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番外編-9- ゴースト |
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(28)おまけ | |||
よたよたというかよちよちと四本の脚を動かして数メートル進み、不意にそれがぺたんと床に座り込んでしまって、でも、誰もが詰めていた息をほーっと吐き出した。 「一応恰好ついて来たでしょ」 きょろりとした緑色の目をちょっと情けなく伏せた「それ」が、いつ何時も崩れないだらけた口調で言われて、大きな三角形の耳をしょんぼりと下げる。 「いい。つうかもうこれで十分。てか、これ、俺持って帰っていいよな?」 それまでちょっと離れた所に無言で立っていたミナミが、急に動いて「それ」の脇に膝を置いて屈み込み、項垂れた頭部をぎゅっと抱き締め無表情にベッカー…最初に発言したのはもちろんこの男だ…を見上げた。 「いや、ダメ。アイリー次長がそいつ連れて帰ったら、おれがガリューに制裁加えられんでしょーが」 だめだめ、とうんざり首を横に振ったベッカーに合わせて、「それ」もぶんぶん首を横に振る。 「なんで俺拒否られてんの!」 拒否されているのを拒否するようにますます首に齧り付いたミナミから逃れようと、「それ」がついに四肢を伸ばして身を起こした。途端、ベッカーの足元に展開していた電脳陣が忙しく明滅し、どこからともなく、ちょっと舌足らずな高い声が聞こえて来る。 『だ、って。まだ発声装置とか、付いてないし。歩くのも、やっとだし』 と、「それ」が…。 丸い顎、ピンクの鼻、大きな緑色の目に、三角の耳。全体に短い毛で覆われた胴体は濡れたような艶を放ち、先端の丸っこい四肢と長い尻尾までその殆どを黒で固めた、規格外に大きい「猫」に似た動物が、合成された声で途切れ途切れに訴える。 床に膝を置いてやたらデカイ猫にしがみ付いているミナミの背中を、長い尻尾がぺしぺしと叩く。一応気を使っているのだろう、音の割には青年にダメージがなさそうだったから、ベッカーはそれを謹んで見逃した。 『やくそく、守りたい、の! もっとちゃんと、がんばってからじゃ、ないと、ダメなの!』 猫というよりも、モデリングの基本が実はかの「バロン」なので豹に近いそれが、ぷるぷると首を振ってミナミの腕を振り払おうとしている。それに対して青年が、絶対バラさないから俺と一緒におうち帰ろう? などと無表情に言っているのを生温い笑みで眺めつつ、ベッカーはうんざりと肩を竦めた。 子供のような声で舌足らずに繰り出される正論というかを、自分の欲求の為に甘やかそうとする大人って、どうよ。的気分で。 最早床に正座したミナミと、四肢を揃えて行儀良くお座りした黒豹…ジャスパーという名前らしい…が額を付き合わせて、帰ろう、イヤだ、とやっているのを横目に、ベッカーは自身の正面に一つ通信用のモニターを立ち上げた。
――おたくのハニーが黒にゃんこの邪魔してて面倒だから、回収に来てくんない?――
メッセージを送信しモニターを落として、ベッカーはもういちど疲れた溜め息を漏らした。 さて、あの悪魔はどのくらい記録的速さで本丸から電脳班執務棟までやって来るのか。 「…とりあえず、自分でこいつこの世に残すつったんだから、いきなり吹っ飛ばされる心配はないだろなぁ…」 おお、これぞ自業自得。などとどうでもいい事に感心しつつベッカーは、どうしてこう、基本無関係の自分はこのところ連中の起こす騒ぎに巻き込まれているのかと、最早溜め息もなくさらりと思い浮かべた。
