処分させねぇ」

「ミナミさん」

一歩も退かぬ気概をいつも通りの無表情に窺わせたミナミをクラバインは、どこか苛立ったように睨んでいる。元より、ミナミは特にヒューと仲が良く、ハルヴァイトが絡もうと絡むまいと盛大に迷惑も掛けるが、他の衛視には見せない我侭なところや甘えた所も隠さない兄弟にも似た関係だと、室長室で二人がじゃれている様を見かけている上官は思っていた。だから、もしそこに私情が絡んでいるのだとしたら、どうあってもミナミの意見を聞き入れる訳には行かない。

複雑な内情を押し殺した、冷たい表情。取り立ててあれこれと評ずる気持ちも起きない、極端に平凡な容姿をますます曖昧にする銀縁眼鏡。いつもなら必要以上に影薄く暗躍しているはずのクラバインはしかし、今や隠し切れない存在感を持ってミナミと対峙していた。

なぜかそこで黙り込んだクラバインの眼鏡越しの視線が晒した横顔にちらりと触れて、ハルヴァイトは堪え切れないように、微か唇の端を吊り上げた。

結果的にヒュー・スレイサーの処遇を決定するのは陛下だ。だからここでクラバインとミナミがどういう主張をぶつけ合おうとも、大方、意味はない。でもクラバインはヒューが処分されるのは当然だと言うし、ミナミは不問でカタをつけるつもりだと言う。

不毛と言おうか、おおよそ無駄な話し合いだなとハルヴァイトは、睨み合うクラバインとミナミの間で不安げに視線を揺らしている少年の蒼褪めた頬を眺めながら思う。

「班長が処分されて室長の気が済むなら、自由にして頂いていいんじゃないんですか? 別に」

その、いつも程度無関心な発言に刺々しい視線がハルヴァイトに集中すると、悪魔は悪魔らしく片頬を歪めるようにして人悪く笑いつつ、少年から顔を背けた。

そもそも、だ。

ハルヴァイトの読み通りなら、クラバインはヒューに対して必要以上の厳重処分を望んで居ないはずだ。ではなぜここで「それ相応の処分はすべき」と主張するのかといえば、陛下が最後の最後で多分ミナミの肩を持つだろう事を予想して、つまり、クラバインの事情としてもミナミにここで「不問」という意見を引っ込められては困るのだろう。青年の少々意地っ張りな性格とヒューとの円満な(?)兄弟的関係を考慮し、あえて反発して見せれば、ミナミはどうあっても退かないと食えない上官は咄嗟に考えたのか。

それだってハルヴァイトにすれば予測される数多の選択肢の一つでしかなかったが、今の素っ気無い問いに返ったクラバインの剣呑な表情を見れば、アホでも判るというものだ。

何せ、今室内でハルヴァイトの意見に同意する者がないではないか。

「偉くなり過ぎるというのも考えものですね」

「多分あんたも十分偉いんだと思うけどな…」

規則だとか柵だとかいうものなどこの世に存在していませんとでも言うようなハルヴァイトの横顔に、ミナミが呆れた突っ込みを入れた途端、ノックと同時に固く閉ざされていたドアがゆらりと開いた。

「こりゃぁ、皆さんお揃いで」

その人となりと同様頼りなく開け放たれたそこから眠たげな顔を出したのは、疲れたようなアッシュブロンドに生気のない金色の双眸を半開きにしたベッカー・ラドだった。

「――――――――――――――――――――――」

が。

「いやもうアレだ。大変だったわ。何せ本職が「人型」な職人さんに無茶言ってラフ引いて貰ったモンだからさぁ、正直、ちゃんと立てるか自信ねぇ、オレは」

どう見ても非番だったのだろう、部屋着らしいアイロンも当てていないボタンダウンの白いシャツに細身のジーンズに傷だらけのローファー。シャツの上から濃いオリーブ色のよれたハーフコートを羽織ったベッカーは、頭に巻いた黒地に赤と白で模様の描かれた海賊被りのバンダナの上からがしがし頭を掻くと、肩に担いでいた黒い塊を、呆気に取られた視線など無視して床にどさりと下ろした。

「つうか、ホント、お前らオレにどんな恨みがあんだって話だよ…」

どうやら意図せず巻き込まれたらしいベッカーは、彼にしては珍しく、酷く低くて聞き取り難い声を益々低くして、ぼそりと愚痴を零した。

  

   
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