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「…こちらに残す事を、許可したのですか?」 と、礼儀正しく来客用のソファに鎮座した黒衣の青年が少し意外そうに言うと、こちらも礼儀正しく一人用の肘掛け椅子に納まっていた白衣の少年がこくりと頷く。 「ちょっと時空列が混乱してまして、戻そうにもアレ、廃棄領域から零れたものだったんですよー」 あははー。などと、全体に色の薄い少年が屈託のない笑顔を振り撒きつつ、極端に淡い灰色の髪をぽりぽりと掻く。それを聞いて黒衣の青年は、ほとんど反射的に溜め息を漏らしていた。 どうしてこう、ファイラン階層には問題がある連中ばかり集まっているのかと、嫌味たっぷりに「ゴッド」と呼ぶ上司(?)に言ってやりたい。管理者側には先代管理者組織を崩壊させて責任を取らされ、渋々管理者になった連中が居座っていたし、現実面にはあの…。 「それにほら、今更「幽霊」の一つや二つ増えても、大した問題じゃないでしょう? 都市ファイランの悪魔が「臨界を覗いて」しまった時点で、ファイラン階層の廃棄は決まっちゃってる訳ですし」 にこにこと笑みを崩さないまま恐ろしい事をさらりと言ってのけた少年を、青年が黒い双眸で凝視する。 「――――都合の悪いものを一纏めにしておけば、捨てる時の手間が省けるとでも?」 長方形のローテーブルを挟んで、白い少年の笑顔と、黒い青年の不快を滲ませる剣呑な表情がぶつかり合う。 「実際、そうですよね? 僕、間違ってます?」 小首を傾げる仕草も無垢な愛らしさを滲ませた少年はしかし、薄い灰色の双眸を青年の顔から絶対に外さなかった。責めているのでもない、問うているのでもない。ただ事実を確認するために向けられた居心地の悪い視線に、青年は知らず背凭れに身体を預けて深く嘆息していた。 「いいえ。あなたの言う通りです」 かなり投げ遣りな気分で言い返した青年のどこが可笑しかったのか、少年は細い腕でハラを抱え、けらけらと軽やかな声を上げた。 「もっとちゃんと残酷になりましょうよ、冥王。どんな言い訳しても、泣いて謝っても、結局僕らは「切り捨てる」方なんですよ? それとも、綺麗ごとを言っていちいち「人間」を哀れむのは、自己満足ですか?」
だったら邪魔しませんから、いくらでもやっちゃってください。
やれやれと言わんばかりに大仰に肩を竦めた少年を、青年が酷く冷たい、平坦な表情で見下す。その、完全に温度のない視線に射竦められても、白衣の少年は無垢な笑顔を崩さなかった。 「―――ごきげんよう、詩歌い」 全身から発する怒気に見合わぬ穏やかな声で言い捨てて、刹那、黒衣の青年の姿がその場から忽然と消える。それが最初から判っていたのだろう少年はにこにこと微笑むばかりで、驚く素振りさえ見せなかった。 しかし。 「不死者の王曰く、「冥王はああ見えて人情派だ」」 不意に笑みを消した少年が、目を閉じて呟く。その声はいやに皺枯れていて、まるで命果つるのを待つばかりの老人みたいに聞こえた。 自分の言葉が可笑しかったのだろう、少年が目を閉じたまま唇の端を吊り上げる。 「さすが、いい事言うなぁ…」 だからあいつを利用しろ。任された以上、俺はこの都市を落とす気はねぇ。 自分にないから誰にも文句言わせないとは、さすが、「王」と名付けられただけの事はあると少年は、先と趣の変わった笑みを漏らした。 冥王…プルートゥと。 詩歌い…シンガーと。 不死者の王…ノーライフキングと…。 都市ファイランには、別の物語が潜んでいる。
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昨日までの惰性で思わず自室よりも一階層上の廊下に出てしまって、ヒューはうんざり天井を仰いで額に手を当てた。 非常階段を踏み締めながら余計な事に気を取られていたのがマズかったのか、そう長くはない廊下を半分以上進むまで、この不自然さに気付かなかった…。 とんだ失態だと嘆息しながら踵を返し、誰にも見つからずに部屋へ戻ろうとしたヒューの思惑はしかし、なんの前触れもなくかちゃりと開いた階段室の扉の前に脆くも崩れ去った。 「あれ? ヒューさん、どうかしたんですか?」 足元に落としていた視線をぱっと上げたアンに問われるなり、銀色が眉間に皺を寄せ首を横に振る。事実、彼は戻る階層を間違えただけで、何か用事があった訳ではない。 なんとなく…そう、なんとなく、だ…そのまま立ち去るのもおかしな気がして足を止めたヒューに、アンがとことこと近付く。幼さの残る小さな顔に、大きな水色の瞳。廊下に点在する常夜灯の淡い光が、ゆっくりと瞬く色の薄い睫の先できらきらと踊っている。 いつものように素っ気無く「じゃぁな」と言って退場する素振りも見せないのに口も開かず渋面を作ったヒューをいっとき見つめてから、アンは桜色の唇を微かに綻ばせて小首を傾げた。 「警備部隊の格闘訓練を見る事になったって聞きましたけど」 この情報ソースはミナミだろうか、それとも、当の警備部隊の隊長殿だろうかと思いつつ、ヒューは歯切れ悪く唸りつつ益々眉間の皺を深くして頷いた。他言も詮索も無用と一方的に言い渡された彼らにだって、プライドはある。しかも、散々振り回された挙句お終い部分をクラバインに召し上げられた不満を幾らかでも解消させようというのだろう、通常任務に戻った途端室長から銀色に下された指示は、暫くの間一般警備部第二十一連隊と警備部隊の格闘訓練を指導しろというものだった。 まぁ…ある意味、一石二鳥ではあるのだが…。 いかにも面倒臭い事になったとでも言いたげなヒューの渋面を見つめていたアンが、刹那だけ、申し訳なさげな顔をする。 しかし、アンはすぐに気を取り直し、いつものように屈託なくにこりと笑った。後ろめたさも歪もない、透明な笑顔だ。 アンが医療院を出てからの三日間。アリスがいたく気にしていたその、三日。 少年は、特別官舎の自室にいた。全ての情報を遮断し、電子機器を一切近付けず、日がな一日寝たり起きたりを繰り返すアンの傍には、ずっとヒューが付き添っていたのだ。 一旦は戻った意識が唐突に途切れた後、アンの様子を見たハルヴァイトは少年の臨界側電脳のシステムチェックをローエンス…彼こそが、臨界ファイラン階層制御系魔導師の親玉だからだ…に依頼し、時置かず、彼は幾つかの不具合を報告して来た。一応話を聞いたもののそれのどこがどう都合悪いのか銀色にはさっぱり判らなかったが、とにかく、四十八時間は電子的刺激を避け、極力リラックスさせて、過剰に蓄積した脳ストレスの解消に努めろと言われたのだ。 それで、意識の戻ったアンにどうするかと問えば、少年は部屋に帰りたいと答えた。しかしながら、日常生活の様々なシーンに当然のような顔で存在する機器の電源を全て落とすとなると生活は相当不便になるし、一人では外出もままならない。 だったら、最後まで班長が面倒を見ればいいのでは? とハルヴァイトにあっさり言われた結果、ヒューはアンともども一時行方不明になったのだが。 その時、うつらうつらするアンの小さな頭を膝に載せてソファに座っていたヒューに、少年が言った。 ごめんなさい。 ありがとう。 その言葉に覚えがあって、ヒューは口元に淡い笑みを浮かべ、それはもう聞いたと答えた。
「それはもう聞いた。 俺は俺のしたいように行動しただけで、君が責任を感じる必要はない。 だから、気にするな」
そう独り言みたいに呟いて、額に落ちる色の薄い金髪を指先で払い除けると、アンはゆっくり目を閉じて、はい、と小さくヒューに返した。 それ以降、二人はあの時の事を口にしない。 アンの思惑は判らないが、ヒューにとってそれは、未だ話す時ではないからだった。 いつか、「彼」が戻ってきたら。 ありがとうと、ごめんなさい。 三度目になるその言葉を聞くまでは。 「ヒューさん、今から夕食ですか?」 「ああ」 先までのささやかな緊張を解いたアンが、未だにどこか愛らしい顔ににこりと笑みを浮かべて小首を傾げる。それを見下ろしたまま小さく頷いたヒューのサファイヤを見つめ、少年は、じゃぁダイニングに一緒に行きましょうよととてもいい事を思いついたような口調で言い、それから、着替えてくるので少し待っていてくださいと付け足して、ぱたぱたと自室へ飛び込んで行った。 交差する、色の薄い金髪と銀色。踊る毛先が手の中を擦り抜けるように流れて、ヒューはふと思い出した。 最後にあの「少年」が見せた曇りのない笑顔は、まるで、アンそのもののようだった、と。 「―――…。結局、俺の理由なんてそんなモンなんだろうな…」 手持ち無沙汰に廊下の壁に背中を預けたヒューは、少々ガラの悪い溜め息を漏らしながら両手を長上着のポケットに突っ込み、仄かに温かい光を放つ常夜灯を見上げて、呆れたように唇の端を歪めた。
2009/06/15(2009/11/13) goro
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